03 Frapper les uns les autres
王国暦五九八年 コンセル四日
「この問題、解けるか?」
カミーユから出された問題を解く。
「おぉ」
これ、今日出された課題だ。
「答え合ってるのか?」
なんで、目の前で解いたのにわからないんだ。
「ここさぁ、なんでこうなるわけ?」
教科書を出して、公式を見せる。
「これ、まだ先の公式だろ?」
こんなに便利な公式を後で教える方が考えられない。
「この公式を使わないとどうなる?」
途中の計算式から横に矢印を伸ばして、解き直す。
「お前、頭良いな」
数学は理解しやすい教科だから。
教科書とノートを閉じようとしたところで、止められた。
「わ、待てよ。今写すから!」
ノートのページを一枚破いて渡す。
「お。ありがとう」
鞄に教科書とノートを仕舞って、席を立つ。
「待てよ。ランチ、一緒に行こうぜ」
一緒に?
アレクが待ってるかもしれないけど。
まぁ、いいか。
※
「なぁ、聞いてるのか?」
聞いてる。
けど、大して面白い話じゃない。
読んでる本の方が面白い。
「本当に無口な奴だな」
喋れたとしても、返事をするような内容は一つもなかった。
「カミーユ、やめなさいよ。困ってるじゃない」
マリアンヌだ。
別に、困ってないけど。
「何か用か?」
「後期にやる室内楽の調査票を渡しに来たのよ」
室内楽?
マリアンヌから紙を貰う。
ピアノ、バイオリン、ビオラ、チェロ、フルート、オーボエ。
どれか一つ、もしくは二つを選択すること。
……選ばなきゃいけないらしい。
でも、楽器なんてやったことがない。
「マリーは何にするんだ?」
「ピアノとフルートよ」
「どっちも好きじゃないな。バイオリンなら少しは弾けるけど。お前は何かやったことあるのか?」
首を振る。
「なら、バイオリンにしようぜ」
「勝手に決めないで。……エルロック、今月末までに提出して頂戴ね」
ピアノは解るけど。
他の室内楽の楽器なんて知らない。
アレクかフラーダリーに聞いてみよう。
「ねぇ、あなたって、アレクシス様とどういう関係なの?」
どういう関係?
アレクはフラーダリーと異母姉弟で。
俺とは直接的に何の関係もない。
「ほら、困ってるぞ、マリー」
「悪かったわね」
だから。
別に、困ってない。
「何かあったら言ってね。私、このクラスの委員長だから」
それは最初に教師から聞いてる。
委員長は、先生の手伝いをするのが仕事らしい。
早めに名前と顔が一致して良かった。
「それじゃあね」
名家のお嬢様なのに面倒見が良いんだな。
養成所に居るのは貴族ばかりだって聞いていたけど、思ったより皆、偉そうじゃない。
アレクがあんな感じだから?
「お前ってさー、本当に無口だよな。何か喋ろよ」
声が出せないんだから仕方ない。
「ばーか」
馬鹿?
悪口?
それとも、ラングリオンでは違う意味がある?
「あぁ、やめよう。いじめたなんて言われたら、それこそマリーに殴られるな」
マリアンヌって、気に入らないことがあると殴るのか?
あぁ見えて、案外、力があるのかもしれない。
カミーユが、じっと俺の顔を覗き込む。
なんで、そんなに瞳を……。
「何か気に入らないことでもあるわけ?」
気に入らないこと?
そんなものはない。
「これ、面白いか?」
面白いから読んでる。
っていうか。
「なんつーかさぁ」
さっきから、なんで、こんなにしつこいんだ。
「お前、女みたいな顔してるよな」
誰が、女だ。
思わず殴ると、周囲から悲鳴が上がった。
……しまった。
「良い度胸してるじゃねーか」
力の加減を誤った。
胸ぐらをつかまれる。避けようと思ったけど、避けきれずに殴られた。
いってぇ……。
殴られたのなんて、どれぐらいぶりだ。
口の中に血の味が広がる。
くそっ。
変なこと言う、お前が悪いんだよ!
「何やってるのよ!」
殴り合い。
「おー。カミーユと新入生が面白いことやってるぜ」
喧嘩なら慣れてる。
「誰か、止めてよ!」
「やれやれー」
「いっけー」
「先生呼んで来て!」
誰かが俺の腕を掴んだけど、振りほどいて殴りかかる。
「泣かせてやる」
それは、こっちのセリフだ!
カミーユの一撃をかわして蹴り上げる。けど、その足を掴まれて放り投げられた。
机や椅子が背に当たって、激痛が走る。
「カミーユ!やめなさい!」
あぁ、くそ。
負けるか!
カミーユの懐に入って、思い切り腹を殴る。
「……っ」
怯んだところで、わき腹に蹴りを入れ、膝をついたカミーユを見下ろす。
勝った。
「いってぇ……」
血の味がする口元を服の袖で拭う。
短剣があれば、もう少し早く片付いたのに。
「やられるかよ!」
あっ……。
足払いをかけられた。
よろけたところで、誰かに腕を引かれて支えられる。
「その辺にしておけ。カミーユ、エルロック」
赤い髪。
誰だ?
「シャルロ。庇う気か」
シャルロ・シュヴァイン。
オルロワール伯爵と並ぶ名家、代々裁判官を務めるノイシュヴァイン宮中伯の分家、シュヴァイン子爵の二男。
「発端は何だ」
なんだっけ。
「どっちが先に手を出したんだ?」
それは、俺に間違いない。
「どっちでも良いだろ?」
え?
俺が先なのは明らかなのに?
「お前たち、何の騒ぎだ?」
クラスの先生が誰かに連れられて教室に入ってくる。
「カミーユとエルロックが喧嘩してるの」
「喧嘩?……カミーユ、エルロック。来い」
「ちっ」
舌打ちをしたカミーユと一緒に教室を出る。
すると、授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
「カミーユ。なんで喧嘩なんてしたんだ」
「べーつにー」
「発端は?先に手を出したのはどっちだ」
シャルロと同じことを聞くんだな。
「忘れた」
で。
また、俺が先だって言わないのか。
「まったく……。エルロック。入学早々、何をやってるんだ。このことは、フラーダリーに報告するからな」
それは、まずい。
「フラーダリー?どういうことだ?」
「エルロックの保護者はフラーダリーだ」
別に、言わなくても良いのに。
あれこれ聞かれるのが嫌だから、俺のことは詳しく言わなくて良いって伝えてあるんだから。
話せないことも、家族のことも、出身のこともブラッドアイも何もかも。
紹介する必要なんてない。
※
医務室だ。
「二人とも、ちゃんと怪我を治して来るんだぞ」
「はーい」
「終わったら、すぐに授業に戻れ。放課後は補習をやるからな。第三実験室に来い」
「えー」
補習?
「わかったな」
「はーい」
前期の遅れを取り戻す為の補習もあるのに。
更に補習があるらしい。
「お前、返事ぐらいしたらどうだ?」
だって、喋れないから。
カミーユが眉をしかめて、医務室の戸を開けた。
中に入ると、白衣の女性が居た。
「あら。喧嘩でもしたの?」
開口一番それか。
カミーユが俺を引っ張って、白衣の女の前に座らせる。
「先生、痛くしてやってよ」
「何言ってるの」
これも先生か。
「あら。あなた、珍しい瞳をしているのね」
砂漠では珍しくなんかない。
「噂の新入生君か。名前は……。エルロックね」
先生が名簿らしきものを見ている。
「カミーユ。この瞳をからかったんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ」
瞳のことは何も言われてない。
「そう。でも、この子が殴りかかるようなことを言ったのは確かでしょう?」
「なんでわかるんだよ」
「カミーユの顔に、綺麗に殴られた跡があるからよ」
……そうだ。
最初の一発は完全に不意打ちだったから、防御態勢も取れなかっただろう。
少し、悪いことをした。
「さ、治してあげるわ」
怪我をした場所に薬を塗られる。
すごいな。
見る間に傷が癒えていく。
傷の跡は残っているけれど、すぐに綺麗になるだろう。
「薬を見るのは初めて?」
初めてじゃないけど。こんなに劇的な変化をもたらすのは知らない。
「錬金術を学べば、この薬の正体も解るわ。作れるようにもなるわね」
作れる……?
次に、顔に手を近づけられた。
光の魔法。
先生は魔法使いなのか。
「他に痛いところはある?」
背を向ける。
「背中ね」
なんだか温かい。
「良くなった?」
先生の方を向いて、頷く。
「良かったわ。怪我をしたり困ったことがあったら、いつでも医務室に来てね。来た時は、ここに名前を書くのよ」
医務室の利用名簿に名前を書く。
「さ、カミーユと変わって頂戴」
立ち上がると、カミーユが椅子に座った。
自分の顔に触れる。
口の傷も治ってる。
「あーぁ。補習なんて。何やらされるんだ」
「悪いことをした罰よ。学生の本分を思い出して、たくさん学ぶことね」
もめ事を起こすと勉強が増える?
学びに来てるのに学ぶことが罰?
変なの。
でも、どんな勉強かな。
実験室って言っていたし、何か新しいことをやるのかもしれない。
ここに居れば、学びたいことを好きなだけ学ぶことが出来るとフラーダリーが言っていた。
楽しみだ。
棚に入っている薬の瓶を眺める。
ラベルには薬品の名前が書いてあるけど、いまいち何に使うものか解らない。
けど、こういうのも作れるようになるんだろう。
「はい、終わり。利用名簿書いてね」
……錬金術。
魔法に頼らずに人間が奇跡を起こす方法。
それが本当なら、精霊が傷つくことはなくなる。
「おい、行くぞ」
治療が済んだらしい。
「あんまり喧嘩なんてしちゃだめよ」
「はーい」
別に、したくてしたんじゃない。
医務室を出て、廊下を歩く。
早く教室に戻らないと。
歩くのが遅いと思ったら、カミーユが髪を結び直している。
俺より短いから、結ぶほどの量なんてない気がするけど。邪魔なんだろう。
「お前、孤児なのか?」
頷く。
親の居ない留学生なんだ。そう思われてもおかしくない。
「どっから来たんだ?ラングリオンじゃないだろ?」
ブラッドアイなんて、ラングリオンに居ないからな。
「また、だんまりかよ。それとも無視か?」
無視してるわけじゃない。
ちゃんと聞いてる。
「悪かったよ。少し怒らせようと思っただけだったんだ」
立ち止まって、カミーユを見る。
どういう意味だ?
「喋らないし、何やっても反応薄いし。からかって悪かったよ」
そういえば、怒ったのなんて久しぶりだ。
「同じクラスなんだから、いいかげん仲良くやろうぜ」
仲良く?
そんな話だったか?
「いつまでも一匹狼で居てどうするんだよ」
一匹狼?
……どういう意味?
これも、ラングリオン特有の表現?
「あぁ、もう。いつまで無視するんだよ!せめて、何か喋ろ」
口を動かす。
「なんだって?」
もう一度。
「え?」
喋れない。
「まさか、お前、声が出ないのか?」
ようやく気付いたらしい。
「なんで、皆に言わないんだよ」
わざわざ言う必要を感じない。
「先生は知ってるのか?」
知ってる。
「で?皆には言いたくないのか」
言いたくない。
「変な奴。俺に知られても良いのか」
だって。
しつこいから。
「今、何て言ったんだ?」
カミーユの手を取って、手のひらに文字を書く。
「なんだって?もっとゆっくり書けよ」
し
つ
こ
い
……これで解るだろ。
カミーユが大げさなため息を吐く。
「はいはい、悪かったよ。でも、喋れなかったら困るだろ」
別に、困ってない。
「決めた。俺はこれからもお前をかまう」
なんで?
「喋れるようになる方法、一緒に探そうぜ」
カミーユが笑う。
そうか。自分で探すって手もあるのか。
良い奴なんだな。
ん。一緒に探そう。