01 Cafetière à siphon
王国暦五九八年 コンセル朔日
サイフォン。
器具にコーヒー豆と水をセットする。
それから、ランプに火を灯し、水の入った丸いフラスコ部分を温める。
と言っても、入っているのは温めておいたお湯だから、すぐに沸騰した。
沸騰した水がロート部分を通じて、コーヒー豆を入れた部分へ移動する。
そうしたら砂時計をひっくり返し、吸い上げられたお湯とコーヒー豆を細長い木べらでかき混ぜる。
砂時計の砂がすべて落ちた。
「消すよ」
ランプの火を消して、また木べらでかき混ぜる。混ぜ方は、さっきと違うような気がする。
真っ黒になった液体は丸いフラスコ部分にすべて吸い下げられた。
「これで、出来上がり」
完成。
「面白いかい」
短い金髪が揺れて、サイフォンでコーヒーを作っていたアレクがこちらを見る。
アレクシス。
二歳年上で、俺の保護者の弟で、養成所の中等部一年。
頷くと、アレクが碧い瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
「エルは、どうしてこんな現象が起こるかわかるかい」
首を傾げる。
「きっと、それも学ぶことが出来るよ」
これから通う場所。
ラングリオン王立魔術師養成所のことだ。
今、教えてくれても良いのに。
「楽しみにしてると良いよ」
教えてくれない。
養成所に入れるよう俺に勉強を教えてくれたのはアレクだ。アレクのおかげで入学試験に合格して、中途入学出来ることになった。
だから、この先は養成所で勉強しろってことなんだろう。
「心配しなくても、困ったら、いつでも相談に乗るからね」
頷く。
困ってるわけじゃないから大丈夫。
「姉上はまだかな」
朝からずっとうろうろしてるから、今、どこに居るかわからない。
「冷めない内に飲めたら良いのだけどね」
アレクがサイフォンの上部を外して、出来上がったコーヒーを三つのコーヒーカップに注いでいく。
良い匂い。
「エル」
ようやく、フラーダリーが来た。
アレクと良く似た碧眼に金色の長い髪。
八歳年上の、今の俺の保護者だ。
「養成所に行く準備は出来てる?」
その質問、何度目だ。
心配されなくても準備は昨日の内に終わってる。
アレクが笑う。
「エルよりも、姉上の方が緊張してるようですね」
「だって、子供の初登校だよ」
「心配は要りませんよ」
アレクが淹れたコーヒーをフラーダリーに持っていく。
「あぁ、ありがとう。コーヒーを飲んだら行く時間かな」
「もう少し、ゆっくりする時間はありますよ」
皆で、コーヒーをリビングに持っていく。
養成所の授業が始まるのは明日からだけど、学内の説明があるから今日の夕方に来いと言われている。
でも、まだ行く時間じゃない。
テーブルにコーヒーを置いて座ったところで。
「お菓子、食べるかい?待っていて」
俺の返事を待たずに、フラーダリーがキッチンへ戻って行った。
その様子を見たアレクが笑う。
「これじゃあ、どっちが初登校かわからないね」
本当に。
朝からずっとこんな調子だ。
「エル、先に渡しておくよ」
アレクが俺の首に何かかける。
これは?
「ポーラータイ」
ひも状のネクタイだ。
「制服以外は自由だからね。気分に合わせて変えたら良いよ」
養成所内では制服で活動することになっている。
基本は、白シャツの上に養成所のエンブレムが付いた紺のブレザー、グレンチェックのパンツに紺か白のソックス、ローファー。
それに、冬は紺か白のニットベストを合わせる。外で活動する際の防寒着は、ひざ丈で、襟の大きな紺のセーラーコートだ。滅多に使わないはずの帽子も指定で、夏は紺のリボンが巻かれたカノティエ、冬は紺のベレー帽を使う。どれも養成所のエンブレムが入ったものだ。
ただ、夏は半袖の白シャツを着ても良いし、パンツも同じ素材と柄であれば、ハーフパンツやスカートにしても良いらしい。ソックスも色に気を付ければ長さに決まりはない。冬もマフラーや手袋の着用は自由だ。
運動時も最初は指定の服があるものの、学年が上がるに連れて自由化される。これは、学ぶ剣術に合わせてスタイルを変える必要があるかららしい。
また、耳飾りや指輪、腕輪を始めとして、着飾る目的の装飾品は怪我や盗難の恐れがある為、身に付けないことが推奨されている。
ポーラータイは装飾品になりそうだけど、自由らしい。
宝石が付いたものとか色々ある。
指定の制服があるものの、身に付けるものに関しては、案外、緩いのかもしれない。
もう一つ首にかけようとしたところで、アレクに止められた。
「一度に着けるのは一つの方が良いよ」
じゃあ、残りはポケットに入れておこう。
「エルは面白いね」
面白い?
「持って来たよ」
フラーダリーがマドレーヌをテーブルの上に置く。
「姉上、少しは座ったらどうですか」
「あぁ、そうだね」
この家での生活は今日まで。
養成所に入れば寮生活になるから、フラーダリーとは会えなくなる。
学内の説明が終わったら皆で夕飯を食べようって話してるけど、俺が戻るのは養成所だ。
「エル、休みには帰って来ようね」
帰る?
「そうだね。急に居なくなったら寂しいから。帰って来てくれると嬉しいよ」
そっか。休日は帰れるのか。
ずっと養成所に居なくちゃいけないわけじゃないらしい。
「ここは君の家だ。いつでも帰って来て良いからね」
微笑んだフラーダリーに向かって頷く。