06 Bulle de savon
王国暦五九九年 スコルピョン二日
今日からアレクは研修旅行で居ない。
十八日までずっと。
おまけにフラーダリーも忙しくて、休日には居ないと言われてしまった。
手紙を書くから養成所で良い子にしていて、と。
別に、帰る予定はないけど。
こんなに長くフラーダリーが家に居ないのは初めてだ。よっぽど忙しいんだろう。
会えない時は手紙がたくさん来る。
フラーダリーからの手紙は心配ばかりが書かれてるから困る。
この前もカミーユの薬を飲んでることを心配された。
フラーダリーには言ってないのに。ナルセスから聞いたのかな。俺の診察の報告を受けてるはずだから。
別に、危ない薬を飲んでるつもりはない。
甘くて美味しいし。
早く喋れるようになりたい。
放課後。
「実験室には行かないぞ」
なんで?
「ロニーの課題をやらなきゃいけないんだよ」
そう言って、カミーユが勉強を始める。
……見てるだけじゃつまらない。
俺も錬金術の勉強をしよう。
教室を出て、図書館へ。
養成所の図書館も、王立図書館ほどじゃないけど、たくさんの本がある。
主に学業に関係したものが揃ってるから錬金術関連の本は豊富だ。
錬金術とは、魔法を使えない人間でも魔法のような奇跡を使えるようになる手段を研究する学問。
色んな分野やアプローチがあるのも特徴だ。物理的な事象の探求もあれば、完全に理論から攻めるものもある。精霊に力を借りて作る魔法のアイテムも錬金術に入るらしい。
その歴史も面白い。
もともと医学の分野だったものがくっついたり離れたり、医学を否定する精神的な分野が流行ったり廃れたり、薬草学なんかも何に入るか論争が起きて独立したり組み込まれたり。
また、今では失われた太古の技術やアイテムなんかもあって、そもそもそんなもの存在しないという議論がある中、研究によって実在を証明しようとする学問があったり……。
なんて。
とにかく、やり方も考え方も色々あって、あやふやで怪しくて面白い学問だ。
ん?
なんだこれ。
面白そう。
それに、これならすぐに作れそうだ。
レシピをメモする。
カミーユを誘って、実験室に行こう。
※
教室に戻って、問題を解いているカミーユの前の椅子に座る。
教室には、もう誰も居ない。
……まだかかりそうだな。
区切りがつくように思えない。
カミーユの問題用紙に文字を書く。
実験室に行こう。
「行かないって言ってるだろ?しばらく実験は休み。ロニーからも止められてるんだ」
なんで、ロニーの言うことを聞かなくちゃいけないんだ。もしかして、ナルセスから何か言われたのか?
しばらくって、まさか、研修旅行が終わるまで?
冗談じゃない。
早く終わらせろ。
カミーユは俺が書いた文字を見た後、課題に戻る。
無視された。
課題が終わるまで待ってなきゃいけないらしい。
カミーユのペン先を追う。
あ。それ、間違ってる。
間違ってる箇所をチェックして、正しい式を書き直す。
数学は苦手らしい。
……証明完了。
答えの横に、文字を書く。
ちょっと試したいことがある。
「何やるんだよ」
簡単なもの。
遊ぶだけ。
さっきのレシピ、作ってみたい。
そう書こうと思ったところで、教室の扉が開く。
「まだ残ってたのか。そろそろ教室閉めるぞ」
やった。
実験室に行こう。
「はーい」
カミーユが課題を鞄の中に仕舞う。
校舎の設備が自由に使える時間は決まっている。放課後も使いたい場合は個別で申請が必要になるのだ。
でも、第三実験室の鍵は借りっぱなしだから、いつでも使える。
荷物を持って、カミーユと一緒に教室を出る。
あ。シャルロだ。
丁度良い。シャルロも誘おう。
「シャルロ、どうしたんだ?」
「教室に本を忘れたんだ」
「本?」
「今、王都で流行ってる推理小説だよ」
推理小説?
「物語だよ。推理する」
「全く説明になってないぞ」
カミーユの説明は雑過ぎる。
「物語形式で与えられた情報を元に、物語の中で語られる謎に挑む小説だ」
「要は、頭を使わないと読めない本ってことだろ」
「何も考えずに楽しむ方法もある。謎の答えや真相は物語のラストで語られるからな。ただ、推理を行いながら読めば、自分が物語の人物の一部になった感覚を味わえるのも特徴だ」
問題と答えが物語形式で進む話らしい。
だったら、普通に問題と答えを簡潔に提示すれば良いのに。
「勉強が好きな癖に、物語には興味がないのか」
「そういや、エルが物語を読んでる所は見たことないな」
だって、タイトルや説明を見ても何について書かれた本なのか解らないから。物語は、何が言いたいのか解らない本だ。
「あ」
教室の扉が開いて、教室内のチェックを終えた先生が教室の鍵を閉めた。
「お前たちのせいで間に合わなかっただろ。養成所にはないから、わざわざ送ってもらった本なのに」
なら、遊ぼう。
シャルロの腕とカミーユの腕を掴んで歩く。
「どこに行くんだ」
「おい、実験は禁止だって言ってるだろ」
カミーユが実験を禁止されてるだけで、俺は禁止されてない。
「実験?」
「何かやりたいらしい」
「何をやるんだ」
「さぁ?」
そんなの、面白いことに決まってる。
※
実験室に入って、材料をそろえる。
ストロー……。
あった。
「これ、洗剤だろ?」
レシピに書いてある通りに混ぜていく。
っていうか、どれから混ぜてもいいのか?これ。
砂糖って何の作用があるんだろう。飲んでも平気なように?
「何作ってるんだよ」
洗剤は飲んだらまずそうだけど。
……出来た。
液体にストローを浸す。
そして、ストローを吹く。
「おぉ」
綺麗。
ストローから飛び出したいくつもの透明な球体が、ふわふわと浮く。
「シャボン玉か」
「懐かしいなー。俺も遊んだぜ」
え?
知ってる?
「やったことないのか?」
ない。
これって、そんなに知られてるものだったのか……。
せっかく、驚かせようと思ったのに。
周りのシャボン玉が、壁や机にぶつかって次々と弾けて消えていく。
思った以上に脆い。
レシピには壊れにくいって書いてあったのに。
「まぁ、これぐらいなら誰にも怒られないだろ」
レポートをまとめるのは簡単そうだ。
「せっかくだ。たくさん作って、明日、教室に持っていくか」
「お。良いじゃん。教室でやって、教師を驚かせようぜ」
それ、すごく楽しそうだ。
こんなに綺麗なんだから、みんなで飛ばせばもっと綺麗だろう。
ぶつかる場所のない外なら、もう少し形を保ってられるかな。
窓を開いて、シャボン玉を飛ばす。
外に飛ばされたシャボン玉は、ふわふわ風に吹かれて昇って行く。
本当にきれい。
※
シャボン玉液をたくさん作って寮に帰ったら、夕飯時に他のクラスメイトも集まって来て、明日の計画を一緒に話し合うことになった。
「同じケースに入れて、誰が最初になくなるか競争しようぜ」
「良いぜ」
「女子連中が怒りそうだな」
「全員に渡して、クラス全員、巻き込めば良いだろ」
「上手く行くかー?」
皆、楽しそうだ。
「談話室からチェスを持ってきたぜ」
「勝手に持ってきて良いのかよ」
「ちゃんと返すから良いんだよ」
「ルシアンは、まだルールを覚えてないだろう」
「覚えたって」
「どうだか」
「正しく駒を並べられるのか?」
「駒ぐらいいけるって。エル、やろうぜ」
まだ食べ終わってない。
「相変わらず遅っ……」
ルシアンが、急に喉を抑えて咳き込む。
「大丈夫か?」
「んっ。んー。……最近、喉の調子が変なんだよ」
「喉?声変わりか」
「たぶんな」
声変わり?
「ルシアン。コーヒー持ってきてあげようか」
「あぁ、たのむ」
「エルも要る?」
頷くと、アシューがコーヒーを取りに行った。
「アシューはまだだよなぁ」
まだ?
「お。チェスじゃん。やろうぜ」
カミーユ。
「俺がエルとやるんだよ」
「じゃあ、次な」
「カミーユは終わってるな」
「終わってる?何の話だ?」
「声変わりだよ」
「あぁ。俺は入学前に終わったからな」
アシューがまだで、カミーユが終わった声変わり。
……そうか。
子供の声から、大人の低い声に変わるやつだ。
クラスの半分ぐらいは、もう低い声になってるよな。
俺も、その内、変わるんだろう。
声を出せないままじゃ解らないけど。
食べ終わった。
ごちそうさまでした。
砂漠もラングリオンも、食前と食後に手を合わせる習慣がある。
命を繋ぐ恵みに対する感謝。星の神であるアンシェラートと精霊への感謝。もしくは、食材の調達から料理を作ってくれた人への感謝を込めて。
「持ってくぞ」
カミーユが食後の俺のトレイを持っていく。下げてくれるらしい。
「はい、エル」
アシューが俺とルシアンの前にコーヒーを置いた。
良い匂い。
「あれ?ルシアン、間違えてるよ」
「まじか」
ナイトとビショップの位置を間違えるなんて。
正しく並べ直す。
どっちが先にやる?
「じゃあ、俺からな」
※
消灯時間までチェスで遊んで部屋に戻る。
……もう少し遊ぼうかな。
部屋の窓を開いてシャボン玉を吹くと、シャボン玉が暗闇の中に飛んで行った。
きれい。
楽しい。
皆、俺が一言も喋らなくても何も言わない。
たぶん、気付いても何も言わないでいてくれている。ユリアだって、俺が砂漠出身であることを誰にも話してないみたいだ。
皆、詮索するようなことは何もしない。
養成所に入るのがこの時期になった理由も。
留学生なのに出身を言わないことも。
全く喋らないことも。
何故、フラーダリーが保護者なのかも。
……やめよう。
せっかく、誰も何も聞かないでいてくれるんだから。
今は楽しい。
人間と接することが。
養成所の皆は、俺の知っている人間とは違う。ラングリオンの人間とも。
それは、精霊とも大して変わらないように思える。
いつも一緒に遊んでくれてた精霊たち……。
だめ。
やめよう。昔のことを考えるのは。
忘れないと……。
今度の休みはどうしようかな。
フラーダリーは家に居ない。
アレクも居ない。
養成所に居ても良いけど、たまには出かけようかな。王立図書館に錬金術の本を探しに行くとか。もっと面白いのが探せるかもしれない。
『綺麗ね』
え?
顔を上げる。
『あぁ、見えないよね』
目の前に精霊が現れる。
光の精霊。
初めて見る。アレクに紹介して貰った中には居なかった。
『もっとやって』
シャボン玉を吹く。
『ふふふ。楽しいね』
俺も楽しい。
夜中に光の精霊を見るなんて珍しいな。
しかも、月明かりがほとんどない夜なのに。
明るい光の精霊に向かってシャボン玉を吹く。
『ねぇ、精霊が珍しくないの?』
頷く。
『そうなんだ。だいたい驚かれちゃうんだよね、姿を現すと。私たち、ずっと養成所に住んでるのに』
つまり、アレクが言ってた養成所の精霊なのか。
土地につく精霊は、その土地を守るらしい。きっと、この精霊は養成所を守ってる精霊なんだろう。
精霊とは自然そのもの。精霊が住んで居る場所は土地が豊かになる。逆に、精霊が消えると、土地の自然は壊れてしまうらしい。
『君、喋れないんだよね』
頷いて、シャボン玉を吹く。
『不思議な子。なんだか傍に居ると安らぐな』
安らぐ?
俺と一緒に居て?
『また会いに来ても良い?』
もちろん。
『じゃあ、またね』
精霊を見送る。
名前聞くの忘れたな。
あぁ。
喋れないから、意味ないか。