04 Voir un docteur
王国暦五九八年 リヨン二十八日
今日の午後から養成所は年末年始の休日に入る。
次に養成所に来るのはヴィエルジュの二日だ。
家に帰る準備をしていると、ノックが鳴った。
アレクかな。
扉を開く。
やっぱり。
「帰る準備は出来たかい」
もう少し待って。
図書館で借りた本を鞄に入れて、アレクの方に行く。
「姉上は仕事があるから、寄り道しながら帰ろう」
仕事?
研究所は今日から休みなのに?
「魔法部隊の仕事だよ。午後には帰れると言っていたけど、ナルセスには二人で会ってくるように言われている。中央広場でランチを食べたら、会いに行こう」
わかった。
※
年末の広場はお祭りみたいに賑やかだ。
こんなところを王族が歩いて平気なのか?
「皆、忙しいからね。他人になんて興味はないものだよ」
そういうものかな。
「ファラフェルを食べようか」
ファラフェルって……。
アレクと一緒に屋台へ行く。
「ファラフェルを二つ」
「あいよ」
目の前で、屋台の店主が隙間の開いたパンに具材を詰め込んでいる。
「知ってるかい」
知ってる。
ピタパンにファラフェルと呼ばれるひよこ豆ベースのスパイシーなコロッケやサラダを挟んだ食べ物。
砂漠にもある食べ物だ。
「あんたら学生か?」
「はい」
私服なのに、なんで解ったんだ?
「同じ鞄を持ってる奴を良く見かけるからな。さっきも、そこで同じ鞄の嬢ちゃんが因縁付けられてたんだぜ」
養成所の指定鞄でばれたらしい。
学外での携帯義務はないけど、学用品の持ち運びに便利だから、結局、これに入れてしまう。
「守備隊が巡回してるが、食い歩きは気を付けな。ほらよ」
頷いて、アレクと一緒にファラフェルを貰う。
良い匂い。
美味しそう。
「ありがとう」
全然、王子だって気付かれてないな。
「飲みものを買って、向こうで食べようか」
ん。わかった。
ドリンクワゴンでオランジュエードを買って、中央広場の北側にあるベンチに座ってファラフェルを食べる。
美味しい。
「守備隊が混ざって活動しているなんて珍しいな」
混ざって?
「王都守備隊。隊服の色が違うだろう」
確かに。
四、五人ずつ一グループになって、色違いの集団が活動してる。
「栄光の一番隊は蘇芳色、調和の二番隊は深縹色、有翼の三番隊は萌葱色」
それ、色の名前?
「聞き慣れなかったかい。蘇芳は濃い赤、深縹は濃い青、萌葱は濃い緑だよ」
色にも細かい名前があるらしい。
「それぞれ担当場所があってね。一番隊はセントラルで、国の式典にも関わる特殊な立場だから栄光の名を冠しているんだ」
濃い赤の蘇芳でセントラルを担当する栄光の一番隊。
「二番隊はウエスト。商業が盛んな地区だね。掏摸や引ったくりはもちろん、金銭や接客トラブルの対応に当たることも多いから調和の名を持つよ」
濃い青の深縹でウエストを担当する調和の二番隊。
「三番隊の担当はイースト。異国の人が集まりやすい場所だから、荒っぽい事も多い場所だね。予期せぬトラブルに柔軟に対応する必要があることから、有翼の名を冠しているよ」
濃い緑の萌葱でイーストを担当する有翼の三番隊。
異国の人が集まりやすいって?
「東大門は王都の玄関口なんだ。北の港や東の砂漠へ繋がる道もあるし、イーストストリートには冒険者ギルドがあるからね」
玄関口。確か、東大門の近くには北の港から届いた物資を保管する倉庫群があるんだっけ。
「守備隊はね、担当区以外に干渉しないようにしているところがあるんだ。担当区以外での活動が禁止されているわけではないのだけど。だから、こんなに近距離で違うカラーの守備隊が活動しているのは珍しいんだよ」
フラーダリーも言ってたっけ。守備隊は仲が悪いって。
でも、理由はアレクじゃないのか?
「私?」
養成所が年末年始の休暇に入れば、王族や貴族がこんな風に単独で出歩くから。
アレクが笑う。
「そうだね。研究所も今日から休暇に入るから、出歩く貴族が増えるからね」
魔法部隊が忙しいのも?
「あぁ、そうか」
アレクが何故か納得したように頷く。
「魔法部隊に手柄を取られたくないから、守備隊が活動しているのかな」
意味がわからない。
「エルにはまだ難しいかもしれないけど、魔法部隊に反対する勢力が居るんだ」
なんで?
フラーダリーは、国の為に魔法部隊を作ったのに。
「少し複雑な事情があるんだよ。ただ、これが守備隊の総意というわけではないからね。彼らは王都の為に立派に働いている。考え方は人それぞれだから」
複雑な事情。
きっと、貴族のしがらみなんかに関係したものなんだろう。
※
ランチの後は、錬金術研究所のナルセスのところへ。
「こんにちは」
「アレクシス様。お久しぶりです」
「久しぶり。休みなのに、仕事を頼んですまないね」
「どうせ暇です。殿下の為なら、いくらでも時間を作りますよ」
「ありがとう。エルを頼むよ」
「はい」
ナルセスの前に座る。
「元気そうだな」
いつも通り。
「ラングリオンの夏も暑かっただろう」
今だって、夏の終わりと思えないぐらい暑い。
それに、ラングリオンは夜になっても寒くならないから、砂漠とは全然違う。
「体調に変わりはないか?」
見ての通り。
「養成所はどうだ?もう慣れたか」
慣れた。
「テストもすべて満点だそうじゃないか」
テストは理解してることしか出ないから。
「少しは喜べ。なかなか出来ることじゃないぞ」
それが今の俺のやるべきことだから。
「にしても、会長と勝負をするとはな。この短期間で、なかなか暴れてるようじゃないか」
暴れてなんかいない。
やれって言われたことをやってるだけだ。
「毎日、楽しんでそうだな」
それは間違いない。
毎日、すごく楽しい。
「じゃあ、診察をするぞ」
首や顔の触診に、口の中の観察。聴診器を使った聴診。
「大きく息を吸って。……吐いて。もう一度」
久しぶりに来たけど、やることはいつも一緒だ。
ただの健康観察にしか見えない。
「特に問題はないな。ところで、カミーユと一緒に実験室に入り浸って、薬もどきを作ってるそうじゃないか」
なんで知ってるんだ?
「養成所には知り合いも多いからな」
「ナルセス。詳しく聞かせてくれるかい」
アレク。
「エルロック。話して良いのか?」
別に、良いけど。
悪いことをしてるわけじゃないし。
ナルセスがアレクに説明する。
昼休みや放課後に第三実験室を借りてやってること。
流石に、毎回、セーレンセン指数測定って言うのは無理があるから、最近は図書館で調べた実験をやってレポートを提出するようにしてる。
実験計画を提出すれば、必要な材料を先生が準備してくれるから。
おかげで、第三実験室の鍵を借りられることになったんだけど、たまたま様子を見に来た先生に、一緒に声を取り戻す薬を作ってることがばれたのだ。
「実験室で、そんなことをしていたのかい」
だって。
カミーユが作るのはミエルやハーブを使った薬だから、料理の範疇だって先生も言ってたし。
それに、実験室にある薬品は使ってない。薬品棚の鍵は貰ってないし、使うなって念を押されてるし、何より、厳格に管理されている薬品は残量が合わなければすぐにばれる。
だから、薬品は使ってないし、危ないこともしていない。
「あまり褒められた行為ではないが、錬金術に興味を持つのは良いことだ。ヴェロニクにきちんと監督して貰うように」
ロニーに監督?
「知らないのか?カミーユに錬金術を教えているのはヴェロニクだ。騎士を目指す仲間らしいぞ」
知らない。
グリフとロニーはアレクの近衛騎士を目指してる。もしかして、カミーユも?
「お前も、錬金術のことで聞きたいことがあったら、いつでもうちに来ると良い」
ここって、診察以外でも来て良いの?
「エル。まだ一人で出かけてはいけないよ」
……だめ?
「アレクシス様もフラーダリーも過保護過ぎです。少しは自由にしておかないと、反抗期に厄介なことになりますよ」
反抗期?
アレクが俺の頭を撫でる。
「エル。もう少し我慢してくれるかい。私が養成所に居る間は、出来るだけ一緒に居たいんだ」
もう少し?
アレクは今、中等部一年だから、卒業までまだまだ時間があるはずだ。
「私は、中等部二年で卒業するんだよ」
え?
なんで?
「王族は研究所に入らないから、高等部で学ぶ必要はないんだ。中等部で卒業して、城で帝王学を学びながら国の仕事に関わっていくんだよ」
じゃあ、一緒に居られるのは、後、二年もないんだ。
そういえば、養成所を中等部で卒業する場合もあるって聞いてたっけ。
まさか、アレクがそうだったなんて。
「お願い出来るかい」
わかった。
なるべく一緒に居るようにする。
「ありがとう」
「まったく。過保護ですね」
別に、一人で歩くのを禁止されてるわけじゃない。
二人共、俺のことを心配してるだけだ。
診察は終わり。
特に何もなかった。
ナルセスって、俺が喋れるようになる方法を考えてるのか?
「心配しなくても、ちゃんと考えてるよ」
だと、良いけど。
「必ず喋れるようになるからね。だから、焦らずに行こう」
焦ってるわけじゃない。
ただ、早ければ早いほど良い。
「もう一つ、寄りたいところがあるんだ」
どこ?
※
アレクが連れて来てくれたのは、王城。
「おかえりなさいませ。アレクシス様」
「お疲れ様」
アレクが門番に声をかけながら城門を抜ける。
全くの部外者である俺でも、アレクと一緒なら簡単に入れるらしい。
「庭に行こう」
こんなに広いのに、ここは庭じゃないのか。
アレクについて歩くと、少し開けた場所に出た。
「みんな。出ておいで」
アレクの回りで、淡い光を放ちながら飛ぶ小さな人間たちが姿を現す。
精霊だ。
「何の精霊かわかるかい」
黄色いのが光の精霊。
赤いのは炎の精霊。
青いのが水の精霊。
緑が大地の精霊。
黒いのが闇の精霊。
こんなに精霊に囲まれるのは久しぶりだ。
でも、ラングリオンの精霊は、やっぱり俺が知ってる精霊たちとは少し違う感じがする。
「エルは精霊が好きだね」
精霊は好き。
皆、優しいから。
「来年のスコルピョンに、研修旅行に行くんだ」
研修旅行?
「勉強の為の旅行だよ。エルも、中等部一年になればクラスの皆と行くことになる」
どこに?
「砂漠のクロライーナへ」
クロライーナ?
なんで?
「精霊戦争があった場所だからね。魔法の痕跡が色濃く残っている場所は、魔法の研究を行うのに向いているんだ。オアシス都市ニームを拠点にして、クロライーナの調査を行うんだよ」
クロライーナの調査。
つまり、精霊戦争の調査だ。
争いを好まないはずの精霊が、精霊同士で戦うことになった原因は……。
「エル」
誰も知らない。
きっと、知ってる人間なんて居ない。
精霊だって居ない。
だって、あそこには何もない。
何一つ残ってない。
「落ち着いて」
アレクが俺を抱きしめる。
だって。
クロライーナが滅んだのは……。
「エル」
アレクが俺の頭を撫でる。
「大丈夫だよ」
大丈夫……?
だって。
クロライーナに行くって。
「私が居ない間、この精霊たちがエルの傍に居てくれるからね」
え?
「困ったら呼ぶと良い。手をこうして」
アレクが両手を組む。
「祈りを捧げれば、精霊が姿を現してくれるからね」
そんなこと出来ない。
だって、精霊は顕現するために魔力を使う。
魔力とは精霊にとって命の力。
使えば使うほど削られていくもの。
何の代償もなく力を使わせるなんて……。
「じゃあ、もう一つの方法を教えようか」
もう一つの方法?
「魔法陣。姉上から本をもらったね?あれを描いて祈りを捧げるんだ。そうすれば、精霊はエルの魔力を使って顕現できる。ただし、この場合は対応した魔法陣の精霊しか呼び出せないからね」
つまり、光の精霊なら光の魔法陣でしか呼び出せない。
「本来、魔法陣とは契約していない精霊から力を借りるための手段だ。だから、これはちょっと変わった使い方だけど。いずれ、エルが喋れるようになったら方法を教えてあげよう」
精霊に自分の魔力を渡せる方法。
それを知ってたら、俺は……。
「魔法陣の練習をしておこうか。魔法陣を描くには、自分の指に魔力を込めて直接描く方法と、木製の杖を使う方法があるんだよ」
アレクが木の枝を拾う。
「こういった木の枝も杖の代わりに使えるんだ。でも、魔力が伝わりやすいよう、なるべく真っ直ぐなものを使うようにね」
木の枝から伸びる細い枝を折って棒状にした後、アレクが足元に光の魔法陣を描く。
「魔力を込めながら描けば、このように大地に魔法陣を刻み付けることが出来る。自分の魔力を流し込むイメージだね。そして、魔法陣に更に魔力を込めて発動させるんだ」
魔法陣が輝き出すと、光の精霊がアレクの傍に来た。
こんな風に来てくれるらしい。
「やってごらん。好きな魔法陣で良いよ」
アレクが光なら、闇にしようかな。
魔力を流し込むイメージ……。
描くイメージでも良いかな。
アレクから貰った木の枝で闇の魔法陣を描く。
出来た。
更に魔力を流し込むと、魔法陣が輝き出す。
この状態で祈りを捧げるんだっけ。
闇の精霊よ、応えて。
すると、闇の精霊がそばに来た。
『上手いじゃん』
褒められた。
ありがとう。
「問題なさそうだね。良いかい、エル。精霊と関わる上で、大切な約束事を話しておくよ」
約束事?
「精霊と契約や約束を交わしてはならない」
え?
「人間と精霊の契約は、お互いの信頼と理解、合意によって行われる。この意味をきちんと学ばない内は、決して約束を交わしてはならないんだ」
約束。
俺は、約束を……。
―約束だよ。
果たせなかった。
そのせいで。
俺のせいで。
ぜんぶ……。
「エル」
アレクが心配そうな顔で俺の頬に触れる。
「大丈夫かい」
……大丈夫。
平気。
『心配しなくても、他の精霊なんて近付けさせない』
「そうかな。精霊の方はエルを気に入ると思うよ」
気に入る?
「養成所には、たくさんの精霊が居るんだ。人間について詳しい精霊が多いから、無理なことは言ってこないと思うけど、きちんと学ばない内は約束を交わしてはならないよ」
わかった。
「何か頼む時は、この子たちを頼るようにね」
精霊たちを見上げる。
よろしく。
「聞きたいことはあるかい」
アレクを見上げる。
アレクは、俺のことをどこまで知ってるの?
アレクが微笑む。
「エル。私がエルを大切に思っていることを忘れないで欲しい」
アレクは、俺を大切にしてくれてる。
「姉上も、エルの友達も皆そうだよ」
皆も優しい。
「だから、エルのことを好きな人の為に自分を大切にするんだ」
自分を?
意味がわからない。
「エルが元気で居るだけで幸せになれる人が居るってことを忘れないで欲しいんだ」
元気で居ること。
フラーダリーが、いつも俺に聞くことだ。
「さぁ、姉上のところに帰ろう」
……帰る場所。
今の俺の家は、フラーダリーの家。
本当に、それが当たり前になってきてる。
まだ、ラングリオンに来てから半年も経ってないのに、どんどん、ここに来る前のことを忘れていく。
―忘れて。
そっか。
これで良いんだ。
過去のことは捨てる。
すべて忘れる。
そして、やり直すんだ。
フラーダリーが、そう言ってたから。