Rêve de Elroch
サウスストリートの南の果て。
鍛冶屋に大工、細工屋といった職人たちが軒を連ねる職人通りに、全く異色の店が開店した。
その名も……。
「本当に、この名前にするの?」
「解りやすいだろ?職人通りにある薬屋なんだから」
「お店っぽくないわ」
「エルって、名前のセンスがないって言われない?」
「うるさいな。店名なんて、何の店か判れば良いんだよ」
養子二人からのダメ出しを聞きながら、エルロックは自分の店の看板を見上げる。
薬屋・職人通り
これが、彼の店だ。
「無事に開店したな」
「カミーユ」
大きな花束を抱えたカミーユがやって来た。
「開店祝いだ。おめでとう」
エルロックの養女が花束を受け取る。
「ありがとう。素敵ね。でも、こんなに大きな花束が入る花瓶なんて、うちにあったかしら」
「適当に飾ってくれ。……もう一つ、プレゼントがあるんだ」
カミーユが持っていたベルを鳴らす。
「ドアベルだよ」
「良い音ね」
「そういえば、お店なのに付けてなかったね」
その場に居た皆が、飾り気のない扉を見る。
「付けて良いだろ?」
「あぁ」
「ちょっと待ってな」
「手伝うよ」
彼の養子がカミーユと共にドアベルを付けに向かう。すると、遠くから馬車の音が聞こえてきた。
貧しいエンドの通りに似つかわしくない豪華な馬車は往来の人々の注目を集めながら進むと、薬屋の前に停車した。随走していた使用人が馬車の扉を開く。
「こんにちは。お祝いに来たわ」
オルロワール家の御令嬢、マリアンヌの登場だ。
「こんにちは、マリー。来てくれたのね。嬉しいわ」
「ありがとう。今日は、お土産もたくさんあるのよ」
彼女もまた、抱えるほどの花束を用意している。
「どうしましょう。花瓶が二つ必要になったわ」
「大丈夫よ。花瓶もたくさん持ってきたから」
馬車の中には、大量の積荷が見える。
「さぁ、運んで頂戴」
「何言ってるんだ。勝手に物を運ぶな」
「わかってないのね。女の子には色んなものが必要なんだから」
どうやら彼の養女へのプレゼントも混ざっているらしい。
「貴族様!お願い!」
小さな子供が走って来た。
豪華な馬車を見た子供が、貴族の施しを求めに来たらしい。止めようとした使用人を制し、マリアンヌが子供を見る。
「どうしたの?」
「貴族様、お願い。お薬頂戴。ママが病気で……」
「それなら、エルに言ってくれる?彼は薬屋なのよ」
「薬屋?」
「病気も診てくれるわ」
「お医者さん……?」
子供が不安そうに彼を見上げ、俯く。
「でも、うちじゃ、お医者さん、来てくれない……」
「なんで?」
「どうして?」
「お金、そんなにないし、汚いって」
「いくら持ってる?」
「これ……」
小さな声で、小さな手に握りしめていたお金を子供が見せる。
その額は決して多くはない。
「それだけあれば充分だ」
「みてくれるの?」
「あぁ。家はどこにある?案内してくれ」
「こっち」
エルロックが走り出した子供に付いて行く。
「エル!店はどうするの?」
「開けておいて」
「わかった」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
※
子供に案内された先にあったのは、隙間風が吹き込む貧しい家。
「ママ、お医者さんさん連れてきたよ」
「医者……?」
咳き込みながらベッドで横になっている母親の元へ、エルロックが行く。
「症状はいつからだ?」
「昨日……。一昨日……?」
「食事はちゃんとしてるか?」
「はい」
「してるよ。ちゃんと炊き出しのご飯、ママと食べてる」
貧しく日々の生活に困っているものの、食事には有り付けているらしい。
エルロックは母親を診察した後、手持ちの道具と材料を出す。
「お薬、作るの?」
「あぁ」
「お金、足りる?」
「足りる」
煎じた薬を瓶に詰めて、メモ紙に文字を書こうとしたところで、エルロックが手を止める。
「文字は読めるか?」
「少しなら……」
メモを書くのを止めて、瓶にメモリを付け、母親に見せる。
「良いか。一度に飲むのは、このメモリの線までだ。一日三回、食後に、このメモリの分ずつ飲む。……出来るか?」
「はい。食後にメモリずつですね」
「そうだ。多く飲んでも効果は変わらない。必ず、量を守って飲んでくれ。わかったか?」
咳き込みながら、母親が頷く。
「わからないことがあったら、俺の店に来てくれ。この薬を飲みきって良くならなかった場合もだ」
「店……?」
「職人通りにある薬屋だ」
「大丈夫。どこにあるかわかるよ」
「……わかりました」
「ねぇ、ママ、元気になる?」
エルロックが子供を見る。
「もちろん。元気になるよ」
暗かった子供の顔が笑顔に花開く。
「お医者さん、ありがとう」
「俺は薬屋だよ」
「薬屋さん」
「早く元気になって欲しかったら、これまで通り母親の為の食事を用意してやってくれ」
「うん。わかった」
※
まだオルロワール家の馬車が停まったままの店にエルロックが戻る。
扉を開くと、取り付けたばかりのドアベルが音を立てた。
明るく良い音だ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり、エル」
「……なんだ、これは」
薬屋とは思えないほど花の香りが漂っている。
原因は、山のような花束たち。
「エルが居ない間に同期や知り合い連中が来たんだよ」
「お菓子やプレゼントも貰ったのよ」
「でも、皆、必ず花もくれるから」
「おかげで持ってきた花瓶が足りなくなっちゃったわ」
開店時間に合わせて、多くの仲間が祝いに駆けつけてくれたらしい。
店の扉のベルが鳴る。
「いらっしゃい」
「いらっしゃい、シャルロ」
花束を持ってきたシャルロが、花に溢れた店内を見回す。
「お前が始めたのは薬屋じゃなかったのか?」
「薬屋だよ」
「薬と花、どっちが多いかしらね」
「花だな」
空いた棚にシャルロが花束を置く。
開店に合わせて薬は揃えたものの、店にはまだ空の棚も多い。
「土産も山だな」
「ありがとう、シャルロ」
「ふふふ。当分、おやつに困らないわ」
山のようなプレゼントの上に、シャルロが渡した菓子が積まれる。
「それにしても、随分、薬の種類が多いな。……風邪薬だけでもいくつ置いてるんだ?」
「どんな奴が売れるか試してるんだよ」
「価格もばらばらだな」
「なぁ、こんなに安い風邪薬なんて聞いたことないぞ」
「それは正規のレシピじゃない」
「自前のレシピってわけか」
「そうだよ。自分で育てた薬草を使って価格を抑えてるんだ」
「あー。そういや、色んなもん育ててたな」
「ねぇ。開店初日で、お客さんが全く来ないなんて。大丈夫なの?このお店」
「薬を欲しがるのなんて病人だけだ。暇な方が良いだろ」
「それで、やっていけるの?」
ここは、王都でも貧しい人々が身を寄せる地域だ。どれだけ価格を下げたとしても高級品に分類される薬に金を出す層がどれだけ居るかは未知数と言える。
「良いんだよ」
それでも、彼はここで店を開くことを望んだのだ。
「ここはニバスを利用する冒険者の利用も期待出来る場所だ。高い薬も売れるかもしれないぞ」
「なら、お前の腕の見せどころじゃないか。なんなら、魔法の玉も置いたらどうだ?」
「良いわね。光の魔法が必要なら手伝ってあげるわ」
『えぇ。いつでも言って頂戴』
南大門の先には、乗り合い馬車の集積所であるニバスがある。つまり、旅の始まりの場所が。
彼らの言う通り、南大門に近いという立地も生かすべきか。しかし、高価格帯の商品を並べることで、この地域の人々が店に寄り付かなくなるのでは本末転倒だ。どうするかエルロックが思案していると、再びベルが鳴って扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
来たのは、さっきの子供だ。
「あのね。さっき、お金渡すの忘れてたから。はい」
子供が、ずっと握りしめていたお金をエルロックに渡す。
「ありがとう、薬屋さん」
「あぁ」
子供が店の中を見回す。
「ここって、お花も売ってるの?」
「違う」
エルロックは花瓶から明るい色のガーベラを数本抜くと、子供に渡した。
「わぁ。すてきなお花」
「やるよ」
「良いの?」
「開店祝いだからな」
「ありがとう」
満面の笑みで礼を言った子供につられて、エルロックも微笑む。
「あぁ。ありがとう」
花は人を喜ばせる。
「また来るね」
子供が元気に手を降って、ベルの音を鳴らしながら出て行った。
「お客さん第一号ね」
「そうだな」
帳簿を付けながら、エルロックが思いつく。
「店に来た客に花を配るか」
「良いね」
「素敵ね。開店祝いだもの。皆に花を配りましょう」
きっと、この地域の人々に花を配ることは、花屋を目指す彼の手伝いになるだろう。
また、扉のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
客がエルロックを見る。
「病気を診てくれる薬屋ってのは、あんたか?」
「そうだよ」
「頼む。ちょっと来てくれ」
「タダ働きはしないぞ」
「……銅貨三枚なら」
「良いよ」
「本当か?じゃあ、」
立て続けにベルが鳴って、次々と客が入って来た。
「なんでも治せる薬屋ってのは、ここか?金ならどうにかするから、うちに来てくれ」
「いや、こっちを頼む。街の医者は診てくれなかったんだ。あんたは診てくれるんだろ?」
「待て待て、俺が先だぞ」
どうやら、この地域には薬屋の需要があったらしい。
しかし、なんでも治せるとはどういうことか。話に尾ひれがつくのもあっという間のようだが、訂正している暇はない。
「ちょっと待ってくれ」
準備にとりかかろうと振り返ったエルロックの前に鞄が現れる。
「はい、エル。往診セットを作ったから持って行って」
「ん」
機転の利く彼の養子が準備をした鞄を受け取ると、エルロックは早速、扉の方へ向かう。
「順番に行く。案内してくれ」
新しいドアベルが軽やかに鳴り響き、開け放たれた扉から光が射し込む。
彼の夢。
職人通りに店を構える薬屋の始まりだ。
Le ciel brûle, la fleur tombe
「夕焼けの散花」(空は焼け、花落ちる)
Rêve de Elroch
「エルの夢」
完結しました。
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あとがきは、活動報告をご覧ください。
ガーベラは明るく華やかに咲く。
本編はこちら。
薄明に繋ぐ弧弦, エルの物語
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智枝理子