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カルロ

「新しい領主が決まったよ」


 俺と同じ顔をした弟が、穏やかに微笑む。その目尻にはいく筋ものシワが刻まれている。


 きっと俺の顔にも、同じシワが刻まれているに違いない。弟と比べると眉間のシワが多くて、笑いジワは少ないかもしれないが。


 弟はよいしょ、と年寄りくさい言葉を吐いて、目の前の椅子にゆったりと座った。


「驚かないんだね。てっきり文句の一つでも言うと思ったのに」

「お祖父様が亡くなって十年も経ってるんだぞ。文句を言うとしたら、お前のそのノンビリさ加減にだよ」

「だって兄さんがここを継ぐのを拒否するから」

「俺にその資格はないと何度も言っただろ。国政には二度と関わらない。これ以上、罪を重ねるのはごめんだからな」


 頑なな俺の態度に、弟は肩をすくめた。


 王国全土を巻き込んだ内乱から、二十年が経っていた。


 その間に、この国は大きく変わった。


 まず女性の継承権が認められ、生まれの順序に関わらず、誰でも後を継げるようになった。


 エミリアの例があったし、親としても、ロクデナシの長男がいても頭を悩ませずに済むわけだから、これはすんなりと受け入れられた。実際に、今では立派な女領主が何人も誕生している。


 次に取り組んだのが、双子への差別意識の撤廃だ。さすがに四百年続いた意識を一気に変えるのは容易なことではなく、年寄りの中には、まだ双子を忌避する人間もいる。


 だが、何しろこの国の王自身が双子なのだ。それが追い風となり、たとえ双子で生まれてきたとしても殺されることはなくなったし、堂々と日の当たる場所を歩けるようにもなった。時間はかかるかもしれないが、後、何世代かすれば、完全に意識も変わるだろう。


 即位時に宣言しただけのことはあって、王領もかなり縮小しつつある。


 夢が破れたとか、悔しいだとか、そんな気持ちは欠片も起こらなかった。今となれば、何故あれだけ執着していたのかわからない。


 本当に、馬鹿なことをしたと思う。


 しかし、どれだけ悔やんでも、謝りたい人間はすでにこの世にいない。


 こんなどうしようもない俺を受け入れてくれたお祖父様やお祖母様、そして俺を再教育してくれたフレデリクも、時の流れには逆らえず、順番に旅立っていった。


 ロドリゴはまだ健在だと聞くけれど、顔を合わせることはない。


 向こうは会いたいと思ってくれているようだが、こちらが断っているのだ。


 ロドリゴに会えば甘えが出てしまう。


 俺の罪は決して消えないし、消すべきでもない。


 自分勝手な思い込みで、数えきれないほどの人命を奪った。ファウスティナに来て穏やかな日常に身を置くにつれて、殺した犠牲者たちが俺を責める声は日に日に大きくなり、眠れば必ず悪夢を見るようになった。


 五十歳を目前にした今でも、眠るのが怖い。


 命を絶った方が楽なのではないかと思うこともある。


 だが、それだけは絶対に許されない事だとも理解していた。


 罪人は罪人らしく、死ぬまで己の罪と向き合うべきだ。


 それが俺に残された唯一の矜持だった。


「兄さんは、ほんっとに頑なだよね」

「うるさいな。弟のお前と一緒にするなよ」

「ちょっと、兄だから自分はしっかりしなきゃって言いたいの? 弟は呑気でいいって? 差別だよ、差別! そもそも同い年じゃん」


 ぶうぶうと文句を垂れる弟は、とてもこの国の頂点に立つ存在だと思えない。特にここ最近は、家族への甘えっぷりに拍車がかかっている。


 お祖父様が亡くなった後、ファウスティナは一時的に王領となっていた。とはいえ、俺という厄介者がいるために、新しい領主になりたがるものがおらず、弟が国政と兼務して名ばかりの責任者となり、実質的な内政は貴族たちが行なっていたが。


 俺はその末席として、日々書類仕事に忙殺されている。


 ここに来てすぐの頃、お祖父様の補佐をしていた関係で、お祖父様亡き後も、俺に内政を手伝って欲しいという声が文官たちから上がり、そのままずるずると働き続けていた。


 当然、貴族ではない俺には、施策を行使する諸々の決定権はない。与えないよう、弟に頼んだ。


 俺にできることは、ファウスティナのために常により良い施策を考え、貴族や領民たちの理解と承認を得つつ、地に足をつけて業務を遂行することだ。


 一文官として生きていくことが、俺にはちょうど良かった。身分も、名誉も、何もいらない。ただ目の前の仕事に一生懸命になれれば、それで十分だった。


「で、いつ来るんだ? 来月? それとも再来月か? 少なくとも冬になるまでには来るんだろう」


 頭の中で受け入れの準備を考える。正式に領主に就任するのならば、引き継ぎだっているだろう。家令や騎士団、他の文官たちとも打ち合わせが必要だ。


 しかし、弟はキョトンとした顔を浮かべて「え?」と間の抜けた声を上げた。


「一週間後だけど」

「は?」


 何を言ってるんだ、こいつは?


 そんな俺の心を読んだのか、弟は己の不手際を誤魔化すように笑った。


「ごめんごめん、何せ辺境から来るからさ。もう、こっちに向かってる最中なんだよね。でも、大丈夫。兄さんならきっと万事整えてくれるって信じてるから」

「この馬鹿! せめて決まった時点で早馬を寄越せよ!」


 こうしちゃいられない。


 椅子から立ち上がり、足早に庭園を出る。地方の領地にとって、新領主の就任というものは一大イベントなのだ。もはや一刻の猶予もなかった。


「ええ、俺を放って行くの? 忙しい政務の合間を縫って、せっかく来たのにぃ」


 背中に届く弟の情けない戯言は無視した。






 詰めかけた貴族や領民たちで、大広間はざわめいていた。


 それもそうだろう。これから自分たちの生活がどうなるかは、領主の一存によって左右されるのだ。誰もが良い領主に来て欲しいと願う。


 もちろんそれは、俺も例外ではない。


 今なら、父上や母上が言っていたことも理解できる。根ざす故郷があるということは、何にも増して得難いものなのだ。


「お、お見えになりました! 新しいご領主様です!」


 息せき切った騎士が駆け込んでくる。


 不安げな顔でみんなが見守る中、待ち望んでいた相手が、カツン、と踵を鳴らして現れた。


 やけに場慣れしてるな、というのが第一印象だった。


 背は小柄だが、堂々と伸びた背中には、この空気に臆する気配は全く見受けられなかった。とても十八歳になったばかりだとは思えない。


 夏の日差しを避けるためか、目深にフードを被っていて表情は読めないが、キュッと引き結ばれた唇が意思の強さを物語っていた。


 連れているのは、護衛騎士ただ一人だけだ。


 護衛騎士はこの国には珍しい灰色の髪で、瞳は灰色と金色のオッドアイだった。すらりと均整のとれた体は、弛まなく重ねた鍛錬と努力を証明しているかのようだ。


 腰には、柄頭に赤と紫の宝石を埋め込んだ剣を下げている。新領主も同じものを下げているので、主人とお揃いにしているらしい。


 新領主は集まった領民や貴族たちをキョロキョロと見渡すと、広間の隅に立つ俺に向かって、ツカツカと近寄ってきた。


 こちらが戸惑いの声を上げる間もなく、眼前に立った新領主がフードに手をかけ、一息に外す。


 燃えるような赤毛がふわりと風になびき、星のように煌めく(はしばみ)色の瞳が、まっすぐに俺を見据えた。


「初めまして。サミュエルとエミリアの息子、ニコル・デッラ・フランチェスカです。カルロ殿には父と母が大変お世話になりました。ええ、本当に」


 皮肉めいた言い方はむしろ小気味良かった。見た目は母親そっくりなのに、言うことは父親にそっくりだ。そして、その瞳の奥に潜む力強さは、エンリコやロドリゴにも通じるものがある。


 やられたな。


 弟のほくそ笑む顔が目に浮かぶ。このためにギリギリまで黙っていたんだろう。


「フランチェスカはどうした? ロドリゴだって、首を長くして待っているだろうに」

「妹に託します。アヴァンティーノは弟が。二、三年引き伸ばしたところで、祖父はびくともしません。みんな承知の上ですから、ご心配なく」


 ニヤッと笑うニコルの姿が、二十年前に王城で見たサミュエルの姿に重なる。あの時もあいつはこうして笑っていた。


「遠慮なくあなたをこき使えと、父と母から言われています。まだまだ隠居はさせませんよ。どうか、ご覚悟ください」


 人は変わる。国も、未来でさえも、時間の流れに押し流されて、容赦なく変容していく。


 しかし、変わらないものもきっとあるのだ。


 恐々とこちらを見る周囲を尻目に、俺は、声を上げて笑った。

新しい世代が、また新しい歴史を紡いでいきます。

番外編まで読んで頂きまして本当にありがとうございました!

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