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ミゲルとマッテオ

「た、頼むわね二人とも……」

「はい、お任せください。お坊っちゃま方は我々がしっかり見ていますから、ごゆっくりお休みください」


 よろよろと去っていくエミリアを見送り、ソファに座る。ガランとした執務室の中は、いつもと違って少し物悲しく見える。


「静かですねぇ」

「賑やかしがいないからな」


 向かいに座っていたマッテオが、両腕に抱いた双子の赤ん坊のうち、女の子の方を差し出す。落とさないよう慎重に受け取り、ミゲルは腕の中の温もりに目を細めた。


 すやすやと眠る姿は、どんな生き物よりも愛らしい。大切な主人たちの間に生まれた子供だから尚更だ。


 男の子の名はエミル、女の子の名はエレナ。二人とも、つややかな黒髪を風に遊ばせ、口元に幸せそうな微笑みを浮かべている。


 大きく開け放した窓の外には、抜けるような青空が広がっていた。


「いい天気で良かったですね。きっと馬車も順調に走るでしょう」

「予定より早く戻って来られるかもしれんな。その方がお嬢の負担が減っていい。テオの娘も、まだ一歳だろう。すぐに次の子ができるかもしれんし、なかなかマリアンナの手は空かんだろうな」

「相変わらずテオに甘いですね、彼女は」

「仕方ない。もう一人の息子みたいなもんだしな」


 サミュエルとテオ、そしてルキウスは、三日前から領内の視察に出かけている。戻るまで後一週間以上はかかるだろう。マリアンナもテオの娘の子守と孤児院の子供たちの世話に駆り出されていて、最近は城を空けがちだった。


 そのため、一人で双子の面倒を見る羽目になったエミリアが、どんどん目の下のクマを濃くしていくのを見て、ミゲルとマッテオが子守を引き受けたのだ。


 三歳になる長男のニコルは、サミュエルが背負って連れて行った。エミリアの負担を減らすため、そしてきっと、早々に領主の仕事を見せようとしているのだろう。自分が慣れるまで苦労したから。


「こうしていると、エミリア様たちが赤ん坊の頃を思い出しますね」

「大変だったなぁ。二人同時に泣き出すし、坊はすぐ風邪をひくし」


 渋い表情を浮かべるマッテオに、ふふ、と笑みが漏れる。あの時、お互いまだ若かった。


 子を持った経験があるのはマリアンナだけ。エンリコもミゲルもマッテオも、ただワタワタしていただけで、役に立ったかはいささか疑問だが、それでも夜泣きすれば一晩中抱っこして城の中を彷徨ったし、いかに離乳食を大人しく食べさせるかで頭を悩ませたこともある。


 気づけば、その子供が大きくなり、途方もない逆境を乗り越えて愛する人と結ばれ、ついには親になったのだから、感無量の至りだ。


「……ミケーレにいた頃は、こんな未来が待ってるなんて想像もできませんでした」

「私もだよ。あの時、お前が誘ってくれなかったら、私はとっくに死んでいただろう」


 マッテオがしみじみと言う。


「あれからもう、四十年以上経ったんですね……」


 二人が生を受けたのは、ミケーレの中でも特に厳しい差別の残る伯爵領の貴族の家だった。


 伯爵領はミケーレの一番西端に位置し、フランチェスカのように、二本の川に挟まれた中州状の土地であるが、違うのは、川の恵みをうまく活かせず、常に財政難に悩まされているということだった。


 名産品も、特別な技術も特にない。首都、そしてさらに東に広がる大帝国への中継地点という恩恵のおかげで、なんとか食べていける状況だ。


 もともと、囚人や政治犯たちの流刑地である。領地には常に厭世的な空気がつきまとい、領民たちの間にも諦めとやり場のない怒りが蔓延していた。


『弱者は人であらず』


 厳しい土地柄故か、そんな時代錯誤な価値観がまかり通っていた。


 ミゲルは直系の次男坊、マッテオはミゲルの従兄弟で分家の三男坊。どちらも家にとっては不要な身の上だ。


 その上、ミゲルは生まれつき片目の視力が弱かった。そしてマッテオも、成長すると共にどんどんと視力が落ちてきて、やがて道を歩くにも不自由するようになった。


 今思えば、同族内で結婚を繰り返した結果なのだろうが、当時はそんなこと考えもつかなかった。


 人より劣った自分が悪いのだと、何度枕を濡らしたかわからない。


 それでも、人より知識を溜め込むことで、少しでも父や兄の役に立てると思っていた。


 なのに。


「戦場へ?」

「そうだ。帝国が首都に攻め入る兆しを見せた。王は徹底抗戦の構えだ。当家も貴族の末席として、人をやらねばならない。心配するな。マッテオをつけてやる。あちらも偏屈な三男坊を持て余しているだろうからな」


 酷薄な父親の言葉に、ギュッと唇を噛む。要は、後継ぎを死なせるわけにはいかないから、代わりに死んでこいと言っているのだ。


「役立たずなお前たちを捨てずに今まで育ててやったんだ。その借りを返してもらおう」


 ミケーレにおいて、父親の言葉は絶対だ。逆らう余地もなく、ミゲルたちは情け容赦のない戦場へ放り込まれることになった。


 前線はさながら地獄だった。帝国の圧倒的な武力に、こちらの兵力は削られていく一方だ。さっきまで隣で生きていたものが、少し目を離した間に死んでいるということもザラだった。


 一日生き延びられたら御の字。明日の命は誰にも保証されない。


 そんな極限状態の中で、ミゲルとマッテオは運良く命を繋いでいた。


 知識の高さを見込まれ、ミゲルは文官、マッテオは軍医として比較的安全な司令部付きになっていたのだ。


 しかし、そこも戦場には変わらない。絶え間なく続く攻勢に、その場にいた誰もが疲弊していた。


「アンドリューが死んだよ」


 うめき声が響き渡る医療テントを背にして、目の下に色濃いクマを浮かべたマッテオが、ポツリと呟く。アンドリューはミゲルたちと似た境遇で、歳が近いということもあり、親しくしていた友人だった。


 武官を排出していた家柄だということが災いし、前線に立たされた挙句、帝国軍の毒矢に射抜かれ、マッテオの元に運び込まれたのが三日前の話だ。


 物資が枯渇したこの戦場において、毒を受けたものが助かる見込みはほとんどない。


 覚悟していたとはいえ、胸を貫かれたような痛みが走った。


 戦争から生き延びたら、家を捨てて一から人生をやり直すと言っていたのに。


 そんなささやかな願いすらも叶えられないのか?


 込み上げる涙を拳で拭う。


 薄汚れたその手には、血と死の臭いが染み付いていた。


「埋葬は……」

「他の死者と一緒くたにされて、墓穴に放り込まれたよ。ひどいもんだ。人の尊厳なんて欠片もない。アンドリューが生きていたという記録すら残らんだろう」


 マッテオの言葉が頭の中でわんわんと鳴り響く。まるで使い捨ての道具のように消費されていく命。明日は我が身だ。いつ自分たちがそうなってもおかしくない。


 私たちは、何のために生まれてきたんだ?


 そう思った瞬間、今まで胸に押し込めていた言葉が、自然と口から溢れた。


「逃げましょう」


 マッテオの灰色の瞳に映る自分は、今まで見たこともないぐらい強い瞳をしていた。


「こんなところで死ぬなんて真っ平ごめんです。私たちが一体、何をしたと言うのですか? ただ、人より視力が弱い。それだけで生きる権利すらも奪われるなんて間違ってる!」

「ミゲル!」


 声を荒げるミゲルを、マッテオが制止する。誰かに聞かれたらタダでは済まない。幸いにも、近くの連中は辛い現実から逃れるために麻薬や酒に夢中だったので、不審がられずに済んだ。


 ミゲルは視線を足下に落とし、幾分か声を落として、絞り出すように言った。


「私は生きたい。まだ死にたくない。だから」

「わかった」


 言葉を遮られ、顔を上げる。目の前のマッテオも、自分と同じく、強い目をしていた。


「私も一緒に行く。お前となら、どこにでも行けるよ」


 覚悟を決めたら、後は早かった。数日かけて警備兵の哨戒ルートを洗い出し、新月の深夜を選んで脱走を果たした。そして、乏しい食料を節約しながらレグルス山を越え、這々の体でフランチェスカに辿り着いた。


 ボロボロになった二人を拾ってくれたのはエンリコの父親だった。彼はミゲルたちの事情を聞くと、二人を城に招き入れ、温かい食事と寝床まで与えてくれた上、エンリコの側近という、新しい仕事もくれた。


 夢にまで見た、穏やかな日々。ここでは、何もかもが輝いていた。豊かな土地に、明るい領民たち。山を一つ越えただけでこうも違うのかと驚くことばかりだった。


 そして、それを与えてくれたフランチェスカに、一生尽くしていこうと心に決めた。


 ミゲルたちが脱走した後、敗戦したミケーレは帝国の属国になった。父親の治める伯爵領も例外ではなく、帝国人の入植を受け入れざるを得なかった。


 ただ、そのおかげで帝国の文化が流れ込み、今では懐事情も、理不尽な差別も軽減されたという。世の中、何がどう作用するのかわからないものだ。


 籠城戦に備えるため、物資を引き出す交渉に赴いたミゲルたちを見た父親の顔といったら。


「何を笑っとるんだ」

「いえ、ここに来られて、本当に良かったなと思って」


 主人を失うという悲しみもあったけれど、本当に幸せな人生だった。


「……この子たちが大きくなるまで、生きていたいな」

「生きるさ。もう退場してくれと請われても、しがみついてやる」

「そうですね。エンリコ様たちにはもう少し待っていてもらいましょう」


 ニヤリと笑うマッテオに頷き返した時、目を覚ましたエレナが身じろぎした。同じタイミングでエミルも目を覚まし、双子のシンクロさに思わず笑みが漏れる。


 むにゃむにゃと唇を動かしていたエレナが、紫色の瞳をくりくりさせ、ミゲルを見上げる。その目に映る自分は、とても幸せそうな顔をしていた。


「お目覚めですか、お嬢様。いい夢は見れましたか?」


 歌うように囁き、エレナの体を優しく揺する。


 腕の中の愛し子は、きゃあ、と楽しそうに笑った。

ミゲルとマッテオにとって、エミリアとサミュエルの子供達は孫みたいなものです。

テオの娘は、その後エレナの従者になります。

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