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テオとサミュエル

 甘ったれたガキだな。


 それが第一印象だった。


 ロドリゴ様が崩壊したサリカで拾ってきたという子供は、ひどく薄汚れてて、ボロボロで、まるで人形みたいに無表情だった。


 聞けば故郷の村を焼かれ、両親を殺され、唯一生き残った弟も栄養失調で失ったらしい。


 そこら中に掃いて捨てるほど転がっている悲劇だ。


 むしろ十歳を迎えるまで暖かな家庭にいられたのなら、恵まれている方だった。世の中には生まれた瞬間から悲惨な目に遭っているやつが山のようにいる。


 そんな強い目をしてんなら、自分の力で立てるだろ。


 絶望するなら骨の髄までしてれば可愛げもあるのに、アメジストみたいな紫色の瞳に宿る光はちっとも揺らいでなくて、とても同情する気にはなれなかった。


 まあ、いいか。どうせすぐにいなくなるだろうし。


 そう思っていたのに、気づけばガキんちょはロドリゴ様とソフィア様の養子になっていて、俺を従者にするという話まで持ち上がっていた。


 親父に抗議してもどこ吹く風で、それどころかニヤニヤして「しっかりやれや」という始末だ。


 確かに、歳の頃は近い。多分。


 というのも、俺は自分の正確な歳を知らないからで、イマイチ当てにならない親父の記憶を信じるなら十四、五というところだった。


 雇われの身で、仕事を選ぶ権利なんてないのはわかってる。それでも「嫌だ!」と抵抗していたある日、ロドリゴ様とソフィア様に呼び出された。


「テオ、サミュエルを頼むよ」

「テオ、お願い。あなたが頼りなの」


 囲い込まれた上、揃って頭まで下げられては、断る選択肢はない。


 こうして、俺の従者人生が幕を開けたのだった。






「坊っちゃん、いい加減ご飯食べてくださいよ」


 サミュエルという名のガキんちょは、拾われてからずっと自分の殻に閉じこもっていた。


 誰が何を言おうと口を開かず、どれだけ腹が鳴ろうとロクに飯も食わず、ただじっと宙を睨み続けている。


 ロドリゴ様も、ソフィア様も、その頑なな態度に、芽生え始めた親の愛情が枯れるかと思いきや、逆に心配して構い倒す始末だ。手のかかる子ほど可愛いということなのかもしれない。


 こいつは、ロドリゴ様に拾われた幸運をわかっているんだろうか。


 アヴァンティーノはランベルト王国の中でも一、二を争うほどの有力貴族で、誰もがその権力を欲しがっている。たかが平民上がりが養子になるなんて、異例中の異例なのに。


「もったいないなぁ。このツグミのミートパイ、ソフィア様が頑張って作ってくれたのに。一口も食べてもらえないなんて、悲しむだろうなぁ」


 どうせ無駄だと思いつつ、これ見よがしに言う。


 すると珍しく、坊っちゃんは、ぴく、と反応を示した。


「ツグミ……?」

「そう、ツグミ。ほら、美味しそうでしょ?」


 そう言って切り分けたパイを目の前に置いてやると、坊っちゃんは一瞬小難しそうな顔で何かを逡巡した後、握りしめたフォークでパイをつつき、口に運んだ。


 よっぽど美味しかったんだろうか。今までのハンストが嘘みたいに、パイは一瞬で皿から消えた。


「パイ……」


 物欲しそうな顔をした坊っちゃんが俺を見る。


 食いたきゃ好きに食えよ。


 面倒なので大皿ごと渡す。俺の意図を察した坊っちゃんは、全てのパイをぺろっと平らげると、ぼろぼろと泣き出した。


 ツグミのミートパイがサリカ人の伝統料理だと知ったのは後の話だ。


 ともあれ、それをきっかけに坊っちゃんは前を向くようになり、こっちがドン引きするほどのスピードでスクスクと育った。


 その後は特に大きな事件が起きることもなく、概ね平和な日々が続いた。


 それが崩れたのは、坊っちゃんが十三歳になった時の事だ。


 その日は、坊っちゃんのお披露目会が行われていた。いささか遅い開催だが、可愛い息子のために、今からでもコネを作ってやろうという親心だったんだろう。


 庭園でわいわいと盛り上がっている貴族たちを尻目に、俺は忙しなく働いていた。


 アヴァンティーノ邸はだだっ広いくせに使用人の数が最低限しかいないので、こういう時は傭兵団も駆り出されるのだ。


「お飲み物をどうぞ」


 笑顔を張り付かせて、特にお高そうな服を着たガキに果実水を差し出す。坊っちゃんと同い年で、そこそこ力のある伯爵位の息子だと聞いたからだ。


「気安く近寄るなよ。元は盗賊のくせに」


 手で払われたグラスが、地面に落ちて割れる。それを素手で片付けながら、正直、めんどくせぇなこいつ、と心の中で呟いていた。


 傭兵団が元は盗賊団だったという事実は、特に隠していない。


 俺たちがターゲットにしていたのは、後ろ暗い事をしている金持ちたちだ。だから、アヴァンティーノを非難するということは、悪事に手を染めていると自ら喧伝することになる。


 世間体が何よりも大切な貴族たちにとって、それは一番避けたいことだろう。


 怪我を負うとわかっていて、わざわざ手を突っ込む馬鹿はいない。


 とはいえ、軽蔑されても仕方のない身の上だとは自覚している。


 北部の凍り付くような寒さの中、泥の中に産み捨てられていた赤ん坊。それが俺だ。


 持ち物は北部特有の花、カルネリスの刺繍がされた布一枚だけ。


 本来なら、そのまま死ぬはずだった。だが、なんの気まぐれか、たまたま通りがかった親父が、泣き声を上げる気力すらない俺を、盗賊団のアジトに連れ帰ったのだ。


「あんときゃ酔っててなぁ。多分、犬っころかなんかと間違えたと思う」


 本当か嘘かは知らない。けれど、そのおかげで俺は荒くれものたちの間で順調に育った。


 生きるため、盗賊団のためなら、なんでもやった。


 どんな悪事だって、慣れれば日常と変わらない。盗みも、拐かしも、みるみるうちに上達した。


 それでも親父たちは、俺に人を殺させようとはしなかった。今思えば、ぬくぬく守られてたんだろう。いずれは堅気に戻そうなんて、思ってたのかもしれない。


 そんな想いを裏切って、初めて人を殺したのは、俺が八つの時だった。


 その頃の俺は、シルヴィオによって鍛えられた人当たりの良さを活かして、ターゲットの懐に入り込み、中から鍵を開ける仕事を担当していた。


 その日も、新しく雇われた下働きのフリをして、ある貴族の屋敷へ潜入した。


 そこで暮らしていたのは、立派な家柄に生まれた優しげな男に、長い栗毛に煉瓦色の瞳を持つ美しい妻と、幼い子供が二人。絵に描いたように幸せそうな家族だった。


 しかしその裏で、傭兵崩れに武器を売り捌く死の商人だということは調べがついていた。


 人は見た目じゃわかんないもんだよな。


 そう思いながら夜を待ち、親父たちを引き入れるために鍵を開けに向かった。


 きっと、楽な仕事だと慢心してたんだと思う。足音を立てるという、普段なら絶対にやらないミスをして、家人たちを起こしてしまったのだ。


 本性をあらわにした男が襲ってきたところまでは覚えている。


 我に返ると、屋敷の中は一面の血の海だった。しばらく呆然とした後、護身のために持っていた短剣で皆殺しにしたのだと、ようやく気付いた。


 子供を庇って倒れた妻の傍らに、血に塗れたハンカチが落ちていた。貴族の持ち物とは思えないぐらい安っぽくて、古いものだ。よく見ると、端の方にカルネリスの刺繍があった。


 ズボンのポケットに突っ込んでいた布っきれを取り出す。赤ん坊の俺を包んでいた布を切り取ったもので、自分でも理由はわからないが、いつも肌身離さず持っていた。


 布っきれの刺繍と、ハンカチの刺繍を比べる。まるで双子みたいに、ピッタリ同じだった。


 俺が殺したのは、実の母親だったのだ。


 きっと、望まぬ妊娠をして俺を産み捨てたのだろう。そして、その後で今の夫と出会った。


「じゃあ、ここに転がってるガキどもって……」


 そう呟いた途端、無性に笑いが込み上げてきて、大声を出して笑った。それで異変を感じ取ったのか、バン、とけたたましい音を立てて、屋敷のドアがこじ開けられた。


 その時の親父の顔を、俺は決して忘れないだろう。親父は後片付けをシルヴィオに任せると、馬鹿みたいにヘラヘラと笑っている俺を抱き抱えて、アジトまで連れて帰った。


 それからの記憶はあまりない。


 気づけば俺は、躊躇せずに人を殺せるようになっていた。


 そんな俺を、親父や盗賊団の仲間たちは痛ましいものを見る目で見てきたが、構いやしなかった。もう俺には、怖いものなんて何もなかったから。


 次に転機が訪れたのは、俺が十二歳になった年だった。


 ファウスティナに向かう裏街道を、麻薬を積んだ貴族の馬車が通るという情報が入り、俺たちは意気揚々と現場に向かった。


 まさか、それが王都の死神と名高い近衛騎士団長の馬車だとは思いもしなかった。アヴァンティーノの紋章なんて一欠片も描かれていなかったし。


 おそらく、俺たちの台頭を良く思わない同業者に体よく騙されたんだろう。


 客車から出てきた熊みたいな男の姿を見た時の気持ちを、どう形容すればいいのか。


 とにかく俺たちはロドリゴ様にコテンパンにやられた。正直、死も覚悟した。


 しかし、なぜか親父と意気投合したロドリゴ様は、俺たちにアヴァンティーノの騎士団として働かないかとスカウトしてきたのだ。


 俺が坊っちゃんの従者になった時と同じく、断るという選択肢は最初からなかった。


 だって、俺たちに対峙したロドリゴ様の目は、全く笑ってなかったから。


 空気を読めない親父の「騎士団なんてお高くとまってて嫌だ」という意見を汲んで、俺たちはなし崩し的にアヴァンティーノ傭兵団になることが決まった。


 そしてそれから五年の歳月が経ち、今に至る。


「大変失礼いたしました。代わりの者にお持ちさせます」


 割れたグラスを片付け終え、クソガキに頭を下げた時、庭の片隅から「ふざけるなよ!」という声が上がった。


 いつの間に戻ってきたんだろう。ロドリゴ様とソフィア様と一緒に、屋敷の中へ挨拶回りに連れ出されていたはずの坊っちゃんが、顔を真っ赤にしてこちらに走ってきた。


 恐ろしいほど足が速い。


 制止する間もなく、坊っちゃんはクソガキに飛びかかった。


「偉そうにしやがって! 元が盗賊だからって関係あるか! 今は俺の従者なんだからな!」


 押し倒されたクソガキから悲鳴が上がる。周囲に屯していた取り巻きのガキたちからもだ。気持ちはありがたいが、さすがにまずい。


「坊っちゃん、坊っちゃん、ちょっと落ち着いて」


 どうどうと馬を宥めるような気持ちで、クソガキから坊っちゃんを引き剥がした。坊っちゃんはまるで獣のように、フーフーと荒い息をついている。


 その騒ぎを聞きつけて、エルンストさんや傭兵団の仲間たちも集まってきた。


「大変申し訳ありません、フェデリコ様。家令として、当家の非礼をお詫びいたします。ですが——」


 エルンストさんの目がギラリと光る。


「テオはサミュエル様の従者です。彼を侮辱するということはサミュエル様を、ひいては、我がアヴァンティーノ家を侮辱すると同義でございますが、ご覚悟あってのことでしょうか」


 さすがはアヴァンティーノ家の重鎮だ。盗賊顔負けの迫力にあてられたクソガキは、泣きながら屋敷の中にいる自分の親の元へ去って行った。


「坊っちゃん、ありがとうございます。俺のために」


 随分と背が伸びた体を見下ろして、笑みを向ける。


 ぷいとそっぽを向いたほっぺは赤く染まっていた。






 坊っちゃんがやらかした暴力沙汰が、うっすい記憶になってきたある日、俺は庭で掃き掃除をしていた。


 アヴァンティーノ邸は木々が多い分、落葉が始まる季節になると、人手がいくらあっても足りなくなる。


 近くに坊っちゃんの姿はない。将来の近衛騎士候補として、王城近くの訓練所に通うようになっていた。いつもはロドリゴ様に教えてもらっているが、三日前から王について近隣の領地の視察にまわっているので、その間の仮の修行先だ。


 本来ならそばにいるべきなのだが、気恥ずかしいのか、それとも反抗期が始まったのか、俺が訓練を見物するのを嫌がるので、送り迎えだけするようにしていた。


 秋は日が落ちるのも早い。


 そろそろ迎えに行かないとなぁ、なんて思っていた時だった。


「サミュエル!」


 玄関からソフィア様の悲鳴が上がった。箒を放り出して、一目散に駆けつける。


 そこにいたのは、血相を変えたソフィア様と、左腕をひどく腫らし、口から血を流して、全身ズタボロになった坊っちゃんだった。


「坊っちゃん!」


 抱き止めた坊っちゃんの体はひどく熱かった。動揺するソフィア様を宥め、近くにいた使用人にシルヴィオを呼ぶように頼み、坊っちゃんを寝室まで運んだ。


 変装術を極めるため、医師の資格まで取ったシルヴィオの見立てでは、全治三ヶ月とのことだった。


「骨は折れてないようです。重めの捻挫ですね。左腕でまだ良かった。腫れが引くまでは安静にしていてくださいよ」


 坊っちゃんは口を割らなかったが、誰がやったかは一目瞭然だった。


 ソフィア様を残して廊下に出ると、心配して駆けつけた傭兵団や使用人の面々が顔を突き合わせて話していた。


「絶対、あのクソガキだよな。坊っちゃんのお披露目会で、舐めたことしたやつ」

「傭兵でも雇ったか? それとも自前の騎士団に泣きついたのか?」

「あの……このこと、伯爵様はご存じなんでしょうか。家ぐるみなら、また同じ事が起きるんじゃ……」


 恐々話す使用人の言葉に、傭兵団の面々が揃って首を振る。


「それはないだろ。お披露目会の時も、顔真っ青にして詫び入れてきたし」

「じゃあ、単独犯か。馬鹿なガキだな」


 アヴァンティーノの後継ぎに手を出すとは許されざる大罪だ。傭兵団や使用人たちの中でも、報復するべきだという声が多かった。


 だが、こういう時に限って、ロドリゴ様はいない。


 所詮、俺たちは雇われだ。主人の命がなければ動けない。


 最初こそぶつぶつ言っていたみんなも、ロドリゴ様が戻るまでは静観する構えを見せた。


 それがどうしても許せなかった。


 その日から俺は忙しい仕事の合間を縫って、クソガキの行動パターンと、実行犯の身元を洗い始めた。といっても、すぐに割れたけど。


 クソガキは毎週末に訓練所に出かけ、行きつけの菓子屋に寄り道して帰ることがわかった。ついているのは護衛騎士一人と、従者一人だけだ。そして、平民上がりの騎士に、権力に物を言わせて坊っちゃんを襲わせたということもわかった。


 饐えた匂いのする路地裏で、目深にフードを被り、覆面をつける。


 視線の先では、呑気な顔をしたクソガキが騎士と従者を従え、偉そうに歩いていた。


 これから俺はあのクソガキに復讐するつもりだった。


 最悪バレても、俺一人切り捨てればいいだけなんだから、安いもんだ。


 目の前を横切る瞬間に手を伸ばし、クソガキの体を路地裏に引き込む。


「うわっ」

「フェデリコ様!」


 駆け込んできた従者と護衛騎士を一撃で叩きのめすと、俺はクソガキを麻袋に入れて、今日のために確保しておいた廃屋に運んだ。


「ひっ」


 麻袋から放り出したクソガキは、ガタガタと震えていた。


「な、なんだよお前! 俺が誰だかわかってるのか? ガストーネ伯爵の息子だぞ!」


 思わず失笑が漏れる。この状況で権力なんて何の役にも立たない。


 さて、どうしてやろう。


 脳裏に、腫れ上がった坊っちゃんの左腕が浮かぶ。騎士にとって、腕は命だ。折られはしなかったけど、あえてそれを狙ったこいつに、二度と剣を持つ資格はない。


 まずは指だな。


 手を掴み、ナイフをあてた時、音を立てて扉が開いた。


「やめろ、テオ! お前はもう盗賊じゃない。傭兵団の一員なんだ。無駄に手を汚そうとするな」


 顔を真っ赤にして、激しく肩を上下させた少年が、まっすぐに俺を見つめた。


 夢でも見ているのかと思ったが、間違いなく坊っちゃんだった。滴り落ちる汗のせいで、真っ黒な髪が額に張り付いている。まだ治りきっていない左腕の三角巾が痛々しかった。


「なんでわかったんです?」

「わかるよ、お前のことなら。だって、たった一人の従者じゃないか」


 そう言ってズカズカと近寄ってきた坊っちゃんが、クソガキの顔面を右手で殴り飛ばした。


 クソガキの鼻から、血が噴き出す。うめくクソガキの胸ぐらを容赦無く掴み上げ、坊っちゃんはクソガキに顔を寄せた。


「次はこんなもんじゃ済まないぞ」


 紫色の瞳が、微かに差し込む光に反射して鋭く光った。


「俺はもっと強くなる。養子だって馬鹿にされないくらいな。だからお前も強くなれよ。俺が気に食わないなら真正面からかかってこい。いつでも叩き潰してやるから」


 声もなく震えるクソガキを見据えるその目は、ロドリゴ様にそっくりだった。


「帰ろうぜ、テオ。走ったら腹減ったよ」


 クソガキを放り出した坊っちゃんが、俺の手を取って歩き出した。


 扉を開けて、外に出る。鮮やかなオレンジ色の夕日が俺たちを包み、仲良く並ぶ二つの影を地面に映し出した。


 坊っちゃんの手をぎゅっと握り返す。少し逞しくなったその手は、とても温かかった。


「寄り道して甘いものでも買って帰りましょうよ、サミュエル様」


 隣に立つ主人が、嬉しそうに俺を見上げる。


 俺の口元からも、思わず笑みがこぼれた。






「何を見てるの?」


 背後から俺の手元を覗き込んだエミリア様が、こくんと首を傾げる。その腹は大きく膨らんでいて、いかにも重そうだ。


 エミリア様がサミュエル様と結婚してから、二年が経っていた。


 主人の血を引く赤ん坊がそこにいると思うと、俺の目尻も下がる。


「子供の頃のサミュエルと、テオ? 鉛筆で描いてるの? 綺麗ね。今にも動き出しそう」

「これ、ロドリゴ様が描いたやつなんですよ。十年ぐらい前ですね」

「へぇ、お父様も絵なんて描くのね。芸術には興味ないと思ってた」

「それ偏見です。ああ見えて結構目利きなんですよ」


 感嘆の息をつくエミリア様に絵を差し出す。


 クソガキをシメた後、大量の菓子を買い込んで帰ってきた俺たちを出迎えたのは、顔を真っ赤にして震えるソフィア様だった。


 その左右には、視察から戻ってきたロドリゴ様や、呆れた表情を浮かべた親父たちが勢揃いしていて、次の展開を如実に示していた。


 まあ、怒られた。サミュエル様は怪我が治りきるまで部屋に軟禁。そして俺は、親父とシルヴィオに朝から晩までしごかれ続けた。


 でも、そんな事は大した事じゃなかった。


 怖かったのは、全てを聞き終えたロドリゴ様が黙っていなくなって、黙って戻ってきた事だ。


 次の日には、伯爵家が取り潰しになるという噂が広がっていた。


 衆人環視の中で親子共々土下座してロドリゴ様に許しを乞い、最終的に王家が介入した結果、取り潰しは免れたらしいが、その後の話はとんと聞かない。きっと反省して大人しくなったんだろう。多分。


 この絵は、罰の仕上げとしてロドリゴ様の練習台になった時のものだ。立ちっぱなしで六時間。なかなかの苦行だった。


「小さいサミュエル可愛い……」

「エミリア? 何見てるんだ?」


 午前中の仕事を終えた主人がタイミング良く入ってきた。幸せそうに絵を眺めるエミリア様の手元を覗き込んだサミュエル様の顔が、かあっと赤くなる。己の黒歴史を思い出して恥ずかしくなったんだろう。面白いぐらいに狼狽えている。


「まだこんなもん持ってたのかよ! いい加減、処分しろよ!」


 取り上げられる前に、さっと絵を取り返した。隠すように胸に抱える俺に、サミュエル様が悔しそうに歯軋りする。


「駄目ですよ、これはうちの家宝にします」

「やめろ! 末代まで恥を晒す気か!」

「あっ」


 騒ぐ俺たちの横で、エミリア様が声を上げた。その足元には水溜りができている。破水したのだ。


「う、生まれる……」

「えっ、あっ、どうしよう。どうする?」

「しっかりしてください、サミュエル様。エミリア様をベッドまで運んで。俺はマッテオさんを呼んできますから」

「わ、わかった!」


 あわあわと返事をするサミュエル様の背中をぽんと叩いて、俺は廊下に駆け出した。


「全く、俺がいないと駄目なんだから」


 口元が自然と弧を描く。


 これからもずっとそばにいますからね。


 俺の大事なご主人様。

ルキウスも気に食わない貴族の顔面ぶん殴ってますので、似た先輩と後輩だと思います。

テオがソフィアとマリアンナに懐いてるのは、母親の面影があるからですね。

特にマリアンナは目の色も同じなので、だいぶ重ねています。

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