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エミリアとサミュエル

 夜空を溶かしたような黒髪を、指に絡める。初めて会った時よりも短くなったけど、サラサラとして心地いい。


 すっと通った鼻筋も、薄い唇も、全てが好ましかった。今は閉じている両目も、開けばアメジストのような輝きをたたえて、私のことをまっすぐに見つめてくれる。


 本当に、素敵な人。


 初めて会った時から、その印象は変わっていない。逞しい両腕も、すらりとした体も、どうしようもなく私をときめかせる。きっとシワシワのお爺ちゃんになっても、同じ気持ちを抱き続けるだろう。


「サミュエル……」


 囁くように、隣で眠る夫の名前を呼ぶ。出会った頃は、本名を呼び合うことすら出来なかった。


 夫は私を殺しに来た暗殺者。私は兄の身分を借りた偽りの領主。とても叶わないと思っていた恋を成就させ、こうして堂々と隣にいられる幸せに目が眩みそうになる。


 私の命を繋ぐため、夫は一生懸命に尽くしてくれた。そして今も、私が愛するフランチェスカのために、慣れない領主の仕事に真摯に取り組んでくれている。


 とても、感謝してもしきれない。この人のためなら、私は何だってする。そう、たとえ世界を敵にまわしても。


「好きよ……」


 頬に口付けを落とす。少し伸びた髭がちくりと肌を刺した。その刺激で、夫が「ん……?」と声を上げて身じろぎをする。


 しまった。起こしてしまった。


 心の中で頭を抱える。夫は案外眠りが浅い。わかっていたのに、昂る気持ちが抑えられなかった。結婚して一年経ったのに、まだ少女気分が抜けきらないのかもしれない。


「エミリア……?」

「ごめんな、起こしちゃったか?」


 男言葉が出て、口を押さえる。油断すると、つい昔の口調に戻ってしまう。


 せっかく女らしい言葉遣いに慣れてきたとこだったのに。こちらも抜け切るまではまだまだかかりそうだ。


「どんな話し方だって、エミリアはエミリアですよ。俺のお嬢様」


 口元に笑みを浮かべた夫が、優しく髪を漉いてくれる。少しゴツゴツしているけれど、とても安心する手だ。その気持ち良さに、思わず目を細める。


 そんな私を、夫は幸せそうな顔で見ていた。


「相変わらずふわふわな髪だなぁ。触ってると安心するよ」

「そう?」

「そうだよ。俺の視界の先には、いつもこの赤色があった。今じゃ、ないと落ち着かない。だからずっと、目の届く場所にいてくれよ」


 突然の告白に顔がかあっと赤くなる。サラッとこういうことを言うから、ずるい。


 恥ずかしさを誤魔化すために胸に顔を埋めると、夫は私の頭を撫でながら楽しそうに笑った。


「ずっと起きてたんだな。ひょっとして、眠れない? ホットミルクでも作ろうか?」

「ううん、大丈夫。眠れないんじゃないの。眠りたくなかっただけ」


 本音だった。何度かうとうとしていたけれど、夫の寝顔を見つめていたくて起きていたのだ。


「俺の顔に見惚れてた?」


 夫がニヤッと笑う。その表情は昔とちっとも変わらなかった。


「ち、ちが……」


 違う、と言いかけて気が変わった。揶揄いを含んだ夫の目を、じっと見つめ返す。


 薄暗い中で光る紫色の瞳は、やっぱり綺麗だ。たまには素直になってみてもいいかもしれない。


「そうよ。あなたの寝顔に見惚れてたの。だって、とても素敵なんだもの」


 ポカンと口を開けた夫が、まるで信じられないものを見るような目で私を見つめる。


 まだ脳にまで言葉が届ききっていないのだろう。後押しするように、にっこりと微笑んでみると、夫は顔を真っ赤にして私から目を逸らした。


 やがて口を閉じた夫の喉が、ごくん、と鳴る。


 それを合図に、頭を撫でていた手が、すすっと背中に降りてきた。


「なぁに、くすぐったい」


 何を意味しているかわかっていたけど、あえてはぐらかす。夫は背中に回した手に力を込めると、今度は熱を帯びた目を私に向けた。


「……なぁ、エミリア。そろそろ子供欲しくないか?」

「双子が生まれるかもしれないわよ。ダンテ陛下が差別撤廃に向けて動いてくれてるけど、まだまだ世間の目は厳しいわ。あなたも批判に晒されるかも……」

「いいじゃないか、双子でも。いっぺんに二人も家族が増えるなんて、想像しただけで幸せだよ」


 夫の言葉には一切の揺らぎがなく、本心からそう言っているとわかった。


「それに、アヴァンティーノの屋敷でも言っただろ。もし双子が生まれたとしても、俺は全力で愛情を注ぐし、世間の目なんて吹き飛ばしてやるって」


 そう、確かにそう言っていた。今と同じ強い口調で、まだ見ぬ未来に竦む私の不安を吹き飛ばしたんだっけ。


「エミリア……」


 我慢しきれなくなったのか、夫が切ない声で私を呼ぶ。背中に触れる手も、火傷しそうなほど熱い。もうこれ以上、焦らすのはやめておこう。


 答える代わりに、キスを落とした。


「愛してる……」


 私を優しくベッドに横たえた夫が、ゆっくりと覆い被さってくる。それを迎え入れるように、夫の首に手をまわす。


「私も愛してるわ、サミュエル」


 そして、唇に触れる柔らかな感触を堪能するため、私はそっと目を伏せた。

紅茶も淹れられなかったサミュエルがホットミルクを作れるようになったのは、マリアンナの教育とテオのサポートのおかげです。

エミリアの喜ぶことは何だってやりますし、やりたいと思っています。

それはエミリアも同様です。仲が良くて何よりです。

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