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40話

 秋祭りから三日後。未来より一週間も早く、王国軍はクノーブルの西側に姿を現した。


 向こうは一刻も早くこちらを潰す気なので、今回は時間稼ぎも効かない。フランチェスカ側の戦力が増えたこともあり、祭りの直後から少しずつ領民たちを市内へ引き入れていたのは正解だった。


「ロレンツォと、ロドリゴ卿は間に合わなかったか……」

「仕方ありません。マッテオ様が言った通り、我々に出来ることは、一分一秒でも粘ることです。その間に援軍が来れば、戦局をひっくり返せるかもしれない」


 頭を抱えるエミリアに反して、ジュリオはあくまでも冷静だ。さすが、長年フランチェスカの市長を勤めているだけのことはある。非常時においても、肝が座っている。


「そうだな……ジュリオ、領民たちに通達を頼む。ルキウス、騎士たちの指揮を取ってくれ。ミゲルたちやバルテロ卿への連絡も任せた。彼を軸に、集まった貴族たちと連携を取って、予定通り王国軍を迎え撃つぞ」

「はっ」


 頷きを返したジュリオと、踵を鳴らしたルキウスが、揃って執務室から駆けていく。人が増えた分、指揮系統も複雑になるが、今日のために綿密な打ち合わせを重ねたのだ。準備は万端である。


「ついに来たな……」


 ため息をついて、エミリアは椅子に体を預けた。彼女の視線の先には、中庭の小屋から鳥籠に移されたマチルダがいる。


 エミリアはマチルダを放そうとしたが、サミュエルが止めたのだ。同じ悲劇は二度と繰り返さない、という戒めのためだった。それにマチルダだって、まだエミリアのそばにいたいはずだ。


「俺もシルヴィオとテオに伝えてきます。多分、城壁で新兵器をいじってると思うんで」

「ちょっと待ってくれ。……お前に、見せたいものがある」


 立ち上がり、先導するエミリアの後を首を傾げながらついていく。


 案内されたのはエンリコの部屋だった。遠慮があって、サミュエルはまだ入ったことがない。大きくて頑丈そうな扉を静かに開き、エミリアが中に入っていく。一瞬躊躇したが、サミュエルもそれに続いた。


 そこは歴代領主の部屋というには、あまりにも質素だった。


 実用性だけを重視しているのだろう。部屋の中にあるのは、ベッド、ソファ、机、そして壁一面の本棚ぐらいだ。燻んだ臙脂色の絨毯といい、この部屋のどれもが、古い歴史を感じさせるものだった。


 エミリアが右手側の壁にある扉に手をかけた。ワードローブになっているらしい。執務室を一回り小さくした部屋の中には、生前エンリコが着用していたと見られる衣服が、整理された状態で吊るされていた。


「エミリア、見せたいものって……?」

「これだ」


 指し示されたものを見て、思わず目を見開く。部屋の一番奥、まるで隠すようにひっそりと置かれたそれは、鎖帷子と、胸元にフランチェスカの紋章が描かれた青と黄色の貫頭衣、そして銀色に鈍く光る兜だった。


 忘れもしない。村を焼いた男が身にまとっていたものと瓜二つである。エミリアを見ると、彼女は痛みをこらえるような顔で、サミュエルから目を逸らしていた。


「お前にとって、忌まわしいものだということはわかっている。でも……」

「歴代のフランチェスカ公爵が使っていたものですね」


 そっと兜に手を伸ばし、胸の前で抱える。よく見ると、表面に数えきれないほどの細かな傷がついているのがわかった。


 フランチェスカを守るために、どれだけの人間がこの兜を被り、死んでいったのだろう。サミュエルは恭しく兜を被ると、エミリアを振り返った。


「似合います?」

「うん……うんっ……」


 狭く、限られた視界の先で、涙で頬を濡らしたエミリアが微笑んでいた。






「うわ……なんか蟻みたい。気持ちわるっ」

「お前、未来でも同じことを言ってたぞ」


 呑気なテオの言葉にため息をつく。視線の先では未来で見た光景通り、王国軍が整然と列をなしてこちらに歩を進めていた。


 規則正しい軍靴の音が地響きとなってこちらに届く。だいぶ数を減らしたとはいえ、それでもフランチェスカの全戦力を補って余りあるほどの戦力が投入されていた。


 だが、それに怯む姿も見せぬほど、こちらの士気は高い。対して、王国軍の兵士たちの顔は、皆一様に精彩を欠いていた。


 物資も十分に集め切れていないらしく、遠征につきものの荷車の数も少ない。工兵隊が曳く投石機や攻城塔も、急拵えに作ったという様子がありありと見えた。おそらく、悠長に陣地を築く余裕もないだろう。


「エミリア様、女性と子供の、城内への避難が完了いたしましたわ。みなさん、怯えた様子もなく意気軒昂ですわよ」

「ありがとう、伯爵夫人。騎士の真似事をさせてしまって、すみません」

「あらやだ、リリアーナとお呼びくださいな。爵位など、もう関係ありませんわ。それに、フランチェスカを守る気持ちがあれば、誰だって騎士なのでしょう? わたくし、感動してしまって」


 動きやすいように男物の服を着て、嫋やかに微笑むのは、王城でサミュエルたちをかばってくれた伯爵夫人だ。彼女は家族や使用人、そして自前の騎士団と共にフランチェスカにやってきて、王国軍が現れるまでクノーブルに身を寄せていた。


 王国軍出現の一報を伝えてくれたのは、彼女の息子である。彼女はカルロに啖呵を切ったエミリアに心酔している節があって、伯爵夫人という身分にも関わらず、甲斐甲斐しく女子供たちの面倒を見てくれていた。


「夫と息子も、所定の位置につきましたわ。あまり戦闘の経験はありませんけど、体力はありますから、どうか使ってやってくださいな」

「本当にいいのですか。戦闘が始まれば、命の保証は……」

「いいのです。わたくしのもう一人の息子も、生きていれば同じ戦場に立ったでしょう」


 伯爵夫人の瞳が揺らぐ。エミリアはそれ以上何も言わず、ただ黙って頭を下げた。


「それはそうと、サミュエル卿。見違えましたわ。そのお姿、お似合いですわよ。まるで本から抜け出てきた騎士様みたい。どうか、エミリア様をしっかりお守りくださいましね」


 ふふ、と笑みをこぼして去っていく伯爵夫人に、サミュエルは頬が熱くなった。


 今、サミュエルが身につけているのはエンリコが残した防具と武器一式だ。エンリコとは体格が違うので、少し調整はしたが、外から見れば随分ご立派な騎士に見えるだろう。


「馬子にも衣装ですね。ソフィア様にも見せてあげたいなぁ」

「籠城戦が終わったら見てもらおう。きっと喜ぶぞ」

「いいから、外見て外! テオ! お前もそろそろ持ち場につけよ!」

「あー、はいはい。全く、いつまでたっても思春期なんだから」


 ぶつぶつと減らず口を叩きながらティトゥス達の元へ向かう背中に、何度目かわからぬため息をつく。弾みで、鎖帷子が鈍い音を立てた。


 深く被った兜も、腰に下げた長剣も、まるで地面に引っ張られているかのように、ずっしりと重い。この重さは、責任の重さだ。エンリコもこの重さに耐えていたのだろうか。


「そうカリカリするな。禿げるぞ」

「さらっと嫌なこと言わないでください。俺の頭皮はまだ大丈夫です」

「だといいけどな」


 同じく鎖帷子に身を包んだエミリアが、肩をすくめて城壁の外に目を向ける。未来と同じように、王国軍の主力は西側と南側に集中しているようだ。


「壮観だな。北側はどうだ? バルテロ卿はなんて言ってる?」

「歩兵は微々たるものですが、騎兵が網を張っています。俺もさっき見てきましたけど、未来よりも数は多いですね。カルロは領民一人たりとも逃さぬ構えのようです。ただ、バルテロ卿は『掃除は任せておきなさい』と」

「頼もしいな。流石、宰相様だよ」


 サミュエルの報告に、エミリアが笑う。もし城を放棄して逃げる事態になったときは、北側を突破し、領民や貴族たちと共にレグルス山脈を越えてミケーレに向かうことになっている。ミゲルとマッテオ、そしてジュリオの交渉の賜物だ。


「……やるしかないんだな」

「ええ、やるしかありません。大丈夫です、俺たちなら」

「そうだな。きっとやり遂げてみせるさ」


 エミリアと微笑み合い、同時に剣を抜く。それに続いて、周囲の騎士や領民たちも武器を抜きはじめた。


 皆が皆、全身に闘志を漲らせている。もはや、鼓舞する言葉は必要ない。


 待ち構えるフランチェスカ勢の眼下で、王国軍の歩みが止まった。その後方にいるのはカルロだ。日の光に煌めく金髪は疑いようもない。ひとりぼっちの王様は、果たして今どんな気持ちなのだろうか。


 カルロの合図によって、投石器が前方に押し出されてくる。それを援護するように、揃いの貫頭衣を着た王国軍の弓兵隊も長弓を構えた。


 ついに、戦闘が始まる。


 しかしそのとき、カルロよりもさらに後方に、幾重にも連なる旗印が見えた。緊張のあまり幻でも見たのかと思ったが、何度確認しても、やはりある。


 呆然とするサミュエルに気づいたエミリアが、同じ方向に目を向け、そしてぴたりと動きを止めた。


「サミュエル、あれ……」


 エミリアが震える指を伸ばした。旗印には幾何学的な図形を用いた紋章が描かれている。


「ケルティーナだ! エミリア! ロレンツォさんが間に合ったんですよ!」

「サミュエル様! アヴァンティーノの旗印もあります! ロドリゴ様です!」


 珍しく興奮した様子のテオが、城壁の東南側を指さした。確かに、はるか遠くに、ロドリゴの旗印が見える。その隣に掲げられているのはサリカとヨシュナンの旗印だろうか。


「……残存勢力への説得が成功したのか」

「各地の反戦派たちの旗印もあります。合流して駆けつけてきてくれたんですね」


 目頭が熱くなったとき、北側でもどよめきの声が上がった。城壁の上を、息を切らした騎士が駆けてくる。北側につめていた伯爵夫人の息子だ。彼はエミリアの姿を認めると、その足元に飛び込むように跪いた。


「エミリア様! ご報告いたします!」

「どうした? 一体、何があった?」

「ファウスティナです! ファウスティナ騎士団が北側に姿を現しました! ドルジェの旗印も見えます!」

「エミリア……」


 声が震えていた。まるで夢を見ているような気持ちだった。


 エミリアはぎゅっと目を瞑って、感情の波を抑え込んでいるようだったが、やがて目を開け、振り絞るように言った。


「ダンテ殿下……!」


 角笛の音が戦場に響き渡る。それを合図に、現れた援軍は王国軍を包囲しにかかった。


 まさか全方向から敵が来るとは思わなかったのだろう。優秀な指揮官が軒並みこちらについていたのも災いし、恐慌状態に陥った王国軍は、一斉に武器を投げ出して逃走を図りはじめた。


 もはや指揮などないようなものである。いくら数が多くとも、真綿で締めるようにじりじりと囲い込まれれば、後は擦り潰されていくだけだ。


「この機を逃すな! こちらも打って出るぞ! だが、深追いはするな! 向こうはもう戦意喪失している。武装解除に努めろ!」


 エミリアの号令で騎士や領民たちが一斉に動き出した。北と南の跳ね橋が下り、鬨の声を上げた騎士たちが水を得た魚のように勇ましく外に向かっていく。


 その混乱の中で、目立つ金髪が単騎、北西の方へ馬首を向けたのが見えた。川で包囲が緩い箇所から抜け出すつもりだ。


 ――そうはさせない!


「エミリア! 俺も行きます! カルロを逃すわけにはいかない!」

「待て! サミュエル!」


 ぐい、と腕を引かれた。


 ――止めようとしているのか?


 咄嗟に振り払おうとしたとき、唇に柔らかな感触が重なった。それがエミリアの唇なのだと気づいたときには、顔を離したエミリアが、まっすぐに自分を見据えているところだった。


「この続きがしたければ、生きて帰ってこい! いいな!」

「はいっ!」


 頬の熱さを誤魔化すように面頬を下ろし、サミュエルは駆けた。城壁の下に控えていたカシウスに飛び乗り、味方を掻き分けるようにして外に飛び出す。


 ひどく息が荒い。身体中の血が沸騰しているような気がした。あれだけ重いと思っていた防具も、羽が生えたように軽く感じる。


 ――ここで決着をつける!


 そんな主人の気持ちが伝わったのか、カシウスは予想を大きく上回るスピードで地面を駆け、カルロの前方に回り込むことに成功した。


 視界の先に、驚愕に見開かれる青い目が見える。いつも怜悧な笑みを浮かべていた唇が、小さく動いた。


「エンリコ……」


 剣を抜き、真っ直ぐにカシウスを駆るサミュエルを迎え撃つように、カルロが腰の剣を抜く。その柄頭には美しい光を放つアメジストが埋め込まれていた。


 ――俺の剣だ。


 柄を握る手に力がこもった。だが、まともに受けるつもりはない。


 サミュエルの戦闘スタイルは、いつだって速攻、もしくは不意打ちなのだ。


「テオ!」


 サミュエルの号令と同時に、何かが弾ける音が響き、カルロの馬が悲痛な嘶きをあげて倒れた。その尻には痛々しい穴が開き、呼吸と共に血が溢れ出している。


 長距離射撃が可能とは聞いていたが、よく届いたものだ。遠く離れた城壁の上で、テオが手を振っているのがかろうじて見える。実際にサミュエルの声が聞こえたのかはわからないが、主人の意を汲んだ従者は的確に務めを果たした。


 地面に放り出されたカルロが、苦痛の声を上げる。立派な鎧のおかげで、致命傷にはならなかったようだ。だが、肋の一本や二本は折れているのだろう。唇からは血が流れ、サミュエルを見上げるその目は苦痛に歪んでいた。


「飛び道具に頼るとは……それでも騎士か? フランチェスカ騎士団も地に落ちたものだな」

「あいにく、こちとら平民出なんでね。勝つためなら、なり振りなんて構ってられないんだよ」


 面頬を上げ、カルロの喉元に剣を突きつける。兜の下からのぞいた黒髪と紫の瞳を見て、カルロが憎々しげにうめいた。


「サミュエル……!」


 その顔にはもう、王族の威厳も、不可侵の美しさも残ってはいない。目の前にいるのは、孤独という傷を抱えた小さな子供だ。


 ――こいつ、こんなに小さかったっけ?


 先ほどまで感じていた高揚感が、潮を引くように消えていく。


「もうここいらで駄々を捏ねるのはやめようぜ。たとえ国を統一したところで、あんたが満たされることはないよ。その機会は、あんた自身が捨てちまったんだから」

「お前に……お前に何がわかる……血の繋がりがなくとも、愛されて育ってきたお前に!」

「あんただって、愛されてたんだぜ。気づかなかっただけだよ」

「うるさい!」


 果敢にもカルロはサミュエルに飛びかかろうとした。いつものカルロだったら、決してしない愚行だろう。


 軽くあしらい、地面に転がす。胸に片足を乗せ、息ができる程度に体重をかけた。手を伸ばしたところで地面に落ちた剣には届かない。救援だって来やしない。もはやカルロには成す術がなかった。


「殺せ……」

「え?」

「殺せよ……。そして長く続いた平和と繁栄に終止符を打つといい。俺がいなくなれば、貴族の間で王位争いが起きる。周辺国も機を見て攻めてくるだろう。混乱の時代の幕開けだ」


 顔を土と血で汚したカルロが、皮肉めいた笑みを浮かべる。


 一瞬、そうしてやろうかという思いがよぎった。この男がいなければ、家族が死ぬことも、エミリアが泣くことも、多くの人間が苦しむこともなかったのだ。


 ぐ、と剣を握る手に力がこもる。このまま切先を喉に押し込めば、全てが終わる。


「そうはならないよ。俺がいるからね」


 しかし、こちらに近づいてくる人影を見たとき、そんな考えは綺麗に消えてしまった。まるで双子川に流されてしまったみたいに。


「待ちくたびれましたよ。どこで道草食ってたんです?」

「すまないね。何せ、遠出するのは初めてだから」


 穏やかな、それいて凛と響く声。それは、足元にいる男とよく似ていた。


 サミュエルとカルロの眼前に立った男が、ゆっくりと兜を外す。


 その下から現れたのは、太陽の光を浴びて輝く金色の髪、そしてサファイアのような青い瞳。間違いなく王家の血を引くその姿は、ダンテ・デッラ・ランベルトだった。


「何だ、その姿は……? お前はいったい……?」


 目を大きく見開いたカルロが、唇をわなわなと震わせている。それもそうだろう。自分と瓜二つの男が急に現れたら、誰だって驚く。


 ダンテはカルロとそっくりな顔でにっこりと微笑むと、身をかがめ、カルロの顔をのぞき込むように見下ろした。


 まるで鏡写しのような姿に、サミュエルは内心嘆息する。エミリオとエミリアが並んだら、きっとこんな感じなのだろう。油断すると、どちらがどちらなのか、わからなくなりそうだ。


「初めましてだな、兄さん」

「まさかお前……」

「そう、俺は兄さんの双子の弟、ダンテだよ。ずっとファウスティナに隠れ住んでいたのさ。二十八年間もね」


 カルロの顔がかあっと赤くなった。サミュエルの足を払いのけ、転がるように地面に這いつくばる。


 本当は立ち上がりたいが、体がいうことを聞かないのだろう。腕で支えながら上半身を起こすことしかできないようだった。


 思わず目を背けたくなるほど、惨めな姿だった。しかしそれでも、キッと顔を上げ、ダンテを見据えるその目には、誰も寄せ付けぬほどの激しい感情の炎が燃え盛っていた。


「みんな、俺を騙してたのか! この国唯一の王位継承者だと口にしておきながら、陰で嘲笑っていたのか! だから父上と母上も、俺に見向きしなかったんだな! 王位を継がせる息子が、もう一人いたから!」

「違う! 誰も騙してなんかいないし、嘲笑ってもない! 兄さんが世間から後ろ指を刺されないよう、そして俺が生きていけるよう、みんなで守ってくれていたんだよ。父さんと母さんは、俺たちを愛してた。だからここに、二人ともいるんじゃないか!」

「ふざけるな! 守られていたのはお前だけだろう! 真綿で包まれてぬくぬくと育ってきた分際で、今まで血を吐く思いで生きてきた俺にとやかく言えるのか!」

「そっちこそ! 日の当たる場所で、どれだけ大切にされてきたのかも知らずに偉そうなことを言うなよ! ずっと日陰ものの役を背負わされた、俺の気持ちがわかるのかよ!」


 同じ顔をした男たちが胸の内を曝け出す様は、王位争いというよりも、ただの兄弟喧嘩のように見えた。


 ――親にも、こうやってぶつければ良かったのにな。


 そうすれば、愛情が捻れることもなかっただろうに。


 地面に落ちた剣を拾う。柄頭に埋め込んだアメジストは、相変わらず美しく輝いていた。


 ――カルロはどんな気持ちで、この剣を持ってきたんだろう。


 殺す気は失せたとはいえ、正直なところ、カルロのことはまだ憎い。エミリアだって、領民たちだって、許せない気持ちで一杯だろう。


 だが、戦いはもう終わったのだ。どこかで誰かが、憎しみの連鎖を断ち切らねばならない。


「あー……二人とも、兄弟喧嘩は後にしてくれないか? そろそろ、城に戻りたいんだよ。エミリアが首を長くして待ってるから」


 サミュエルのうんざりした視線に気づいたダンテが、ハッと目を開き、咳払いを一つした。その頬はほんのり赤く染まっている。


 カルロはまだ言い足りなさそうだったが、その瞳にはさっきまで燃え盛っていた炎は見えなかった。体が限界なのか、しきりに頭が揺れている。それを支えるダンテの手つきは、家族に接するように優しかった。


「兄さん。話したいことがたくさんあるんだ。だから、ひとまずこの馬鹿げた戦争を終わらせよう。それが兄さんにできる、最良のことだよ」


 さっきまで言い争っていた相手に諭され、力が抜けたように、カルロが項垂れる。その口元には、小さな笑みが浮かんでいるように見えた。


 人が人として生きる限り、争いは避けられないのかもしれない。しかしきっと、諦めさえしなければ未来は変えられるのだ。


 ボタンを掛け違えたのなら直せばいい。道を間違えたのなら戻ればいい。それを止める権利は誰にもない。


 未来は、無限に広がっている。サミュエルは今、ようやく過去を越えたのだ。

フランチェスカを背負ったサミュエルは、脈々と受け継がれた歴代公爵たちの想いを、同時に受け取ったことになります。

カルロの目には、殺したはずのエンリコの姿がありありと見えたことでしょう。

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