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32話

「どうした、公爵? 急に静かになったな。お前もだ、サミュエル。今にも私を殺したいという目をしているが、この剣を奪おうとでも企んでいるのか?」


 カルロの言葉に、周囲の貴族たちが一歩後ずさる。否定したところで、服を脱いでみろと言われるだけだ。


 エミリアもサミュエルも咄嗟に言葉が出ず、上手く切り返すことができない。それが信憑性を増す結果になってしまい、せっかくこちらに傾いていた空気が元に戻ってしまった。


「私とロドリゴが王都を離れていた間、ソフィアがドレスを購入していたと耳にしてな。アヴァンティーノ邸には高級ドレスを身にまとうような若い女はいない。侍女になりすますためだけに、何着も揃える必要はないだろう?」


 思わず舌打ちが漏れる。


 ――侍女が俺だったから気づいたわけか。


 周囲の人間から舐めるように体を見られ、エミリアが顔を伏せる。必死で保っていた貴公子の仮面が剥がれ落ちたその顔はひどく青ざめ、今にも崩れ落ちそうであった。


 ――そんな目で、エミリアを見るな。


 サミュエルの頭に、かあっと血が上る。


「下卑た目で彼女を見るのはやめろ。男のふりをする事が罪だと、どの法律に書いてある?」

「女であることは認めるんだな。さすがに衆人環視の中で服は脱がせたくないか」


 カルロが嘲笑うようにふっと息を吐く。


「確かに男装は罪ではない。だが、身分を詐称することは罪になる。何処の馬の骨に公爵を名乗らせた? それとも、女で生まれたのに男として申請したのか? 出生証明書の偽造は重犯罪だぞ」

「偽造などしていない! エミリオは確かにこの世に生を受けた。彼女の名はエミリア。エミリオの双子の妹だ!」


 怒号を通り越し、もはや獣の雄叫びに近かった。自分でもこんな声が出せるとは思わなかった。サミュエルの迫力に、周囲の貴族たちは咳払い一つできない様子だ。


 そんな中、カルロだけが面白い芝居でも見ているかのように目を開き、おかしそうに肩を揺すった。


「双子? 双子か! エンリコは大した隠し球を持っていたわけだ! 呪われた忌み子を匿い、世間を欺くとは!」

「何が呪われた双子だ! 親にとっては大切な我が子だ! 生きていて欲しいと望むことの何が悪い? ただの迷信にどれだけの悲劇を繰り返すんだ!」


 広間の数カ所からハッと息を飲む音が聞こえてきた。双子が生まれた家系は、また双子が生まれる確率が高いとエミリアが言っていた。血筋に縛られた貴族たちの中にも、エンリコと同じ思いをしたものが必ずいるはずだった。


 いや、ランベルト王国にいるものなら、誰もが感じたことのある後ろめたさだった。今まで見て見ぬ振りをしていた闇を表に引き摺り出されて、貴族たちはみんな狼狽えていた。


 沈痛な空気の中、隣にいたエミリアが一歩前に進み出た。その顔は相変わらず青ざめていたが、目には力が戻っていた。


 まっすぐに背筋を伸ばしてカルロを見つめるその姿は、エミリオではなく、エミリアとしての矜持に満ちていた。


「確かに、私はエミリオの名を騙りました。ですが、他に手段がなかったのです。エミリオは王都までこられる体ではありません。父も母も、もうこの世にはいない。フランチェスカを守るには、こうするしかなかった。この身は女ですが、気持ちはエミリオと同じです」

「同じ気持ちだと? 女の身で過ぎたことを言う。継承権のないお前に出番はない。さっきと同じように、サミュエルの後ろに隠れているのがお似合いだ」

「過ぎた身?」


 エミリアの雰囲気が一変した。眉が吊り上がり、瞳の奥には火花のような光が激しく瞬いている。声だっていつもより低い。横にいるだけで、すうっと背筋が冷えていく感覚がする。


「継承権のない女には領地を思う資格すらないと? 同じ地面に立ち、同じ景色を眺めているのに、なぜ排除されなければいけないんだ? 親が子を、子が親を想うように、私はフランチェスカを愛している! この気持ちは誰にも奪わせはしない!」


 それは、ずっとエミリアが心に押し込めていた本音に違いなかった。継承権さえあれば、男であればと何度も願ったはずだ。ロレンツォたちやジュリオたちに真実を打ち明けるときも、彼女は失望されることを恐れていた。


 背後で、ぱたぱたと扇子が床に落ちる音が続いた。広間に入ったときは揃って含み笑いを隠していた女たちが、雷に打たれたような顔をしてエミリアを見つめていた。


「だからなんだと言うんだ? フランチェスカが悪役であることには変わらない。お前が女である以上、自治の返還も白紙に戻る。この国に混乱をもたらした罪は償ってもらうぞ。与したアヴァンティーノともども反逆罪で裁いてやる」

「ふざけるな! 全ての糸を引いていたのはお前だろう! 父上を脅し、偽装した騎士団に南部を襲わせ、フランチェスカに汚名を着せたくせに!」

「まだそんな作り話をするつもりか? お前の言うことに何一つ証拠はない!」


 カルロが声を上げて笑ったそのとき、サミュエルの耳に細く高く響き渡る鏑矢の音が届いた。


 作戦成功の合図だ。もうこれ以上、時間稼ぎは必要ない。


「さあ、それはどうだろうな?」


 ニヤッと笑うサミュエルを見たカルロの顔色が一瞬で変わる。ようやくこちらの本当の目的に気づいたのだろう。


「衛兵! エミリアとサミュエルを拘束しろ!」


 その声で金縛りから解けたように、ハッと剣を握り直した騎士たちが、一斉に動き出した。


 ――ここで捕まってたまるか!


 スカートを捲り上げ、太ももに下げていた短剣を抜き取り、待ち受けるように腰を落とす。


 サミュエルの実力を痛いほど知っている近衛騎士たちだ。一瞬怯む様子を見せたが、最高権力者の命には逆らえず、そのまま突っ込んでくる。


「やめなさい!」


 騎士たちの手が届くやいなやというところで、近くにいた女性たちがスカートの裾を翻してサミュエルたちの間に立ちはだかった。


 みんながみんな、金切り声をあげて騎士たちを罵倒している。そのうち、怯む騎士の髪を掴んで揺さぶる猛者まで現れて、現場は一気に騒然となった。


「お逃げなさい、あなたたち! 早く!」


 サミュエルたちを守るように両手を広げ、騎士の進行を阻んでいた女性が、こちらを振り返って叫んだ。


 エミリアに質問を投げかけ、ベアトリーチェへの想いを聞き、目を潤ませていた伯爵夫人である。騙られたと知っても、彼女の目にはエミリアに対する慈しみがあった。


「妻に何をするんだ!」

「妹から手を放せ!」


 目の前の家族の危機にいきりたった男たちも参戦し始めた。広間の中に怒号が轟き、あたりに物が飛び交い始める。


 その隙にサミュエルはエミリアの手を取って輪から抜け出し、テーブルに載っていた酒瓶を手に取ると、一気に窓際に近づき、全力で投げつけた。


 パリン、と小気味いい音がして、ガラスにヒビが入る。それを見たエミリアが魔法で割れたガラスを吹き飛ばして、二人は中庭に飛び出した。


 直後、王城を揺るがす轟音が至る所で響き渡り、白と黒が入り混じった煙が幾筋も空に向かって立ち昇った。


 アヴァンティーノの反逆の狼煙が上がったのだ。建国以来、王城が襲撃されるのは初めてのことだろう。


「サミュエル、これは……」


 呆然とした顔のエミリアがサミュエルに目を向けたとき、近くの城壁が吹き飛んだ。あまりの轟音に耳が痛い。あっという間にあたりはもうもうとした土煙に包まれ、視界がゼロになる。


「シルヴィオ! どこだ!」

「坊っちゃん! こっちです!」


 声を頼りに、なんとか土煙の向こうへ駆け出す。崩れた城壁の傍で、王城の使用人に扮したシルヴィオが怯える馬たちを宥めていた。


 連れた二頭の馬のうち、一頭はフラン。もう一頭はアヴァンティーノでも選りすぐりの軍馬だ。


「すまん、エミリアが女だとバレた」

「仕方ありません。無事に脱出できただけで御の字です」


 ドレスとハイヒールを脱ぎ捨て、手渡された服とブーツに手早く着替える。時間がないことは百も承知だが、このまま飛び出すとあまりにも目立ちすぎる。


「上手くいったんだな」

「当然です。俺たちはアヴァンティーノですよ。ソフィア様たちもすでに脱出済みです。狼煙が上がったのを確認しました」

「まさか玄関ホールの飾り棚の後ろに隠し扉があると思わなかったよ」


 フランチェスカ城の執務室と同じく、アヴァンティーノ邸の隠し扉の先にも地下に続く階段があり、水路を通って城壁の外まで抜けられるようになっていた。今頃は当面の潜伏先に向かっているだろう。


「後は打ち合わせ通りに。二人はこの崩れた城壁を越えてまっすぐ東へ進んでください。日暮れまでにはロマーニャの森に辿り着けるはずです」

「ロマーニャの森? なんで……いや、この事態はいったい……」

「詳しい説明は後で坊っちゃんから聞いてください。坊っちゃん、これ、ロドリゴ様から」


 戸惑うエミリアをフランに乗せ、旅の荷物を積んだもう一頭の馬に跨ったサミュエルに、シルヴィオが封筒を差し出した。


 今後の指示が書き連ねてあるためか、少し分厚い。裏には、ロドリゴの癖のある字で『馬鹿息子へ』と書かれていた。


「ここまで騒げばカルロもしばらくは兵を動かせないでしょうが、念のため、秋祭りまでにはフランチェスカに戻ってください。未来よりも早く攻めてくるでしょうからね」


 シルヴィオの言葉に頷いたそのとき、広間から騎士たちが駆けてくる音がした。それに素早く反応し、サミュエルたちに背を向けたシルヴィオが腰の剣を抜く。 


「さあ、ここは任せて早く行ってください。エミリア様、坊っちゃんを頼みましたよ」


 逆だろ、と言いかけてふっと笑みを漏らす。きっと彼なりの励ましなのだ。ここはあえて受け取ろう。


「エミリア、行きましょう。急がないと森に着くのが夜になる」

「え、で、でも……」

「大丈夫、彼はアヴァンティーノですから。――またな、シルヴィオ!」


 狼狽えるエミリアをうながし、サミュエルは馬の腹に蹴りを入れた。アヴァンティーノで鍛え上げられた軍馬と、トマスが愛情を込めて育て上げたフランだ。たとえ騎士たちが追いかけてこようとも、振り切れるはずだ。


 サミュエルの声に応えて、肩越しに手を振るシルヴィオの背中はとても頼もしかった。

シルヴィオたちが使った爆薬ですが、王国内ではまだそれほど出回っていない物です。

盗賊団時代の裏ルートを使って手に入れました。

三日で準備するのは大変だったと思いますが、アヴァンティーノの面々はみんなタフなので大丈夫です。

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