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26話

【登場人物まとめ】

ソフィア(NEW)

サミュエルの養母。息子が一回り大きくなって帰ってきてくれて嬉しい。

 初代国王アウグストの名をとって建設された王都アウグスタは、その名に相応しい壮麗さをもってサミュエルたちを出迎えた。


 城門を潜ってまず視界に入るのは、小さな村一つ分ぐらいありそうなほど大きく開けた公共広場だ。豪奢な彫刻で飾り立てられた凱旋門は訪れるものの感嘆を誘い、周りには絶えず人だかりができている。


 都庁舎や裁判所などの公的施設は全て白い大理石で統一され、その流麗な装飾が夏の日差しを浴びて輝いていた。


 広場を抜けた先に伸びるアウグスタ通りは、王都の物流を一身に担う、ランベルト王国一の大通りである。不慮の事故を防ぐために歩道と車道に分かれており、それぞれがとても広い。


 ノリクと同じく、ところどころ地震で損傷した形跡は見受けられたが、王都が誇る人材と物資を惜しみなく投入したのか、こちらは一通りの修復は終わっているようだった。


 永遠に続いていると錯覚するほどまっすぐに伸びた道の向こうでは、鋭い尖塔をいくつも携えた王城がその威容を示していた。


 ――あの中にカルロがいる。


 城を眺めるサミュエルの目つきも自然と剣呑なものになる。


「大きさは段違いだけど、街のつくりはフランチェスカに似てるんだな」

「歴史ある街は大体そうですね。建国時の流行だったみたいですよ」


 人混みをかき分けながら、サミュエルたちは目的地であるアヴァンティーノ邸へ向かって歩を進めていた。


 顔がわからないようにフードを被り、フランの手綱を引くサミュエルの腰には、ノリクを軽く凌駕する人の多さに怯んだエミリアがしがみついている。


「……大丈夫か?」

「何がですか」

「その……眠れなかったんだろ、昨日」


 おずおずと様子を伺うエミリアの言葉に渋面を浮かべる。彼女の言う通り、昨晩は一睡もできなかった。


 ――というか、眠れるわけがないよな。


 サミュエルの目の下にはくっきりと色濃いクマが浮き出て、顔色はまるで死人のようだった。おかげで、ノリクの宿屋の店主には満面の笑顔を向けられてしまった。


 自分の不甲斐なさと、無邪気に煽ってくるエミリアへの苛立ち、そして我慢を強いてくるミゲルたちの呪いの言葉に、サミュエルは最高調に機嫌が悪かった。


「……王都から出たら覚悟しておいてくださいよ」


 エミリアの肩がびくっと面白いぐらいに跳ねた。


 ――昨日あれだけ誘惑しておいてなんなんだよ。


 心の中で舌打ちをしつつ黙々と歩いていると、やがて見慣れた風景が目に飛び込んできた。


 重厚な黒い門扉の向こうに聳え立つのは、呆れるほど大きくて、広くて、馬鹿馬鹿しいほどに厳つい様相の住み慣れた我が家だ。ほんの三ヶ月離れていただけなのに、無性に懐かしい気分になる。


「着きましたよ。あれがアヴァンティーノの屋敷です」


 気まずそうに、しかしぴったりとくっついているエミリアの肩を叩いて声をかけると、彼女は屋敷の壮大さに目を丸くした。


「これが……? フ、フランチェスカ城と変わらないように見えるんだが……」

「まさか。そこまで広くありませんよ。さあ、来てください。とりあえず中に入りましょう」


 さっきまでの苛立ちも忘れ、少し浮ついた気持ちで屋敷に近づく。門の前にいるのはアヴァンティーノ傭兵団の若手、ロッティだ。傭兵団の制服に身を包み、赤茶けた髪をビシッと後ろに撫でつけている。どうやら今日の門番担当らしい。


 ロッティは近づいてくる不審人物にいち早く気づき、剣の柄に手をかけて臨戦体制をとった。若手といえど、しっかりと教育が行き届いている。サミュエルはフランの手綱をエミリアに渡し、一足飛びに彼の懐に飛び込んだ。


 剣を引き抜こうとした手を押さえ、汗が浮いた額に己の額をつける。フードの裾からのぞく紫色の瞳を見て、ロッティはサミュエルに気づいたようだった。


「ぼっ……」

「馬鹿!」


 叫ぼうとしたロッティの口を塞ぐ。近所の連中にサミュエルが戻ってきたと気づかれては困るのだ。


「大きな声を出すな! この風体を見てわかれ。使用人口からでいいから、中に入れてくれ。親父に話さなきゃならないことがあるんだ」


 こくこくと頷いたロッティが、重厚な門扉の脇に取り付けられた木造りの扉を開けた。手招きしてエミリアとフランを先に通し、サミュエルも後に続く。


「坊っちゃん……よくお戻りで」


 扉を閉めざま、ロッティが涙ぐんでいるのが聞こえたが、気づかないふりをした。黙って家出した挙句にシルヴィオを追い返した手前、いささか気恥ずかしい。


 とりあえずフランは玄関脇に繋ぎ、ずっしりと重みのあるノッカーを叩く。すぐに中から何者かが駆け寄る気配がして、きいっと扉が開いた。


「どちら様で……」

「俺だ、エルンスト。久しぶりだな」


 フードを上げて答えると、エルンストは目を大きく見開いた。しかし、ロッティのように声を上げたりはしない。ミゲルと同じく、よくできた家令だ。


 エルンストは背後にいるエミリアにさっと視線を走らせると、玄関から体を引き、二人を中に招き入れた。


 アヴァンティーノ邸の玄関ホールは吹き抜けになっており、とても開放感がある。真正面の壁面には飾り棚が置かれ、歴代の国王から授かった勲章がこれでもかというほど陳列されていた。


 その棚を起点として、左右にそれぞれ半円を描くように、数多くの扉が並んでいる。


 当然のことながら、屋敷の中は出て行ったときのままだった。深い藍色をしたタイル貼りの床も、二階に上る階段に敷かれた渋い緋色の絨毯も、踊り場に飾られたご先祖様の雄々しい肖像画も、何もかも記憶通りだ。


「すごい……何、これ。城?」

「だから違いますって」

「お前、こんなところで育ってたんだな……」


 エミリアに突っ込みつつ、感慨深く周りを見渡していると、数ある扉のうちの一つが開いた。


「エルンストさん? 来客ですか? ……って、あれ?」

「坊っちゃん?」

「坊っちゃんだ!」


 ちょうど昼食どきだったらしい。玄関ホールを抜けて食堂に向かおうとしていた使用人や傭兵たちが、サミュエルに気づいてわっと近寄ってきた。


 みんな遠慮もへったくれもない。身構える間もなく、もみくちゃにされる。出掛けているのか、その中にシルヴィオの姿はなかった。


 エミリアを巻き込まないように体を張って耐えていると、ニヤニヤ笑いを浮かべた体格のいい男がゆっくりと近寄ってきた。テオの養父で、元盗賊団の頭、そして現傭兵団長のラルゴだ。


「もう家出は終わりですかい、坊っちゃん。テオはどうしました? ひょっとして、くたばりましたか」

「いや、あいつはまだフランチェスカにいる。勝手をしてすまない」

「わけありってことですね。まあ、生きてんならいいです。それより、そのお嬢さんはどちら様ですか」


 ラルゴの言葉に、その場にいた全員の視線が一斉にエミリアに向いた。


「彼女は……」

「サミュエル!」


 開け放した扉の向こうから鋭い声が飛んできた。少し甲高い、しかしそれでいて深い優しさと温かみのある声。


 間違いない。家を出てから一度たりとも忘れたことはない。


「母さん……」


 思わず涙腺が緩む。出て行ったときより少し痩せたかもしれない。走って駆けつけたのだろう。いつも綺麗に整えられている髪は乱れていた。


 ソフィアは目尻に涙を浮かべ、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。


 ――やっぱり、怒ってるよな。


 しかし、それでも構わない。再会できた喜びで、サミュエルの胸はいっぱいになった。


「この馬鹿息子! 親不孝にもほどがあるわよ!」


 サミュエルが近寄るよりも先に、駆け寄ってきたソフィアに抱きしめられた。痛いほど力を込められ、息ができない。


 肩口で震える頭を見下ろし、漏れ出る嗚咽を耳にしたとき、サミュエルは自分がいかに彼女に心配をかけてきたかということを、ようやく気づかされた。


 胸に湧き上がる衝動のままソフィアを抱きしめ、ぎゅっと力を込める。記憶の中にある姿よりも幾分か小さくなってしまったが、その体温は変わらず温かかった。


「ごめん、心配をかけて。無事に戻ってきたよ。会いたかった……母さん」


 ロドリゴとも、ソフィアとも似ていない瞳から涙がこぼれ落ちる。しかし、その胸に宿る愛情は、確かに息子としてのものだった。


「坊っちゃん……大人になって……」


 感極まったエルンストの声がサミュエルを現実に戻らせた。ハッと周囲を見渡すと、そこかしこで使用人や傭兵たちの潤んだ視線にかち合う。挙句に、隣のエミリアからは絶えず啜り泣きの声が聞こえてくる。


 好きな人に恥ずかしいところをひとしきり見られていたという事実に、サミュエルは顔をかあっと赤らめた。


「母さん、あの、みんな見てるから……」

「今さら照れんなよ坊っちゃん。ちょっと見ねぇうちに素直になりやがって」


 バシンっと背中を叩かれ、息がつまる。さすがテオの養父だ。従者と同じく容赦がない。


「で? 話を戻しますけどよ。そのお嬢さんは結局誰なんです?」

「それは私も気になっていたの。サミュエルが連れてきたのよね。どちら様かしら。お揃いの指輪も嵌めてるし、もしかして……」


 くすん、と鼻を啜り上げたソフィアが、サミュエルから体を離してエミリアに視線を向けた。泣きじゃくっていた割に、しっかりと観察していたようだ。


 嫁を連れてきたと思っているのか、その瞳は期待に輝いている。今のところ、そうだとも言えないし、違うとも言いたくない。


 ――どう説明しよう。


 迷っていると、ソフィアと同じく鼻を啜り上げたエミリアが、一歩前に出て腰を落とした。その仕草に、ソフィアの顔がハッと強張る。


「あなた、あなたまさか……」

「初めてお目にかかります。エミリア・デッラ・フランチェスカと申します。エンリコの息子、エミリオの双子の妹です。ロドリゴ卿には素晴らしい名前をお授けいただいたご恩がありながら、ご挨拶が遅れましたこと誠に申し訳ありません」


 見事なカーテシーを見せるエミリアは、まさに公爵令嬢の名に相応しい姿だった。


 予想外の人物の登場にソフィアの目が丸くなり、周りが騒然となる。エルンストも困惑顔だ。ラルゴだけは冷静さを保っていたが、面倒な案件を持ち込んできたと思っていることは明らかだった。


「双子?」

「フランチェスカって……坊っちゃんの仇の?」

「暗殺しに行ったんじゃなかったっけ?」

「南部を荒らしまわってんだろ? 何しに来たんだ?」


 ざわめく周囲の声にエミリアが俯いた。スカートの裾を握る手が小さく震えている。使用人たちはサミュエルの苦しみを知っているだけに、フランチェスカに対するあたりが強い。


「お黙りなさい!」


 サミュエルが声を上げるよりも前に、眉を吊り上げたソフィアが周囲を一喝した。


「アヴァンティーノともあろうものが、人を軽々しく判断するんじゃありません! この子はサミュエルが連れてきた大切なお客様です。傷つけるような真似は私が許しませんよ!」


 久しぶりに落ちたソフィアの雷に、エミリアとラルゴ、そしてエルンストを除く全員が体をびくつかせた。もちろんサミュエルもだ。


 しん、とあたりに沈黙が降りる。ソフィアはしばし鼻息荒く周囲を睨め付けていたが、もう誰も余計な口を挟まないことがわかると、エミリアに歩み寄り、その両手をぎゅっと握りしめた。


「ベアトリーチェは双子を産んでいたのね……」


 在りし日の姿が蘇ったのか、琥珀色の瞳が大きく揺らいだ。


「よく来てくれたわね。会えて嬉しいわ」

「わ、私……」

「いいのよ、何も言わなくて。エンリコ様とベアトリーチェは私たちの親友だったの。その娘のあなたを追い返したりなんてしない。それに、馬鹿息子が初めて家に連れてきた女の子だもの。悪い子のはずがないわ」


 エミリアの両目から涙がこぼれ落ちる。ずっと張りつめていた緊張が解けたのだろう。


「辛かったわね。よく頑張ったわ」


 ひっ、ひっ、としゃくりあげる背中を優しく撫でながら、ソフィアは子供の頃のサミュエルを宥めたときと同じ口調で繰り返し囁いた。


「あの、ソフィア様……」


 泣くエミリアを見てバツが悪くなったのだろう。もじもじする使用人や傭兵たちに、ソフィアがじろっと視線を向けた。


「ほら、あなたたち。さっさとご飯食べてきてちょうだい。私はこの子たちと話があるから」

「さあ、みなさん。行った行った。お客様に失礼ですよ」


 手を鳴らしたエルンストにうながされ、使用人や傭兵たちが口々にエミリアに謝罪しながら食堂に消えていく。それを見送り、ソフィアは小さくため息をつくと、涙で濡れたエミリアの頬を両手で拭った。


「ごめんなさいね。悪い子たちじゃないのよ。ちょっと……事情があって」

「母さん、隠さなくてもいい。エミリアは全部知ってる」


 言い淀むソフィアを制止し、サミュエルはエミリアの両手を握った。失われた体温を取り戻すように、ぎゅっと力を込める。さすがに母親の前で体を抱きしめる勇気はない。


「ごめんなさい、俺のせいです。俺がずっとエンリコ様を憎んでいたから」

「ううん、いいんだ。私の方こそ、気を遣わせてしまってすまない」


 二人のやりとりを聞いていたソフィアが、あらまあという顔をした。


「あなたたち、随分通じ合ってるのね。サミュエルがそんなことまで話したの。へぇ……」

「ソフィア様、来賓室にお通ししてはいかがですか。フランチェスカから来られたのなら、長旅でお疲れでしょう」

「あら、そうね。いやね、私ったら気が利かなくて。ラルゴ、厨房に行ってお茶の用意をしてきてくれる?」


 ソフィアに上目遣いで頼まれたら誰も断れない。ラルゴは「はいよ」と気の抜けた返事をして使用人たちが消えていった扉を潜っていった。


 それを見届けたエルンストが、エミリアに微笑みかけ、「こちらへどうぞ」とうながす。


 戸惑うエミリアの背を押しながら、先導するエルンストに続く。今まで見たことのない息子の紳士っぷりに、横を歩くソフィアは満足そうだ。


「あ、そういえば親父は? 大事な話があるんだけど」

「ロドリゴなら陛下のお供で領地の視察にまわっているわよ。地震の復興具合を確認するんだって言ってたわ。多分……あと一週間ぐらいは帰ってこないんじゃないかしら」

「えっ、そんなに?」


 思わず立ち止まり、隣のエミリアを見る。彼女は動揺した様子ひとつ見せず、狼狽えるサミュエルの背に手を当てた。


「サミュエル、大丈夫だ。まだ時間はある。王都に留まってロドリゴ卿の帰りを待とう」

「よくわからないけど……その間はここにいるといいわ。私もエミリアちゃんとゆっくり話したいし。ねぇ、エルンスト」

「左様でございますね。早速お部屋をご用意させていただきます」

「え、で、でも、そこまでお世話になるわけには」


 今度はエミリアが慌てた。宿にでも泊まろうと思っていたのだろう。


 ソフィアは腰に手を当てると、聞き分けのない子供を嗜めるように、エミリアを説得しにかかった。


「何言ってるの。そんな水臭いことを言わないでちょうだい。あなたは大切なお客様だって言ったでしょう。それに、ねぇ?」


 含みのある視線を向けられて、サミュエルはそっと視線を逸らした。間違いなく将来の嫁にロックオンされている。これから一週間もこの視線に晒されるかと思うと、サミュエルは胃が痛くなるような心地だった。


「じゃあ……ご好意に甘えて、お世話になります。これからよろしくお願いします」

「エミリア、もし他がいいなら……」

「ううん、ここにいたい。滞在させて貰えるなんて、本当に有難いよ。それに、ずっとお会いしたかったんだ。お前の……お母さまに」


 照れくさそうに微笑むエミリアに胸を撃ち抜かれるような感覚がした。


 ――許されるなら今すぐにでも抱きしめたい!


 ソフィアはそんな二人をにこにこと眺めていたが、良いことを思いついたようにパンと両手を叩き、満面の笑顔を浮かべてエミリアに近寄った。


「そうだ、エミリアちゃん。ミートパイってお好き?」

王都到着です。

大通りの車道=馬車が通る道ですね。

イメージは古代ローマです。飛び石の横断歩道もあります。

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