23話
【登場人物まとめ】
ジュリオ
フランチェスカ市の市長。冷静沈着。領主が女だろうと関係ない。
アントニオ
フランチェスカ市の農民頭。小麦ラブ。領主が女だろうと関係ない。
「愚問ですな」
バッサリと音が聞こえそうなほどに、ジュリオは一言で切り捨てた。その隣で、腕を組んだアントニオも神妙な顔で頷いている。
市庁舎の応接室で、アントニオと秋の種まきの相談をしていたジュリオを捕まえたのが半刻ほど前の話だ。彼はエミリアの話を黙って最後まで聞いていたが、終わった途端に先ほどのセリフを開口一番に口にした。
どこまでも冷静さを保っているジュリオの目の前では、エミリアがぽかんと口を開けて立っている。彼女の後ろには、マッテオ、ルキウス、テオ、そしてサミュエルが似たような顔をして控えていた。
「朝っぱらからゾロゾロとやって来て何かと思えば……戦争を回避できるならそれに越したことはない。あなたの命を犠牲にしてまで、生き延びたいと言うと思いますか? 籠城戦に挑むと決めたのも、あなたを見捨てて逃げたくなかったからだ。あなたを差し出すぐらいなら、我々は最後の一人になるまで戦います」
「そ、それは……それは駄目だっ。お前たちにそんなことはさせられない!」
ジュリオの言葉に、ハッと我に返ったエミリアが必死に首を横に振る。
「なぜです? 四百年続いた絆がそう簡単に切れるとでも? 我々は運命共同体なのですよ。今さら切り捨てないでいただきたい」
「切り捨てるわけじゃ……! ア、アントニオ。お前はどう思う? 何とか言ってくれ」
「いやぁ、俺、難しいことわかんねぇですけど、これだけは言えまさぁ」
そこで言葉を切り、アントニオはにかっと笑った。それは未来の城壁の上で見せた笑顔と、全く同じものだった。
「エミリア様と俺たちが揃って、はじめてフランチェスカになるんです。片方が欠けたら、それは俺たちのフランチェスカじゃねぇですよ」
「そう言うことです。いくら土地を守っても、そこにあなたがいなければ意味がない」
ジュリオの真っ直ぐな瞳に、エミリアは言葉を飲み込んだ。彼は今やこの場にいる全員を凌駕するほどの、有無を言わせない雰囲気を放っていた。
「ロドリゴ卿に協力を要請すると仰いましたね?」
「そ、そうだ。ロドリゴ卿が後ろ盾になってくれたら、貴族たちを反戦派に傾かせられるかもしれない」
「でしたら、できるだけ多くの貴族を集め、その前でフランチェスカを返還すると言ってください。今度は条件をつけずに。そうすれば反戦派が主張しやすくなる」
「え……」
「南部が不満を漏らしているのは事実だ。ロドリゴ卿とて貴族の懐柔には手を焼くはずです。秋に攻めてくるのならば、もう時間がない」
「で、でも、そんなことしたら、みんな今まで通りには……」
エミリアがうめいた。彼女は今にも崩れ落ちそうなほど狼狽えていた。まるで助けを求める子供のように、ジュリオのチュニックをきゅっと掴む。その手に己の手を重ね合わせ、ジュリオはエミリアの顔をのぞき込むように見下ろした。
彼女を見つめるその目は、父親のような慈愛に満ちた眼差しだった。
「大丈夫。彼らとて王国の食糧庫を支える我々を手放したくはないはずだ。戦争を起こす気がないとわかれば、見せしめとして財産や土地は奪われても、命までは取られないでしょう。当然、何の罪も犯していないあなたを、裁くこともできない。いくらカルロや南部が主張しても、ロドリゴ卿や他の貴族たちが諌めるはずです」
「わ、私……私はフランチェスカを守りたくて……」
「たとえ全てを失ったとて、我々が我々であることには変わりない。あなただって、そうでしょう?」
「そうそう! ご領主様じゃなくなったって、農民として生きていきゃあいいんです。なんなら息子の嫁に来てくださってもいいですよ!」
それは全力で阻止したい。エミリアの後ろで唸るサミュエルの頭をルキウスが叩き、マッテオとテオが呆れた目をよこした。
「もし、それが駄目なら籠城戦だ。受けて立ちましょう。戦力の増強が見込めるなら、より有利な条件を引き出しやすくなる。あなたの死も避けられるかもしれません。ですが、それでも駄目な場合は……」
ふっとジュリオが微笑んだ。いつも感情を表に出さない彼にしては珍しい。まるでフランチェスカの秋晴れを思わせるような、清々しい笑顔だった。
「みんなで揃って出て行きましょう。あなたの向かう先が次のフランチェスカだ。我々はどこへでもついていきます」
「ジュリオ……」
「本来なら、十年前にそうするべきだったのです。エンリコ様を止められなかったのは我々の弱さだ。そのせいで数えきれないほどの犠牲が出た。我々の面子にかけて、これ以上、あなたまで失うわけにはいかないのですよ」
「守られているばかりじゃ、フランチェスカっ子の名が廃るってもんです。俺たちの覚悟を王都のやつらに見せつけてやりましょう!」
アントニオが笑う。その笑みに不安や迷いは欠片もなかった。
エミリアの両目から涙が溢れ出す。今日一日で随分と彼女の涙腺は緩んだようだ。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
「お礼を言うのはこちらの方です。今までよく耐えてこられた。こんな小さな体で……まだご家族を失った悲しみも癒えていないでしょうに」
優しく背中を撫でるジュリオに、エミリアはぶんぶんと首を横に振った。彼女にとって、フランチェスカを守るための苦労など、苦労のうちに入らないのだろう。
そんな感動的な場面の中、隣に立っていたテオがすすっと前に出て「あのー」と声を上げた。この状況で何を言うつもりなのか。咄嗟に止めようとして手を伸ばしたが間に合わなかった。
「お取り込み中に申し訳ないんですけど、カルロにエミリア様の正体は明かすんですか?」
――こいつ、飽きたんだな。
安定のテオだ。それを見て頃合いだと思ったのか、マッテオも言葉を続けた。
「いや、やめておいた方がいい。交渉するにしても、男のふりをしていた方が有利だ。女には継承権がない。そこを突かれて、せっかくの機会を失う真似は避けたいからな。まあ、やりようがないわけではないが……」
意味ありげに視線を向けられて、サミュエルの肩がびくりと跳ねた。何が言いたいのかわからず、ただ見つめていると、それを受けたジュリオが渋面を浮かべた。
「マッテオ様、それは最終手段にしておきましょう。胸が悪くなりそうです。久方ぶりに私の右手が唸るかもしれません」
「まあ、そうだな。やめておこう」
ジュリオにまで不興を買った事実に慄きながら、サミュエルはエミリアをちらりと見た。彼女はジュリオの腕の中で、涙目をこすりながら笑みを漏らしていた。
「では、他の街や村も含め、領民たちへの通達は私が。万が一のときの受け入れ先も選定します。籠城戦を覚悟で残っているものたちです。今さら異議もありますまい。逆に奮い立つでしょう」
「俺は職人頭と商会長と相談して、所定の通り籠城戦の準備を進めまさぁ。まあ、バレないようにこっそりとやんなきゃですけどね。騎士さんたちとも連携も取りたいんだけど……」
その言葉に、ルキウスがすっと前に出た。これを予想してついてきたのかもしれない。
「団長が不在の間は俺が指揮を取る。これからは、より連絡を密にして、領民と騎士の垣根は取っ払うぞ。文字通り、フランチェスカの総力戦だ」
「わかりやした。エミリア様は王都に行っちまうんですよね? その他の細々したことは誰に話せばいいです?」
「それは私が窓口になろう。そろそろ城代の務めも果たさねばな。気になることがあったら、躊躇せず何でも言ってくれ」
「マッテオ様がいらっしゃるなら心強いや。よろしく頼んまさぁ!」
目の前でどんどんと話が進んでいく。ホッと胸を撫で下ろすサミュエルの元に、エミリアがそっと近寄ってきた。その頬は上気し、目はキラキラと期待に輝いている。そんな表情を見るのは久方ぶりで、サミュエルは思わず泣きそうになった。
「みんなに話してみて正解だったでしょう?」
「うん……何だか夢を見ているみたいだ。私は本当に生きていていいんだな」
「当たり前じゃないですか。何を言っているんです」
現実だとわからせるために頬をつねると、エミリアは可愛らしい悲鳴をあげて、「痛いよ」と笑った。その横でテオが薄ら笑いを浮かべているのは無視だ。
「ここに生まれてきて本当によかった。私は幸せものだ」
それは常に自分を押し殺してきたエミリアが初めて口にした、生を受けたことへの喜びだった。
「あどけない寝顔ですねぇ」
小さな体に布団をかけるサミュエルの隣で、エミリアの寝顔をのぞき込んでいたテオがしみじみと呟いた。それには同意だが、少々距離が近い。我ながら嫉妬深いとは思うが、他の男がエミリアに近づくのは少し抵抗があった。
「お前、ちょっと離れろよ。エミリアが起きちゃうだろ」
「あーやだやだ。執着心の強い男ってこれだから。伊達に十年も仇を恨んでませんもんね。そんなんじゃ、いつかエミリア様に嫌われますよ」
「うるっさいなお前は。ぺらぺらぺらぺらと。その口、縫い付けてやろうか」
「ボタンもつけられないくせに何を偉そうに。そう言うことは針を使えるようになってから……あっ、ちょっと、苦しいですって!」
首根っこを掴んで部屋から引き摺り出す。これ以上付き合っていると身が保たない。それに、今はエミリアを起こしたくなかった。
ジュリオたちとの話し合いを終えて城に戻り、祖父母への手紙を書き終えたエミリアは、夜を待たずに眠ってしまった。
一晩中サミュエルの看病をした後だ。疲れが出たのだろう。明日にはここを発って王都に赴く。その準備は、全てマリアンナたちが整えてくれた。
ジュリオたちが快諾することを予想していたらしく、手紙を託されたロレンツォは早々に発っていった。ケルティーナは遥か南洋の海上だ。今から出ても戻るのはギリギリになるかもしれない。
みんながやれることをやろうとしている。次はサミュエルたちが頑張る番だ。戦争を止める。その重責が二人の双肩にのしかかっていた。
「怖い顔。ひょっとして緊張してます? 大丈夫ですよ。ジュリオさんが言った通り、もし駄目だったとしても、みんなで逃げちゃえばいいんですから。それともアヴァンティーノを巻き込むことに抵抗があるんですか?」
「いや、俺は今度こそエミリアを守りたい。たとえ、親父たちに苦労をかけることになってもだ」
即座に言い返したサミュエルに、テオがふっと笑う。
「それならいいですけど。まあ、気楽にしててください。もしこれで立場が悪くなっちゃっても、フランチェスカに移住しちゃえばいいんです。あなたのためなら、ロドリゴ様たちは土地も地位も捨てますよ。未来の俺も、きっとそう言ったでしょ?」
上目遣いで見つめられ、黙って首根っこから手を放す。
テオはやっぱり、どこにいてもテオだ。いつだって揺るがない。それがときに羨ましいのだと、目の前の従者は知る由もないだろう。
「いつまでもくだらないことを言ってないで行くぞ。明日からお前も忙しくなるだろ」
「あ、待って待って。置いてかないでくださいよ、もう」
乱れた襟元を直しながら、テオが歩き出したサミュエルの隣に並ぶ。ずっと城壁の上にいたからか、こうして肩を並べて歩くのも久しぶりなような気がして、少し口元が緩んだ。
「ねぇ、サミュエル様」
「なんだよ。まだ何か言うことがあるのか」
「エミリア様を殺したの、俺ですよね?」
思わず足を止め、自分を見つめる煉瓦色の瞳を見つめ返した。テオはいつもと変わらぬ表情で、沙汰を待つように、ただ立ち尽くしている。
ミゲルたちを集めて話したときも、ジュリオたちに話したときも、エミリアを殺したのはテオだとは一切口にしていない。
エミリアとも口裏を合わせ、彼らにはエミリアの懇願を聞き入れたサミュエルが、泣く泣く手にかけたことにしていた。だから余計に当たりが強かったわけだが。
「なんでそう思う」
「いや、だって、やりそうなの俺しかいないでしょ。俺は直前まで笑い合っていた相手も殺せるような男ですよ。エミリア様だって躊躇せずに殺したはずです」
「あのなあ、俺が手にかけたって言っただろ。従者の癖に主人を疑うのか?」
「あなたには絶対に無理ですね。いくら懇願されても剣は振れません。そういう人だ」
テオにとって、サミュエルは相当腑抜けに見えるらしい。信頼が厚いのも考えものだ。一歩も引かない態度のテオにふうっとため息をつき、サミュエルはがりがりと頭を掻いた。
こうなったテオに誤魔化しは効かない。渋々「そうだよ」と言うしかなかった。
「だからって、何が問題だ? 俺と違って、お前はみんなに好かれてる。下手に恨みを買う必要はないだろ。それに、そもそも俺のためを思ってしたことじゃないか。従者の献身を無駄にする主人がどこにいるんだよ」
「腐るほどいますよ、そんなやつ。本当に世間知らずなんだから、あなたは」
言うだけ言って、テオはきゅっと唇を噛んだ。微かに震えているように見えるのは、気のせいなのだろうか。らしくなく殊勝な態度に言い返す気も削がれてしまう。
「無事に戻ってきてください。俺の目が届かないところで死んだりしたら、必ず探し出して、もう一度殺しますからね」
「相変わらず無茶苦茶なこと言うなあ、お前は」
ふはっと笑みが漏れる。まるで予期せぬ宝物を見つけたような気分だった。未来のエミリアが言った通り、サミュエルはいい従者を持ったのだ。
「安心しろよ。必ず五体満足で戻ってくるからさ」
未来でテオがしてくれたように、しょげた背中をバシンと叩く。
「痛っ! 何すんですかっ! 暴力反対ですよっ」
「まだ早いし、酒、飲みに行こうぜ。奢ってやるよ」
「え? 本当ですか? ありがとうございます!」
ころっと表情を変えてついてくるテオに笑みを噛み殺しながら、サミュエルは気持ちが軽くなったのを感じていた。
まだ確定していない未来を心配していても仕方がない。
悲劇はもう繰り返さない。それだけ胸に刻んでいれば十分だ。
「そうだ、ルキウスさんも誘ってください。同じ北部出身として、ちょっとお話ししてみたいんですよね」
「いいけど。あの人、泣き上戸だから覚悟しとけよ」
「え? いつの間にそんなに仲良くなったんですか?」
わいわいと楽しげな声が廊下に反響していく。窓からのぞく夕暮れは、いつもと変わらず美しかった。
ジュリオとアントニオは幼馴染で、ジュリオは若い頃ヤンチャしてました。
アントニオは昔から変わりません。
ジュリオは大勢の貴族たちの前で自治を返還すれば、カルロに握り潰されないと踏んだんですね。




