17話
一夜明け、ついに王国軍の総攻撃が開始された。夜襲の甲斐あって、投石機の数は半数以下にまで減っている。
だが、容赦なく降り注ぐ投石と火矢に騎士たちの顔は硬い。サミュエルたちにできることは、攻撃が止むまで耐えることだけだった。
「うわぁ、耳が痛い……。今日、寝れるかなぁ」
「この状態でよくそんな呑気なことを言ってられるな。お前の神経、本当にどうなってんだ」
「何言ってるか聞こえませんね。腹から声出してくださいよ、腹から」
隣で軽口を叩くテオにため息をつき、サミュエルは兜の面頬を上げた。籠城戦に挑むため、エミリアが必死で掻き集めた貴重な防具だ。剣や槍といった武器も含め、前線にいる騎士たちにはすべからく同じものが支給されている。
しかし、テオは弓を引くのに邪魔だと言って、兜はおろか鎖帷子も身に着けていなかった。その上、定期的に呑気な世間話をぶっ込んでくるので、こうして大人しく身を縮こまらせているのが馬鹿らしく思えてくる。
心の余裕ができると周囲を見る余裕も生まれてくる。サミュエルの右隣では、同じく鎖帷子に身を包み、城壁の胸壁に身を隠したエミリアが、際限なく続く振動にじっと耐えていた。
その顔はひどく青ざめ、ぎゅっと噛み締めた唇は震えている。
領主として必死に恐怖を表に出さないようにしているのだろう。轟音を立てる石球が頭の上を掠めても、目の前で騎士や領民たちが飛んできた矢に胸を貫かれても、彼女は悲鳴ひとつ上げなかった。
「エミリオ様、もう少しです。もう少し耐えれば、反撃のチャンスがきます」
耳元で囁くと、エミリアは黙って頷いた。たとえ周りに聞こえていなくとも、もうお嬢様とは呼べなかった。せめて恐怖だけでも軽減させようと、小さな双肩にそっと手を伸ばす。
そのとき、城壁を揺るがす振動が止んだ。ついに石が尽きたのだ。
「反撃準備! 手が空いたものは散開して城内の消火にあたれ! 弓兵隊はバリスタで援護しろ!」
エミリアの号令のもと、騎士と弓兵隊たちが飛び交う矢の合間を縫って所定の位置に散開していく。隣にいたテオも同様だ。猫型の肉食獣のような俊敏な動きで部下たちのもとに合流し、クロスボウに矢をつがえた。
同時に、南側の城壁からロレンツォの獣のような咆哮が響き渡った。
彼の手には職人たちが作った投槍器が握られている。そばにいる部下たちも同様だ。彼らの剛腕から繰り出された槍は、進軍しようと愚かにも近寄ってきた歩兵たちの胸を容赦なく貫いた。
敵はどうやらそちらに狙いを定めたらしい。さっきまで広範囲に撃ち込まれていた矢がロレンツォたちのいる方へ集中し始めた。
その隙に散らばっていた職人たちが一斉に投石機に取りつき、スリングに石球をセットする。必死の訓練の甲斐あって、その動きは思った以上に素早かった。
「よし、どんどん撃て! 遠慮はするな! 十分にお返ししてやれ!」
城壁内に設置された投石機を操る職人たちが、エミリアの声に合わせて石を打ち返す。畑の守り神に見守られた石球は、目標を的確に撃ち抜いた。
「一度壊してしまえば直すのに時間がかかる。木は手に入るだろうが、それ以外の材料の調達は難しい。南部を荒らしたツケが回ったな」
頭を出さないよう慎重に様子を伺っていたエミリアが皮肉めいた口調で言う。いくら国が復興を推し進めても、失われた物資はすぐに戻ってこない。技術者も流出してしまっている。
「エミリオ様! 歩兵が一斉に川に近づいています!」
近くにいた騎士の声を受けて眼下を見下ろすと、亀の甲羅のように盾を掲げた兵士たちが川に群がっていた。彼らを援護するため、撃ち込まれる矢の勢いがさらに強くなる。負けじと弓兵隊たちが撃ち返してはいるが焼け石に水だ。何せ物量が違う。
「一気に橋をかける気だな! バリスタ!」
エミリアの指示に従いバリスタから放たれた矢や火炎瓶が、作りかけの橋や兵士を射抜き、焼いていく。
しかし、川は横に長い。
いくら城壁がフランチェスカ市内を一周しているとはいえ、バリスタの数には限りがある。ただでさえ、王国軍の工兵技術は抜きん出ているのだ。抵抗むなしく、徐々に橋の形ができ上がっていく。
「駄目です! 数が多過ぎて仕留めきれません!」
弓兵隊員の悲痛な声に、周りの騎士たちから悔しそうな声があがり、舌打ちが響く。
「やるしかないのか……」
エミリアが呟いたとき、ぽつ、と頬に何かが落ちた。
「雨だ……」
誰かの呟きにつられて空を見上げる。そこには、黒い羊毛に似た雲が、敷きつめられた絨毯みたいに広がっていた。
降り始めた雨は次第に激しさを増し、ついに桶をひっくり返したような音を立て始めた。みんな呆気に取られた顔で立ちすくんでいる。幸いにもこの雨で火矢から燃え移った火は全て鎮火できそうだ。
ふと戦場の音が止んでいることに気づき、眼下に目を戻す。すると、激しい雨で橋の建設を中断した歩兵が陣地に退却を始めているところだった。
川の流れが早くなり、危険の方が大きくなったのだろう。この雨が降り続く限り、おそらく王国軍は攻めてこない。悪役を叩き潰すのに大きな被害は出せないからだ。
「助かった……」
近くでへたり込んだ騎士の涙交じりの声が、胸に響いた。
ひとまず雨が止むまでは現状維持という結論に達し、見張りに残した騎士たち以外は城内に引き揚げてきた。
とはいえ、ゆっくりと休んでいられるわけもなく、投石で破損した箇所の修理や傷病人の看護でみんな走り回っている。サミュエルもエミリアと一緒に領民たちの様子を見まわっていた。
場内は重苦しい雰囲気に満ちていた。
不安げな表情を浮かべた女たちが、泣きじゃくる赤子や子供をあやしている。その脇では大切な家族を失ったものたちが、力無く嗚咽を漏らしていた。
被害は軽微といえど、犠牲者が出なかったわけではない。立て続けに訪れる暴力が、死を悼む権利すら奪い取っていた。
城内をまわる間、エミリアはずっと苦しそうに唇を噛み締めていた。サミュエルもそんなエミリアに慰め一つ口に出せず、ただ肩を並べて、彼女と同じように現実をまっすぐに見据えることしかできなかった。
「エミリオ様、今のうちに食事を取ってくださいな」
食堂に差し掛かったとき、両手にパンの籠を抱えたマリアンナがエミリアに声をかけた。今から城内の領民たちに配給に行くという。
彼女はひどく疲れた表情をしていたが、目には光があった。その後ろでは、同じく両手にスープの鍋を抱えたテオが、相変わらず呑気な表情を浮かべてサミュエルたちを見つめていた。
テオにはまだロドリゴに遭遇したことは話していない。すでに察しているかもしれないが、どうしても口にできなかった。
ロドリゴは近衛騎士団長だ。カルロを守ることが任務なので、前線に出る可能性は低い。それでも、家族を撃ち抜くかもしれないという不安を与えたくはなかった。
「ニコも食べよう。事始めにはパンを食べよ、だ」
「もう始まってますけどね」
マリアンナたちを見送り、サミュエルたちは食堂の隅の席についた。その途端、疲れた顔をしているが俊敏な動きをした女中が、如才なく机にパンとスープを配膳していった。
マリアンナの教育が行き届いているのだろう。その姿を見ていると、有事なのに笑みが込み上げてきて、サミュエルはエミリアと顔を見合わせて少し笑った。
「スープ、美味いな」
「ええ」
「明日も飲めるかな」
「もちろん」
声は震えていたが、エミリアは泣かなかった。領主が泣けば士気が下がるとわかっているのだ。
彼女は立派にフランチェスカ公爵として役目を果たしていた。まだ十八歳の身で、彼女の両肩には恐ろしいほどの重圧がのしかかっている。それを見守ることしかできない自分が歯痒かった。
「ニコ! エミリオ様!」
食堂の入り口でサミュエルとエミリアの名を叫ぶコリンの声が聞こえた。
思わず立ち上がると、コリンは満面の笑顔を浮かべてこちらに走り寄ってきた。その後ろには彼の仲間たちもいる。みんな怪我もなく、元気も失っていないようだ。不安げな表情を浮かべてはいたが、マリアンナと同じく目には光があった。
「コリン! みんなも、無事だったか!」
「エルマは? エルマも無事か? 他の子供たちは?」
「院長先生も他のやつらも無事だよ。みんなで怪我をした人たちの面倒を見てる。マリアンナさんから二人がここにいるって聞いたんで、会いにきたんだ」
「そうか……」
エミリアは言葉をつまらせ、コリンをぎゅっと抱きしめた。サミュエルも弟子たちをひとまとめにして抱きしめる。彼らの体からは土と、汗と、確かに生きているものの匂いがした。
「痛いよ、先生」
「コリンずるいー」
サミュエルに抱きしめられた弟子たちが不平の声を漏らす。こんなときでも相変わらずの人気のなさに若干落ち込む。エミリアに抱きしめられたコリンは得意げに笑っていた。
「エミリオ様たちの姿も見れたし、俺たちもう行くよ。水とか包帯とか、いっぱい持っていかないといけないんだ」
「私も……」
ついて行こうとするエミリアを、コリンは首を横に振って押し留めた。
「エミリオ様は他にやることあるだろ。それと、ニコ」
名を呼ばれて顔を向ける。コリンの目は真剣で、思わず居住まいを正した。
コリンはエミリアの腕の中から抜け出すと、サミュエルの両手をぎゅっと握りしめた。その小さな手からは、固くなった剣ダコと温かな体温がしっかりと感じられた。
「エミリオ様を守ってくれよな。頼りにしてるからさ……師匠!」
そう言い捨ててコリンは走り去って行った。他の子供たちも一斉に後をついて行く。
まるで風のように早い。
いつも見ている背中たちが、やけに大きく見えた。
「いつの間にあんな……」
「子供の成長は早いですね。ついこないだまで生意気なだけだったのに」
顔を伏せ、泣くのを必死にこらえているエミリアの背を撫でながら、コリンたちが走り去って行った方を見つめる。
彼らも小さな体で戦っている。自分たち大人がめげている場合ではない。
「……守らなければ」
決意の滲んだ声で呟き、エミリアはキッと顔を上げた。
「マッテオとロレンツォと話してくる。お前はここで休んでいてくれ」
「俺はあなたの従者ですよ。一緒に行きます」
「休める時に休むのも仕事のうちだよ。マリアンナが戻ってきたらよろしく言っておいてくれ。スープ美味かったって」
サミュエルの額を指でつつき、エミリアはさっさと食堂を出てしまった。
おいて行かれた寂しさが胸に広がる。
無理やりついて行くこともできたが、コリンたちの成長を目の当たりにした後だ。主人の意に反してまで自分の我儘を貫くことはできなかった。
ため息をつきながら食堂の中を見渡す。天井から下げられた燭台の灯りが、騎士や領民たちの姿をほのかに照らしていた。みんな力なく項垂れて、疲れ切っているようだ。
その中の一つに見知った背中を見つけ、サミュエルは「ルキウスさん」と声をかけながら近づいた。ルキウスは気だるそうに振り返り、血と泥で汚れた顔をサミュエルに向けた。
「なんだよ、お前かよ。疲れてんのに、お前の顔なんて見たくねぇよ」
「ご挨拶ですね。この前、お酒奢ってあげたでしょ」
拒否される前にさっさと彼の隣に座る。ミリーナに失恋して醜態を晒したことを思い出したのだろう。ルキウスはグッと言葉をつまらせた。
「その借りは昨日返しただろ」
夜襲から引き揚げる際、サミュエルは後もう少しというところで川に落ちた。あわや死ぬかと思ったが、それを救出してくれたのがルキウスだったのだ。
さすが泳ぎと渡河の腕前を見込まれて選別されただけのことはある。川の流れにも負けずに力強く泳ぐ姿は、まるで魚のようだった。
「それはそれ、これはこれですよ」
「調子がいいんだよ、お前。本当に生意気だな。十一も下の癖に」
不機嫌そうにカップを煽る。おそらく酒ではない。ルキウスは案外、真面目な性分だった。それに酒は限りがあるが水は腐るほどある。
「……籠城戦ってなぁ、なかなか辛いもんだな」
カップを置いたルキウスが、ぽつりと呟く。ここにいる誰もが、攻めて行くことはあれど攻められるのは初めての経験だった。
雨のように降り注ぐ矢や投石に息着く暇もない。絶え間なく鼓膜を震わせる轟音は確実に精神を擦り減らしていく。そして、閉鎖された空間で耐えるしかないという事実は、城壁の中にいるものたちの焦燥感を悪戯に煽った。
目の前のルキウスも際限なく続く攻撃に疲弊しているようだった。戦闘中は集中しているから麻痺しているのだろうが、安全な城内に入った途端、疲れが一気に押し寄せたに違いない。
疲れは弱さを生む。らしくない彼の姿に胸が痛んだ。
「ルキウスさん、案外弱かったんですね」
「何だと?」
「どんな籠城戦でも終わりはきます。誇り高きフランチェスカ騎士団が耐えられないわけがありませんよ。副団長ともあろう人が、こんなことで弱気になっててどうするんです?」
ルキウスの黒い瞳がサミュエルを見つめた。いつも自分を睨みつけてくる、厳しいが温かな瞳だ。
その目を見つめ返し「エミリオ様を信じましょう」と続けると、彼はハッと小さく笑った。
「……やっぱりお前、生意気だわ」
席を立ったルキウスが、サミュエルの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。あまりの強さに抗議すると、彼は吹っ切れたような顔をして大きく伸びをした。
「ちょっくら外の様子見てくるわ。雨の具合も気になるしな」
どうやら気力が湧いてきたようだ。いつも通りの彼の姿に安堵しつつ「お気をつけて」と声を開けると、ルキウスは「誰に言ってんだよ」とぼやいた。
大きなルキウスの体が食堂の出口に向かっていく。しかし、そのまま出て行くかと思いきや、彼は「ああ、そうだ」と足を止め、肩越しにこちらを振り返った。
――まだ何か言いたいことでもあるのか?
続きを促すように目を向けると、彼は少し言いにくそうに頭を掻いた。
「お前も騎士団の一員なんだからな。忘れんなよ」
再び歩き出したルキウスの耳は、微かに赤く染まっていた。まさかそんなことを言ってもらえるとは思えず、阿呆のように背中を見送る。
彼の言葉が完全に脳に届いたのは、もう少し経ってからだった。
「……素直じゃないな、相変わらず」
口元に笑みを湛え、机の上に目を落とす。傷だらけになった手のひらが、まだ生きているのだと声高に主張している。
みんな自分の役目を果たしている。自分もできることをやらなければ。
「俺にできること……」
脳裏に昨夜のロドリゴの姿を思い起こして、サミュエルはぐっと手のひらを握りしめた。
籠城戦二日目です。
ここでの投石機はトレビュシェットですね。
バリスタはモンスターを狩るゲームでお馴染みの方もいらっしゃると思います。




