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フランチェスカ異聞ー紫の騎士と赤き公爵令嬢ー  作者: 遠野さつき
第1部 フランチェスカの日々
12/49

12話

【登場人物まとめ】

テュルク(NEW)

カタリーナの森の森番。ケルティーナ人。ヴィオラのことが気になっている。


ヴィオラ(NEW)

フリーの狩人。美人。フランチェスカのことを気に入っている。

 夏の日差しが和らぎ、朝晩の風が冷たくなる時期になると、フランチェスカでは一斉に狩りの時期に入る。秋に行われる家畜の放牧を前に危険な野生動物を狩り、森の状況を調査するためである。


 カタリーナの森はフランチェスカの東北部から東南部に位置する、規模は小さいが豊かな森だ。その入り口で、選抜された騎士、森番、狩人たちが肩を並べていた。


 もちろんテオとその部下のティトゥスもいる。狩猟には弓を使う。彼ら弓兵隊の腕の見せ所だった。


「みんな揃ったな。目印を渡すから一列に並んでくれ」


 狩猟着に身を包んだエミリアが、青と黄色の縞模様の布を手に声を張り上げていた。森は視界が悪い。誤って仲間を射抜いてしまわないように目立つ場所につけるのだ。


「天気が良くてよかったですねぇ」


 サミュエルの隣で、のんびりとした口調の男が腕に巻いた布をいじっていた。燃えるようなくしゃくしゃの赤毛と穏やかな緑の目からは、とても優しげな印象を受ける。鼻の上にあるソバカスも、それを十分に後押ししていた。


 彼はカタリーナの森を管理する森番、テュルクである。彼の一族は代々森番の仕事に就くものが多く、先祖がケルティーナから移り住んで以降は、シルヴィオが越えたロマーニャの森を筆頭として、王国内の各地の森に散っているのだそうだ。


「そうね。この子たちの鼻もよく効きそう」


 そして、テュルクの向かいに立っているのはサミュエルと同じ黒髪の女性だった。今日のために雇われた流れの狩人で、名をヴィオラという。キリッとした眉が印象的な美人だ。黒髪といえど、瞳はロドリゴと同じ赤なのでサリカ人ではない。


 彼女の足元にはリュカとクラウスと名付けられた二頭の狼が、主人の周囲を油断なく警戒していた。彼らはヴィオラの狩りの仲間で、いついかなるときも彼女に寄り添い、守っている。


「ニコ、あとはお前だけだぞ。早くこい」


 手招きされて小走りで駆け寄る。エミリアの背後の止まり木では、鋭い嘴と爪を持つ雌の鷹が熱心に羽を繕っていた。鷹はマチルダといって、亡くなったエミリオが雛から大事に育てていた狩りの相棒だった。


 エミリオから受け継いだエミリアも、溢れんばかりの愛情をマチルダに注ぎ、マチルダもその想いに応え、エミリアの言うことにはきちんと従うようだった。


「よし、そろそろ始めよう」


 全員が布を身につけたのを見て、エミリアが狩猟の開始を宣言した。


 先頭にヴィオラとテュルク、真ん中にエミリアとサミュエル、そして後ろに弓兵隊という配置で森に入っていく。騎士たちはその周りを囲うように持ち場につき、鋭い目で木々の合間を睨んでいる。


「相変わらずいい森ね。よく手入れされてるし、荒らされてもいない。居心地がいいわ」

「それが僕の仕事ですから」


 先頭をいく二人の会話を聞きつつ、隣のエミリアの様子を伺う。マチルダを腕に留めた彼女は興味深そうに森の中を見渡していた。どうやら狩りに出るのは初めてらしい。


「エミリオ様、ちゃんと前を向いてください。転びますよ」

「馬鹿にするな。そんなに子供じゃな……あっ」


 言っているそばから、木の根につまづいて転びそうになるのを支える。


 ――つい手を出してしまった。


 恋心を自覚してから、エミリアに甘くなっていると気づいていた。ことあるごとに戒めようとするものの、寝ても覚めても彼女の一挙一動が気になってしまい、ついつい、いらないお節介を焼いてしまうのだ。


 エミリアはエミリアで雰囲気が柔らかくなったサミュエルに以前より気安く接するようになったし、皮肉にも、二人の距離は確実に近づきつつあった。


 ――駄目だよな、こんなことじゃ。


 浮ついた自分を反省しつつしばらく歩いていると、ふと先頭のヴィオラが足を止めた。肩越しでこちらを振り返り、立てた人差し指を唇に当てた後、前方の茂みに向ける。その先に、一匹の鹿が草を喰んでいるのが見えた。丸々とよく肥えた雌鹿だ。


 エミリアが後ろを振り返り、声を出さずに手招きでテオとティトゥスを呼んだ。今日の晩御飯にするつもりらしい。耳打ちで指示を聞いたテオが、隣にいたティトゥスの肩をぐいと押し、小声で囁く。


「いえ、ティトゥスにやらせてください。彼の腕なら十分仕留められます」

「えっ、いいんですか?」


 目を丸くするティトゥスに、テオが頷く。


「腕を磨くには実践が一番だからね」

「隊長……! ありがとうございます」


 テオが腕を磨いたのは人相手だったが、それを知らないティトゥスは純朴な瞳を輝かせて頭を下げた。そして先頭のヴィオラにうながされて前に出ると、クロスボウに矢をつがえる。


 テオの訓練の賜物か、ティトゥスの放った矢は一瞬にして哀れな鹿の命を奪い去った。


「やった!」

「すごいな、一撃だ」


 役目を果たしたティトゥスをエミリアが労う。その横でテオは部下の成長に満足げに頷いていた。


「見事な鹿だなぁ」


 ヴィオラと共に茂みに分け入ったテュルクが感嘆の声を上げる。彼の言う通り、地面に横たわる鹿は美しい毛並みをしていた。


「あれ?」

「どうしました?」

「何か音が聞こえるような……」


 エミリアの言葉を受け、耳を澄ます。すぐそばから茂みを掻き分ける音がしたような気がするが、はっきりとはわからなかった。


 リュカとクラウスの耳がピンと立つ。顔色を変えたヴィオラがこちらを振り向いた直後、側面から猪が飛び出してきた。思わぬ襲撃者の姿に、騎士たちの怒号が飛び交う。


「エミリオ様!」


 体をこちらに引き寄せて突進をやり過ごす。しかし安堵したのも束の間で、猪は方向転換してまたこちらに向かってきた。


 ――猪って前にしか進めないんじゃなかったのか?


 覚悟を決めてエミリアの前に躍り出たそのとき、体を引いた弾みで空に飛び上がっていたマチルダが、猪の顔目がけて急降下した。


「マチルダ!」


 エミリアの悲鳴が上がる。同時にリュカとクラウスが猪に襲いかかった。その隙にクロスボウに矢をつがえたテオが冷静に眉間を射抜く。


 矢を受けた猪はどうという鈍い音を立てて、地面に倒れた。


「エミリオ様、大丈夫ですか!?」

「お怪我は!?」


 血相を変えた騎士たちが駆け寄ってくる。それに大丈夫だと答え、エミリアはマチルダに頬を寄せた。見る限り、エミリアに怪我を負った様子はない。その姿を見て胸をほっと撫で下ろしていると、ふと視線を感じて背後を振り返った。


 煉瓦色の瞳に昏い光を宿して、テオがじっとこちらを見つめていた。






 狩りの成功を祝して、城の食堂では宴会が開かれていた。森で収穫した食材はもとより、林檎酒もふんだんに振る舞われ、赤ら顔の騎士たちの合間をマリアンナと女中たちが忙しなく行き交っている。


 その中心では獲物を仕留めたテオとティトゥスが、先輩の騎士連中に可愛がりという名の手荒な祝福を受けていた。新人に毛が生えたぐらいの二人にお鉢を取られて悔しいのかもしれない。


 一番奥のテーブルではエミリアが猪肉のステーキを切り分けていた。にこにこ顔のミゲルが、彼女の傍で大量の皿を手にして控えている。焼き上がったばかりの獲物からは肉汁が滴り落ち、香ばしい肉の香りを食堂内に漂わせていた。


「ニコラスさんも結構いける口なんですね」

「まあ、そこそこは」


 林檎酒を煽るサミュエルの隣で、同じく林檎酒を煽っていたテュルクが嬉しそうに笑った。彼の皿には、先に配られていた鹿肉のステーキが山と積まれている。見た目に反して健啖家のようだ。


 その対面にはヴィオラが座り、床に寝そべったリュカとクラウスにおこぼれを与えていた。


「一時はどうなることかと思ったけど、何事もなく終わってよかったわね」

「いやぁ、あの猪にはビックリしましたねぇ。ニコラスさんが小回りのきくタイプでよかった」

「……それはどうも」


 褒められているのか微妙なところだが、素直に受け取っておくことにする。


「森の状態もよかったし、猪も仕留められたし、放牧しても大丈夫じゃないかしら」

「そうですね。早速計画を立てます」


 どうやら番人たちの太鼓判が押されたらしい。二人はしばらく放牧について話し合っていたが、キリの良さそうなところで気になっていたことを聞くことにした。


「ヴィオラは流れの狩人なんだって?」

「そうよ。といっても、ほとんどフランチェスカ専属みたいなものだけど」

「それはやはり……」


 言いにくそうにテュルクが言う。彼の意を汲んだヴィオラが寂しそうに笑った。


「そう、女だから。受け入れてくれたのは、フランチェスカだけだった」


 女の狩人は珍しい。いや、忌避されているに近かった。双子の迷信と同じく、森の精霊が嫉妬するという馬鹿げた言い伝えのせいだ。それ故、精霊の罰を恐れる同業者たちの中に入れず、一人で各地を転々とすることを決めたのだという。


「……ケルティーナでは、そんなことないんですけどね」


 テュルクが悔しそうに呟く。同じ精霊信仰といえど、国によって多少の違いがあるらしい。


「いいのよ。おかげで多くの経験が積めたわ。色々な土地を旅したけど、ここ、いいところよね。活気があるし、何よりみんなが笑顔だわ」

「そうですね。僕は生まれてからずっとここにいますけど、出たいと思ったことはなくて。それだけ居心地がいいってことなのかなぁ」


 しみじみと語るテュルクの顔は酒で赤くなっていた。しんみりとした空気がその場に満ちる。テュルクも、ヴィオラも、フランチェスカを愛している。いや、彼らだけでない。おそらく、ここにいるもの全てがこの場所を愛していた。


 ――でも、俺は……。


 胸に痛みが走り、二人に気づかれぬようにグッと唇を噛む。


 やるせない気持ちを誤魔化すために視線を前方に向けると、さっきまでステーキを切り分けていたエミリアの姿が見えなくなっていた。


「あれ……?」


 ――どこに行ったんだ?


 食堂内を見渡しても、それらしき姿はどこにもない。


 ふと、不安な気持ちが押し寄せてくる。猪に襲われてから、エミリアの様子は少しおかしかった。表面上は普段通りに振る舞っていたが、何かに怯えているような気配があった。それは周りの人間が彼女を気遣えば気遣うほど強くなっていて、密かに気になっていたのだ。


「あら、どこに行くの?」

「ちょっと用足しに……」


 適当に嘘をついて席を立ち、食堂の出口に向かう。その途中で、テオとティトゥスが騎士たちにもみくちゃにされて楽しそうに笑っているのが見えた。


 ――飲み過ぎなきゃいいけど。


 ため息をつきつつ、廊下に出て西側の方へ向かう。訓練場にはいないだろうと思ったからだ。


 案の定、エミリアは中庭で一人佇んでいた。満月の光に照らされて、彼女の赤毛が闇の中で淡く浮かび上がっている。その前には鷹小屋があり、中でマチルダが羽を休めていた。


「お嬢様、どうしたんです。こんなところで」


 恋心を自覚してから、サミュエルはエミリアをお嬢様と呼ぶようになった。偽りの名で呼びたくなかったし、本名を呼ぶには気恥ずかしかったからだ。以前のように、揶揄う気持ちはとうに無くなっていた。


「ニコか……。お前こそ、どうした? まだそんなに飲んでいないだろう?」


 振り向いたエミリアの顔はひどく青ざめていた。夜風が冷たいせいだろうか、唇も小さく震えている。彼女を怯えさせないようにゆっくりと近づき、肩が触れるか触れないかぐらいの位置で並んで立った。


「綺麗な鷹ですね。エミリオ様が育ててたんですよね?」

「そう。本当に大事にしてた。最後まで気にして……」


 そこで言葉を切り、エミリアは顔を伏せた。その白い頬に涙が光っている。


 ――泣いていたのか?


 躊躇いながらそっと肩に触れると、彼女はびくっと体を震わせ、こらえきれなくなったように嗚咽を漏らした。


 ――いったいどうしたんだ?


 こうして泣きじゃくるエミリアを見るのは初めてだった。領主の務めとして、いつも彼女は自分の悲しみを人に見せないようにしていたからだ。


 だから今、サミュエルの目の前にいるのは領主のエミリオではなく、ただの少女のエミリアだった。


「収穫祭も、夏祭りも、今日の狩りも、エミリオならもっと上手くやれたはずなんだ。私なんかよりはるかに頭がよかったから……」

「そんな……」

「そうだよ。生き残るべきはエミリオだったんだ。どうして、不調に気づいてやれなかったんだろう? 私がいたって、フランチェスカにはなんの役にも立たないのに。領民たちの優しさも、敬意も、本来なら全てエミリオが受けるものだったのに!」


 私が奪ったんだ、とエミリアはうめくように言った。


「みんなに優しくされる度に辛くなる。私はエミリオじゃない。ただのエミリアなんだ」


 泣かないで、という言葉は飲み込んだ。エミリアを殺そうとした自分に、そんな資格はどこにもないと思ったからだ。


 ――でも。


「あなたは何も奪ってない!」


 気づけば、体が勝手に動いていた。エミリアの小さな体を抱きしめる。これは明らかな背任行為だ。しかし、止めることはできなかった。


「守ろうとしたんでしょう? 領民たちの想いも、エミリオ様の想いも、このフランチェスカも、全て」


 腕に力は込めなかった。今にも壊れそうで怖かったからだ。彼女は従者の不躾な抱擁に戸惑っているようだったが、サミュエルが手を離さないのを見て、甘えるように頬を寄せてきた。


「……務めを終えたら、マチルダを放そうと思う。そのときは付き合ってくれるか?」

「はい、必ず。約束します」


 おずおずと背中に手が回される。頬を撫でる夜風は冷たかったが、お互いの体温は温かかった。






 エミリアを私室に送り届け、サミュエルは食堂に向かって歩いていた。ちょっと用足しにしては長すぎたが、みんな今頃ぐでんぐでんに酔っ払っているだろうから問題はない。


 西側から玄関の前を通り、東側に差し掛かったところで、壁にもたれて立っているテオの姿を見つけた。騎士たちからガンガンに飲まされていた割に、酒に酔った形跡はない。


 テオは立ち止まったサミュエルにゆっくりと近づくと、静かな声で「陛下の命令をお忘れですか」と言った。


「……忘れるわけないだろ。なんだよ、急に」

「じゃあ、いつやるんです? 今は地震で目が逸れてますけど、復興が終わったらせっついてくるかもしれませんよ」


 正論に唇を噛む。それは十分にわかっていた。しかし、サミュエルにはもう、エミリアを殺すことなどできない。たとえ本当に悪人だったとしても、それは変わらないだろう。


「エミリアに惚れたんでしょう」


 鋭く見据えられ、肩がびくりと震えた。


「何言ってるんだ? 仇の娘だぞ。そんなわけないだろ」

「何年あなたの従者やってると思ってるんですか? バレバレなんですよ」


 はあ、とため息をつかれ、誤魔化しは一切きかないと悟った。子供の頃からの付き合いだ。言葉を交わさなくても、相手の思っていることが手に取るようにわかる。テオはサミュエルを諭そうとしているのだ。


「徐々に緩んでいくあなたの顔を見て、絆されてるなあとは思ってましたが、ずっと黙っていました。殺すにしろ、諦めるにしろ、決めるのはあなたですからね。ですが、本気で惚れたのなら話は別です」


 そこで言葉を切り、テオはこちらに近づくと、鼻が触れそうなほど近くに顔を寄せた。


「わかっているでしょう? いつまでも、ここにいるわけにはいかないんですよ。あなたの家族は王都にいるアヴァンティーノなんですから。ロドリゴ様も、ソフィア様も、あなたの帰りを待ってますよ」


 ぐぅ、と喉が鳴った。彼は自分の立場を忘れてはいない。あれこれと悩んでどっちつかずの態度をとっているのはサミュエルの方だった。


「……お前も、ここでの生活を楽しんでいたじゃないか」

「それはそうですよ。居心地いいですからね、ここ。でも、それはそれ、これはこれです。いい加減、決めてください。これからどうするつもりなのか」


 いつになく厳しい口調に、サミュエルはもう後がないことを知った。殺すことはできない。王都に戻れば二度とエミリアには会えない。そして、フランチェスカに残るのなら、サミュエルは反逆者となり、もう二度と家族には会えない。


「……といっても、あなたの一生を左右することですから、今ここで決めろとは言いません。そうですね……秋祭りが終わるまでは待ちます。最後に、あの子との思い出が欲しいでしょうし」


 それだけ言ってテオは去って行った。従者のプレッシャーが消え、大きく息をつく。もうこれ以上決断を引き伸ばすことはできない。煉瓦色の瞳に宿る剣呑な光に体を震わせる。


 テオは最後まで、サミュエルの名前を呼ばなかった。

森といえば狩り、ということで狩り回です。

エミリオは動物好きで、よく色んな動物を拾ってきては育ててました。

対してエミリアは、怖さが先に立ってどう接していいのかわからないタイプです(マチルダだけ特別)

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