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フランチェスカ異聞ー紫の騎士と赤き公爵令嬢ー  作者: 遠野さつき
第1部 フランチェスカの日々
11/49

11話

今回はテオ視点です。

 豊かな川の水も干上がりそうなほど暑い日が続き、城の中はどことなく気だるい空気が漂っていた。廊下には涼を求めて彷徨う騎士たちがたむろし、より暑苦しさに拍車をかけている。時折、業を煮やしたマッテオによって追い立てられる彼らの姿は、フランチェスカの夏の風物詩の一つらしかった。


 ――あっつ。


 マッテオの目を逃れて階段下の影に座り込みながら、テオは額に浮いた汗を腕で拭った。元々南部出身のサミュエルは平気そうだが、北部の寒さと中部の穏やかさに慣れた身には、南部の暑さは地獄のようだ。


 ――アヴァンティーノ邸が恋しいなぁ。


 城ほどの大きさはなくとも、柱廊に囲まれた廊下は開放的でよく風が通ったし、屋敷の至る所には庭や噴水があって、涼む場所には困らなかった。少なくとも、こんな風にコソコソと這いずりまわるネズミみたいな真似はしなくてもすんだ。


 フランチェスカ城は古い分、窓もそんなに大きくなくて、どうしても熱がこもりやすい。夜になればだいぶマシになるが、それまではどうにか耐えなければならなかった。


 そんなテオの心を知ってか知らずか、この地獄に連れてきた張本人が、階段下に潜む従者にも気づかず、いそいそと二階に上がっていった。


 そういえば、さっきミゲルがサミュエルを探していた。エミリアが呼んでいるそうだ。執務室ではなく、私室に行くから浮かれているのだろう。その口元には微かな笑みが浮かんでいる。


 ――どう見ても、絆されてんだよなぁ。


 フランチェスカに来てすぐの頃こそ、尖った空気を出していたが、風邪から復帰した日から目に見えてエミリアに甘くなった。親身に看病されてコロっといってしまったんだろう。


 ――根は素直だもんな。


 いくら憎い仇の娘だからって、ハッキリとした理由もないのに殺せるわけがないとは思っていた。近衛騎士のくせに甘ちゃんの極みだが、おかげでロドリゴやソフィアも悲しまなくて済むだろう。


 フランチェスカは居心地がいい。


 いろんな人間が集まってくるからか、差別も階級意識も緩いし、みんなうまい具合に共存している。住んでいる人間も基本的にお人好しばかりだし、南部を荒らした悪役というのが嘘みたいだ。


 だが、いくら居心地がいいとはいえ、いつまでもダラダラとここにいるわけにはいかない。


 テオにとって、大事なものはサミュエルとアヴァンティーノだけだ。それ以外のものは別にどうでもいい。ソフィアに似ているマリアンナは少し特別だけど、任務とあれば笑って殺せるだろう。


 ――いざとなれば、俺がやんなきゃなぁ。


 汚れ仕事は慣れている。暑さにうだりながらぼんやりと考えていると、二階から下りてきたマリアンナが階段下をのぞき込んだ。


「あら、テオ。こんなところにいたの」


 テオと同じ煉瓦色の瞳を細めて、マリアンナが微笑む。


 サミュエル以上に素性の知れないテオにも、マリアンナはとても優しくしてくれる。きっとテオを亡くなった息子と重ねているのだろう。


 マリアンナの息子はフランチェスカ騎士団に入団していたが、前任の騎士団長だった父親――つまりマリアンナの夫と共に昨年末の戦争でエンリコをかばって死んだ。無駄に心を煩わせたくないので、サミュエルには言っていない。


「あなた、本当に暑さに弱いわね。そんなので城下まで下りられるの?」

「何かありましたっけ?」

「いやね、忘れちゃったの? 今日はディーノとミリーナの結婚式じゃない。余興を頼まれていたでしょ」


 そうだった。ディーノは市長の息子で市の役人、ミリーナは市庁舎の向かいに店を構えるパン屋の娘だ。お互いの職場が近いこともあり、順調に愛を育んだ結果、無事ゴールインしたと聞いている。


 さっきサミュエルが呼ばれていたのも結婚式の件だろう。婚姻帳へのサインには領主の立ち合いがいる。エミリアが出席するのなら、その従者であるサミュエルも必然的に出席することになる。


「あっ、俺、礼服持ってないですけど」

「大丈夫よ、あなたは騎士だもの。騎士団の制服で問題ないわ」


 そういうものなのか。しかし、この暑いのに分厚い制服なんて着たくない。そんなテオの心を見透かしたのか、マリアンナが嗜めるように「逃げちゃダメよ」と言った。


「着替えたらエミリオ様のお部屋に行ってね。二人とも待ってるから」


 主人と、さらにその主人を長々と待たせるわけにはいかない。今にもめげそうな自分を叱咤しながら、テオはのろのろと立ち上がった。






「テオです。入ってもいいですか?」

「いいぞ、入ってくれ」


 許可を得て扉を開けると、そこにはいつもより数倍着飾ったエミリアが立っていた。


 エミリアの装いは、当然だがご令嬢のドレスではなく男性用の礼服だった。マリアンナが相当頑張ったのか、いつもは下ろしている前髪もきっちりと後ろに撫で付けられている。上品さもさることながら、普段身につけない手袋や腰に下げた剣が貴公子ぶりに拍車をかけていた。


 胸元にはいつものペンダントの他に、サファイアとトパーズのブローチが輝いていた。青と黄色はフランチェスカの色だから、特別に身につけているのだろう。贔屓目に見ても男前な姿に、城下のおばさまたちが黄色い悲鳴を上げそうだ。


 そして、その隣にいるのはエミリアに勝るとも劣らぬほど着飾ったサミュエルだった。


 ――うわ、やっば。なにアレ。


 思わずひいてしまうほど、サミュエルの礼服は派手だった。なんというか、小説やお伽話に出てきそうな騎士姿というか、甘い恋愛を夢見る女性の願望を全てつめ込んだようなデザインになっている。近衛騎士の叙任式に着ていた儀礼服でさえ、ここまで煌びやかではなかった。


 ――マリアンナさんの趣味かなぁ。


 きっと断りきれなかったんだろう。何も言わずにただじっと耐えているサミュエルに同情していると、鐘の音を聞いたエミリアが「そろそろ時間だな」と言った。


「石畳の修復も終わったし、馬車で行くぞ。少しでも日差しを避けたほうがいいだろ?」

「エミリオ様……! ありがとうございます!」


 エミリアの気遣いに感謝しつつ、彼女の後について歩き出したサミュエルの隣に並ぶ。


「ニコラス様、その服お似合いですよ」

「馬鹿にしてんのか。顔が笑ってんだよ」

「いえいえ、そんな。まるで本から抜け出してきたみたいな貴公子ぶりで……」

「いいよ、そんな気を遣わなくても。自分でも似合ってないってわかってるさ。ルキウスには指差して笑われたし」


 エミリアを訪ねてきたルキウスに、運悪く礼服姿を見られてしまったらしい。


「……ミリーナに失恋したって聞いたから、酒を持っていってやったのに」


 いつの間に交流を深めているんだろうか。悔しそうに唇を噛むサミュエルに苦笑する。


 ――だからあなたは甘ちゃんなんですよ。


「でも、まあ、そこがいいところか……」

「何か言ったか?」

「いえ? なんでも。さあ、急ぎましょ。結婚式始まっちゃいますよ」


 耳ざとく呟きを聞きつけたサミュエルに笑みを返して、テオはその背中をポンと叩いた。






 八月も中旬になると、夜風も心地よくなってくる。無事に余興を終えたテオは、月が照らす坂道を城に向かってぶらぶらと歩いていた。はるか後ろの中央広場では、市庁舎の中庭から拠点を移した宴会がまだ続いている。


 微かに聞こえてくるアップテンポな音楽の合間に、式の主役たちや参列者たちの笑い声が混じって、とても楽しそうだ。


 ――いい式だったよなぁ。


 つられて鼻歌を歌いながら、結婚式の様子を思い返す。


 歴史ある市庁舎の中庭に設置された記帳台の前で、手を繋いで立つディーノとミリーナはとても幸せそうだった。いつも冷静な態度を崩さない市長のジュリオも、今日ばかりはずっと笑顔だった。 


 ――余興もウケてよかった。


 頭に乗せたリンゴを次々に射抜くという離れ業をやってみせたテオは、集まった参列者たちの拍手喝采をさらい、隣国ミケーレよりはるか先にあるフランシス産の高級ワインと、フランチェスカ産の羊のチーズをご褒美に頂いていた。


 ――サミュエル様と飲もう。


 今日は八月十五日。サミュエルの誕生日だ。例年通りであれば、今頃ソフィアの手料理を食べつつ、アヴァンティーノ全員で祝っている最中だが、辺境に赴いている都合上そうはいかない。従者と二人きりの誕生日というのも嫌かもしれないが、ここに居続けているのはサミュエルなのだから多目に見てもらおう。


「あれ?」


 坂道を登りきり、広場から城を見上げると、執務室には燭台の明かりが灯っていた。


 ――まだ仕事してんのかな。


 結婚式を終え、しっかり宴会を盛り上げたエミリアは、キリのいいところで「残った仕事を片付ける」と言って、サミュエルを連れて先に戻っていた。


 まだ日が落ち切っていないときだったから、あれからずっと働いていたとすると、一日の労働時間は果たしてどれぐらいになるのだろう。常に楽をしたいテオとしては、エミリアの働き方は見てるだけでも目眩がしそうになる。


 ――あの子もよく働くよなぁ。


 自分より年下の少女の勤勉さに感心しながら、手に持ったワインを見下ろす。サミュエルと二人で飲もうと思ったけれど、仕方がない。エミリアも仲間に入れてあげよう。


 夜も更けてきた城の中は、あまり人気がない。盗賊時代のサガで、足音を立てないように気をつけながら、厨房でグラスを拝借して執務室に向かう。


 風を通すためか、執務室の扉は開け放たれていた。そっとのぞいてみたが、中に二人の姿はない。カーテンにシルエットが映っているので、テオが来る前にバルコニーに移動したようだ。


 ――二人のときって、何話してんだろ?


 執務室はそこまで広くないので、扉の脇にいても声は十分聞こえる。好奇心に駆られて、テオは二人の会話にそっと耳を澄ませた。


「ディーノとミリーナ、幸せそうだったな。お互いを支え合うように寄り添って……。正直、羨ましいと思ったよ」


 ――おっ、恋バナ?


 いきなり美味しい場面に出くわして、テオの笑みが深くなる。いくら男の振りをしているとはいえ、エミリアは年頃の少女だ。結婚式を見て、自分もしたくなったとしてもおかしくはない。


「心に想う方がいたり……するんですか?」


 ――何聞いてんの?


 主人の問いに思わずツッコミを入れる。絆されていると思っていたが、まさかここまでとは。自分が王命を帯びた暗殺者だと忘れているんじゃないだろうか。


「今の私はエミリオだ。もしいたとして、この立場で結婚できると思うか?」

「女に戻るつもりはないんですか」


 ――ちょっと! グイグイいきすぎ!


 案の定、エミリアは黙った。当然だ。どう考えても答えられる問いじゃない。しかし、そんなテオの内心も、エミリアの女心も、露ほどもわからないサミュエルは、さらに言葉を紡ごうと息を吸った。


 ――ああ、ダメだって。


 飛び出そうか迷ったその瞬間、城下から一際大きい笑い声が上がり、二人がハッと城下を見下ろす気配がした。


「そういうニコはどうなんだ? 今まで、いい人はいなかったのか?」


 はぐらかされたことに気づいたのだろう。サミュエルは一瞬息を飲んだが、素直に「いませんよ」と返した。同士だと思ったのか、「そうか」とエミリアの明るい声がする。


 ――いない、ねぇ。


 嘘ではないが、正しくもない。ロドリゴの一人息子として、サミュエルには数多くの縁談が舞い込んでいた。しかし、生粋の貴族令嬢たちは平民上がりのサミュエルのことを見下していたし、本人は口にしなかったが、おそらく床を共にしているときも、令嬢たちは背後にあるアヴァンティーノの権力にしか興味がないようだった。


 ――まあ、どっちもどっちなんだけど。


 そういうサミュエルも令嬢たちのことを好きになろうとする気配が全くなかった。それどころか、誰も彼も同じに見えるようで、そのうち会うことすら億劫になっていた。貴族社会に特有の駆け引きにうんざりしたのもあるだろうが、胸に燻る憎しみを抱えたまま、幸せな家庭を持つ気になれなかったのだろう。


 縁談を断り続けるサミュエルに「いったいあなたはどんな子だったら結婚してくれるの」と、ソフィアが嘆いていたのを覚えている。


 ――拗らせてんなぁ。


 きっと、女性に興味を持ったのはエミリアが初めてなんだろう。憎い仇の娘で、王から殺せと命令された相手だ。あまりにも業が深すぎる。二十一にもなって訪れた春がこれでは救いようがない。


「結婚は? したいと思うか?」

「そりゃ……できれば」


 今度はエミリアがグイグイと押している。しかし、これ以上話を続けると、サミュエルがぽろっとボロを出しそうで怖かった。


「まあ、焦っても仕方ないでしょう。俺、まだ二十です……し?」

「どうした?」

「いや、もう二十じゃなかったです。今日で二十一になりました」

「え? 今日が誕生日なのか?」

「そうです、すっかり忘れていました」


 ――忘れてたのかよ。


 そろそろ心の中でツッコむのも疲れてきた。思わずため息をついたとき、「ちょ、ちょっと待ってろ」と焦った声を上げたエミリアが、こちらに駆けてくる音がした。


 やばいと思ったときには遅かった。


 口を「あ」の形に開けたエミリアとしばし見つめ合う。


 ――仕方がないなぁ。


 両手に持ったワインとチーズ、そしてグラスをエミリアに差し出す。彼女は戸惑う様子を見せたが、すぐにテオの意図を察すると、満面の笑みを浮かべて中に戻っていった。


「あれ? 早いですね。もう行ってきたんですか?」

「ちょっと精霊様に出会ってな。乾杯しよう。ささやかだがプレゼントの代わりだ」

「えっ、これワインじゃないですか。輸入ものでしょう? お高いんじゃないんですか?」


 さすが貴族だ。ものの価値を十分に理解している。王国内で生産されている林檎酒と違って、フランシス産のワインは関税がかかる分、目玉の飛び出そうな金額になっている。


「いいんだよ、お祝いなんだから。誕生日おめでとう、ニコ」


 カチン、とグラスをぶつけ合う音がする。


 これ以上はお邪魔だろう。一つ残ったグラスを手に持って、テオはそっとその場を離れた。


 ――あーあ、やっぱりまずいよなぁ。


 今のところは、淡い恋心といったところだろう。これ以上進展しなければ、まだ引き返せるかもしれない。


 ――でも、もし本気になったら?


 王命に反すれば間違いなく咎を負う。王都に戻ればアヴァンティーノの力で揉み消せるだろうが、フランチェスカに残るとなればそうはいかない。敵に与することになるからだ。


 サミュエルが生きている限り、王が赦しを与えることはないだろう。


「……そろそろ潮時かなぁ」


 ぽつりと漏れた呟きは、夜のしじまの中に消えていった。

本文では割愛しましたが、生粋のフランチェスカっ子は葬式以外の公式な場では、必ず青と黄色を身につけます。その二色は紋章にも使われていて、青は双子川、黄色は小麦畑を表しています。

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