4話 吟遊詩人の力
城門を出て三十分後、田渕の顔は、驚きの表情に変わっていた。そんな様子の田渕の前を、ぷんすかと荒い足取りで大家が歩いている。
「ったく、あのリア充ども! 今すぐハゲたらいいんだお! で、女は逆に毛深くなれば良いんだお!」
語尾が独特だが、大家は流暢に声を上げていた。どうやら大家は、今まで話す時に遠慮をしていたようだった。それは、地方出身者が、東京で言葉少なくなってしまうのに似通っていた。
あと、先ほどクラスメート達の事をリア充だと言っているが、大家は基本的にオタ以外を全てリア充だと認識している。
「素はそんなだったんだね……大家さん……」
「目の前にいないなら、暴言、誹謗中傷、呪い、ワタシはなんでもやるお! ワタシは内弁慶レベルがカンストしているからな!」
そうしている時、正面から馬車が走って来た。
ガラガラガラ
「…………」
馬車の御者にちらりと見られると、大家はとたんに小さくなって歩いた。その切り替えの早さに、これが内弁慶レベルカンストかと、田渕は感心する。
田渕と大家は、南へ三十キロの場所にあるという村へと向かっていた。昼過ぎに王都を出たので、時速五キロで歩けば、日が暮れるギリギリに到着する計算だった。
だが、暗くなり始めたと言うのに、村は現れなかった。アスファルトで舗装された道路では無いので、歩くスピードが落ちていたのか、もしくは、現代日本とは違うので、村まで三十キロと言う距離にも多少の誤差があるかもしれなかった。
「田渕君、まずいお。そろそろ日が落ちるお」
「このままじゃ……。大家さん、走れる?」
田渕が聞くと、大家はこくんと頷いた。
街道はまっすぐ続いているので村にたどり着けるのは間違いなさそうだが、街道を通る馬車は数時間前に通ったきりで、後は誰ともすれ違っていなかった。当然だが街灯など無いので、日が暮れれば現代日本では想像も出来ない程の暗さになると思われ、恐らく一歩も進めなくなるのではと予想された。
おまけに、気温もぐんぐんと下がってきており、田渕達は、上着も無ければ、火を起こす方法も持ち合わせていない。
「じゃあ、せーのっ」
ガサガサガサ
踏み出した足を、そのまま地面にぺったりとつけたまま、二人は固まった。
明らかに、先の茂みから、大きなものが動く音が聞こえた。田渕は、すーっと大きく息を飲み込む。
十秒ほどの沈黙の後、田渕は振り返って後ろの大家に言う。
「風かな? まさか野良猫とかは……異世界にはいないよね?」
だが、田渕を見ている大家の目は、大きく開かれた。
「田渕君っ! 危ないお!」
ドンッ
田渕は、大家に突き飛ばされた。
尻もちを突いた田渕が目を開くと、倒れている大家が見える。そこから離れた場所に、大家の箱鞄がある。
衝撃だったのは、箱鞄は、まだ大家に握られたまま(・・・・・・)だったことだ。
「大家さん……、う……腕が……」
田渕は立ち上がり、大家の元へ向かおうとする。
ブシュッ
田渕の背中に熱い痛みが走った。振り返ると、大きな熊のような物が自分へ振り下ろした爪が、背中を切り裂いたようだった。田渕が急に動いたことで、傷が浅くすんだようだったのだが……
ドスッ
逃げる間も無く、熊の左の爪が、田渕の右肩を貫通した。そのまま持ち上げられる。
「ううう……」
田渕の目の前に、大きな熊の顔があった。もう獲物は自分の物だと考えたのか、まるで品定めでもするかのように、熊は鼻を動かし、いろんな角度から田渕を観察しているようだった。
持ち上げられた田渕の足の先から地面まで、一メートル半はありそうだった。つまり、熊の体長は三メートル以上あり、これは地球最大の熊を上回る。そして、地球の熊と大きさ以外にも違いがあり、鼻の上に角が一本、両の手の甲に角が一本ずつと、計三本の角があるようだった。
田渕は当然に逃げようと考えるが、体を揺すっても、右肩に深く食い込んだ太い爪が外れる気がしない。おまけに、出血のせいか、あっと言う間に意識がもうろうとしてきた。
「そ……そうだよ……ね……。僕なんかが異世界で……生きていけるはずが……」
下半身をあったかい液体が濡らした。それは背中や右肩から流れ出る血液だったのだが、田渕は、遠い昔の記憶に残る、おしっこを漏らした感触を思い出した。
「あっ……はは……は。はずか……しい……」
ようやく熊の気分が纏まったのか、熊は右腕を振り上げた。
その時を、田渕は目を閉じて待つ。
田渕の脳裏に、走馬灯が浮かび上がった。その、おしっこを漏らしたような年頃から、小学生に育ち、中学生になり、そこで、アイドルに熱中した自分を思い出した。独りぼっちの教室で、アイドルのライブ告知動画を眺める。田渕には、それが至福の時だった。
「こ……こいは……き……きらめきぃ♪ あなたのぉ……ひとみはぁ……えねる……ぎぃ♪」
先週リリースの新曲をかすれた声で歌い出した田渕に、熊は少し訝し気な表情をしたようにも見えた。
だが、躊躇したのは一瞬で、熊は腕を振り下ろす。
「わたしの……からだはぁ……ぱわーあっぷ……う♪」
バキンッ
何かが宙を舞った。熊は、目を歪めながら、爪が無くなった自分の右腕を見た。
グァァァ!
熊は、大口を開けて、田渕の首元に食らいついた。だが、牙が田渕の皮膚を突き破らない。
「手を……ふれば……ダンプだってぇ……ころがっちゃうよ♪」
ベキッ
歌に合わせて田渕が手を振ると、それが熊の顎に当たった。すると、熊の頭が、上下に百八十度近く回転し、熊は白目を剥いて倒れた。
ドスン
「いっ……痛たた……。何が……?」
一緒に倒れた田渕が立ち上がるが、熊の方はピクリとも動かなかった。体の痛みが消えたような気がするので自分の右肩を見るが、どうやら出血が止まっているようで、痛みも無かった。
「な……なんで? どうして……。えっ? ……歌? 歌を……歌ったから?」
自分の背中に手を回し、ぺたぺたと触るが、傷痕こそ残っているが、血は全て固まっていた。
「まさか……僕の職業、吟遊詩人? 歌を……歌の歌詞で、『パワーアップ』があったから? 歌の……通りになる……とか? これが吟遊詩人? あっ! 大家さん!」
大家を思い出した田渕は、大家に駆け寄る。だが、大家の右腕の付け根に広がる信じられないくらいの大きな血だまりから、大家が助かるとは素人ながら思えなかった。
大家の顔色もすでに青紫色で、これはドラマで見た、出血多量の際のチアノーゼ反応では無いかと田渕は思った。
「ああ……大家さん……、僕をかばって……。そうだ、歌だ! 何か……何か無いか……」
田渕は、止血に関係する歌詞が無いか考えた。そこで、ある歌を思い出す。
「最新の歌じゃ無いけど……」
田渕は唾を一つのみ込んでから、大家の体に手を触れながら歌う。
「どんなにぃ♪ 落ち込んでもぉ♪ あなたの笑顔でぇ♪ 私の体はぁ♪」
田渕は声を張り上げた。
「全治癒よぉ♪」
カッ
大家の体から強烈な光が放たれた。一瞬顔を背けた田渕が薄目で大家を見ると、大家の瞼が開いた。
「大家さん!」
涙を流しながら抱き起す田渕とは対照的に、大家はきょとんとした顔をしていた。
「あっ! 腕っ!」
そう言いながら田渕は離れた場所にある箱鞄を見ると、そこには腕は無かった。大家の腕は、両方とも、問題なく揃っている。
「ああ良かった! 大家さんっ、全治癒だよっ! 全治癒したよっ! ありがとう、SF桃色戦士ハニーハウス乙ぅ!」
「……何を言ってるんだお?」
相変わらず、大家は事態が飲み込めずにきょとんとしていた。
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