2話 勇者剥奪
翌日、田渕と大家は、市場に来た。
ここは、城門から続く大通りの両脇に、屋台のような作りのお店が連なる場所だ。屋台が持てない人は、大きな布を敷き、その上に商品を並べるだけのフリマ形式の人もいる。そのような販売形態なので、扱う商品も、それに見合う低レベルな物ばかりだった。貴族やお金持ちは、その先にある店舗街にて、高級品を購入する。
市場のお店は、どこも店主が一人だけで、従業員など雇う余裕がなさそうだった。かと言って、店舗を構えているお店は、従業員にもある程度の身分か、縁故が必要なようで、どこの馬の骨か分からないような少年少女を雇ってはくれそうにも無かった。
田渕と大家の格好は、田渕は、みすぼらしい白シャツの上に茶色のチョッキ、黒っぽいズボンで、大家は、茶色の地味な膝丈ワンピース姿になっていた。途中にあった店舗で制服を売ると、一人当たり日本円で十万円程になり、衛生的にギリ許せる程度の、このみすぼらしい町人服を購入しても、五万円残った。これで、数日は寿命を伸ばせたが、早急にお金が必要なのは変わりなかった。
「マヨネーズ……どうかな……?」
大家が提案した。
異世界にて、マヨネーズを作って革新的な調味料として大儲けする方法は、異世界ラノベを殆ど読まない田渕と大家ですら知っていた。
だが、……もう流行り始めていた。
どうやら昨日の時点で、クラスメートの誰かが提案し、すぐに貴族の間で噂となったらしかった。クラスは四十人もいるのだから、田渕や大家より異世界ラノベの詳しい者がいるのは道理だった。
おまけに、卵や油は、庶民の間では非常に高価で、田渕や大家に材料を揃える事が出来ない。王様の後ろ盾があるクラスメート達だからこそ、マヨネーズを試作して貴族に広める事が出来たのだ。
「やっぱり、鉱山しかないか……」
田渕が呟く。
ある店主から、鉱山夫を進められた。これなら、どんな人間でも即採用らしかった。ただ、体力が必要なので、中肉中背どころか、中低肉中低背な田渕には、かなり厳しいだろう事も、教えてもらった。過労死や、落盤事故が頻発するからこその、門戸の広さと言う事だ。ちなみに、大家も女子としては中低肉中低背なので、鉱山夫としては一日も持たないかもしれないと言われた。
「この世界の……お店って……不思議……」
「……なにが?」
大家の視線から、屋台の話だろう事が理解出来たが、それ以上が分からない。この世界の屋台は、日本のお祭りで、りんご飴やトウモロコシを売っている屋台と、そう違いは無い。大家の出身地はどこかの特殊な地方で、お祭りでの屋台をあまり見た事が無いのかなと田渕は考えたが、大家は、屋台の上方を指さす。
「看板が……無い……です」
田渕は、大家の指の先をじっと見る。確かに言われてみれば物足りない感じがした。よくよく考えると、看板やら、のれんが無いからこその、違和感だった。
祭りの屋台で言うと、『りんご飴』とか書いているのれんが無い。そう思って通りの屋台を見ると、全てに看板のような物が無かった。
「おじさん、どうして看板が無いのですか?」
「カンバン? なんだそりゃ?」
肉串屋の店主は、田渕に首を傾げた。
「あの、例えば店の上に、『肉串屋』って書いて掲げておくのが看板ですけど……」
「そんな事をしなくても、みりゃーわかんじゃねーか。串を並べて焼いてんだから?」
店主は、がははと笑った。
田渕と大家は、顔を見合わせる。
「看板って言う……文化が無いんだ」
「……識字率の問題……かも?」
大家の言葉に、田渕はなるほどと思った。確かにこの世界の文字は、ギルドや商店の記録保管用に用いられており、高度な物だとされている。庶民は、簡単な文字しか使えない。なので、商店に文字を掲げた看板のような考えが生まれなかったのだと考えた。
「じゃあ、絵だ。大家さん、絵師なら、文字の看板じゃなくて、絵の看板を作れない?」
大家は、少し間を開け、遠慮勝ちにだが、こくんと頷いた。
「こっ……これは……」
肉串屋の店主は、恐れおののいた。そして、にやりと笑う。
「良いじゃねーかこれ。俺の店って、確かに遠くからでも分かる。お前らの言う通りだ」
屋台の上には、『肉串屋の店主の似顔絵』と、その横に異世界文字で『イーノ』と、肉串屋の店主の名前が書いてある。ちなみに、看板にした木材は、閉店時に使う屋台の炭の蓋なので、材料費はかからないし、邪魔にもならない、一石二鳥な物を使った。
「おいおい! イーノ、なんだそりゃ!」
通りの向かいにあった武器屋の店主が、串肉屋の前で唖然としながら言った。
「カンバンってやつだ。これで、芋焼きを食べようとした客が、先に俺の店を見つけて、こっちへ来るかもしれん。いや、何より、客の覚えが良い!」
自慢気なイーノを羨まし気に見ていた武器屋の店主は、田渕と大家に言う。
「俺の店にもカンバン作ってくれ! いくらだ! いくら払えば良い?」
「ああ、そうだ! 俺も代金 渡さなきゃな! いくらだ!」
二人に迫られた田渕と大家は、ごにょごにょと相談した後、田渕が答える。
「材料代が掛かって無いので、銀貨一枚(千円)でどうでしょうか……?」
「銀貨一枚ぃ! ふざけんな!」
そう言うと、イーノは自分の肉串の屋台から、肉串を六本取り出し、三本ずつ田渕と大家に渡す。
「安すぎじゃねーか! 食え!」
今日は節約のため、食事は晩の一食だけにしようと思っていた田渕と大家は、ありがたく頂いて、肉串を頬張った。
「ちょ ちょ ちょっ! 食ってねーで、俺んとこも作ってくれよ! あいつは肉串を口に入れてるところの絵だけど、俺は剣を構えているやつを頼む」
武器屋の店主に引っ張っていかれ、今度はそこで同じように看板を作った。『武器屋の店主が剣士風に剣を握っている絵』と、異世界文字で『スルギ』と名前を書いた。
終わった途端、その隣のポーション屋の女性店主に依頼され、その看板を描き終わる頃には、周囲の店主から依頼が舞い込んでいた。
翌日、その翌日も看板を作り続け、三日ほどで、大通りの屋台やフリマ店舗全てに、看板を作り終わった。
それで仕事が無くなるかと思いきや、それぞれの店舗にある店主の似顔絵を見た一般の人々から、今度は自分の似顔絵を描いてくれと頼まれ出した。どうやらこの異世界は看板が無いだけでなく、似顔絵と言う、絵の文化が珍しいようだった。
今日も日暮れまで似顔絵を描き続けた二人は宿に帰って来た。食事を終え、部屋に戻る。似顔絵の収入は一日に三万円程になり、宿代や食事代を引いても、一日当たり一万五千円程の貯金が出来るようになってきた。
「ごめんね。大家さんばかり仕事させちゃって……」
ベッドに座る大家に、田渕は頭を深く下げた。大家は、首を横に振る。
「田渕君も……宣伝してくれるし、描いている間、お客さんに話しかけて退屈させないようにしてくれているから……こちらこそ……です」
大家も、ベッドから立ち上がって、深く頭を下げる。そして二人で笑い合った後、お互いに向き合うようにベッドに腰掛けた。
「大家さん、本当に、絵が得意だよね。さすが職業が『絵師』だね」
すると、大家は小首を傾げて言う。
「ううん……。この世界に来る前から……このくらいは……描けました……」
「えっ? 絵が得意だったの? 元から?」
「……言ってませんでしたけど、私 アニオタだから……、漫画みたいな絵も良く書くの……」
恥ずかしそうに、大家は眼鏡を押し上げた。
田渕は、慌てたように、両の掌を横に振る。
「いやっ、大丈夫だよ。アニオタなんて、今や普通でしょ! 僕も……うん」
何か続けようとしたが、田渕は言葉を飲み込んだ。
「でも田渕君は……職業が吟遊詩人だからか……話すのが……得意そうで助かります。私……得意じゃないから……いつも漫画書いてて……ぼっちで……」
「あっ……違うよそれは……。あの、僕もクラスでぼっちだし……」
静まった部屋で、田渕が意を決したように言う。
「スイッチ……入れて頑張ってるだけなんだ。えっと、同志達と会った時みたいに……」
「スイッチ?」
尋ねられた田渕は、一度自分の顔を両手で覆って、力を込めた後、ゆっくりと手を開いて言う。
「僕も……オタでさ。……ドルオタなんだ」
「どる……、アイドルオタク?」
田渕はこくんと頷いて、続ける。
「多分知らないと思うけど、『SF桃色戦士ハニーハウス乙』って、一般的に言うと地下アイドルの、『お助けメカ』やってて……。あ、『お助けメカ』ってのは、一般的に言うと、ファンって事ね」
「あ……うん。なるほど……」
「お助けメカの同志と会った時は、学校と違って、沢山喋れるんだ。その時の力を、自己暗示で、今は無理やり引き出してる……って感じ。だって……」
「厳しいですもんね……異世界……」
大家がそう言うと、田渕は目を潤ませながら頷いた。
しんみりしていた室内だったが、二人は顔を上げ、お互いの顔を見ながら言う。
「じゃあ、僕の吟遊詩人や……」
「私の絵師の技術は……一体どんなの……でしょう……」
その日は、お互いカミングアウトしたアニオタとドルオタについて、それぞれの推しについて紹介し合ったが、余り理解が伝わる事なく、就寝となった。
異世界に着いてもう一週間が経とうとしていたが、二人は一度もお風呂に入れていない。入浴料金は宿屋に泊るのと同じくらいの料金が必要で、中々捻出出来ない金額だった。肉串屋のイーノは、「庶民は風呂なんて二週間に一度で十分」と笑ったが、田渕と大家には切実な問題だった。
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