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星の失敗

 

 燈惺の妹である睡月(すいげつ)に案内された部屋は、屋敷の一番奥にある詠星苑(えいせいえん)という部屋だった。燈惺から、ここに住めとの命令らしい。しっかり手入れされた屋敷の中で、詠星苑だけは違った。


 庭の草木は自由に生え放題、建物自体も埃臭(ほこりくさ)く手が行き届いていない。そして、使用人たちは詠星苑を避けるように歩いている。


「ここに来てもまた質素な食事とは…」


「白米に汁物、おかずまであるわ。藍家よりは豪華よ」


 不満げな雨衣の隣で、星華は朝食を美味しそうに食べている。


 嫁いで五日経ったが、毎日埃とかび臭い部屋で過ごしている。唯一運ばれてくる食事は質素だが、藍家にいた頃と比べたら立派に見える。


「高官の妻がこのような食事とは…。皇守衛(こうしゅえい)様は、星華様が挨拶に行っても会いもしない。妹は明らかに敵意をむき出しています。馬鹿にしすぎですよ。何よりこの場所は調べたところ、亡霊(ぼうれい)が出るとかで、使用人たちも足を踏み入れたくない場所のようです」


「誰も近寄らないわけね。確かにこの部屋は手入れされていないけれど、繊細(せんさい)な造りで素敵な部屋だわ。調度品だって高級なものばかり、特別な人の部屋だったんじゃないかしら。おまけに睡月は、ここにある衣は好きに着ていいって言ってくれたし」


 漆塗(うるしぬ)りの棚には、眠っている衣がたくさん閉まってあった。さっそく棚から選び、薄い紫の衣を着ている。


 星華は気に入っているが、雨衣はまたもや不満そうだ。


「確かに質は良い衣ですが、何年も前のもののようですし、若い娘が着るような色ではありません」


「食事に、部屋に、衣があれば、私はそれで十分よ」


 藍家から持たされた立派な木箱は見た目だけで、中身はおさがりの衣が一枚入っているだけだった。


 星華にとって衣が与えられるだけで幸運と言える。藍家にいた頃のように、凛鳴の食事の準備や、洗濯、(かわや)の掃除などをさせられることもない。


 主の性格をのぞいては、文句がなかった。


「星華様には、嫌がらせも通用しませんね」


 もぐもぐご飯を食べている星華を見ている雨衣の視線は感心というより、呆れているという感じだ。


「嫌がらせもなにも、殺されかけたんだからもう何も怖いものはないわ」


 あの最悪な婚儀での出来事を思い出す。


「大事な婚儀の日に、襲わせて試すなど酷すぎます。星華様を襲った男は、何事もなく屋敷から逃がされていたのです。ここもあの危険な藍家と何も変わりません」


 怒りが収まらない雨衣をまあまあと(なだ)めるが、思い返せば星華もさすがに腹が立ってくる。


 陵燈惺に求められたのは、仮面の妻だ。

 愛してもらえるとも思っていなかったが、言い方というものがあるだろう。


「相当の悪女になっていることはわかっていたけれど、男遊びはしていいいのに、怪しい行動には容赦しないって、どういうことよ…」


「愛さない代わりに、他の男で遊べという意味でしょう。おそらく、皇守衛様が怪しんでおられるのは、陵家にとって都合の悪いことを探られることではないしょうか。その話だと、星華様のことを間者としても怪しまれているようです」


 あくまで燈惺の言葉を代弁(だいべん)してくれているのだが、そのまま言われるとにさすがに傷つく。


「何よ、何か探られたくないことでもあるわけ…」


「星華様、首を突っ込むのは良くありません」


 子供のように不満げに口を膨らましてる星華を見て、雨衣は怪しむように目を細めた。


 好奇心旺盛な星華の性格を良くわかっている。どうせ、翔貴から星華の手綱(たずな)を握るように言われているのだろう。


「はいはい。でも、一つ分かったことがあるわ。死神様の意味よ」


「どういうことですか?」


「陵燈惺の容姿を見たでしょう?あんなに美しい人に会ったことがない。死神様に会うと魂を抜かれるというのは、美しさの(とりこ)にもなるってことよ。でも合っているのはそれだけ…」


「確かに、美しい人ではありましたが…。それだけとは?」


「凛鳴から聞いた、恐ろしい話は嘘よ」


「しかし、都の人達は皆…死神様の噂を知っていました」


「あんなに有名な話なのに屋敷に入ってみると、陵家の使用人に怪しい動きはないし、庭を見て回ってもここ以外は手入れされ、遺体なんて埋まっていない。嫁ごうとした娘が死んだという噂も真実があるはず。きっと誰かが、彼に近づく女や縁談話が来ないように、わざと死神様という恐ろしい噂を流している。嘘と少しの真実を混ぜてね。おそらく合っているのは、冷たい性格とあの容姿の美しさに魂を抜かれるって部分」


 星華と同じように、陵燈惺も誠ではない噂を流されている。


 婚儀の日に初めて実物を見て、翔貴の言っていた意味が分かった。『王宮で彼を見たものは嫁ぎたくなる』皆、あの容姿に魂を抜かれるのだろう。


「まさか…、星華様も魂を抜かれたのですか?」


「私は抜かれる前に、夢から冷めたわ。いっそ魂を抜かれた方がましだった」


 あの不敵な笑みを思い返すと、してやられたと腹が立つ。


 斬られそうになった時、抱きしめられた感触を思い出して、必死に頭を振る。


 心臓の鼓動が早くなったのは、殺されかけたから。そう言い聞かせ、星華は勢いよく立ち上がった。


「こうしていても何も始まらない。まずは部屋の掃除よ」


 







「よし、部屋はだいたい終わったから。次は庭ね」


 星華と雨衣は、詠星苑の寝室を綺麗(きれい)に掃除した。埃を取り、水拭きしたら、見違えるような部屋になった。


 ずっと部屋で過ごすか、使用人たちに無視されながら屋敷を散歩するだけの毎日で退屈だったため、久しぶりに体を動かしとても気分が良かった。


 この際だから、この詠星苑をもっと素敵な場所にしたい。


 夕方になっても、二人は共に庭を手入れしていた。


「体を動かせて楽しいわね」


「草むしりを楽しいという令嬢なんて、星華様だけです」


 楽しそうな星華の姿に、雨衣もまんざらではなさそうだ。


「…何をしている?」


 しかし、五日前ぶりに聞いたその声で、穏やかな空気に突然緊張が走る。


 地を這うよな低い声に顔を上げると、燈惺が庭の前に立っていた。そばには、従者の玄士と睡月、数人の使用人たちがいる。周りの強張った表情に、ただ事でないと察する。


 燈惺は王宮へ上がっている時もあるようだが、屋敷の書斎にこもっていることが多い。


 一応妻として朝の挨拶に行ってみたが、部屋にも入れてもらえずに追い返された。


 久しぶりにこうして対面すると、燈惺の容姿に威圧される。


「えっ…庭を綺麗にしようと」


「違う。なぜここに住んでいるかと聞いている」


「あなたが…」


 最後まで言う前に、睡月が燈惺の元まで駆け寄り、何か言いたそうに燈惺の手を掴んだ。


「兄上…」


「睡月。彼女の世話はお前に任せたはずだ」


 その途端、睡月は燈惺にすがりつき涙声で話しだした。


「私はきちんと部屋を準備していたのに、藍星華が詠星苑の噂を聞いて…どうしてもここが良いというの。私は何度も止めたのに…、きっと兄上の気をどうしても引きたかったのよ」


 何が起こっているのか良く分からない中、一つだけ明らかなのは詠星苑は足を踏み入れてはいけない場所だったということだ。


 周りの青ざめた様子に、良くない状況なのだと痛感した。


 燈惺はその美しく冷たい瞳で、星華を黙って見ている。一瞬瞳が揺れたと思ったら、燈惺は勢いよく星華の胸元を掴んでいた。


 あまりに乱暴な仕草に、玄士たちも不安げな表情で様子を見守っている。強い力で衣が引っ張られ、息が苦しくなる。


「この衣は…」


「部屋の棚に…閉まってあったものです」


 燈惺の問いに答えた途端、荒々しく突き飛ばされた。


「いっ…」


 地面に勢いよく尻餅(しりもち)をついた。体に焼ける様な痛みが走る。凛鳴に突き飛ばされていた時とは痛みが違う。


 そして、燈惺は手にしていた剣を(さや)からを抜き、その切っ先を星華へと向けた。

 

 皆が息を呑んだのがわかる。雨衣が動こうとしたため、星華は動くなと手で合図した。今、動いたら星華も雨衣も命がない。


「お前は何を考えている?少しでも怪しい行動があれば、容赦しないといったはずだ」


 この数日遠くから見ていた燈惺は表情一つ変えなかったが、今は明らかに苛立ちが見える。


「好きにしたらいいと言ったのは、貴方です。それに私はここに住めと言われたから、住んでいるだけです」


 燈惺は背筋が凍るような笑みを浮かべた。あまりの冷たさにぞっとした。


「嘘をつくのか?それに好きにしていいと言ったのは、他の男と好きに遊んでいいという意味だ。この屋敷で勝手をするのは許さない」


「貴方が何を信じようと勝手ですが…、私は嘘をついていません。言われた通り、この部屋に住みます。気に喰わないのならば、その剣で斬ればいい」


 今、死神相手に恐ろしいことを言った。そう我に帰った時は遅かった。


 剣の刃は首すれすれまで近づけられている。星華が少しでも動けば、首に刀傷が残る。


 長い間、二人は見つめ合った。見定める様な視線に、星華も負けじと答える。


 燈惺はゆっくりと剣を下ろした。そして、星華に目もくれず身を翻して去っていく。睡月も急いでその後を追っていった。


 星華はそのまま地面に崩れ落ちた。


 言いたいことはたくさんあったが、孤独で寂しそうな背中を見つめるだけで精一杯だった。

 

「星華様、…大丈夫ですか?」


雨衣と玄士だけが駆け寄り、立ち上がらせてくれる。


 玄士は短髪で星華よりも年上のはずだが、童顔で若く見える。誠実そうな青年で、この屋敷で唯一星華を気にかけてくれている。


「ありがとう。…大丈夫」


「この場所は…」


「その先は言わないで。なぜあんなに怒るのかは、本人から直接聞きたいの」


 そう言いながら、星華は泣きたくなった。 

 

 向きあうたびに剣を向けられている。その剣が星華を傷つけたことはないが、向けるたびに自分の存在が燈惺の心を斬っているような気がした。


 わざとではなくても、燈惺の心を酷く傷つけた。


 いつもは何も見えない瞳の奥が、とても悲しんでるように見えた。


 決して、あんな顔をさせたかったわけではない。

 

 初めて見た燈惺の表情に、初めての感情を覚えた。


 玄士は少し驚いた表情をした後に優しく微笑むと、深く頭を下げ詠星苑から出て行った。


 



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