星の嫁入り
娘たちによって、何よりも大事な婚礼の日は簡単にやってきた。
王弟から賜った婚姻ということで体裁を保つため、叔父により輿と花嫁衣装は用意してもらえた。
どちらも贅をつくした立派なもので驚いた。輿は朱の漆で作られており、金が全体にちりばめられている。
叔父上がこんな高価なものを準備してくれるとは。
本来なら屋敷中の人々に見送られるものだが、使用人たちはいつも通り星華を目に入れないようにしている。
藍家から、ようやく疫病神が去るのだ。凛鳴だけは子供のように騒ぎ、待ちに待った日を祝っていた。
叔父夫婦だけは輿の前まで見送ってくれたが、心なしか申し訳なさそうに見えた。
両親が亡くなる前は、良く可愛がってくれていた。その恩は忘れないが、両親が亡くなると人が変わってしまった。
そして、凛鳴が星華を疎むようになると、叔父夫婦も星華への態度をがらりと変えた。
藍家当主の一人娘となった凛鳴はますます我儘になり、自分より美しい娘や、横柄な態度を指摘した者などには容赦なかった。
お金に物を言わせ、人を雇い襲わせることもあれば、善良な店を潰したこともある。
叔父たちはそんな娘を野放しにして、娘の罪を全て星華に擦り付けた。従姉妹をいじめ、男遊びが激しいというおまけつきだ。
そのような名声を背負い嫁に行く星華に待っているの未来は、叔父たちにも見えているだろ。
最後に屋敷を目に焼き付ける。
あの惨劇の後、叔父たちが住む家が藍家当主の屋敷となった。
この屋敷に来てから苦難の日々だったが、しっかりと生きてくることはできた。
もう帰る場所はない。星華は最後に、叔父たちへ深々と頭を下げた。
花嫁衣裳を引きずり輿へ乗りこもうとしていると、凛鳴が上機嫌で目の前まで来た。星華の花嫁衣裳をまじまじと見つめると、馬鹿にしたように笑う。
「貴方が死神様の寵愛を得ることを願っているわ」
「私も貴方がもう人を傷つけないことを願ってる」
とそれだけ言葉を残し、星華は輿へと乗り込んだ。あえて凛鳴の顔を見ることはなった。
雨衣はそんな星華へ寄り添い、うっとりと花嫁衣裳姿を眺めている。紅い衣には金色の刺繍が施されていて、憧れていた美しい花嫁衣装だった。
「星華様…とても美しいです」
「貴方も綺麗よ。男装も似合っているけれど、やっぱり女ものの衣も素敵だわ」
いつもは男装をしていた雨衣も、今日は女物の衣を羽織っている。
他の使用人のおさがりだが、美しい雨衣は着こなしていた。本人は不便そうだが、星華は女の子らしい雨衣を見れて嬉しかった。
輿は街中をゆっくりと揺れながら進んでいくが、陵家に近づくほど、二人の表情は曇っていく。
普通なら嫁ぎ先から迎えがあるものだが、星華と雨衣は二人だけで向かっている。支えあうように手を握り合った。
裕福でない家でも、花嫁は嫁ぎ先から派手に迎えられる。貧しくとも時間と想いを込めて準備をするほど、婚儀は大切なものだ。
それなのに今回陵家からは、陵燈惺は戦場から帰ってきて傷が癒えていないため、婚礼は簡易にと連絡がきた。
つまり、陵家の方も星華を迎えたくないという意味だろう。嫁入り前から前途多難だ。
無事に陵家の屋敷につくと、小柄な美しい娘が門の前で立っていた。
大きな瞳に小さな唇。桃色の衣が良く似合っている。堀が深く人形のような少女だ。
噂の人の妹と思えないほど、可愛らしい人だわ。星華は純粋に驚いた。
前髪は綺麗に分けており、腰までの髪を垂らしている。玉の耳飾りに、花々が散らばった簪、宝飾品は数は花嫁の星華より豪勢だった。
「陵燈惺の妹、睡月と申します」
「藍星華と申します」
頭を下げると、睡月はあからさまに困ったように口元を手で隠した。
「今日はとてもおめでたい日ですが父は隠居の身で、主役の兄上は急用があり…」
遠まわしだが、言いたいことは明らかだ。婚礼を行えないという意味らしい。屋敷にも入れる気がなさそうだ。
可愛い顔をしているが、花嫁を中に入れないとは手ごわい相手だ。
「馬鹿にしています」
「…静かに」
今に飛び出しそうな雨衣を諫めると、星華は一歩前に出た。
「この度は王弟殿下にたまわった婚姻です。今日から、どうぞよろしくお願いいたします。旦那様がおかえりになるまで待たせて頂きます」
「なっ…」
あくまで笑顔でもう一度頭を下げ、真っ直ぐに門をくぐった。
勢いで入ってきてしまったが、どうしたらいいのだろう。
燈星の部屋という場所で、星華は立ち尽くしていた。
死神の屋敷は想像とは全く違った。
さすが代々王をお守りしてきた名門家だ。立派な屋敷で、藍家より遥かに広い。
庭も建物も美しい造りで品があり、武官の屋敷とは思えなかった。
燈星の部屋も驚くほど広く、華美ではないが一つ一つが手の込んである調度品ばかりだ。部屋からは、噂のような粗忽さを全く感じない。
婚礼は嫁ぎ先で親族に囲まれ誓いの儀を行い、盛大な料理でお祝いする。
もちろん屋敷の中にはそんなものはなく、逃げるように燈惺の部屋という場所に逃げ込んだ。雨衣は部屋の前で待っている。
婚儀の後は花嫁が寝台で花婿を待つという風習にならい、仕方なく寝台を椅子がわりに待つ。
この様子では、私の部屋もなさそうね。嫁いだ日に相手がいないなど、凛鳴が喜びそうな展開だ。
でも、こんなにふかふかのお布団なんていつぶりかしら。両親を亡くしてから、恋しい感触だ。
どのくらいの時が経ったのだろう。いくら待っても噂の陵燈惺は来なかった。
もう寝てしまいそうよ。うとうとし始めた途端、殺気を感じた。
顔を上げた時には遅く、黒ずくめの服装の男が星華に剣を向けていた。
鼻まで黒い布で覆っているため、表情が全く見えない。そのまま、ゆっくりと近づいてくる。
「…何者なの?」
驚きで声がうわずる。男の狙いは星華で間違いない。しかし、男はそれ以上行動を起こさない。
どういうことなの?向けられた剣をじっと見つめる。
星華は意を決して、寝台の上の枕を刺客に向かって投げた。
刺客は以外にも驚いたようで、その隙をついて駆けだした途端、男の向けた刃が顔の目の前まで来ていた。
「きゃっ…」
手で顔を隠した時、もう片方の手を強く引かれた。
力強い手に引かれ、体がくるりと回る。
恐る恐る瞑った目を開くと、星華は何者かの腕の中にいた。もう一度、力強く引き寄せられる。
星華は自分を抱くように立つ男の顔を見て、言葉を失った。
この世の人と思えない美しさだった。
男は顔に似合わない剣を持ち、刺客の首を一瞬で捕らえている。張り詰めた空気に背筋が凍った。
「燈惺様…、大丈夫ですか?」
部屋の外から屋敷の者が駆け寄り、刺客を押さえている。
「連れていけ」
「はっ…」
屋敷の者達に刺客は取り押さえられ、どこかへと連れていかれた。また二人きりになり、恐ろしいほどの沈黙が続く。
この人が、私の夫となる人。
精悍な輪郭に、すっと通った鼻、そして切れ長な漆黒の瞳。全てが整っている。
漆黒色の艶やかな髪は後ろで結っており、背が高く見上げてしまう。武人とは思えないほどすらりとしていた。
そして、婚礼の儀というのに、真っ黒な衣に身を包んでいる。真っ黒だが全体に施された金の刺繍が華やかで、星華の紅い花嫁衣装と妙にあっていた。
まるで、絵を見ているかのような美しさだが、その瞳は鋭く星華を射抜いている。
「貴方が…燈惺様。私は…貴方の妻になる藍星華と申します」
急いで燈惺から身を離すと、戸惑いを隠せないまま星華は慣例どおりに頭を下げた。
「私の妻?襲われて怖くないのか?」
美しい容姿とは裏腹に、声はとても低く男らしさを感じる。
「怖くありません。あの男はこの家のものでしょう?貴方の指図ですか?」
「…賢いようだな」
「あの男に私を殺す気は全くなかった。そうでなければ、私は今こうしてなんていられません。そもそも、皇守衛の寝所に刺客が入るなど、その程度なら貴方は英雄になっていない」
そうでしょうと笑ってみせると、燈惺は口角を上げた。あまりの妖艶さに眩暈さえ覚えるほどだ。
決して微笑んでいるわけではない、好意的でない笑顔さえ彼は魅力に変えるようだ。
「逃げるなら今だぞ」
「私には帰る場所が…ありません」
婚礼の日に、花嫁を襲うなどありえない。
こんな家に嫁ぎたくないと、言わせるつもりだったのかもしれないが、星華にはもう行き場所がないのだ。殺されても、引き返すことができない。
「王弟から賜った婚姻だ。私も断る気はなかった。どうせお前も事情があって、この婚姻を受けたのだろう。なら好都合だ」
「どういう…ことでしょう?」
「お互いの為に、夫婦を演じればいいという話だ」
「…演じるとは?」
「言葉の通りだ。必要な時に妻を演じてくれれば、好きなように過ごしてもらっていい。噂の男遊びは続けてればいい。ただ行動には気をつけろ。以前のよう噂にならぬよう、うまくやれ。陵家の恥になる」
星華は開いた口が塞がない。婚礼初日にそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
やはり、燈惺は別の目的で星華を娶ろうとしている。
「そこまでして…貴方はこの婚姻で何を得れると?」
「それはお互い知らない方が良いだろう。ただ、お前が裏切り、陵家を貶るようなことがあれば話は違う。怪しい行動は一切容赦はしない。それだけは覚えておけ」
まるで、脅しだ。その言葉に嘘はない。
その時が来たら、彼は迷わず星華を斬るだろう。何も言わず真っ直ぐに燈惺を見つめ返すと、彼はそれを肯定と捉えたようだ。
燈惺は机の上に置いてあったお酒を手で指した。
それだけは、準備していたのね。星華は不満を抱えたまま、燈惺と机の前に立った。
お酒は婚礼用の紅い漆器に入っていた。
夫婦が永遠に仲睦まじく過ごすことを表わす伝説の鳳凰が、金の彫刻で表現されている。見ただけでも、とても立派なものだ。
慣例通り、お互いにお酒を注ぎ交わす。
星華は刺客に襲われてから心臓の鼓動が早く、震えを止めるのに必死だった。そんな星華と異なり、燈惺は冷静で余裕の態度には優雅ささえ感じた。
最後に、二人向き合い注ぎ交わした夫婦の誓いの祝い酒を飲んだ。
「これでお前は死神の妻だな」
不敵な笑みに、冷酷な死神という意味が良く分かった。
この世の者とは思えないほど美しさ。
そして、逃げ場を与えない残酷さがあるくせに、彼はその美しさで逆らえさせない。気が付いたら、その美しさに魅入らせられてしまう。
こんな婚礼など…酷すぎる。自分の意見ばかり押してつけてくる。など、言いたいことはたくさんあるのに、星華は何も言えず見つめ返すことしかできなかった。
下手に動いたら、自分の命を危険にさらしそうだと、心の中で言い訳する。
燈惺の瞳の奥は、とても冷たい。
なぜ、こんなに冷たい瞳をしているのだろう。星華は込み上げてきた感情にそっと蓋をした。
その理由に触れてしまうと、永遠に逃げられなくなりそうだ。
「燈惺様、やり過ぎでは…」
偽りの誓いを交わした後、星華をすぐに客間へと行かせた。
玄士は、燈惺の部屋に入ってきた途端、何か言いたげだ。しかし、燈惺はその先は言わせなかった。
「睡月を呼べ」
「…はい、すぐに」
地を這うような低い声に、玄士はすぐに部屋から消える。命令通り、駄々をこねている睡月を連れて来た。
「何をした?自分が犯したことの事の大きさををわかっているのか?」
燈惺は感情をあらわにしないが、その声でどれだけ憤っているのか、普段共に過ごしている人達には良く分かる。
今にも切れそうな糸が、部屋中に張り詰められているよう感覚だ。恐ろしいほどの緊張が走る。
星華を刺客に襲わせたのは、妹の睡月だ。
燈惺の問いに、睡月は諦めたのか態度を変える。
床に膝を付き、許しを請いはじめた。本気かわからないが、大粒の涙を流している。
「だって…あんな最低な女が兄上の妻になるなんて許せないわ。噂は知っているでしょう?あの女は従姉妹までいじめていたらしいわ。今度は私がいじめられてしまう…」
「いつも言っているだろう、もっと考えて動け。今回は明らかにこちらが悪い。あの女が騒がなかったから、良かったものの。普通なら王弟に報告されて、お前は処罰だ。王弟には逆らえない」
「そんな…」
お願い助けてと、睡月は泣き続ける。燈惺は大きなため息をついた。
「あの女の度胸に感謝しろ。同じようなことは、決して起こすな。お前の義姉としてしっかり迎えろ」
「…はい」
泣きはらした目で、睡月は小さく頷く。顎で扉を指すと、逃げるように出て行った。
睡月がいなくなった部屋で、燈惺はまた息をついた。さすがに妹の企みには肝を冷やした。
怪しい行動がないか、わざと出迎えず星華の様子を見ていた。思考が幼い妹ではあるが、睡月が花嫁を襲わせるとは予想外だった。
剣が星華を傷つけようとした時、勝手に体が動いた。刺客役もまさか星華が反撃に出るとは思わず、体が動いたのだろう。
燈惺が手を出さなかったら、剣の刃が星華の白雪のように美しい頬を傷つけていただろう。星華の腰は驚くほど細く、雲をつかんでいるような軽さだった。
「あの女…ただものではない」
「しかし、婚礼の日に襲わせるなど…」
心優しい玄士は、今回の陵兄妹の行動に怒りが収まらないようだ。その後の燈惺の冷たい対応にも納得していない。
「睡月の行動はやり過ぎだ。こちらに非はある。しかし、あの女は婚姻前も屋敷を抜け出していたと報告がある。男と会っていたとは明らかに怪しい。ただの密会ではなさそうだ。行動を探るにはいい機会だった」
「抜け出していたのは怪しいですが…噂の人とは思えません」
「さすが噂の悪女は、お前さえも一瞬で虜にしたようだな」
「そんなこと…ありません」
確かに、星華は美しかった。
零れ落ちそうなほどの大きな瞳はくるくると表情を変え、頬は白雪のように白く陶器のように透明だった。
紅い花嫁衣装が、星華の色白の肌を一層際立させていた。女子にしては身長が高く華奢な体つきで妖艶さはないが、どこか消えてしまいそうな儚さがあった。
そして、あの大きな瞳は真っ直ぐと燈星を見つめていた。
華やかさと儚さに負けない、彼女の芯の強さも見えた。瞳の奥に見えた消えない輝きが、頭から離れない。
あの風貌で噂通りの女なら、死神より恐ろしいのではないか。
「見た目には騙されない」