星の行き先
都の端にある小さな麵屋はお客で溢れていた。
今にも壊れそうな古い厨房で、女主人は衣が汚れるのも構わず熱々の麺を作っている。
まとめられた髪には白髪が混じっているが、年齢は五十歳ほどだ。お客は狭い小屋に入りきれず、外の席まで人で埋まっていた。
「はい、麺一つどうぞ」
麺を丁寧に席へ運んでいるのは、藍星華。
衣は質素なものだが、腰までの珍しい茶色の髪はなめらかで美しい。前髪を上げるか、横に分けている娘が多い中、星華は前髪を薄く下ろしているため、どこか幼さが残っているが咲き誇るような笑顔には上品さが漂っていた。
何より大きな瞳が印象的だ。
大きな瞳はくるくると表情を変え、お客の顔までも和んでいく。
その隣で黙々と動いているのは雨衣という少女だ。
愛嬌の良い星華と比べ、とても無愛想だ。
切れ長な瞳は、表情を変えない。近寄りがたいほどの美貌を持っているが、髪は一つにまとめ男物の服を着ているため、知らない者は男の子だと思うだろう。
二人の働きぶりで、小さな麵屋は大盛況だった。
客の足取りが落ち着いた頃、二人は勢いよく麺を口の中へかき込む。
「もっとゆっくり食べなさい」
「琳おばさんの麺は最高なんだもの。名店だわ」
「何が名店さ。こんな都の端にある店なんていつ潰れても誰も気付かないよ。あんたたちが来てくれた時が私の稼ぎ時さ」
ぶっきらぼうにそう言うが、琳おばさんは嬉しそうだ。
「こちらこそ、手伝った代わりにお腹いっぱいく食べさせてくれるんだもの。いくらでも手伝います」
「お金ではなく、麺を食べさせたらいいなんて…あんたたちはほんとに変わってるよ」
華奢な二人は麺を三杯も平らげ、琳おばさんの元から去った。
「よし、これで数日は持つわね」
都の人混みの中を豪快な足取りで歩きながら、星華はお腹をぽんと叩く。
お嬢様らしくない主のしぐさに、雨衣は頭を抱えていた。
「星華様、琳おばさんの手伝いは私がしますから」
「良いのよ。お手伝いは楽しいし、お客から色んな話を聞ける。食事も頂けて、情報集めもできる。一石二鳥だわ」
「…わかりました。早く戻りましょう。また、騒がれたら面倒です」
屋敷に戻ると、二人は慣れた手つきで使用人と共に食事の準備を始めた。しかし、屋敷を出たことが使用人から告げ口され、その夜二人の食事はなかった。
そういう時は、いつも屋敷の奥にあるお仕置き小屋へと入れられる。
「お茶碗一杯もない食事をもらうより、麺をたらふく食べて正解だったわ」
と悪戯したあとの子どものように笑う星華に、雨衣は抑えきれずふっと笑みを零した。
星華は衣が汚れるのも構わず、どこからかかき集めて来た藁の上に寝転んでいる。怖がらせるために灯りもない部屋で、もはや自分の部屋かのようにくつろいでいるのだ。
「ほら、雨衣も休める時に休まないと」
そして、当たり前というように自分の藁を雨衣へと分け与える。藁を布団かのように大事に扱う星華を見て、また表情が緩んだ。
仏頂面と言われる雨衣も、星華の明るさには敵わない。
「きゃっ…」
次の日、星華は名門藍家の屋敷とは思えない、みすぼらしい部屋で飛び起きた。
また、あの夢を見てしまった。
衣は冷や汗で濡れている。傍で寝ていた雨衣も心配そうに起き上がった。
「あの…夢ですか?」
「えぇ。いつものことだから気にしないで」
と言いながら、星華は大きく背伸びをした。
たまに血に染まった自分の手が映って、夢から冷める時がある。またあの血で終わった。
星華は両親が亡くなるのを遠くから見ていただけで。血で汚れてはいなかったはずなのに。
どちらにせよ、夢だ。
左手に付けている水晶珠で作られた腕輪に優しく触れる。両親の大事な形見だ。
腕輪に触れると、不思議と心が落ち着くのだ。
「よし、急ぎましょう」
時間に遅れると後が面倒だ。身支度を始めると、足音が近づいてきた。今日は何か様子が違う。
突然荒々しく扉を開けたのは、やはり従姉妹の凛鳴だった。にやりと笑みを浮かべ、何か企んでいる。
悪い顔しなければ、少々気は強くても美しいのにもったいない。そんなことを思っていると、思い切り肩を押された。
勢いよく尻餅をついて見上げると、凛鳴は満足そうに声を上げて笑った。
「相変わらず、太々しい態度ね」
「貴方がこの屍部屋にやってくるなんて、どうしたの?」
雨衣に抱き起されながら、凛鳴を真っ直ぐと見据える。
星華の部屋は通称・屍部屋と呼ばれている。
もちろん屍などあるわけない。
石のように硬い寝台があるだけだが、凛鳴が勝手にそう呼び始め、周りからも屍部屋と呼ばれるようになった。
元は物置になっていた部屋で、床はぎぃぎぃといつも音を立てている。
そんな部屋で、凛鳴は今日も上等な衣を羽織り、髪飾りに耳飾りと重そうな物ばかり身につけている。
わざわざ目が痛いほどの煌びやかな衣で来る場所ではないだろう。
「良い報告があるからわざわざ来てあげたのよ。ほらお父様とお母様も」
「叔父上、叔母上」
娘に負けない華やかな衣で現れた叔父・叔母に星華は頭を下げる。この二人の登場となれば、笑い事では済まされない。
「今日はお前に大事な話がある。お前の…嫁ぎ先が決まった」
「嫁ぎ先?」
今まで、この会話は何度か繰り返されてきた。
「陵燈惺、皇守衛指揮官との縁談が決まった。名門貴族で高位につくお方だ。隣国との戦では先頭に立ち勝利をおさめ、最年少で指揮官の地位につかれた。喜びなさい。王弟が賜ってくださったご縁だ。断ることは絶対にできん」
王族に賜った結婚は、立派な命令となる。いつものように破談とはいかない。
「叔父上の……言う通りに」
そう渋々頭を下げる星華を見て、凛鳴はとても嬉しそうに微笑んでいた。
込み上げてくる怒りとも、諦めとも言えない感情を収めるため、拳をぎゅっと握った。
叔父と叔母は星華の反応を見届けると、逃げるように部屋を出て行った。自分の娘が名付けた屍部屋がさぞかし嫌らしい。
もちろん屍部屋の名付け親は帰らない。ここからが本番のようだ。
「貴方は知らないだろうから、陵燈惺がなんて呼ばれているか教えてあげる。冷酷な死神よ」
「死神…」
龍永国で、死神はとても恐ろしい存在とされている。
黒い衣を着ており、背は見上げるほど高く、恐ろしい風貌をしているという、死の象徴だ。
「実際に戦場で何人も殺めている。身分は高くとも、見た目は恐ろしく、出会ったら最後。死神に会ったかのように魂を抜かれるらしいわよ。陵燈惺に嫁ごうとした娘は、二人どちらも亡くなったらしいわ。そして、陵家の屋敷には本物の屍がたくさん埋まっていて、屋敷からは良く死体が運ばれてる。屍部屋の娘には、とてもお似合いだと思わない?」
「そうね。あなたがさぞかし選び抜いた縁談なのでしょうから。国を救った英雄に、しっかり嫁ぐとするわ」
そう笑顔を見せると、凛鳴は面白くなさそうだ。
「貴方みたいな女が、側室がいない相手に正妻として嫁ぐなんて幸せだと思いなさい」
凛鳴は荒々しく言い放ち、部屋が臭いとばかりに鼻を押さえ出て行った。雨衣がすぐに駆け寄ってくる。
「星華様、どうするのですか?」
さすがに突然の縁談に戸惑いを隠せない。しかも、今回は凛鳴のただの意地悪ではない。
いつもは凛鳴が相手を探してくるが、今回相手を探してきたのは王族だ。
「王弟によるものよ。どうするも何も断ることができないわ。今までの嫌がらせの縁談とは重みが違う。きっと叔父たちは何があろうと私を嫁がせるわ」
「死神の話は私でも聞いたことがあります…」
「どんなに断ろうと、凛鳴は最悪な相手へと私を嫁がせる。今までどうにか逃げてきたけれど…今回は覚悟を決めないといけないようね」
凛鳴と星華は血が繋がった立派な従姉妹だ。
星華の父が長子でこの家を継いでいたが、両親が亡くなった後、叔父家族が藍家を仕切っている。
叔父は、父と正反対の性格だ。
強者にはすり寄り弱者には横暴、金と権力に目がない。贅沢暮らしで、娘である凛鳴を目に入れても痛くないほど可愛がっている。
凛鳴は昔から星華のことを嫌っており、数えきれないほどの嫌がらせや、それ以上の酷い仕打ちを受けてきた。
使用人に必要以上の給金を渡し、星華を見張らせている。
普段は屋敷に閉じ込めているが、どうしても必要な公の場では豪華な衣で星華を着飾り、屋敷に戻るとすぐにはぎ取られる。
両親を亡くしても贅沢暮らしで、従姉妹をいじめる最低な悪女としての噂も流され、使用人は屋敷のことを漏らさないようにしっかり言いつけられている。
まさに抜け目がない。星華をいじめることに際しては、妙に長けている。
そんな凛鳴が納得した縁談というのなら、その燈惺というのは相当の相手なのだろう。
「ただ、王弟からというのが気になるわね」
「王弟の妻は、星華様のお母様の妹君です。いくら血の繋がりがないと言え、妻の姪を恐ろしい場所へ嫁がせるでしょうか…」
雨衣の言う通り、星華の母の妹は王弟の妻だった。しかし、四年前亡くなってしまった。
王弟は王族では珍しく側室を持たず、その後も新たな妻を迎えていない。
「伯母様はもういなくなってしまったし、王弟も昔は可愛がってはくれていたらしいけど、母達が生きていた頃までの話よ。最近は何も音沙汰はなかった。今回の縁談は、何か思惑があってのことでしょう。命がおりた以上、今は身を任せるしかないわ。この屋敷を出た方が…両親を殺した相手を見つけることができるかもしれない」
「星華様…まだ諦めきれないのですね」
雨衣の憐みの視線に、胸が苦しくなる。こんな小娘がそんなことできるはずないと良く分かっているが。
「諦められるわけないわ。何も罪がない両親が、目の前で殺されたのよ。記憶があまりないと言ったって、あの時のことだけは決して忘れることができない…」
あの惨劇の犯人はわかっていない。
盗賊によるものだとされているが、星華は違うと思っている。
血の海の中、庭に広がっていた香りは、とても高貴なものだった。あの香りだけは忘れない。
星華は元々幼い頃の記憶があまりなく、王弟や王弟夫人から可愛がってもらっていた記憶も残っていない。
両親との記憶も、あの惨劇の衝撃からより薄くなってしまった。
もはやほとんど幼い頃の記憶が残っていないというのに、あの日両親を亡くした日のことだけは恐ろしいほど鮮明に覚えている。
「私は…どこまでもついて行きます」
「雨衣、ありがとう。貴方と一緒にいれるなら、どこへ嫁いでも平気よ」
彼女の言葉だけには嘘がない。星華は込み上げてきた不安を隠すように雨衣を強く抱きしめた。