グリヘイラの屋敷 その一
「さて、それじゃ、早速行きましょ」
「は、はい……」
死ぬかと思った。いや、多分一回死んだ。僕はヒビが入った地面を見ながらそう思った。こんなすごい人がそばにいてくれるのだから、きっとこの旅は安心安全だ。
「念のためもう一回言っとくわ。アンタは何も覚えていない。良いわね?」
アリガさんに顔を掴まれ、ぐっと引っ張られる。
「ははは、はい!」
アリガさんは頬を少し赤く染めながら、僕を睨みつける。しばらくは色々と話づらそうだ……少し残念だが、しょうがない。僕も抵抗しようがない。男だし。
「……」
アリガさんが、何か言った気がしたけれど、僕に聞き返す勇気はない。聞き返したとしても、いい答えは返ってこなそうだ。少しの沈黙の後、アリガさんは「さ、行くわよ」と、今まで僕らが生活していた空洞を出て行った。僕はここに来て最初に見た本棚を見る。ぎっしり詰められていたはずが、一冊分の隙間があることに気が付く。ここにあるのは本棚に自作のスツール。僕が作った不細工なものと、アリガさんが作った綺麗なものが二つ。小さなテーブルに焚火用の木材。何故だか、僕は普段以上にこの空洞をよく観察した。長い事住んでいたわけではない。多分一か月ほど。でも、ここは僕が、僕達が生きていた大切な場所だ。
「さよなら」
僕はそう言って、アリガさんの後を追った。相変わらず今日も空は暗い。でもなぜだか、今日はいつもより明るく感じた。
* * *
歩く。歩く。歩く。どれくらい歩いたか、もうわからない。身体強化はただ魔力で力を上げるだけではなく、物理的攻撃や疲労の軽減もしてくれる。しかし、魔力は回復することが無い為、ポーションなどの魔力増強剤で一時的に自身の魔力を上げるか、休んで魔力が自然回復するのを待つか、魔力が漂っている場所の魔力を吸収するかしかない。しかし、僕達の魔力が尽きることは無かった。地を蹴り空を駆け、たまに魔物や魔族が潜んでいそうな洞窟や、荒廃した建物群などを探索し、何もなかったらまた身体強化で高速移動。これをずっと繰り返していた。地上にいる時間より空中にいる時間の方が長く、風を感じて気持ちいいのだが、ずっと同じことをし続けるのにも飽きてきた。魔力が尽きることも体に疲れが溜まること殆どない。持ってきた食料も減らないが、やはり、精神的に参ってくる。
「ああー……ここもなんもなしね」
「比較的損傷もない大きな屋敷だったんですけど……」
僕たちは、多分かなり昔に建てられたであろう大きな屋敷のある、大きな亡国の探索を行っていた。今まで数十と廃村や遺跡などを見てきたが、それらに比べ、ここは建物の損壊や損傷なく、とても綺麗だった。家や屋敷は埃まみれで人の気配などしないし、物も何もない。依然として何か見つかることは無く、僕たちはそろそろ引き上げようとしていた。
「しっかし変よねえこの屋敷。荒らされた跡もなしの綺麗な状態なのに、家は埃まみれ、しかも家具もなんもないって」
景観
アリガさんは肩をすくめ、溜息を吐いた。今回は屋敷がとてつもなく大きく、景観も良く綺麗だった為、僕たちは期待していた。しかし、ふたを開けてみたらこのありさまだ。ずっとこんな調子で、流石にもう精神的に疲れ切ってしまった僕たちは、ここで寝泊まりすることにした。他より比較的埃っぽくない部屋を風魔法で簡易的に掃除し、カーペットに横たわった。
「はあ……まともな床で寝るの、何年ぶりかしら!」
アリガさんはゴロゴロと左に右に寝転がり、はしゃいでいる。普段はクールなアリガさんが時折見せる少女の様な一面は、僕の癒しとなっていた。アリガさんは気づいていないだろうけど。というか、気づかれたらまた拳が飛んできそうだ。
「僕も久しぶりです……あ、でも僕はアリガさんの膝にお世――」
失言への返答。拳。
「ぐべっ!」
「あれ~? そんな事私したことないはずよ?」
アリガさんは笑顔で、右手で握りこぶしを作りながらそう言う。その拳には結構な量の魔力が集中しており、殴られるなどしたら、普通の人間は死んでしまうだろう。
「は、はい!」
アリガさんの拳から魔力が散ってゆく、助かった……。それにしても、寝転んでいる状態から一瞬で起き上がり的確に顔に拳を打つなんて、本当にこの人はすごい。
「とりあえず。今日はここで休憩しましょうか。変にストレス抱えたまま旅するより、適度に休めたほうが楽しいわ」
「そうですね~」
僕は目を閉じ、大きく深呼吸をする。ここに来てからどれくらい経ったか分からない。その間、こうして休息できたのは何回なのだろう。きっと片手で数えられるくらいだろう。ふと腰に違和感を覚える。そういえばナイフを腰に差したままだ。基本的にいつ戦闘が起こっても大丈夫なように、常に武器を肌身離さず持っているのだが、ここで位なら、そんなことをしなくても良いだろう。目を閉じるといろんなことが思い浮かぶ。視覚が消えた分、より感覚が鋭くなっているのだろうか。それにしてもここは明るいな。目を閉じているのに光が邪魔して休んでる気がしない。え?
「光?」
おかしい。何故光が?目を開けて光源を見る。洒落た小さなシャンデリアが僕たちを照らしている。どうしてここに光が、電気が通っているんだ?
「アリガさん。電気!」
「ふえ……?」
アリガさんは若干眠りに入っていたらしい。申し訳ないことをしたなと思ったが、それどころではない。人がいる。確実に人がいる。ここは一五〇〇年前に魔族に支配され、そこから人ひとりとして出行っていないであろう死の大陸。一五〇〇年前に電気は無い。それは学校でも学ぶ、十三歳くらいの子供だってわかることだ。アリガさんも違和感に気が付いたらしい。すぐにサバイバルナイフを手に取り、周囲を見渡し始めた。
「ロビルガ、敵がいるかもしれないわ。もしかしたら人間かもだけど……」
気配は感じない。辺りに漂っている魔力を可視化できる魔視を使用し、辺りを見渡す。魔力は周囲に流れていない。何もいない。
「全く……休ませてほしいわ……」
アリガさんはぐったりしながら、身体強化で全身を魔力で包み込んでいる、
「とりあえず、警戒は解かないほうが、よさそ……う?」
唐突に眠気が襲ってくる。基本疲れを感じない為、眠気を感じることは無かった。なのに、どうして今このタイミングで? なんとか頭を動かそうとするが、既に睡魔は僕の頭を支配していた。寝よう。僕の脳は、その信号だけを身体に送っていた。完全に床に倒れ込む。体が動かない。意識が吸い込まれていくように消えていく。寝てはだめだ。そう思ってももう遅かった。
僕たちの意識は、完全に無くなった。
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