動き出す物語
多分、朝。この大陸では、朝と夜の区別がつかない。一応、空をよく見ればわかるのだが、正直な話、結構な間ここにいるので、いちいちそんな事を気にしていられなかった。僕は昨日? に起きたであろう、オークの事を思い出しながら、薄く切り、炙った魔物の肉を、寝ぼけ眼で頬張っていた。ジャーキーを意識して試作してみたのだが、全くおいしくない。薄く切ってかなり炙ったのに肉はゴムのようだし、旨味なんてものが出るはずもなく、硬く焦げ臭いゴムの様な何かにしかならなかった。この大陸に食べられるものなど勿論なく、せいぜい魔物や環境のせいで変化した獣たちを食べるしかなかった。
「うーん、まあ焼いて食べるとかよりはマシかな……薄いおかげで味を感じないし」
味がすることはこの世界では最悪なことだ。大抵不味い。いや全て不味い。
「おはよ。なんか変な匂いすると思ったら、何作ってんの?」
「おはようございます。出来るだけあの不味い味を感じないように食べる方法を考えてまして……ちょっと食べてもらえます?」
僕は丁度炙っていたソレをアリガさんに渡す。
「熱いので少し冷ましてからの方がいいと思います」
「別良いわ。火くらい、十年以上ここにいれば熱くなんてないわよ」
アリガさんはそう言って、先程まで火の元にあったソレを手でつまみ、そのまま口に入れた。
「あー……悪くないわね、多分今まで食べたので一番おいしいかも」
「あれ、試した事なかったんですか? てっきり、もう試したとか言われるかなと思ってました」
「食事にこだわる意味ないもの。とりあえず火を通しとけば何とかなるし」
確かにその通りだ。どう調理しようが不味いのは変わらない。おいしくなることは無い。
「でも、これからはこれで行きましょう。そこまで大きくないし、持ち運びがかなり楽になるわ。小さいけど、ま、出来るだけこんなの口に入れたくないし、どーでもいーわね」
アリガさんは気に入ってくれた様子だった。
「それで、今日は何しようかしらね。食べ物に困ることはしばらく無いし……この辺の木を切り倒して土地拡大とか言ってたけど、よく考えたらあんまり意味ないし……」
「僕は、この大陸を周ってみたいななんて思ってました……もしかしたら、他に僕達みたいな人がいるかもしれないですし……」
「……それやりましょ」
アリガさんは少し考えるようなしぐさをした後、僕を見てそういった。そのあと本棚を見て、また何かを考えていた。
「その……荷物持ち程度なら僕が……」
多分だが、ここにある数十冊の本はアリガさんにとって大事な物なのだろう。これから僕たちは大陸巡りをする。荷物が多すぎると移動が困難だし、なにより戦闘が起こった際、動きにくい。
「いや、あの中で大事なのは一個もないわ。前も言ったけど広いものだし。そもそもあそこの文字、全部読めなかったもの」
確か、魔族が現れる前、ここにも人が住んでいたんだっけ。その時の本がそのまま残っていたといった感じだろうか。一度本を開いたことがあったが、古代文字と呼ばれている字体で書いてあるということ以外わからなかった。
「ところで、あの本、なんで読めるんです?」
「殆ど読めないわよ。ある程度解読とかしてみたけどね。あってるか知らないけどね」
古代文字の解読はある程度行われているようだが、現在でも、全て解読されているわけではない。全体の二割程度も進んでるか不明だと聞いたことがある。それをたった一人で解読しようとしていたとは、この人は本当に凄い人だなと思った。
「ま、そんなことより、そうと決まったら早速準備しましょ。まずは食料ね。バッグ一つ分を、アンタが作ったそのゴムみたいなのにしましょ。予備含めて7つあるけど、食料はその辺歩いてればいくらでも出てくるでしょ」
「戦いまくるってことですか……」
「アンタだったらなんでも殺せるわ。大丈夫よ!」
アリガさんは笑顔で僕にグッドサインを送る。正直、怖いので僕はあまり戦闘をしたくない。毎日アリガさんと訓練をしてはいるものの、それでもやはり、魔物は弱いし、あくまで練習だからこそできるもので、実戦となると、緊張というか、なんか少しプレッシャーがかかる。敗北は死と直結するからだろう。
「私はそこそこ周りを探索してきたからわかるけど、割と楽しいのよね。めんどくさくなって最近までずっと洞穴暮らしだったけど、今は心強い名門魔法学校の生徒もいるし、話し相手にもなるから飽きなそうね!」
「実績は残してないですけどね……お金があればだれでも行けますし……」
「そんなに悲観的にならないの。それに、もしかしたら、ここから出るヒントが見つかるかもしれないわ」
アリガさんのその言葉に、僕は衝撃を受けた。思い出した。僕が本来いる場所はここではない。僕がここにいるのは――
「……この人に、襲われ……ました」
アイラ。そうだ。僕は襲われていたアイラを助けようとして……それで濡れ衣を着せられて、それで……
「アイラ……アイラ……」
思い出される。僕の苦しい学校生活。ここに、大陸送りの刑にされるまでに起こった出来事の数々。
「アイラ、アンタの知り合い? 久しぶりに聞く名前だわ」
アリガさんは少し嬉しそうに、だがどこか悲しそうにつぶやいた。
「アイラは……僕が大陸送りの刑にされた原因を作った……作った……」
しかし、僕がそう言った瞬間、アリガさんの顔が曇り始める。
「嫌な気になったら申し訳ないんだけど、そ、そのアイラって、金髪だったりする……?」
「はい。そうです」
「緑色の……目……」
「はい、確か、凄い魔術師の親のもとに生まれた天才だとか……」
アリガさんの表情が、変わった。目に涙を浮かべ、体を震わせている。
「アイラ・ホールネット……」
「そうです……アスタリア王国で最も優秀とされているホールネット家の令嬢だとか……」
アリガさんは床に頭を付けた。ぽたりぽたりと地面を濡らしながら、まるで僕に土下座しているようだった。
「でもどうして、アリガさんがアイラのこと……」
アリガさんが何故大陸送りにされたのか、初めて会った時の、あの話を思い出す。いいところの生まれ。両親がすごい。当時の子供で最高レベルの魔力適性。
「アイラと……似てる? 顔、声……」
「ロビ……ルガ、ごめん。ごめん……」
アリガさんの追い詰められた声。何故だか、聞いたことがある。アイラが助けを求めてた時の声そっくりだ。
「あ、あなた……まさか……」
アリガさんは命の恩人でもあり、僕の師匠の様な人だ。とても尊敬しているし、アリガさんのおかげで僕は今、こうして地に立っていられているし、心に負った傷も徐々に癒えてきていた。この人がいなかったら、僕はどうなっていたのか、想像することが恐ろしい。しかし何故だろう。
今は、この人の素性を知ることの方が、恐ろしい。
「ごめんなさい……本当に……ごめんなさい……」
アリガさんはその場に蹲り、震えていた。まさか本当に……
「あ、あなたはもしかして、貴女の名前……」
「……アリガ、……ホールネット」
十数秒の沈黙の後、アリガさんは震えた声で呻くようにそう呟いた。
視界が歪んで、立っていられなくなる。僕はその場にへたりこみ、そしてアリガさんの言葉を、一つの言葉を無意識に復唱していた。ホールネット。きっと僕が元居た世界に、この名がつく家は一つしかないだろう。ホールネット家は上流貴族に値している家計でもあり、王国を最前線で支えている優秀な魔術師の家だ。中流以上の貴族の名は、一般の家や中流以下の貴族が名乗ってはいけない。その名を使うことはその貴族へ迷惑であり、侮辱であるとされているからだ。更にホールネット家という、王国を一番に支えていると言っても過言ではない、もはや皇族の様な存在の名家の名を使う不届きものがいたなら、きっと処刑されることだろう。もちろん分家というものはあるけれど、ホールネット家には分家が存在しない。一代のみである。つまりホールネットの名がつく人間は間違いなく、アイラの家族になるわけだ。
僕はアリガさんの事を見ることが出来なかった。怖い。認めるのが、この人に対して嫌悪感が湧きそうになることが怖いのだ。僕がこんな目に合わせられている原因の血族が、僕の恩人だなんて、世界は案外狭いのかもしれない。
「アイラは……双子の妹よ」
アリガさんがぽつりと言う。声は小さく、か細い。
「ごめん、なさい……まさかそんな……あなたがここに居る原因が……」
「全部、全部話します。でもその前に、僕はアリガさんに、言わなくてはいけないことがあります」
思い出したくないほど嫌な思い出だった。考えるだけで体調が悪くなる。あの時のように目の前が真っ暗になり、体に力が入らなくなる。だが、アリガさんと過ごした日々のおかげか、前よりかなりマシになっているようだ。だからこそ、今話してしまおうと思った。アリガさんとの今後の為にも、自分自身の為にも。克服しなくては。向き合わなくては。
僕は震えを抑え、気を確かに保ち、恐る恐る口を開き、のどを震わせ、言葉を発した。
「僕は、貴族への婦女暴行未遂で、ここに送られました。でも、本当は違います。冤罪です。アイラの叫ぶ声が聞こえて、声の方に駆けて行ったら、三人組の男に襲われていて……それで、助けようとして……なのに……」
冷静になれ。冷静になれ。
「そのあと、アイラを拘束していた男が、僕にアイラを放り投げたんです。そして三人とも逃げて行きました。声はかなり大きかったですから、誰かが通報していたのでしょうね。丁度、巡回していた騎士がやってきたんです。そして……僕が事情を説明しようとしたら……そしたら……アイラは……」
僕はそこで話すのを辞めた。そのあとどうなったのかを忘れたわけではない。覚えている。覚えているとも。だからこそ、ここで止めた。あの時の事を思い返すと、自分では制御できない、なんとも形容しがたい感情に襲われるのだ。しかし、今ならきっと、言えるはずだ。今の僕なら……
「この人に襲われました……アイラはそう言いました。そして僕は………」
呼吸が荒くなり始める。息が、息が出来なくなってきた。また目の前が、まっく、ら……に……
* * *
目を開ける。眼前にあるアリガさんの顔。目の周りを赤くし、僕に哀しそうに微笑んでいる。気を失っていたみたいだ。しかしそれのおかげか、僕は少しだけ、冷静さを取り戻せたみたいだった。
「おはよう……」
アリガさんは今にも崩れそうな笑顔を僕に向けながら言う。僕は後頭部に違和感を覚えた。柔らかい。この大陸に来てはじめて、こんな柔らかいものに触れている気がする。
「そのまま聞いて欲しいの」
「本当にごめんなさい。私の……妹のせいで、貴方が……こんな目に……」
アリガさんは、今にも泣き出しそうな瞳で、ぽつり、ぽつりと話を始めた。
「は……い」
上手く口が回らない。肯定したくない。僕の命の恩人が、僕から全てを奪った、敵アイラと血が繋がっている事。何故だか、泣いてしまいたくなる。
「もし、あなたが、これ以上私といるのが嫌なら……私、その、二度と……貴方の前に、現れないようにする。だから――」
「一緒にいて欲しいです」
なんだ? 何が起こったんだ? 僕は今起こった出来事に疑問を抱いていた。僕の本音が漏れたようだ。反射的に、僕は想いを言葉にしていた。途端に顔に冷たいものがぽたぽたと降ってくる。
「わた……し、いい、の?」
ぽたりぽたりと、雫を僕に垂らす彼女の潤んだ瞳の奥には、僕が映っていた。そう見えただけなので、僕の勘違いかもしれない。
「アリガさんのせいじゃありませんし、それに、アリガさんは僕の恩人です。そして僕に魔力の使い方を、生きる意味を教えて頂きました。今こうして居られるのも、アリガさんのおかげだと思っています」
何故許すようなことを言っているのだと、誰かが問う。きっと僕だ。そんな無粋な質問に、何故だか無性に腹が立った。だからこそ僕は言い返してやった。うるさい、黙れ。と。今僕は幸せなのだ。それに水を、いや、ナイフを刺すような事を言うなんて。
「あ……あぁ……」
アリガさんの目から、涙があふれ出ている。泣き腫らして尚止まらないほどに、色々思い詰めていたのだろう。僕が気を失っていた間も、ずっと。僕とこうして話している間、それを我慢していたのだろう。きっと辛かったはずだ。
「こうして僕が今、アリガさんに話を打ち明けられているのも、アリガさんが、僕にその勇気をくれたからです。僕は、アリガさんに出会えて本当に良かったと思っています。そのおかげで、楽しく生活できていますから……」
少しうさん臭くなってしまっているけれど、これは本心だし、絶対に今伝えなくてはならないことだと思うのだ。
「心配しなくても大丈夫です。アリガさんが気負うことじゃありません。アリガさんのおかげで、話せるくらいには回復してきましたから、寧ろお世話になっています。ありがとうございます」
「あ……ごめん、なさい……わたし、ぁたし……」
「これからも、アリガさんにお世話になります。迷惑をかけてしまうこともあるかも知れませんけど……それでも良ければ」
先ほどまで顔をくしゃくしゃにして涙を流していたアリガさんの悲しげな顔から、少しだけ悲しみが消えた気がした。
「ありがと……あ、ありがとお……本当に……うぐ、ごめんなさい……」
「らしくないですよ。大丈夫です。話せて、なんかすっきりしました。だからもう、何も謝ることはないんですよ。改めて、これからもよろしくお願いしますね」
今自分に出来る最大元の笑顔で、言う。かなり恥ずかしいけれど、それでも、そうすべきだと思ったのだ。
「ぅ……ん。こちら、こそ……」
アリガさんも落ち着いてきたらしい。これでとりあえずは解決だ。もしかしたら、あのことをまた思い出して、嫌な気持ちになる時があるかもしれない。また引きずってしまうかもしれない。けれど、とりあえず僕は一歩前進した。いつか、笑い話に出来るくらいに、成長出来ることを願う。
「それじゃあ――」
これで解決ってことで、旅の支度でもしに行きましょう。そう言おうと思ったとき、ふと考える。僕の頭を支えているこの柔らかい物は、一体何なのか。アリガさんの顔、体の位置と、僕の頭の位置。まさか。まさか。
「アリガさん……これ……僕ら今、かなり恥ずかしい感じなんじゃ……?」
アリガさんは脹れた目を擦り、首を傾げる。そして少しして、僕が言ったことの意味を察したようで、
頬を赤く染め始める。
「あっえ、う、うるさい!」
アリガさんがそう言ったのと同じくして、僕の後頭部に衝撃が走った。落とされた。アリガさんの太ももから、地べたへと……って待てよ? てことは僕の……
「アリガさんそれさっきよりもヤバいです!」
僕の頭はアリガさんの脚に挟まれている。ということは、僕の頭の上には何がある?
「あっ、え……ばか!」
僕の頭にとんでもない衝撃が走った。
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