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第五・五話:聖川夫妻の華麗なる休日

 チチチ……チュンチュン……。

 いつものけたたましいアラームではなく、爽やかなスズメの鳴き声と窓から差し込む光で自然に目が覚める。ああー、いい気持ち……。

 穏やかな気分で目を開けると、目の前に大きな男の足が見えた。わっと驚いて周りを見回す。どうやら寝ているうちに、ベッドの上で天地が逆になってしまったらしい。たまにあるんだよね……あまりにアクロバティックな自分の寝相に呆れながら体を起こすと、きちんと枕に頭を乗せた夫はぴしっと気をつけをして、まるで棺桶の中のドラキュラのように整った状態ですやすやと眠っていた。当然寝乱れることもなく、寝癖の一つも付いていない。おそらく台風がそこだけ通り過ぎたようになっているであろう自分の頭を想像するとなんだか憎らしくて、脚を叩いて起こしてやろうかとも思ったけど、いつもがんばって働いて疲れてるもんな、と思い直す。音を立てないようにそーっと部屋を抜け出してバスルームに行くと、髪の毛はやっぱりX JAPANばりに立っていた。思わずスマホでパシャリ。あとで兼ちゃんにも見せよう。

 シャワーを浴びて着替えて、よし!っとキッチンで気合いを入れる。遅く起きた日の贅沢なブランチ。まずはメレンゲを泡立てて、リコッタチーズ、卵黄に牛乳、それから少なめの小麦粉とベーキングパウダーを合わせる。貰い物のエシレバターとはちみつをかけるから、生クリームはなし。生地をフライパンで焼いている間に、オーブントースターでソーセージを焼いて(絶対しょっぱいのも食べたくなるから)、付け合わせのフルーツを切る。スタンダードな苺とかバナナじゃなくて、ちょっと大人にいちじくと、我が家では定番のブルーベリー。洗いながらひょいひょいっといくつか口に入れると、すっとした甘さに懐かしい思い出がよみがえってくる。縁結びの果味かみさま、なーんて。

 甘い匂いがリビング中に漂ってきた頃、ガタガタと音を立てて兼ちゃんが起き出してきた。掠れた声で「おあよ……」と言いながら、まだ開いてるかも微妙な目をシパシパさせている。

「おはよー、もうすぐ焼けるよ」

「うん……歯みがいてコーヒー入れるね……」

 低血圧で朝が弱い兼ちゃんも、私のお気に入りの辛い歯磨き粉で歯を磨いて冷たい水をゴクゴク飲む頃には、ようやく生きた人間らしくなってくる。

「わーうまそー!おしゃれー!プロのパティシエが作るパンケーキなんて、朝からぜいたく」

 子供、というよりは女子みたいなテンションで喜ぶ兼ちゃんと食卓を囲む。いつもはなかなか休みが合わないけど、今日はノーマの定休日に合わせて兼ちゃんが夏休みを取ってくれた。フォーク二本で裂くようにしてパンケーキを食べながら、今日の予定を話し合う。どこか景色のいいところにドライブに行ってもいいし、家でゴロゴロ映画やドラマを観まくるなんてのもいい。

「あ、そういえばニコちゃんが好きなロック様のシリーズの新作、もう公開されてるよ」

「えっ観たい!」

 パティシエなんて洒落た仕事をしてるけど、私は映画に関してはワイルド系が好みだ。スピードでアクションで筋肉のぶつかり合い、みたいな。ちなみに兼ちゃんはしずかーなフランス映画とか、噛まないで名前が言えないような北欧の監督の作品とかが好きだけど、私が寝ちゃうからそういうのは一人で行ってるみたい。

「じゃあネットでチケット取っとくね。あ、あと掃除機がいよいよ調子が悪いんだよな」

「あーそういえば。じゃあ、新しいの見に電機屋さんも行こっか」

 方針が決まったので、パンケーキとソーセージを平らげて準備に取り掛かる。仕事柄いつもは髪を結んでるけど、今日は巻いたりなんかしちゃったりして。衝動買いしたけど出番がなかなかなかったワインレッドのワンピースを着て、でもかばんはいつもの大きい黒のナイロンバッグ。途中で何か買って荷物が増えてもばりばり入るしね。白Tシャツの上に水色のストライプシャツを着て髭を剃っていた兼ちゃんは、私の服を見ると一度クローゼットに戻って似たような赤系のシャツに着替えてきた。さりげないペア感。こういうところ若者だよなー。

 二人ともばっちりキマったところで、電車で繁華街に繰り出した。


 平日とはいえ街はなかなか混んでいて、駅前のロータリーは待ち合わせをする人で溢れている。映画館のあるほうを目指して歩いていたら、向こうからよく知る女の子が歩いてくるのが見えた。

「あれ、サトちゃんだ」

 ショートパンツから惜しげもなくその綺麗な脚をのぞかせているのは、ノーマでバイトしてくれている女子大生の一人、佐藤さんだ。気がつかないかなーとちょっと高い位置で手を振ったらすぐに気づいてくれて、満面の笑みで手を振りかえしながら駆け寄ってくる。彼女のほうに行こうとした、その瞬間……。

 ぐわっと腕が引っ張られるような感覚がしたかと思うと、持っていたかばんを誰かに奪われていた。大きなナイロンバッグを持った黒い背中が、人の間を縫って走り去っていく。あまりにびっくりして固まってしまった私より先に、サトちゃんが大声で叫んだ。

「ひ、ひったくり!ひったくりです、誰かー!」

「なにー!ちょっときみ、待ちなさーい!」

 サトちゃんの大声に反応して、人混みの中から若い男の人が飛び出したかと思うと、ものすごい勢いでひったくり犯を追いかけて行く。まるで陸上選手のようなスピードに、軽やかな身のこなし。焦って後ろを振り返った犯人は、そのまま前方にいた緑のシャツを来た中年男性に激突した。転んだ拍子にバッグを取り落とした犯人はあきらめたのか、急いで立ち上がると、バッグは拾わずにそのまま人混みに消えて行った。

「くそー!取り逃したか!」

 犯人を追っていた男性は悔しそうにそう言うと、体当たりされて尻餅をついてしまった男性を助け起こした。私と兼ちゃん、サトちゃんも慌てて駆け寄る。

「すいません、大丈夫でしたか!」

 緑のシャツの男性は立ち上がると、

「大丈夫です。びっくりして尻餅ついちゃいましたけど、実際当たったのはちょっとだったんで」

 と言うと、会釈をしながら人並みの中に消えて行った。よかった、怪我がなくて……。

「すみません、逃げられちゃいました」

 ひったくり犯を追ってくれた男性は、私のかばんを拾いながら申し訳なさそうな顔をした。受け取りながら慌てて頭を下げる。

「ありがとうございました!追いかけていただいて……おかげで取られずに済みました」

「いえいえ、当然のことをしたまでです。今日は非番ですけど、自分警察官なんで」

 男性は、笑うと急に幼くなる顔をくしゃっとさせて言った。警察官!なるほど、そう言われてみればTシャツの袖から覗く二の腕がたくましい。ふと横を見ると、サトちゃんがどこかうっとりした顔になっている。

「ところで、どうしますか?警察には……」

「うーん、結局かばんは戻ってきましたし、犯人の顔も全然見ていないので、行っても意味があるかどうか」

「そうですか。では、自分のほうで近くの派出所に寄って報告だけしておきますね。同じやつが近くでまた犯行を繰り返すってこともありえるので」

「あのぉ、それ私も一緒に行っていいですか?この後一人でいるの、ちょっと怖いなーって」

 すかさずサトちゃんが可愛らしい声で警察官のお兄さんに聞いた。「え、じゃあ俺らも一緒に……」なんて言いかけた夫の脇腹に一瞬でエルボーを入れる。

「もちろん。では一緒に来ていただいて、その後ご自宅までお送りしましょうか?」

 にこやかに申し出てくれたお兄さんの後ろに付いていきながら、サトちゃんはさりげなくこちらに向かって綺麗にウインクを投げてきた。私もウインクを返したいところだけど、できないので親指を立てながら「がんばれ!」と口パクする。

「うーむ、思わぬところに出会いが」

「へ?っていうか俺さっきなんで肘入れられたの?」

 脇腹をさすりながら、兼ちゃんが情けない声を出す。ちょっと力入れすぎちゃったかな。上映時間も近づいていたので、私たちは急ぎ足で映画館に向かった。



「はい、チケット。……ってあれ?守谷さん?」

 入り口近くの機械でチケットを発券したところで、上映時間のモニターを見上げている、またしてもよく知る顔を見つけた。

「もりやーん!超奇遇ー!」

「あれ、ひじりーに兼ちゃん。二人も映画観に来たの?」

 我が『パティスリー・ノーマ』のオーナーシェフ、守谷 光平とは、気がつけばもう十年来の付き合いだ。製菓学校を卒業したばかりの生意気な私をバリバリ鍛え上げてくれたもりやんが、独立するときに店に誘ってくれたのは、人生における幸運トップスリーに入る出来事だと思ってる。

「守谷さんは一人ですか?」

「いや、ジーンさんと待ち合わせ。映画どれにするかは任せるって言われたんだけど、どれがいいのかな。これとか恋愛ものっぽいけど」

 モニターの横には、金髪の青年とくるくるの髪の毛が可愛い黒人女性が寄り添っているポスターが貼ってある。

 もりやんは今、ジーンさんという謎の美青年に絶賛アプローチ中だ。うちのバイトの白鳥くんを訪ねてきた彼に一目惚れしたらしく、次にジーンさんがお土産用のケーキを買いにきてくれたときにがんがん連絡先を聞いていた。ここ数年は店中心の生活で恋愛どころじゃなさそうだったから、もりやんが楽しそうにしているのは単純に嬉しい。お相手はなかなか、真剣なお付き合いには持って行かせてくれないみたいだけど。

「この前これ観ましたけど、あんまりデート向きじゃないかも……こっちのほうがおすすめですよ」

 私が仕事の週末にはしょっちゅう一人で映画館に行っている兼ちゃんは、かっこいい自転車に乗ったアジア系のおじさんが写っている、コメディっぽい映画のポスターを指さした。

「そっか、兼ちゃんが言うならそうしようかな」

 チケットを買いに行くもりやんと別れて、飲み物を買うための短い列に並ぶ。

「あの恋愛映画、めちゃくちゃバッドエンドなんだよ。うまくいってないときに恋人と観たら別れそうってコメントもあったくらい」

「まじ?兼ちゃんナイス!ちなみに自転車のおじさんのは?」

「あっちは熟年離婚を切り出されたおっさんが、奥さんの気持ちを取り戻すためにBMX競技に挑戦するって話だから。ハッピーエンドだし」

 兼ちゃんが自分にはアイスコーヒー、私にはコーラを買ってくれて、シアターに入る。照明が落ちたところで兼ちゃんが手を繋いできて、なんだか高校生に戻ったみたいな気分になった。実際に私が高校生だったとき、兼ちゃんまだ小学生だけど。もし同級生だったらどんな感じだったかなーなんて妄想しているうちに、映画が始まった。


「いやー、かっっっっこよかったねぇ、ロック様……!」

 映画の興奮冷めやらぬまま、思わず売店でパンフレットを手に取る。ロック様が惜しげもなく大胸筋を見せているページを眺めていたら、兼ちゃんが小さな声で「俺もジム行こっかな……」なんて呟いた。いいのいいの、筋肉は画面越しに見るだけで!

「これ、買ってくるね」

 レジに向かう前に財布を出そうとかばんを開けると、そこには今朝入れてきたはずの上着やポーチ、タオル地のハンカチなどではなく、白い粉の入った透明な袋がいくつか入っていた。一瞬、訳がわからなくて、思わず兼ちゃんの顔を見る。

「?どうしたの?財布忘れた?」

 かばんを覗き込んできた兼ちゃんは、すぐに同じように顔を上げた。しばらく見つめ合ったまま、二人して固まる。

「「えっっっ!!!???」」

 焦りながら、ひとまず買おうとしていたパンフレットを戻して売店を出た。ロビーの端っこのほうに移動してから、あらためてかばんの中を確認する。

「えっなんで?私の荷物は?」

 そこではっとした。このナイロンバッグ私のと似てるけど、よく見たら違う。そういえばさっき、ひったくり犯とぶつかった緑のシャツのおじさん……朧げな記憶をたどってみると、その肩には同じような黒いナイロンバッグがかけられていた。

「転んだときに入れ替わっちゃったんだ……」

「てててて、ていうかさ、ここ、ここここれって」

 かばんの中を指す兼ちゃんは、ありえないくらい吃っていた。映画とかドラマでした見たことないけど、これってもしかして、法律で禁止されている危ない粉なのでは……?

 あんな人の良さそうなおじさんが。人は見かけによらないものだな、なんてどうでもいい感想が頭の隅のほうによぎりながらも呆然としていると、ピリリリリ!という音がかばんの中から聞こえてきた。二人してビクっ!と肩を飛び跳ねさせてから恐る恐る中を探ると、今どき誰も使っていなさそうな古びたガラケーが震えている。

「どどど、どうする!?」

「と、とりあえず出よう!さっきの人かもしれないし!」

 兼ちゃんが勇ましく通話ボタンを押してケータイを耳に当てる。私も会話が聞こえるよう、ガラケーの背面側に顔を近づけた。聞こえてきたのは、いかにもな外国語訛りの男性の声だった。

「モシモシ?私デス。今日の受ケ渡シは予定ドオリ五時に、LOUIS VUITTONの前で」

 それだけ言うと、ブツンっと電話は切れてしまった。

「えっえっ!切れた!ていうかふいゔぃとほーんってどこ!?」

「ルイ・ヴィトンだよニコちゃん」

「ど、どうする?警察に……!」

「いやでも……このかばん持って警察行ったら俺らのほうがあやしまれない?それに相手は、ニコちゃんの荷物持ってるってことだよね」

 そうだった。チェーン付きのケースで別持ちにしてたからスマホは手元にあるけど、かばんの中には保険証やクレジットカードの入った財布もある。

「個人情報が知られちゃう以上、逆恨みで何かされるっていう可能性もゼロじゃないし……」

「た、確かに」

 物言わぬ携帯を見つめたまましばらく何かを考えていた兼ちゃんは、意を決したように言った。

「行ってみよう、待ち合わせ場所」

「えっ危なくない?」

「電話の相手は「予定通り」って言ってた。っていうことはさっきのおっさんも待ち合わせに来るかもしれない。中身は見てないって言ってかばんを交換できれば、とりあえずニコちゃんの荷物は取り返せる。警察に行くのはそれからでもいいんじゃないかな。その方がおっさんの顔もしっかり確認できるし」

 相手がすでに財布の中身とかまで見てないといいんだけど……と言いながら、兼ちゃんはガラケーを戻してナイロンバッグのチャックを閉めた。な、なんて頼もしいんだ……!全然そこまで考えが回らなかった。我が夫ながら、本当にしっかりしてる。

「よし!わかった、とりあえず行ってみよう」

 時間を見ると、ちょうど五時少し前にはルイ・ヴィトン前に着けそうだった。問題のブツを持ってくれるという兼ちゃんのメッセンジャーバッグを代わりに下げて、緊張しつつ映画館を後にした。



 きらびやかなディスプレイが美しいルイ・ヴィトン路面店の前には、待ち合わせをしているであろう人が何人か立っていた。とりあえず少し離れたところから、緑のシャツのおじさんが来ないかを観察する。ドキドキしながら人の流れを見ていると、急に後ろから声をかけられた。

「ニコサン?」

 振り向くとそこにいたのは、銀髪に薄茶色の目をした、背の高い外国人男性だった。

「あれ、ジュリアン!」

「やっぱりニコサン!オヒサシブリ!」

 長い腕にぎゅーっとハグをされる。瞬間、高級な木材とシトラスが混ざったような香水の匂いがした。

 ジュリアンは、もりやんと私が以前働いていたホテルにあるブーランジェリーのトップ職人だ。当時は情報交換も兼ねてよく飲みに行っていた。

「ほんとにひさしぶり!ノーマがオープンしたときに来てくれて以来かな?」

「そうそう!ニコサン相変わらずキレイだね」

 こういうことを恥ずかしげもなく言えるところは、さすがフランス人という感じだ。がっつり目を見つめられながら話していると、兼ちゃんが割って入った。

「ジュリアンさん、お久しぶりです」

「アレ、キミ見覚えあるね」

「昔、ぼくもあそこのホテルでバイトしていたので。レストランで使うパンを取りに、いつもそちらに行ってました」

「Qui!思い出した!ウチの女性陣がカワイイって騒いでたウェイターだ!」

 ええ、そうだったの?知らなかった。兼ちゃんモテてたんだ。

「実はこちら、今は私の夫です」

 ちょっと照れながら言うと、ジュリアンは目を丸くした。

「Mot d’exclamation!キミが噂のラッキーガイ!」

 ジュリアンは兼ちゃんを一度じっくりと見ると、にかっという感じの笑顔になって私たち二人共を抱きしめた。

「Felicitations!スッカリ遅くなっちゃったけど、結婚おめでとう!」

 外国式の祝福をされながら、なんだかじーんと来てしまう。もちろん、もりやん含め身近な人たちには祝ってもらったけど、結婚式をしていない私たちはこんな風におめでとう!と言われる機会はそんなに多くはなかった。

「ありがとうございます」

「ありがとう。ジュリアンにも紹介したいなーと思いつつズルズル時間たっちゃってたから、今日偶然でも会えてよかった!」

「ネ!ホントに偶然」

「そういえばジュリアンここで何してるの?誰かと待ち合わせ?」

 ちょうどそのとき、「あー!ジュリアンさん!よかった会えて!」という声が聞こえた。そちらを見ると走り寄ってくるのは……。

 緑のシャツのおじさん!

「橋本サーン、さっき電話イキナリ切っちゃってゴメンネ。充電切れちゃって」

「へ……?いやそれが、実は携帯失くしちゃって……ってあー!!!さっきの!」

 私たちに気がついたおじさんは大声を出すと、すぐに兼ちゃんの持っている黒いナイロンバッグに目をやった。

「よ、よかったぁ……あの後すぐに取り違えちゃったのに気がついて戻ったんですけど、もういらっしゃらなかったので。とりあえずジュリアンさんに今日はお渡しできないって伝えなきゃと思ったんですけど、携帯もないから直接来たんです」

「えっじゃあ」

 さっきの電話のあやしい外国人はジュリアンだったの!?

「ナニナニ?何がドウナッテルの?」

「さっき、駅前でちょっとした騒動に巻き込まれまして。サンプルの入ったバッグがこちらの女性のものと入れ替わっちゃったんです」

「サンプル?」

「そう。こちら橋本サン。小麦粉のサンプルお願いシテマシタ」

「あ、わたくし小麦粉の卸店をやっております橋本と申します。全国さまざまな産地の小麦粉を、ベーカリーや製菓店さんのニーズに合わせてご紹介してまして」

 橋本さんはズボンの後ろポケットから名刺入れを出すと、可愛い小麦のイラストが入った名刺を一枚手渡してくれた。

 小麦粉!

「「麻薬じゃなかったんだ……」」

 思わず兼ちゃんと呟きがハモってしまった。

「はい?」

「あ、いえいえ!なんでもないんです。すみません、かばんが違うのさっきまで気がつかなくて」

 お互いのバッグを交換する。橋本さんは「いやーしかし、ジュリアンさんのお知り合いでしたか!世間は狭いですなぁ」と言いながら、戻ってきた自分のバッグの中から袋をいくつか取り出した。

「Parfait!後は試作してみて、ドレにするか決めます」

「ブーランジェリーで使うの?」

「Non non!実はボクもホテル辞めて、店開くことにして。今まではホテルの方針でフランス産の材料使ってマシタ。でも自分でやるならエシカルな、ニッポンの美味しいもの使いたい。そうだ、これ!」

 ジュリアンは持っていたキャンバス地のバッグの中から、綺麗にラッピングされた袋を二つ取り出した。

「お店で出す予定のサブレー。よかったらドウゾ」

「わー!ありがとう!オープン決まったら教えてね」

「モチロン!モリヤンにもヨロシク」

 ジュリアンと橋本さんに手を振って別れる。無事に帰ってきたバッグを開けて、サブレーと名刺を大事にしまうと、兼ちゃんがほっとしたように息をついた。

「よかったよ、麻薬犯罪の事件じゃなくて」

「袋に入った白い粉イコール麻薬って、警察ものドラマの見過ぎかな……でも、ジュリアンにひさびさ会えて嬉しかったー。橋本さんのお店も、ノーマでもお世話になるかもしれないし」

 まだまだ日は高いけど、安心したらなんだかお腹がすいてきた。

「ねぇ、ちょっと早いけど晩ごはん食べない?」

「そうしよっか。何食べたい?」

「うーん、ピザとか?宅配っぽいのじゃなくて、ピッツァ!みたいなやつ」

「ピッツァ!ね。じゃあ、公園横のイタリアンは?」

「いいねー!」



「はいコーぴ、あーん」

「あーん。んん!このプリンめっちゃおいしいよー愛にゃ」

 どうやら今日は、行く先々でノーマのメンバーに会う日らしい。お気に入りのイタリアンレストランで通されたテーブルのすぐ隣に、ビジュアル系とギャル男の中間みたいな感じの男の人と座っていたのは、ノーマのもう一人の女子大生バイト、塩原さんだった。オフショルダーのサマーニットにレザースカートのギャル風ファッションで、見慣れているノーマの制服姿とずいぶん雰囲気が違う。

「あれっ聖川さん!?と、旦那さんも」

「シオちゃーん!すごい、シオちゃんにも会うなんて。今日、サトちゃんともりやんにも遭遇したんだよ」

 ここまでに起きた出来事をざっと話すと、シオちゃんは「やばい、盛りだくさん過ぎるんですけど」と大きな口を開けて笑った。

「ところでシオちゃん、もしかして彼氏?」

 グレーのカラコンにしっかりアイラインで目力がすごい彼は、ついつい内輪ネタで盛り上がってしまった私たちの話をにこやかに聞いてくれていた。ちょっと見た目怖そうだけど、案外いい人なのかも。

「えへへ、彼氏のコージくんです。実は私たち、白鳥くんの紹介で知り合ったんですよー」

「えっそうなの!?白鳥くんやるぅ」

 春頃に新しくバイトに入ってくれた白鳥くんは、誰もが振り返るような美青年なのに、超絶お人よしでちょっと(いやかなり?)鈍臭いという、なかなかなギャップの持ち主だ。あんなにかっこよかったら多少は調子に乗ったりチャラくなりそうなものだけど、恋愛に関してもどこまでもピュアかつ控えめで、一体どんな人生を歩んできたらその顔でこの性格になるのか……と不思議にすら思えてくる。

 デザートを食べ終えたシオちゃんたちは、この後ライブを見に行くといって店を出た。私たちは生ハムとルッコラがのったピッツァとボロネーゼ、夏野菜のフリットをシェアすることにする。

「そういえば兼ちゃん、白鳥くんにはまだ会ったことないよね」

「あー、クルージングでリバースの白鳥くん!そうだね、サトちゃんとシオちゃんは前に一緒にお花見したけど」

「これで今日、白鳥くんにも会ったらすごいよねー」

 さすがにありえないか、なんて笑いながらビールを飲む。シャンディガフのグラスを空にした兼ちゃんはカラフェの白ワインを頼んでから、「そうだ、このあとさ」と言い出した。

「ニコちゃんのかばん見に行かない?ほら、今日みたいなこともあったし……少ないけどボーナスも出たからさ、ちょっといいやつプレゼントするよ」

「えー、いいよいいよ。せっかくなら兼ちゃん自分の欲しいものにお金使いなよ」

「そう言わず!ブランド物とはいかないかもだけどさ、たまにはかっこつけさせて」

「うーん、でもおしゃれっぽいバッグって重いし、あんま荷物入んないしな……」

 渋る私に、兼ちゃんが食い下がった。

「じゃあ、スポーツ用品の店とか見に行ってみようよ。おしゃれだけど丈夫で機能的なやつありそうじゃん」

 付き合いたての頃に私がデート代とか多く出してたのを気にしてるのか、就職してからの兼ちゃんはことあるごとにこうやって何か買ってくれようとする(ちなみに普段の生活費や今日みたいに遊ぶときのお金は、共有の銀行口座に毎月同じ額を入れるシステム)。全然いいのにな……とは思うけど、そういうところ男の子なんだなーとちょっと微笑ましくもある。まぁ、今日みたいな奇妙な日に買ったら思い出になるかもしれないし、ここは甘えておこうかな。

「わかった、じゃあこれ食べたら見に行こっか」

 少年みたいな笑顔になって、兼ちゃんは運ばれてきたワインをなみなみ注いでくれた。



「う そ で しょ」

 お腹もいっぱいになって機嫌よく訪れたスポーツ用品店に佇んでいたのは、まさしくさっき話題に上った白鳥くんその人だった。すらっとした長身を少し猫背に丸めた彼は、神妙な面持ちでキャンプ用品のコーナーを見つめている。

「しっらとっりくーん!何してんの!?」

 嬉しくなって思わず後ろからばしーんとその背中を叩くと、白鳥くんは肩を思いっきり飛び跳ねさせてから振り向いた。

「えっえっ!?あれ、聖川さん!」

「すごいよ兼ちゃん、まさかのコンプリート!」

「えっまじで彼が白鳥くんなの!?」

 アルコールも入ってテンションの高い私たちがすごいすごいと騒ぐのにきょとんとしていた白鳥くんは、ふいにはっとして、

「あっもしかして聖川さんの旦那さんですか?」

 と聞いてきた。

「そうです、はじめまして。妻がいつもお世話に」

「わー!お話はかねがね!」

「俺もいつもニコちゃんから白鳥くんの話聞いてるから、はじめて会ったような気がしないなぁ」

「すごいんだよ今日、ノーマの人たちコンプリートしたの!」

 ここに来るまでに全員に会った話をすると、白鳥くんは「えー!ドラマみたいですね」とぱっちり二重の目をまん丸にした。

「ところで白鳥くん、キャンプするの?」

 あんまりイメージないなぁ、と思いながら目の前にディスプレイされているテントや焚き火セット、ランタンなんかを見る。

「いや、やったことないんですけど、今度行くことになって……何か準備したほうがいいかなと思って見にきたんですけど、よく考えたら基本的には全部、誘ってくれた人が用意してくれるんですよね」

「へー。あ、もしかして好きな子も一緒に行くの?」

 調子に乗ってからかうと、照れちゃったらしい白鳥くんは俯いて、すごく小さい声で「はい……」と言った。か、かわいいー。

「せめて何か、みんなで楽しめるグッズとか持って行けたらなーなんて思ったんですけど」

「みんなで楽しめる……あっ!そうだ!」

 すごくいいアイディアが降ってきて、すぐにバッグの中からジュリアンにもらったサブレーの袋を一つ取り出した。

「これ白鳥くんにあげる!私の友達のパン職人が作ったやつなんだけど、絶対おいしいよ」

「えっいいんですか?」

「うん!後はマシュマロ買ってってさ、焚き火で炙ってこれに挟んだらめっちゃよくない?」

「うわー、それ絶対うまいやつだ」

 隣で聞いていた兼ちゃんがうらやましそうな声を上げる。今度連休が取れたら、兼ちゃんとキャンプ行くのもいいかもな。

「ありがとうございます!きっとみんな喜びます」

 嬉しそうに帰っていく白鳥くんを見送ってから、かばんのコーナーを見に行って、ポケットがいっぱいあって使いやすそうな花柄のトートバッグを選んだ。兼ちゃんが自分用にも同じ柄のボディバッグを買うことにしたので、お揃いだねーなんて喜んでいると、ふと店の壁にかけてあった時計が目に入った。

「あっやばい!掃除機!」

「え?」

「時間!電機屋さん九時までだよ!」

 慌てて会計を済ませて電機屋に急ぐ。最初は競歩くらいだったのがだんだん小走りになって、いつしか全力疾走になっていた。なんだか楽しくなってきて、二人で大笑いしながら、手を繋いで夜の繁華街を走る。道行く人たちがなんだなんだと振り返るのすらおかしかった。



「はぁ、はぁ……間に合った」

「いやー、こんなにガチで走ったのめっちゃひさしぶり……」

 さっきまでいた店とは駅のほとんど反対側にある電機店の入り口に着いたのは、閉店の十分前だった。

「ダッシュで行ったらいけるかな!?」

「どれ買うか大体目星は付けてるから、大丈夫と思う!」

 掃除機の階に急ごうと店内に入ったその瞬間、

「ぃいらっしゃいませー!」

 という大声と共に、赤いハッピを着た店員さん数名に囲まれた。

「ヤマ○電機LABI新宿西口店にようこそ!本日は当店の十周年を記念して、ハズレ無し!のスペシャルな福引を開催しております!ささっこちらへどうぞー!」

「えっいや私たち急いでで」

 なんだかよくわからない内に、あれよあれよと福引のコーナーに連れて行かれる。気がつくと、兼ちゃんと手を合わせてガラガラを回していた。

 ガラガラガラ……コツンッ………。

 銀色の玉が落ちてきたかと思うと、カランカラン!とよく通る鐘の音が店内に響き渡った。

「うぉおめでとうございます!特賞!特賞が出ました!「吸引力が変わらないほぼ唯一の掃除機」と、クーラーボックスをプレゼントー!!!」


「「えええええー!!!」」



 最寄駅から徒歩十分の帰り道。掃除機は配送にしてもらったので、クーラーボックスだけを持った兼ちゃんと、暖かい街灯だけが照らす住宅街を歩く。

「それにしても、なんだか長い一日だったね」

「ね、ほんとに。なんか不思議な一日だった……しかもまさかまさか、欲しかった掃除機が福引で当たっちゃったね!」

 クーラーボックスもラッキーだったし、と大きな箱をツンツンと突いた。やっぱりこれは、兼ちゃんとキャンプに行けってことかな。

「……ニコちゃんと一緒にいるとさ、こういうことよくあるなーって思うよ。楽しい偶然とか、不思議なラッキーとか」

「ぇえー?そんなことないでしょ」

「いや、ほんとに。ニコちゃんは俺のアメリだから」

 ブルーベリーを受け取りにはじめて二人でドライブした日、「女の子みたいでちょっと恥ずかしいけど」って言いながら教えてくれた、兼ちゃんの一番好きな映画。アクションも筋肉も出てこないけど、あれだけは私も大好きな一本だ。

「それだったら、兼ちゃんは私のニノだよ」

 そう言ってクーラーボックスを持っていないほうの手を握ると、兼ちゃんはそれをそっと引いて、人気のない道の真ん中で、私の頬に優しいやさしい、羽みたいにやわらかいキスくれた。

 あの時、大仏を一緒に見に行かなかったら見逃していたかもしれない幸せ。すべての偶然が、タイミングが合わさって、今こうして二人でいられる。その事実に気づくたび、何度も胸が熱くなって、泣きたくなるような気持ちになる。人って本当に嬉しいと、笑いながら涙が出てきそうになるんだなぁ、なんて実感する。

 兼ちゃんを絶対に孤独にしないこと。いつの間にやらそれが、私の毎日の目標になっていた。

「次の連休にさ、二人でキャンプ行ってみない?めっちゃおいしいスモア食べさせたげる」

 そう言って繋いだ手をぎゅーっと握ると、同じくらいの力で握り返してくれた。この幸運の分だけ、明日も誰かが少しでも幸せになれるよう、美しくておいしいケーキを作らなきゃ。そんな風に誓いながら、素晴らしい休日の終わりに漂う清々しい夜の空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。

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