「アパートの隣人」
─202号室─
「──今日から夏休みの方も多いと思いますがくれぐれも熱中症等にはお気を付け下さい」
時刻は午前7時前、お天気キャスターがそういうと画面が切り替わり別のキャスターがニュースを語り出した。
今日は夏休み初日の8月1日。
私は狭いキッチンでニュースを軽く聞きながら電子ジャーから炊き立てのご飯を皿に盛ると、茶碗を片手にキッチンとテレビの間にある丸テーブルの上に置いた。
そこにはすでに味噌汁や惣菜等が並んでおり彼女はベランダへと繋がる戸を網戸だけ残して左へスライドさせ、テーブルの側に置いてある四角いクッションに腰を下ろした。
「いただきまーす」
ニュースを聞きながらゆっくり食べること15分。朝食を終えた私は食器をテーブルの上で重ねると両手を後ろにつき天井を仰ぎのけ反った。
「暑──ぃ、……」
私は部屋着の胸元をパタパタと扇ぎ風を送り込んだが、あまり効果は無かった。
季節は夏、気温は既に30度越え。温暖化のせいか朝だからといって締め切りで過ごすには少々忍耐力が必要なので、暑さに弱い私は立ち上がりベランダへと繋がるトビラを左へ開けるとまたもクッションの上で天井を仰いだ。
「あ────、」
しかし外からの風は髪を少し靡かせる程度で生ぬるかった。
「冷房機とか扇風機とかつけると電気代が……」
私は身体を起こして正座するとテーブルの下に置いてあるものに手を伸ばした。
「やっぱり夏はこれ」
テーブルの下から団扇を取り出すと顔の横で仰いだ。古典的かつシュールだが電気代が掛からないというコスパの良さではどの時代でも愛されているモノが団扇である。と、私は思う。
そうこうしている内に時刻は7時を軽く過ぎていた。と不意に玄関のドアをノックする音が聞こえて来た。
このアパートにはインターホンが備え付けてあるのだが故障しており修理されないままである。
扉を開けるとそこには大家の照宮二葉が立っていた。
彼女は寝癖のある黒髪でサバサバしており20代後半だという。入居当時二葉はまだ大学生でそんな彼女とは6年の付き合いになる。
彼女が直接訪ねて来るのは大抵の場合は家賃の収集か作りすぎてしまったカレーやら味噌汁(終いにはポテトサラダまで)のお裾分けである。今回はどうやら集金の様だった。
─203号室─
「照宮さん、集金ですよね?」
美柑は携帯式端末を二葉へ渡した。彼女は慣れた手つきで受け取った端末を自分の端末に被せると、ピロンっと音が鳴ったので彼女から携帯を返してもらい腰ポケットにしまった。現在は現金よりキャッシュレスが多く利用されている。
「いつもありがとね。あ、今日は卵スープを作るつもりだから楽しみにしてて」
「照宮さんいつもありがとうございますッ」
独り身でバイトの貯金しか無い美柑にとっては美人に加えて料理の腕が良い彼女からのお裾分けはご褒美や御馳走の類いに近い。
「今日出掛ける予定があるんでしょう? 行ってらっしゃい」
二葉はそう言い残すと廊下をゆっくりと歩いていった。彼女がなぜ美柑の予定を知っているかと言うと、昨日の帰り道にばったり会ったのでアパートまで世間話をしたからである。
俺は彼女を見送りドアを閉めリビングへ戻ると、テーブルの上に重ねたままになっていた食器を流しに置き、そのままの流れ作業で石鹸をつけて洗ってしまう。
6年前は何も知らず石鹸で指を滑らせよく皿を割っていた事を思い出すと慣れたものだと我ながら思う。
皿を洗い終えると不意に端末が振動した。
《朝練があるから校庭にて集合》
腰ポッケから携帯を取り出して確認するとメッセージは親友の藍羅からだった。彼女は陸上部のエースとして最後の大会に力を入れている様だ。
俺はそのメッセージに「了解」と送信すると、ホーム画面で現在の時間が7時半を回っている事を視認する。服を着替えバックに昼食等必要な物を詰め込むとテレビや他の家電の電源を落とし玄関の扉を開け外へ出た。
すると同じ様に扉を開けて外へ出てきた202号室のお隣さんと目があった。
「あ、浅野君。今日出かけるの?」
彼女は浅間薫。同い年ではあるが通っている高校が違う。しかし、苗字が似ている為親近感が有りなにより話し易い。
親近感があるといったものの、彼女曰く生まれは上層都市らしく白い肌に銀の長い髪と紫の瞳は月夜を思わせ、それに加えて体格も良い。
俺はたまに目のやり場に困ったりする。
「そうなんだよ、友達に勉強を教えに。薫の方こそこんな休みにどっか行くの?」
「私は都立図書館で勉強をと思って。こんな休みだからだよ」
「……ところでその服暑くないかな?」
彼女は少し厚めの服を着ていた。言うなれば春や秋などの季節の変わり目に着ると良い保温効果のある服だ。
しかし現在は夏。今日の気温は30度を超えるらしく浅野さんは彼女が熱中症で倒れてしまいそうで心配だった。
「えっと……。実は私、最近のファッションに疎いからこういうのしか持ってなくて……」
「……そっか」
「大丈夫! 日陰歩くし日中は図書館に居るから」
こちらもファッションに疎い浅野さんは浅間さんにどう答えていいか分からず腕を組んだ。
(きっと藍羅なら共有出来るんだろうけどな……)
「そうだ、これあげるよ」
悩んだ末に美柑はそういうと両腕に付けていたブレスレットの片方、右手の黄色いブレスレットを彼女に渡した。浅間は意味が分からないとばかりに目をパチパチする。
「俺もそっち系には疎いけど、これなら役に立つと思って。それ、お守りなんだよ。悪いものから護ってくれるんだ」
「……ありがとう?」
彼女は疑問系で礼を言うと黄色いブレスレットを右手に付けた。白い肌に黄色い輪が映えていた。
「……突然だけど、明日暇?」
「夏休みはずっと暇だけど、どうして?」
薫は眉をひそめた。
「さっき薫が服無いって言ってたでしょ? だから明日ショッピングにでもどうかなって。俺も買い出しがあるし、女子も1人連れてくからどうかな」
「……あ、ありがとう。嬉しいな」
「良かった。さぁて、今年の夏休みを楽しむとしますか」
浅野は握った右手を軽く振り上げた。
「お──!」
「お、お──?」
羞恥心から頬を染めながらも乗ってくれた彼女に感謝しつつ詳細はおいおいという事で彼女と別れ、俺は駅で電車に乗り込み都市の中心部を目指した。