第96話 新米貴族は決着させる
夕闇が訪れようとしていた。
闘技場全体が薄暗い。
端などは窺えないほどだ。
どれだけの時間が経ったのだろう。
一瞬だった気もするが、何日も経過した感じもある。
オレ達は未だに殺し合っていた。
互いに満身創痍で、血肉を垂らし、骨を露出させながらも戦っている。
いつからか傷の再生が遅くなっていた。
そのせいで傷ばかりが増えていく。
能力の限界が訪れたわけではない。
エリスの性質が強まった結果だろう。
どちらも不死身の肉体ではなくなっていた。
観客席が妙に静かだった。
いや、静かすぎる。
見ればいつの間にか死体ばかりとなっていた。
そりゃ静かに決まっている。
死体なのだから。
「うおおおおおおおああっ」
雄叫びが上がった。
ほんの僅かに視線を外したその瞬間、エリスの野郎が突っ込んできやがったのだ。
力を振り絞って前進する奴が拳を叩き付けてくる。
オレは右腕で防ぐ。
衝撃に激痛が伴う。
ずるりと皮膚が剥けるのが見えた。
ひりついた痛みに舌打ちしながら、オレはエリスに蹴りを浴びせる。
同じ箇所を狙った三連撃だ。
「……っ」
肋骨を砕かれたエリスは目を見開いて吐血した。
怯むかと思いきや、体当たりをかましてくる。
取っ組み合って地面を転がる僕は、必死にルードを殴り付ける。
ここで決めないと不味い。
肉体はもう悲鳴を上げ続けていた。
もはや初めはどちらの肉体だったか知らないが、少なくとも今は僕のものである。
血だらけの拳を何度も振り下ろしてルードを痛め付ける。
と、ルードの手が喉に伸びて掴んできた。
凄まじい力で圧迫してくる。
「ぐ、が……っ!」
息ができなくて苦しい。
引き剥がせない。
仮面の向こうにある血走った目は、全力で僕を殺そうとしていた。
指が皮膚にめり込んでくる。
刺さった爪が肉を裂いているのが分かった。
痛い痛い痛い痛い痛い。
目の端に涙が滲む。
助けを呼びたくとも声が出ない。
きっと声が出ても、助けなんて来ないだろうけど。
朦朧とする意識の中、僕が取った行動は、頭を下げてルードに噛み付くことだった。
首を絞められる苦痛を無視し、無我夢中で口を開いて歯を立てる。
噛み付いたのはルードの首筋か。
そのまま力一杯に頭を持ち上げて食い千切った。
「グオアアアアアッ!」
ルードが吼えて僕を蹴り飛ばす。
しまった。体勢が。
僕に馬乗りとなったルードは、首から血を噴き出しながらも生きていた。
ぎらついた目をしながら両手を伸ばして、またしても僕の首に手を添えてくる。
そのままさっきみたいに恐ろしい力が込められていく。
体重をかけられているせいで振りほどけない。
視界の靄が濃度を増して何も見えなくなっていく。
ルードが何か叫んでいるが聞こえなかった。
必死になって抵抗する中、僕は懐の硬い感触に気付く。
それを掴み出して、真っ直ぐに突き出した。
何かを抉ったようだった。
首を絞めていたルードの手が急に軽くなる。
呼吸ができるようになった。
もう、苦しくない。
霞んでいた視界の色が反転し、端からめくれ上がっていった。
薄くなっていた音が戻ってきて、溢れんばかりの喧騒が鼓膜を叩く。
何かが浸透し、重なり合う感触。
不快な気もするけど、これが正しいのだと理解していた。
やがて視界に真実が描き出される。
血みどろの僕は、それをしかと目に焼き付ける。
――地面に倒れた僕は小さなナイフを突き出していて、その先端が准伯爵の胸を捉えていた。