第93話 新米貴族はずれていく
鉄仮面の向こうから湿った声がした。
「僕は……名誉貴族エリスであり、狂戦士ルード・ダガンだ。お前こそ、一体誰なんだ」
「オレ、は――」
もちろん決まっている。
オレこそがルード・ダガンだ。
殺戮の人生を築き上げてきた狂戦士である。
目の前にいる男がエリスだ。
禁術で分離したオレの欠点である。
そう返そうとして、言葉が詰まる。
寸前のところで出てこない。
鉄仮面の奥にあるエリスの目を見てしまった。
それは狂気に染まり切った目だった。
芯に強い意志があるが、明らかな狂気が沈んでいる。
顔面を潰されながら微塵も揺るがない――むしろより強固になっていた。
「ア、アァッ!」
奴は上体を前のめりにしてオレの拳を押し返すと、おもむろに肩を掴んできた。
オレは反射的に引き剥がそうとするも、びくともしない。
さらにあろうことか、勢いを乗せて頭突きをかましてきた。
激烈な痛みが突き抜けた。
木製の仮面が軋んで亀裂が広がるのが見えた。
圧倒的な目眩。
呻きながら後ずさる。
視界が赤い。
血だ。
どろどろと流れ落ちてくる。
歯を噛み締めて吐き気を堪えた。
視界が霞んで奴の姿がぼやけて見える。
何か悶え苦しんでいるのが分かるが、具体的にどういう状態かは不明だ。
自分で頭突きをして痛がっているのか。馬鹿め。
軋む。軋む。
何かが軋んでずれていく。
これは精神か。精神だ。
魂は同一だから問題ない。
いや問題ないって何だ。
オレとエリスは別人格で……。
思考が掻き乱されて、ついに尻餅をついてしまった。
情けない姿に腹が立つも、身体が動かないのだから仕方ない。
キリキリと不快な音が脳裏で反響していた。
クソが。
せっかくの戦いが台無しになった。
やがて精神の負荷が臨界点に到達した。
軋みが最大まで高まり、何かが裏返ろうとして、ぽっきりと折れる。
その音を、はっきりと聞いた。
真っ白に染まる視界。
光がだんだんと落ち着いて周囲が見えてくる。
オレの身体は闘技場にあった。
やはり尻餅をついたままだ。
観客の熱狂具合を耳にしつつ、オレは顔を上げた。
そこに立つのは、歪んだ鉄仮面をつけた狂人だった。
隙間から血みどろの粘液を吐き出すのは、紛れもなくルード・ダガンだ。
手には無骨な斧が握られている。
果たしてどこから持ち込んだのか。
最初から持っていたのか。
いや、そもそも最初とは何だ。
とにかく斧を持っていることだけは分かった。
相手を睨み付けながら立ち上がる。
右手には鉈を握っていた。
その感触に安堵する。
やることは分かっている。
オレ――いや、僕はルードに攻撃を仕掛けた。




