第3話 新米貴族は暴走を悔いる
翌朝。
泥から引き上げられるかのように意識が浮上した。
目覚めてすぐに感じたのは、強烈な頭痛だった。
僕は思わず顔を顰める。
頭が割れそうな上に吐き気もある。
加えて全身が筋肉痛だった。
相当な体調不良である。
しかし、いつまでも寝ているわけにはいかない。
今日は子爵と共に彼女の領地へ帰る日だ。
社交界は終わったのだから、ここに留まる理由もない。
いくら疲れていようと関係なかった。
集合時間に遅れないように準備しなければならない。
それにしても、昨日の記憶が曖昧だ。
社交界での出来事が朧げで、その後の記憶も非常に怪しい。
特に眠る前のことはほとんど憶えていなかった。
確かに会場で酒は飲んだが、大した量ではない。
知らないうちに悪酔いしていたのか。
相性の悪い酒があったのかもしれない。
訝しむ僕は、ベッドに散らばる枷の残骸に気付く。
就寝時にいつも装着しているものだ。
それが完膚なきまでに破壊されている。
よくよく考えると、自由に動かる時点でおかしいと考えるべきだった。
(まさか……)
嫌な予感がした僕はベッドから飛び起きる。
室内は荷物が散乱していた。
まるで泥棒でも入ったかのように荒れ果てている。
さらに無視できないものが端に転がっていた。
それは鉄仮面だ。
古めかしい仮面にはべっとりと血が付いている。
元からある赤黒い染みとは別に、明らかに新しい血が付着していた。
僕は激しい動悸を覚える。
倒れそうになるのを堪えながら室内を歩き回った。
他にも不審な点を見つけるためだ。
半開きのクローゼットから異臭がした。
何も入れていないはずなのにこれはおかしい。
僕は慎重に手をかけて開いく。
クローゼットに収められていたのは、血みどろの指輪だった。
切断された誰かの指も付いている。
指輪には見覚えがあった。
社交界でレイクが自慢していたものだ。
確か竜の涙という名前だった。
(それがどうしてここに……?)
僕は静かに戦慄する。
考えるまでもないが、この指もきっとレイクのものだろう。
今頃、本人は苦痛に泣き叫んでいるのか。
もしかすると、苦しむことすらできない状態かもしれない。
いや、誤魔化すのはやめよう。
気付かないふりをしたところで何も始まらない。
僕はレイクの死を半ば確信していた。
逃がすわけがないからだ。
(ついにやってしまった……)
僕はベッドに座って肩を落とす。
仮面や指輪を目にしたことで、昨夜の記憶がだんだんと戻ってきた。
深夜、自分が何をしたのかも理解する。
その顛末まで把握できた。
概ね予想通りだったし、途中から察していた。
それでも改めて思い出すと落胆してしまう。
何よりも恐れていた事態だった。
貴族になってから懸命に我慢してきた。
あらゆる手段で抑制し、暴発しないように努めてきた。
昨日の社交界が原因だったのだろう。
精神的に不安定になったところで発現してしまったのだ。
今頃、街中が大騒ぎに違いない。
伯爵の息子が惨殺されたのだ。
屋敷の兵士達も大量に死んでいる。
隠蔽はまず不可能であった。
この事件は国全体へと波及する。
想像するだけで胃が痛くなる。
正体はきっと露呈していないが、そういう問題ではなかった。
(平凡な貴族になりたいのに……)
僕は嘆息する。
散々な結果だった社交界は、それ以上に最悪な結果に至った。
前途多難どころの話ではない。
もし僕がレイク殺しの犯人だと知られれば、一般人として暮らすことすら難しくなる。
なんとしても真実が広まらないように気を付けなければならない。
僕はクローゼットを閉じると、頭痛に顔を顰めながらベッドに倒れ込んだ。