エキシビジョン・マッチ
競技場はコロッセオを模している。あるいは神曲に描かれる階層を成す地獄の様相か。それらよりもすこぶる優れた点としては、競技スペースは中空に浮かぶ巨大な泡のような恰好で、観客はその真下、真上にまで敷き詰められ、収容人数を増大させていることが挙げられる。貴賓席もまた中空を飛ぶ小さな泡で、これは好き勝手に場所を動かすことができる。泡と連動している大型ビジョンモニターが、泡内部の映像を観客席上のランダムな場所に投影されるようになっているため、下側の席でも観戦には耐えうるはずだ――首の筋肉が強靭であれば。
はたしてその日、「公開処刑日」、会場である球型競技場は下から上まで大入り満員であった。ビールとホットドッグを売る悪魔少女。『賭け』のオッズを叫ぶ声。
「長らくお待たせしました。エキシビション・マッチ!」
競技場の中にアナウンスの声が響き渡ると、無秩序な喧騒はひとつのざわめきへ収束する。
「五名の凶悪かつ愚劣な反逆者と、五人の人間の勇者様による『処刑』の前に、まずは美しくも残虐な、伝統的『決闘刑』の執行をご覧いただきましょう」
競技スペース上空に灰色の立方体が浮かんでいた。立方体は勢い良く競技スペースの透徹な床に叩きつけられ派手に割られる。中から現れたのは醜悪なる灰色の肉塊ーー辛うじて人型。
「哀れで愚かなこの者は『小鬼の王』、地底の小鬼群の首魁ゴロブズド・バグロドゴグ八世。魔王様の命に背き、許容量を超えた大規模な人間狩りを指揮し、余剰に得た利益で私腹を肥やし、更なる反逆の種を育てておりました」
「皆様、如何にして欲望を満たそうとも、また如何なる欲望を抱こうとも、魔族の王はそれを歓迎いたします。黒い玉座を脅かそうなどという愚かなことを考えなければ。宰相ルキフグス様のいる限り、全ての富は玉座のためにあるのですわ」
「アナウンスは人魚のルナールク、解説は妖鳥ロロ・マバラでお送りいたします。不要な方は二番サブチャンネルをお切りください」
二人の美声が交互に響き渡る。多くの観客はサブチャンネルを接続したままであるようだった。
今や透明の檻の中で処刑の時を待つばかりのゴロブズド・バグロドゴグ八世だが、決闘刑は死刑よりも軽い刑だ。魔王が指定した相手と戦い、その戦いぶりで魔王を満足せしめたならば晴れて自由の身。
「決闘刑、そのほとんどは罪人の死でもって我々を愉しませてくれた歴史があります」
「あら、ルナールクさん、魔王様が満足されなければいけませんよ。我々でなくて」
「これは失礼いたしました。魔王様が満足されないほど無様な戦いだった場合は、魂をエネルギー資源として利用することになります」
観客たちはゴロブズドの弛みに弛んだ身体を値踏みして論じあっている――小鬼どころか大きな蕪――アレはどうだ、自分で動ける身体かね――これじゃあ魚を捌く方がスリリングかもしれないよ――
「それでは処刑人の登場です。魔王直属の近衛兵、鐘・樂。十六番狼です」
よろしくおねがいしまあす、と間延びした幼い声がこだました。赤い小さな泡の中から、小さな身体が転がるように競技場の泡の中へ躍り出る。
「十六番狼は『荒れ地』の狼ですわね。浅黒い肌が野趣に溢れて素敵よね」
「まだ若く実戦経験に乏しいとのことですが、身体能力は折り紙付き。決闘刑では銃器の仕様が認められておりませんので、今回鐘は剣を用いての執行です」
紹介を受けて、鐘は長剣を抜いて掲げる。いわゆるサーベルである。小柄な彼には持て余し気味にも映る。
「樂ちゃあん、がーんばれ!」
客席中段で、鐘と同じ制服を着た狼獣人の女が声援を送っていた。
「よお、姉ちゃん」近くにいた悪魔の男。「まるで蚤とパンケーキの試合だが、あのおチビはやるのかい?」
「そりゃあもう、やるやる」女狼は我がことのように誇らしげだ。
「特にナイフ格闘なんて、芸術的腕前なんだから」
「ナイフねえ」
ゴロブズドもまた手にはひと振りの武器、分厚い刃の大斧を携えていた。愚鈍そうだがその得物の破壊力は少年狼をミンチにするに十分、一方のサーベルはゴロブズドの肉の鎧を貫くには頼りなく見えただろう。
「喇叭の合図で開始となります」
両者睨み合い、構えて一拍。歪んだ金管の音が短く鳴らされた。
先に動いたのは狼だった。大方の予想通りでもある。サーベルを下段に構えたまま、一気に間合いを詰めにかかる。
とはいえフィールドは存外広く、その間にゴロブズドは悠々と大斧を振り上げていた。無論これとて大方の予想通り。
狼はサーベルの間合いに入る直前、小鬼王の一撃が振り下ろされるその手前で後ろに跳ねとんだ。ゴッ、と鈍い音がして、床から白い靄が噴き出す。さながら土の大地に鍬を入れたように。
「床は仮想砂面設定ですのね」
「はい、今回は執行中は全て仮想砂面が設定されています。先程のような演出や、土の魔法の使用を考慮して、ですね」
「朦々とたちこめていて、ちょっとした霧ね。相当の馬鹿力ですよ」
鐘はすぐに踏み込んだ。半身捻るように、側面へ回り込んで、鋭く斬り上げる。小鬼王の動きは鈍く、体勢を整える間もないようだ。切っ先が脇腹を割いた。
しかしゴロブズドは全く苦痛を受けていないようだった。そればかりか、再び斧を振り上げきっていたのである。
「ゴロブズドは防具一つ身に付けていませんが、彼自身の肉が厚い綿入りなのですね。これを分かっていて、防御に手数を割かず次の攻撃の動作に入っていたということ。王者の風格を見せつけていますわ」
大斧を振り下ろすのに時間は俟たない。重力に従い、錬鉄の重さを余すところなく、小さな犬に的中させんとしていた。避けきれるにせよ鐘の体勢が崩れるのは必至であった。鐘は笑っていた。この刑が始まってからずっと、楽しげな表情を崩していなかった。「やれ!」観客の怒号のごときヤジ。
鈍い音がした。金属と金属の音だった。
鐘がサーベルで大斧を受け止めたのである。
「ほほ、鐘のサーベルというのは、近衛兵の装備は大層強靭ですのね」
「装備の詳細は公開されておりませんからね。ええ、一説には、アンオブタニウム」
「まあ」
だがそれでも盾でない以上は、狼の腕力が馬鹿げている証明である。どよめきと歓声は、今度は鐘のものであった。ゴロブズドもやはり目を丸くしている。
剣の上を滑らせ受け流す。そう簡単に大斧を振り返すことなどできず、狼は小鬼王の肩にふた太刀目を浴びせた。先ほどよりは深く入ったようだ。
「魔王の兵らしい仕事です。鐘にはかすり傷ひとつありません」
「ただ、決定打に欠けるよう。狼は魔法が『馴染まない』種ですから、腕力勝負で捻じ伏せるつもりでしょうが」
「長期戦になれば、鐘も動きが落ちるのでは?」
「それにあまり美しい戦いではありませんわ」
解説を肯定するように、ゴロブズドも笑みを浮かべて大斧を横薙ぎに振った。まだ体力は有り余っているのだ。
鐘は身を屈めてそれを避ける。そのまま肉塊へ突っ込んだ、つまり、斧、サーベルの間合いよりさらに内側へ。
「あら。隠し玉ですか?」
一連の動作は流れるように、一瞬であった。
サーベルから手を離す。カランと音を立て床を転がる剣に、ゴロブズドが一瞬気を向けた。狼は腰からふた振り目の得物、トレンチナイフを抜き出した。大振りの攻撃を放った直後の胴はがら空きであった。脇腹には先ほど狼が斬りつけた鋭い傷。そこを目掛け、短剣を勢いよく刺し込んだ。
持て余し気味の長剣よりも、手に馴染んだ短剣は鐘の馬鹿力を余すところなく伝えたようだ。剣は根本まで深々と突き刺さり、小鬼の王もさすがに顔を顰めた。しかしまだ決定的ではない。ゴロブズドは拳を振りかぶった。
鐘はゴロブズドから離れず、短剣をそのまま両手で押し上げるように、一気呵成ゴロブズドの胴を割いた。拳を下ろそうと前傾姿勢になったがために深くを刺し、肩の傷へ斜めに繋がった。血が吹きだし、鐘を赤く染める。
「グ」
小鬼王の口から呻きが漏れる。下ろそうとした拳がほどけた。
「とどめ、派手に!」女狼が叫んだ。
変化は既に、ゴロブズドの攻撃を屈んで避けたときから始まっていた。茶色の毛は全身に、牙は鋭く――仲間うちでは小柄とはいえ――巨躯の狼、竜である魔王をも手こずらせた四足の獣へ。
「小さいな、小鬼。大きくなったつもりだろうけど」
鐘は耳元で囁いてやった。人型のときにはゴロブズドの胸元ほどしかない彼が、小鬼王の血まみれの肩に前脚を掛け、やすやすと押し倒していたのだった。
「手抜き、か、はじめから」
「少しは時間をかけないと魔王様に叱られちゃう」
負けるはずがないから、魔王の指名を受けたのだ。
「圧倒的な力の差、児戯に等しいということを見せつける伝統的な執行でしたね」
「さあ、とどめですわ」
「やれ!」「殺せ!」の合唱が、四方八方、天地からこだまする。
鐘は、ゴロブズドの肉に埋まった頭へ齧りついた。
ごぎ、と骨の砕ける音が演出効果により競技場内に拡大され拡散。狼が頭を上げると、ブチブチと小鬼王の頭と身体は引き裂かれ、醜悪な顔が濁った眼で天に掲げられた。
歓声が上がった。
狼にそう長く頭を咥えているつもりはなかった。罪人の頭はすぐさま投げ捨てられる。上空の泡の層にぶつかり、一瞬汚い血の跡を張りつかせ、すぐさま転げ落ちた。血の跡も長くは残らず、透明に戻る。
「罪人が死んでしまいましたので、ここで終了です。魔王様が魂の処遇を決定されます」
黒い泡、貴賓席の一つが競技場中央部へと移動する。それが魔王の観覧席であった。途端、場内は水を打ったように静まり返る。
「十六番、大儀であった。良い手際であったぞ」
焦らしが足りぬがな、と拡大演出を外して呟いた。ごめんなさい、と狼が耳を倒す。
「ゴロブズドは観ていられぬほど、知性の欠片もない、低能な戦いぶりであった。余は失望したぞ。これが王を名乗る者とは、地底の小鬼も恥じねばなるまい」
魔王は威厳を込め、はっきりと宣言した。「この者の魂は解放しない。魔力炉にくべ、使い尽くすこととする」
万雷の拍手が決定を、魔界に相応しい王の処断を讃えた。
「エキシビジョン・マッチが終わりました。続きましては、公開死刑の執行にあたり、魔王様からお言葉をいただきます。皆様、静粛にお聞きください」
黒い泡、魔王の観覧席は外側から内側が見えないように細工されている。この挨拶のときだけ、外から魔王の姿が見えるように透明に変じるのだ。
魔王の姿が中空に浮かぶ。手には金とルビーの錫杖。黒い長衣は艶やかで、その表面には金色の火が刺繍のように走っていた。背には、普段は人型の身体のうちに巧妙に隠されている翼が広げられ、身体を何倍もに見せている。黒黒とした薄い骨の板、間には白い薄膜が渡され、その上に骨色の冷え冷えとした白さの羽根が覆い被さる、竜としてもめずらかな翼である。
「お集まりの諸君、余興は愉しまれたか」
再びの拍手を、片腕を挙げて制する魔王。
「重畳。この死すべき者の死をも貪り食う熱を、余もこの狭苦しい監獄から見ておった。思うように人間をいたぶれず、くぶる諸君らの炎を、ゴロブズド・バグロドゴグ八世はその身でもって奮い起こしてくれたようだ。余と玉座を愚弄した『罪』はかように贖われることを留めおかれよ」
魔王の口元には皮肉気な薄い笑みが浮かび、それこそが彼の常の調子だった。
「これより処刑が行われるは、更なる『罪』、この魔王の命とらんと無謀の企てを図ったものども。もちろん彼らは死すべき者どもである。手段は如何ようにもあった。余の炎、余の毒、余の鉤爪。我が悪魔の闇の魔法、我が狼の鋭き牙、我が不死者の血の呪い。しかし、いずれにせよ、それでは諸君らは愉快ではあるまい。これは何と、もったいないことか」
錫杖を持つ手を、ス、と持ち上げると、競技場いっぱいに魔界の縮図が投影された。麗しき平らな地、と呼ばれるそれである。
「以前に伝統に則り公開処刑を執行したとき、我らは長い歴史の上で初めて、この処刑の興奮を魔界中に映像放送により共有した。今日の技術では映像や音のみならず、匂いや熱をも伝えられる、もちろん不要の情報は遮断して結構。さて、娯楽をより面白くするため、余はみずから心を砕いた……先の余興に欠けていたものは何と思われるかな」
一拍、思考の暇を与えるように、しかしそれには短すぎる時間をくれてから、
「勝敗が既に決している決闘など、すぐに飽いてしまうのではないかね。そうであろう、諸君ら。そなたらはこの処刑の何を賭けにしておるのかな。そう、今回違うのはそれだ。余が選んだ処刑人は人間の勇者ども。馬鹿な魔物を斬り伏せるだけの力はあれども、おお、困ったことに、余の思い通りに働く手駒とはいかぬのだ」
魔王は大袈裟に眉根を寄せ、溜息を吐いた。
「ゆえに今回はひとりぐらいは恩赦に与る者が現れるやもしれぬ……しかしこの恐ろしき儀式が人の世に伝えられるという利益をも生もう……ともあれ諸君らには、流される血が反逆者のものであれ人間のものであれ、常より甘美な陶酔と興奮の中でそれを味わうことになろう。期待せよ」
長口舌が終わった合図に、泡は再び黒く塗り潰された。三度目の拍手は長く、長く続いた。
「お疲れ様でございました。いつもながら唄うように素晴らしい弁舌、聞き惚れておりました。あの、ところで、だしてください」
客席から見えぬ内側には側近の悪魔や近衛兵の狼、それと杭を打ち付けられた柩。
「陛下、この棺桶煩いです」
口を尖らせて赤毛の女悪魔。
「だしてください…ごしょうなので…だして…」
魔王は柩の小窓を開けた。
「おおガゼルロッサ。酷い顔だな」
「やだ、ベソかいてんじゃないよ。鼻水拭け」
女悪魔、アルメニ・アートス・ウルティナスは堕天使であったので、時々天使的に優しかった。白いハンカチをガゼルロッサの顔面に被せる。
「良かったな」魔王は青年の頬を軽く叩いて、「死人らしくなったぞ」そして小窓を閉めた。
「あっ、開けて! せめてそこ開けてください! せめて! ごじひ!」
アナウンスよりもこの泣き声を遮断させてくれ、とアルメニはこめかみを押さえた。
魔王は息を吐いた。翼を身体の中に畳み込み、びろうど張りの黒い椅子に腰掛ける。下方では狼の鐘が伸びをしながら人型に戻るところだ。
「十六番はまだ大きくなるのか」何気なく魔王。
「まだです。まだ百四十歳ちょっとですから」傍らの二番狼。長銃を携えている。「男はこれからですよ。三番が小柄だけど、こんなもんです」
肘で指された三番は二番より頭半分背が低い。二番と並べると一回り小さいが、側近が詰まっている柩よりも大きい。広い魔界には山ほどもある巨躯の化物が跋扈することを思えば、人型の大きさなど誤差のようなものだろうが。
「それもだが四足の大きさよ。三番、貴様の四足このところ見ないな」「私は射撃が性に合っているものですから。体格に劣る分」こちらも長銃を手に――今回の魔王の護衛には狙撃手を揃えている。銀の弾丸を込めたライフルは近衛兵の標準装備。
「怒んなよクロス」「怒っちゃない」「小さいって言うとすぐ怒るんだお前は」「怒ってない」「ほら怒ってる」「あんたがしつこいからだ」「ほら」
ともかく魔族の場合は生まれつきの体格、種族の強さがものを言うが、時にそれを軽々と乗り越えるから人間は面白い、と魔王は思っている。
「しかし、あの者ども、どちらが化物やら」そういう面白さとは何か違う気がしていた。
三番狼(クロス)、八番狼(緋良)はムーンライトノベルス掲載BLにも出てくるよ。興味あったら読んでみてね。
本当は「人外のセッセセが書きたい。いわゆるケモチンとか、発情期云々とか、アホみたいな体格差とかをネタにしたセッセセが書きたいというか読みたいけど好みに巡り合えないので己で書く」って趣旨で書き始めた魔界のBL。順番を大事にする女なのでキスから始めて「次は初夜だね~」って思ってたけど重要部分の設定で迷いが生じ(縦スリットか横スリットか)、息抜きで「戦闘描写やりてえな」って始めたのがこの、公開処刑。なのでとりあえずスタンダードにやったらどうなるかをエキシビジョン・マッチ。
一つの話としても折り返しなので、風呂敷を畳む難しさとバトルシーンの難しさに落ちる執筆速度。投稿前に5話まで貯めていたストックが切れまして、ペルソナ5もしないといけないし超忙しい、ということで毎日投稿はここまで。
週2、3回目安で次話投稿をしたいという予定です。