『フォス』~格差社会~
日も落ちようという頃、一羽のウサギが弓矢に射抜かれた。矢は正確に的の中心、心臓を貫いている。
「ふう、今日はこのくらいにしておこう」
射手の少年は汗を拭った。彼は既に3羽のウサギを仕留めている。一見何の特徴もない少年だが、よく見れば、その身体は固く引き締まっており、手には弓ダコ、剣ダコができているのが分かるだろう。
「早く帰らないといけないしね、今日ばっかりは」
その世界では、15歳に達すると女神から『ジョブ』を授かる。
アステルン王国の田舎にある小さな村の少年フォスは15歳になろうとしていた。つまり、ジョブを授かるために街の大神殿まで赴く必要があった。15歳を迎える3日前である今晩は村を挙げての宴が催された。フォスの15歳を祝うためである。15歳は特別なのだ。
「フォスはどんなジョブを授かるのかしら」
姉のように慕うネーデ、彼女は『癒し手』のジョブを授かっている。
「フォスは剣の筋がいい! 鍛錬だって自分からやり始めるくらいだし、『剣士』ってところなんじゃないか」
ガハハ、と豪快に笑って太鼓判を押すのは『狩人』のダンバ。フォスにとっては剣の師匠だ。
「ちょっと、もう、あんまり期待してもフォスが困っちゃうわよ」
「そうそう、何しろ夫婦揃って『農夫』なんだからね。僕らとしたらフォスが家を継いでくれるのも幸せなことだ」
優しく笑いかける両親。
「それでも男に生まれたからにゃあ、夢を見たっていいだろ」
「そうよ、『勇者』かも!」
その場が笑い声でどっと沸きかえった。
温かい時間、心地よい空気。ささやかではあるけれども、新たな人生の門出としてはこれ以上なく祝福されている、とフォスは思った。
まさか、あんなことになるとは、夢にも思わなかった。
街の大神殿。15歳の誕生日のその日、フォスは授けられたジョブが刻まれた、『ジョブクリスタル』を呆然と見つめていた。
刻まれていたのは――
『村人』
特殊スキルは『スキルボーナス+5』と『素手攻撃補正』、それと見慣れないが、『コンプリートボーナス』?
フォスのクリスタルを見た神官は静かに首を振った。
だが最も落胆していたのはフォス自身である。村人というのは、つまり特別な才能がないということ。ステータスはオール10、特殊スキルも際立ったものではない。『コンプリートボーナス』というのは、取得できるスキルをすべて手に入れることで特別な効果を発揮するという珍しいスキルだそうだが……。
「村人が取得できるスキルは下位職のスキルすべて。60以上もある」
そしてそんなに頑張ってスキルを集めても、彼には職業補正がかからないため、低いステータスとも相まって使い物にならないだろう。また、村人には上位職がない。要するに冒険向きでもなければ、商売も職人も向かない、人並み以下を生きていかなければいけないのだ。
フォスは両親の言葉を思い出す。『家を継いでくれるのも幸せなことだ』
『農夫』ではない自分には両親ほど立派に農園を切り盛りすることは出来ないだろう。それでも、居場所があるのは幸せなことだ。
肩を落として失意に沈もうとしたフォスの目に、ジョブクリスタルがきらめいた気がした。
『コンプリートボーナス』
フォスはもう一度スキル表を見直した。普通はジョブによって取得できるスキルは限られ、10から20程度がその上限だ。しかし村人には制限がない。確かに本職のスキルには劣るだろうが、本職では不可能な組み合わせも可能となる。ささやかながら『スキルボーナス+5』もある。
「コンプリートしたら何が起こるんだろう……?」
疑問に答える声はなかったが、『まだ諦めるには早すぎる』と言われた気がした。
* * * * *
魔王は資料から顔を上げ、訝しげに側近へ問う。
「『勇者』ではないのだな」
「『勇者』ではございませんよ」
きっぱりと側近は答える。
「確かに、他にも勇者の肩書きのない者はいるが、此奴にはその適性さえないとみえる。この世界が魔界並みに残酷なのはよう分かったが。しかし、またスキルだのステータスだのなのだな……」
魔王は食傷気味だが、『勇者』を集めている以上似たり寄ったりになるのは避けがたい。と思うことにした。
「魔王さま、この世界の『ジョブ』とやらが示すのは『その職業に向いているか否か』でございます。その生き方までもが規定されているのではありません。もちろん、常人にとっては規定されているも同然の理不尽なルールではあります。そして魔王さま、『勇者』というのは勇者向きの人間か否か、ではなく、勇者として行動する人間のことでしょう」
側近は自信に満ちた顔。
「彼は『村人』でありながら『勇者』の生き方を志す者なのですよ」
「ほう、殊勝だな」
魔王好みの案件である。まっとうに努力をする人間を魔王は好いていた。そういう人間が努力に見合わぬ理不尽に絶望するのを特に好んでいる。
「では此奴、まことに『コンプリート』したというか」
「それが本当に」
側近は略歴を簡単な年表に纏めていた。僅か一年でスキルとやらをコンプリートしたようなのである。だがそれがどれほど凄まじいものなのかは分かりづらい。
「彼の目論見通り、得たスキルも組み合わせることで、性能の低さを補って余りある活用を可能としています。身体能力や魔法の適性では劣る面も、それらがカバーし今では『最強の村人』と呼ばれているとか」
「それはもう『村人』ではないだろう」
「あの世界では『ジョブ』が絶対というところがございまして」
一種のカースト制度。魔王が見てきた中でも相当に酷い『女神』である。
「当然『勇者』もいたんですがね」
側近が補足資料を投影する。精悍な顔つきの男で、フォスと同世代のようだ。
「彼はこの世界で数人しかいない『勇者』のジョブを得た人間で、フォスよりも1歳年上です。『勇者』のジョブを与えられた者はすぐさま国家に保護され、最高の待遇を受けながら鍛錬されます。」
そして、と顔を顰める側近。
「こいつは性格が悪い」
「ははあ……」
逆なのだろう。恐らくは勇者向きの能力を持つが、勇者の資質がない。
「権力を笠に着て威張り散らし、与えられた能力はもったいぶって使いません。こいつも女を侍らすタイプです。鍛錬も強いられたものは最低限にする程度で、能力を高めるつもりもない。それでも『勇者』のジョブが強いので大抵の問題は解決しますが、他の世界なら『強者』で終わりますね。当て馬ですよ」
側近が調子よく毒を吐くのに、魔王も思わず苦笑いである。
「それでも、彼は『勇者』として最高の待遇を受けますし、フォスがどんなに強くなって人々に慕われるようになっても、彼はフォスを『村人』としてぞんざいに扱っています。それが許される世界です。しかしながら、魔界はその世界とは関係ないですから。迷わずフォスを『勇者候補』として視察を進めました」
ここで側近がひとつ、咳払いをして、
「『コンプリートボーナス』、知りたいですよね」
「もったいぶるな」
「全ステータスの限界突破、上位職スキルの解放、伝説の武具が装備できる、だそうです」
魔王らはその世界のルールに精通していないために分かりづらいが、有益そうだ。
「此奴は際限なく強くなり、あらゆる特殊技能を習得でき、高性能の武具を使いこなすことができるようになった」「左様にございます」
「努力さえすれば」
そうだ。能力が与えられたのではなく、その可能性が与えられたのだ。他の多くの世界ではそれが当たり前の話ではある。誰もが努力さえすれば強くなれる可能性を持っている。本来は降って湧いたどこの馬の骨とも知れぬ才能よりも自らが勝ち取った能力の方が遥かに信用のおける揺るぎない力であるはずだ。社会の慣習だの偏見だのに阻まれることはあれども。
そうであるからこそ、「努力をすれば」は全く簡単なことではない。誰もが努力できれば世話はないのだ。そう、努力ができることも実は神が与えた才能に等しいのだった。やはり現実は残酷なもの。
「彼は、努力ができました。最早人間とは思えぬほどに、淡々と、努力ができる少年なのです」
その才能がありながら、『村人』の烙印は消せぬものなのか。
その努力の内容。毎日の筋力トレーニング、走り込み、魔物は日に百を超すほど倒すこともあるという。それも無駄なく自分の経験とするためたったひとりで挑むのだ。
「確かに、勇者たるに相応しいとみる」
「そうですよね」
「少なくともアルトなんとかとか、なんとかジンとか言う下衆よりも余程勇者らしい」
「そうですよね!」
側近は力強く頷いた。
「魔王たるもの、戦うべき『勇者』は力だけではない説得力のある人間を相手にしたいもの」
「まったく同感にございます。そうでなければ面白くもない」
「左様、面白くない」
微笑み交わす。
「退屈は死だ」
「それではめいっぱい愉しくいたしましょう、魔王さま」
* * * * *
暗闇に沈む洞窟の中。松明を手に奥へと進むが、明かりはあまりに心許ない。『マッピング』『魔物探知』のスキルがなければ単独での潜入は無謀だろう。
もっとも、それらを取得できる『狩人』の職であっても、目的が魔物退治となれば単独での行動は控えるべきだ。結局大きなことを成し遂げたいのなら、冒険者ギルドで仲間を募るのがこの場合の正解。あるいは、
「『村人』を究めるか、ポヨ?」
厳密には、洞窟を進むフォスはひとりではなかった。肩にちょこんと乗っているのはスライム種ジェリー族のモンスターである、ポヨン。冒険の役に立つとは言い難いが、フォスが冒険を始めたばかりにとある窮地をふたり(?)で乗り越えて以来、フォスの良きパートナーだ。
「まだ究めてはいないけどね」
「でも、もう究めたも同然ポヨ。だってあの『勇者』と一騎打ちで、金星、大金星!」
「まぐれ、だよ」
口ではそう言うフォスだが、確かな手ごたえがあったのは事実だ。確かに相手は、フォスが『村人』というだけで油断をしていたのだから、その先入観がなければ勝つことができたかどうかは危うい。それでも、『村人』が『勇者』に勝った。
「油断する方が悪いに決まってるポヨ。もっと胸を張るといいポヨ、ポヨンも鼻が高い高い」
「ポヨンには鼻、ないじゃん」
和やかに談笑しながら奥へ進む。敵性モンスターの気配は感じられない。
「依頼は魔物退治だった、ポヨ? 確か……」
「野生化したゴーレム」
ゴーレムは人間が魔法を使って造り上げる魔法生物兵器だ。主のいない野生化ゴーレムは、最低限の自律知性しか持たないため、自律知性の思考に慣れてさえいればやりやすい。魔法攻撃が効果的な相手だが、狭い洞窟の中であまり強力で派手な魔法を使うのはよくない。周囲の環境に魔法が影響し、生き埋めになる恐れがある。周囲の状況をよく下調べした上で仕掛ける必要があった。
「今日はこの洞窟のマッピングを終わらせよう。交戦は避けたいな。ポヨンも、何か気が付いたら教えてくれよ」
「モチロンだポヨ!」
言うや否や、さっそくポヨンがフォスを小突く。
「フォス! フォス! 壁の様子がおかしいポヨ!」
フォスは驚いて、その壁を凝視した。暗い闇の渦が突然姿を現したのだ。ある種類の魔物は、この闇の渦の魔法で長い距離を移動する。『魔物探知』のスキルでは反応がなかったが、スキルレベルが低いからだったのか、いや、『魔力探知』との併用で今までは十分だった。今まで以上の高レベルの敵に出くわしてしまったのだろうか。
「でも、フォス、フォスのレベルだって滅多にない高レベルだポヨ……」
「そんなに高レベルのモンスターが出たって話は聞かなかったんだけど、油断したかな」
フォスは腰に帯びた短剣を抜き、身構えた。
突然、闇の向こうから声がした。
「『村人』フォス」
「……ボクだ」
緊張しながらも答えるフォス。人間の言葉を操るモンスターとなれば、かなりやっかいな相手なのは間違いない。機嫌を損ねるのはまずい、と判断した。
「貴様を『勇者』と見込んで、話があるのだ」
「何?」
『村人』のフォスだと知っていながら、『勇者』だと言うその声に戸惑うフォス。
「貴様は今や『勇者』以上に『勇者』たる力がある。違うか」
フォスはどきり、とした。今では『最強の村人』と言われ、村人にとってはこの上ない名声を得たが、それでも満たされなかった思いを見透かされた気がしたのだ。
「確かに、ボクは」
フォスは震える声で、闇に答えた。
「勇者を目指す者だ」
これ系って普通にビルドゥングスロマンで主人公に瑕疵があるように見えないし、スタート地点以外に挫折ポイントがないこと以外には普通に納得できる勇者になる。なってしまった。
私はそういう誠実にコツコツ努力を積み重ねている奴は理不尽にも何度でも努力ではどうしようもならない苦境に陥ってもらうべきだと思うので、魔界にお呼びします。