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穏やかな海のような残酷な実情


 ここは穏やかな海だ。きっとそうだ。誰かが私を引き上げてくれて、この暖かな所へ連れてきてくれたのだ。でも、それにしては辺りが騒々しすぎるような気がする。魚が泳いでいるような気配もなく、波が肌をなでる感覚も無い。ただ溢れるのは行き交う人々の焦りで満ちた足音と、叫びに似た泣き声だった。


 おかしい、と思い目を開ける。瞼の辺りが少し湿っていた。


「奈緒!」


 誰かが目の前で叫んだ。その声に驚いてまた目を閉じると、手首の辺りに何か違和感を覚えた。もう一度確認しようと瞼を上げる。


「おばさん奈緒がっ」


 目の前で彼が叫んでいた。それと同時に私の右手が強く引かれて、思わず声を上げる。


「奈緒? 奈緒がどうしたの、拓海君」


 少し遠くで湿っぽい母の声が聞こえる。清潔感の漂う白い壁と寝ているベッドは、自分の部屋のものではない。ここは、どこだ?


 視界の端から母の顔が出てきた。その顔はひどくやつれたように見え、私がきょとんとその姿を見つめていると、彼女の顔はみるみるうちに色々な感情でぐちゃぐちゃに歪んでいった。


「奈緒!」


 最後の方は殆ど悲鳴だった。飛びつくように私に抱きつき、私の耳元で嗚咽の海を溢れさせる。


「お母、さん……?」


「俺、先生呼んできます」


 彼は私の手を放し、部屋の外へ出て行く。その足音は母の泣き声にかき消されて聞こえない。


「お母さん、どうしたの?」


 尋ねる私を無視して母は泣き続ける。ねえ、何なのと言いながら、体を起こそうとした時、違和感を覚えた。なんとなく、いつもと感じが違う。試しに片足を動かそうとすると、重い石が上に乗ったようにぴくりとも動かない。足元を見てみると、そこにはただ白いシーツがかかっているだけ。冷やりと首筋に冷気がつたった。母は私の胸元で、ふるふると首を振る。嫌な予感が頭の中を埋め尽くしていく。


 ようやく、母が口を開いた。

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