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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
五風十雨の平穏
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あるいは遠きその道は

 世界は光になど満ちていない。

 かつて取り縋ったものは、光などではなく、幻想の類であったのだとようやくわかったのは、全てが壊れた後からだった。

 彼の歩いた後ろには、幾多幾万の屍の山がある。

 恩人と呼べる人もいた。気の会う同僚、認め合った友人、導いてくれると信じた英雄。そして幾多の自分の指揮で散っていった部下たち。

 それらは全て、奪われた。

 いや、奪われたなどと言うのは彼らにとっての侮辱だ。

 彼らは自らの意思で戦いに身を投じ、その命を賭けたのだ。

 ならば、己が彼らの仇を討つなどおこがましい。

「……」

 だが、それでも、どうしても決着をつけねばならない相手がいる。傷ついた恩人を討ち取ったあのゴブリン。その名は既に世界に知れ渡っている。

 思えば、自分自身の旅はあそこから始まったのだ。敗北と敗退の中にあってもなお、命をつなぎとめているのは、ただそれだけのために。

 ──天下無双ギ・ゴー・アマツキ。

 その名が響くたび、自身の中に積み重なったものがある。

 胸の奥に積み重なるその名をあえて呼ぶことはない。

 決着をつけた後にのみ、わかるはずだ。

「──ユアン」

 呼ばれて振り返る先に、守りきれなかった人がいる。

「……行くのか?」

「はい」

 伏せた視線の先に、震える女の姿。

「もう、やめよう。勝利は彼らに微笑んだ。我らには、もう勇者様の恩寵すらない」

「いいえ……まだ、終わりません」

 睨み返すように視線を上げるユアンに、震えていた女は視線をそらす。

「アリエノール様。まだ何も終わってはいないのです。まだ何も……」

 病に伏し、死に行く妻の前で、彼は誓ったのだ。

 証を立てねばならない、と。何一つ守りきれなかった己の、生きた証を。この世界に、あの世界を制覇したゴブリン達に。

 腰に挿した一振りの剣。それのみしか彼を守るものはない。

 だが、それで十分だった。鍛え上げた体はまだ動く。胸の奥底に眠っていたはずの、何者かが雄たけびをあげている。あの日、あの時、失ってしまったはずの何もかもが、前へ進めと叫んでいる。

 灰に埋もれた残り火のように、大戦を生き延びた一人の益荒男は、その足を魔都へと向けた。

 ユアン・エル・ファーラン。

 東方十三武家がひとつ、ファーラン家に婿養子に入るも、ゴブリンの東征にて家は没落。再び世界がその名を聞くのは、世界を分かつ大戦のときだった。


○●○


 魔都シャルディに入り込んで数ヶ月。ユアンは、賭場を開くヤクザ者の用心棒として、日々を過ごしていた。そこで彼は精力的に動く、争いの絶えない魔都の中でも、いっそう猥雑と混沌を友とする彼らの中に入り込んでユアンは、伝手を探していた。

 ゴブリン達の世を覆せるだけの力を持つものなどいるはずもない。

 だが、ここは反ゴブリン色の強い東部のもっとも栄えている都市だ。それゆえに、ゴブリンに反感を持つ旗頭となるべき人物がいても、おかしくはない。金と声望を備えた、そんな人物が。自身が旗頭に立つことを考えないでもなかったが、ユアンの目的はあくまでギ・ゴー・アマツキというただ一匹のみ。

 それゆえに、身に纏う余計な肩書きは不要と彼は考えていた。

 暇を見つけては、魔都の中を歩き回るユアンだったが、なかなか目当ての人物は見当たらない。魔都シャルディの暗黒街などと呼ばれてはいても、彼らは所詮ゴブリン達の軍勢がいないからこそ、生息できているのだ。

 そんな気骨のある者など、早々いるわけでもない。

 ましてや時代は、征服から支配へ移り変わる時代の中だ。最後の大戦から、5年。支配の基盤たる民心は安定に傾いている。このような時代に望んで乱を起こすなど、狂人の思考だろう。

 常人ならば、確かにそう思う。

 だが、傷跡は、いまだに残っている。ユアンが一筋の光明を見つけるとしたら、そこだろう。特に、この魔都においては、大陸中から脛に傷のある者たちが集まっていると言っても良い。

 夜を徹して行われる賭場を後にして、朝焼けの町を彷徨う。東の空から上がる朝日が、己を責めているように感じて目を細める。そんなわだかまりを胸に抱いたまま、暗い路地裏へ向かった。いまだ夜の闇が残るそこには、まるで自分が住んでいる闇がそのままあるような錯覚を覚えて、きつく拳を握り締めた。

 歩き続けるユアンの耳に、わずかに喧騒の気配。

 普段なら関わり合いになどならないところだが、あいにくとユアンは虫の居所が悪かった。己の中の良識という名の鎖が、彼をそこへ向かわせたのだ。

 いっそ、他人など一切構うつもりはないと、割り切ってしまえば楽だろうに、彼にはそれができなかった。

 ユアンがその場に足を踏み入れたとき、その場は一方的な形になっていた。

 囲まれているのは、傷を負った男。囲んでいるのは、手に刃を持った5人の男達だ。

 砂を踏みしめる音に気づいた一人が、視線をユアンに向ける。

 だが、それを待つことなくユアンは闘争の場に足を踏み入れた。

「誰だ!?」

 気づいた一人の男を一瞥して、無視を決め込む。一見して線の細い体つき、マナの発動をさせる気配もなく、脅威はないと判断。踏み出した一歩で、加速。

 声に気づいたゴロツキ達が、いっせいにユアンを振り返るが、それを見てユアンは目を細めた。傷を負って包囲した為に油断しているのか、完全に意識がユアンに向いている。よくてゴロツキ、悪ければ浮浪者だ。瞬く間に接近するユアンに、ゴロツキの一人は反応すら出来ずに殴り倒される。

 人の体の中心線鳩尾を正確に打ち抜く拳打の威力は、戦闘力を奪うのに十分だった。一瞬にして悶絶するゴロツキに目もくれず、反応が遅れたもう一人に蹴りを見舞う。程よく殺した勢いをそのまま利用して、右の回し上段。

 泡を吹いて倒れるゴロツキの吹き飛ぶ音に、やっとその場の人間が我に返った。

「て、てめえ!」

 乗った二人のうち一人が短刀を振り上げる。振り下ろされたその腕を掴むと同時に、ひざを蹴り上げてその肘を破壊する。悲鳴を上げる一人に、再び顎先への膝を食らわせて黙らせると、包囲していた最後の一人に向き合った。

「な、なんなんだ!」

 ユアンは返答すらせずに、一歩踏み出し、拳を振り抜く。突き出された短剣を半身になって避けると、出て来た相手の左頬を右の拳で打ち抜いた。昏倒する武器を持った4人。そしてその場に残るのは、包囲されていた一人と、興味深げに様子を見ていた一人だった。

「良い腕だ」

 包囲していた側の最後の一人が、軽薄に手をたたきながら賛辞を口にする。無言で、睨み返すユアンに、その男は笑いかけた。

「ねえ、僕に雇われないか?」

「……いくらだ?」

 問い返したことが意外だったのか、助けられたはずの男があせった声を出す。

「あ、あんた! そいつは、やめとけ!」

 助けたはずの男を睨み付けると、助けられたはずの男は悲鳴を上げて口を噤んだ。

「……日に銀貨で30」

 破格の値段であるといって良いだろう。どこの金持ちかと、胡散臭そうに視線を向けるユアンに、自信に満ち溢れた態度で男は言い放った。

「僕の直属の護衛として雇おうじゃないか」

 自信に溢れたというよりは、成功を疑いもしない態度でその男は手を差し出す。

「その男は、国を──」

 言いかけた男の喉首に、ユアンの剣先が向けられる。

「その先は、必要はない」

 当てられた殺気の鋭さに、男は壁際にずるずると背を持たれかけさせ、崩れ落ちた。

「受けよう」

 男のについていくユアンは、底のない暗闇の中を歩くように、ゆっくりと足を進める。少しの油断も隙もなく暗闇の奥にすら見通すように。

 しばらく歩けば、暗闇を抜けた先朝陽の光の中に街は目覚めのときを迎える。

 暗き常世に生きている者にも、平等に。

 だがいま少し、その光は大陸を遍く照らすには弱弱しいものだった。

 

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