魔都
天冥会戦後、大陸東部の復興は緊急の課題だった。主要1次産業を形成していた成人男子を中心に、主力は壊滅状態。群島諸国は未だ沈黙を守っていたが、それは国としての沈黙であり、個人単位でみればその流入は始まっていた。
ほとんど無人の地であり、取り締まりを行うものもないとなれば、必然的に治安は悪化する。
ゴブリンの王亡き後、アーティガンドの王都を占領したゴブリン達も、そのあまりの静けさに廃墟となった都なのかと思ったほどだった。だが、旧ヤーマ地域の最果ての東岸まで到達してみても、人の気配はほとんど存在せず、それをもって東征を終了させざるを得なかった。
いかに彼らとて群島諸国を一挙に飲み込むほど無謀ではなかったのだ。
ゴブリン達を駐留させるという案も出たが、時の宰相プエル・シンフォルアはその案を却下する。
「乱世は終わりました。無用な軍事力は治安の悪化を招きます」
アルロデナの歴で5年。アーティガンドを下し、勝利の余韻に浸る暇もなく彼女は国の方針を明らかにする。
混沌から秩序へ、乱世から統一へと舵を切った彼女の発言だったが、それを実現させるためには、まだかなりの年月と様々な工夫を必要とされていた。
東部の人間を刺激しないよう、人間族を中心として組織された最低限の軍勢を東部に駐留させ、治安の回復を図る。また、大陸を横断する宝石の街道の再建と、発展を展望に入れた大規模な経済施策。
この二つを柱として、東部再建は始まった。その総責任者として任命されたのは、“失言多き天才”ガノン・ラトッシュ。
東征を補給の面から支えた最大の功労者であるとともに、百万の命を握る男、ヨーシュ・ファガルミアの弟子。ギルドの総支配人、麗しき沈黙・ヘルエン・ミーアの同僚である。
かつての海洋国家ヤーマの中心地。
海湾都市シャルディにてその復興は始められようとしていた。群島諸国に睨みを利かせ治安を維持する意味でも、立地の要件は外せない。
大陸の東の果てにアルロデナの旗を立てる。それこそがゴブリンの王の悲願であると、残された彼らは考えた。その意味で決して手放していい土地ではない。可能であれば、群島諸国までもその版図に加えたいとすら思っていたが、それは流石に宰相プエルが制止した。
未だ治安は不安定なのだ。
東部に生まれた空白地帯に、ゴブリンの王亡き後の混乱を予想すれば、外征は早すぎる。宰相として至極当然の政治的判断を、ゴブリン達も了承した。王亡き今、なんのために戦うのか、彼らもまたその意味を自分自身に問いかけ直さなければならなかったためだ。
だが、東の果てに他国の者が入ってくるのを黙って良しとするほど、彼らは温厚でも寛大でもなかった。武力を以て世界を奪い取った彼らは、断固として他国の侵略を許しはしなかったし、それが亡き偉大なる王の死を以て奪い取った土地であるならなおさらである。
本来なら、自分達で防衛すらしたかったゴブリン達をその任務から外したのは、東部復興を任されたマーティガス・ガノンである。
「馬鹿か、貴様。東部復興の邪魔にしかならんだろうが! 本気で大陸を支配する気があるのか?」
ゴブリン達の駐留を主張する文官に、さらりと言い放った言葉は、失言の枠を超えて暴言と言われても良い類のものだった。
「東部の人間はゴブリンを見慣れておらんし、第一人間は、ゴブリンどものようにぽんぽん増えるわけじゃあない」
彼の主張には、一定の理がある。
旧エルファと旧アーティガンドを隔てるバンディガムの山岳地帯。それを境にして、目に見えない意識の差というのは確実に存在する。その住民のほとんどをゴブリン達との戦いで失った旧アーティガンド地域にとっては、ゴブリンは文字通り不倶戴天の敵である。
いかに平穏な暮らしを約束し、公平な裁判と公正な税制を約束されてはいても、親兄弟親類縁者を殺された恨みが簡単に消えるはずもない。
そこにいくと旧エルファ地域は、比較的統治がしやすい。元々いた住民のほとんどは、アーティガンドへ逃亡、戦役へ巻き込まれ大多数は野に屍を晒す。そこへ旧ランセーグ地方の諸国から、住民が流入したためだ。
もともと鉱山で栄えていたエルファである。
復興の熱により、木材と鉄の需要はとどまるところを知らず、従って旧エルファには大量の労働力が必要とされた。重労働に従事するのは男達である。そして男達が集まれば、それに食を提供する飯屋、春を売る女達、女達の使う品物を扱う商人達……連鎖するように彼らが集まり、あっという間に元いた住人達よりも、数が増えてしまっていた。
そして旧アーティガンドである。
こちらには産業と呼べるものがほとんどなかった。第一次産業である農耕は発展していたが、それも人手があってのことである。第二次産業は確かにあったが、それでもエルファに比べれば距離も質も劣る。
近くに確実に儲かるエルファという土地があるのに、わざわざバンディガムの山岳地帯を超えて、アーティガンドまで足を延ばすだろうか。
だから、東部の復興を任されたマーティガス・ガノンはまったく別の方法で人の数を増やさねばならなかったのだ。
そのために、彼は何が必要かと問う宰相プエルに、手紙で簡潔に一言述べたのだ。
「金がいる」
何をするにしても先立つものは必要である。
そして、その金額の大きさにプエルは、眉をしかめた。
小国の国家予算の2倍程度の金額を請求されて、だがそれでもほとんど眉を動かなさなかったのは、流石に冷血の宰相であろう。
その金でマーティガス・ガノンが用意したのは、大量の奴隷と、大船団、そして僅かだが腕のいい料理人である。
奴隷は大量に買い付け、それを第一次産業に投入する。むろん、彼の手の届く範囲において、人間からなる治安維持軍は、彼らを守る。そして最低限の第一次産業を維持したガノンは、大船団を率いて群島諸国へ押しかけたのだ。
帆船の帆に描かれたのは、大陸を制覇した黒き太陽の紋章。
風を受けひるがえるそれが、群島諸国の目に入るころには、彼らは気づかされていた。
隣国は強大で危険な国である。少なくとも群島諸国が束になっても勝てる見込みはないのだ、と。
群島諸国は文字通り、小さな島の集まりがいくつかの国家として形成されている。ガノンはその国一つ一つを回って、国交を結んだのだ。
ただし、こちらの実力を必要以上に強調したのは、彼なりの狙いがあった。
「このような大船団、どうして仕立ててきたのですか!?」
悲鳴を上げる各国の大使に、事も無げにガノンは宣言した。
「なぁに、海賊対策ですよ」
船の旅というのは、未だに危険を伴うものであった。マーマンと同盟を結んでいるとはいえ、海賊の被害がなくなったわけではない。そのため腕のいい冒険者を雇って用心棒にしているというのが、海を利用する商人達の常識であり、誇りだった。
そして海賊の出現先というのが、複雑に入り組んだ地形と多くの無人島を抱える群島諸国であったのだ。つまりガノンは、くぎを刺した。
『やるなら、相手になるぞ』
無言の内に恫喝をかけつつ、言葉に出すのは別のこと。
「国交の樹立と交易を」
普段ならここで余計な一言を差し挟むガノンも、失敗すれば自分の首は胴と離れるだろうことは確実だったので、必要最低限の言葉のみを話していた。
なにしろ彼はほかの国と国交を結ぶなどということは、宰相プエルに報告すらしていなかった。口は災いの元という言葉を体現して歩いているような男である。
自身の口の悪さは自覚している彼は、常に結果を以て、裁可を問うてきた。
彼の見るところ、宰相プエルはかなりのロマンチストである。亡き王を偲び、決して王位に就かないその姿勢。ゴブリンに対してのポーズであるのなら、まだわかる。だが、彼女は本気でそう思っているようであった。少なくともガノンの抱いた印象では、だ。
そんな彼女が、ともすればゴブリン達に押されて本気で群島諸国との戦争を始めかねない。
──世界の果てに、我らの旗を。
東征で彼らと触れ合ったからこそ、ガノンにはわかる。
ゴブリン達は、本気だった。
王の為に死ぬ。王の為に屍山血河を作り出し、その中に自分自身が入ることを厭わない。まったく以って正気の沙汰ではなかった。
その位の意気がなければ、大陸の制覇など覚束なかったのだろうが、それでもだ。ガノンにはまったく理解できない動機である。
今はまだ、あのガノンから見てさえ賢明なる王がいなくなった影響で彼らは大人しいが、いつまた元気を取り戻し対外戦争だと騒ぎかねない。
そんな時、ロマンチストの宰相では安心できないのだ。
ゆえに、ガノンは先手を打つ。たとえそれが、自身の首を賭けてのことだったとしてもだ。
諸国との交易の樹立。そしてそれにともなう交流を以て、戦争をするだけが国家のあり方ではないと知らしめる。
「わ、わかりました」
「では、大使館を置きましょう」
海湾都市シャルディに、大使館の設置。むろん、黒き太陽の王国側からの大使館も設置する。相互に連絡をとれる状態にする、ということが誤解を避けるうえでの、もっとも確実な手段だと彼は知っていた。
そして大使館の立地内では各国の法を適用する旨認めさえした。
さらに大使館の立地規模は、海湾都市の区画一つを丸ごと進呈するなど、恐ろしい気前の良さである。後でその事実を知ったギ・グー・ベルベナに売国奴と罵られたが、そんなことで彼はめげることはなかった。
各国の大使館を海湾都市シャルディに置き、広い土地を与えるとなれば、当然ながら同国人達はその地に移住する。一国の命運を担う大使ともなれば、その国の重鎮か、とびっきり優秀なものを向かわせるのが普通である。
なにせ、相手はあのアルロデナだ。
彼らの認識では、突如大船団を組み、脅しをかけに来て、ついでのように国交を樹立するような危険な国なのだ。その動向には細心の注意を払うのが当然であり、目を光らせていなければ怪物のようなアルロデナの機嫌次第で食い殺されてしまいかねない。
諸国の危惧は当然であったし、ガノンはそれを煽ったのも事実である。
だがそれとは別にして、住み慣れた街並み、食べなれた味、同じ服装の人々が、同じ言葉を話すというのは、やはり安心をもたらすもだった。
忘れてはいけないのが、東部には群島諸国から不法入国者が大量に存在していたことだ。その多くは、野盗などの犯罪に走り、治安の悪化に拍車をかけている。宝石の街道も、治安が悪ければやはり機能はしない。
旧エルファ地区の復興が容易だったのは、そこに集まった人々が常に弓と矢の軍の恩恵を知っていたからだった。諸種族混成で成り立っていたファンズエルは、ルミオン州区、王都レヴェア・スー、そして旧ランセーグ地方の小国家群の住民達から、信頼を寄せられるに至っている。
賄賂もとらない、野盗とみれば何日でも追撃して必ずその報いを受けさせる。
圧倒的なその戦力によって、治安維持に貢献してきた彼らは、旧エルファに集まった住人達からも厚い信頼を寄せられていた。
だが、東部地区においてはその限りではない。
住民のほとんどが反ゴブリンと言って良いこの地域では、ゴブリンがいるだけで未だに憎悪の視線を向けられるのが常なのだ。故に治安維持は人間の手だけで行わなければならないが、広大な旧アーティガンドの全てを周れるほど、彼らには人的余裕はなかった。
その芽を摘み取る施策をガノンは選び、同時に人的資源の確保も行うということを考えついたのだ。まさに悪魔の頭脳であろう。
一方で、海湾都市シャルディの治安を維持することを忘れてはいない。治安維持の強化は、この都市が都市として機能する上で最も必要な要素であった。
気前よく各国に都市の一部を譲り渡したために、一見して無秩序に広がった海湾都市の構造は、まるで迷路の様相を呈し、様々な人種が溢れるそこは人間の楽園のように見える。各国の品物が揃う市場は言うまでもなく、アルロデナ側からは奴隷を使って生産させた豊富な農作物を提供する。群島諸国から流れてくるのは、アルロデナでは見た事もないような品物だ。食べ物や製品、そのどれをとっても珍しいものばかり。
人が集まれば、当然活気が生まれ、金が回り始める。
あとは雪山から転がる石のように、徐々に大きくなっていくのを待つばかりであった。
だが、全てが彼の思惑通りかと言えば、そんなことはない。
力を注いだはずの治安はなかなか向上しなかった。
後ろ暗い連中が中心となって形成された都市だけに、暗黒街の広がりはレヴェア・スーの比ではなく、賭場の利権や麻薬の利権などを巡り、日常茶飯事に血が流れてる。
群島諸国でのお尋ね者、凶状持ちなどは当たり前。アルロデナ側での犯罪者や詐欺師など、この都市で石を投げれば犯罪者に当たるというような盛況ぶりである。
中にはかつて、レヴェア・スーで暗黒街を束ねていたという女までもいたという未確認の情報までもある。そんな彼らにとっても、ここは楽園である。
堅気の住人にさえ被害を及ぼさなければ、ある程度の目こぼしはしてくれるというのも魅力的だった。脛に傷のある者達は、群島諸国や周辺から流れ込んでくるのが常である。
そんな彼らにも怖いものがあるとすれば、遥か西に存在するアルロデナ軍である。都市の治安を担わせるのは不可能としたガノンだったが、ゴブリンの軍勢の力を必要としないというわけでは全くない。
彼らはただ睨みを利かせてくれるだけでいいのだ。
そして何より、そこの場所にゴブリン達が軍とも呼べない小規模の戦力を置くのは、ガノンにとってもしかたのない理由として考えられた。
つまり、ゴブリンの王の霊廟である。
大地に突き立てられた大太刀級アルディア。その周りを囲うように建てられた霊廟だけは、頑としてゴブリン達は自分達で守ると言い張った。付近は戦いの余波で荒れ地となっている土地を、シルフ達が木を植え、サラマンドル達が霊廟それ自体を設計し、ウェンディ達が川を引いてきて緑化した。
付近に人が住むことを拒否し、その場所はただ静かにあるべしとしたプエルの配慮である。そんなところもガノンが、彼女をロマンチストと評する所以なのだが、ガノンは幸いにもそのことを口に上らせることはなかった。
稀に旅人が巡礼に訪れる程度で、そこは静かな静寂に満ちていた。
だが、そこを守るためにゴブリン達がいるのは事実だ。そして凶状持ちのゴロツキどもからすれば、そこに彼らがいるというだけで、多少なりともおとなしくしていようという気分にさせられる。
なにせ、相手はゴブリンだ。
人間相手ならどれほども非道酷薄になれる彼らでも、軍隊相手ではどうしようもない。それが大陸を制覇した世界最強と言っても良い軍隊ならなおさらである。
いつしかシャルディは、魔都シャルディと呼ばれるようになり、ガノン・ラトッシュは、“失言多き天才”のほかに、もう一つ綽名を追加されることになる。
魔都の王。
マンディコキア・ガノン。
ミルフェット・ミーア、ミリオンディーラー・ヨーシュ、マンディコキア・ガノン。彼ら三人の経済と政治における三極構造は、二十年来続くことになる。彼ら3人の牽引する経済が、アルロデナの復興と成長に多大な貢献をしたのは疑いない。
時に協力し、時に対立しながらも、彼らはアルロデナの発展に寄与し続ける。
新たな時代の、幕開けを告げるプエルの宣言の通り、時代は移り変わろうとしていた。




