継承者戦争《包囲》
長らくご無沙汰しておりました。更新を再開します。
剣王ギ・ゴー・アマツキによって、一時的に指揮系統を寸断された斧と剣の軍は、ギ・グー・ベルベナの指揮のもと、速やかにその指揮系統を復活させた。
フェルドゥークの指揮系統を復活させたギ・グー・ベルベナが、まず最初に取り掛かったのは陣形の再編だった。
円陣から車輪陣への変更により右翼からの突破を図ったフェルドゥークの陣形は、一時的にせよ大きく乱れていた。傾斜陣から横陣へと移行したアルロデナ総軍に対して、陣形の変形が比べようもないほどに、大きかったためだ。
また、剣王来襲による一時的な指揮系統の断絶、アルロデナ総軍から受ける圧力、そして何よりも一点突破を図った先端戦力が、長剣に丸楯の軍の横撃によって、壊滅したことにより、陣形の乱れは軍の行動に致命的なレベルまでになっていた。
蛇門に剣、戦斧に楯さらには、鉄鎖巻き付く大楯。フェルドゥークの中にあってギ・グー・ベルベナ直轄の軍が三つ壊滅状態。
一点突破を任されるだけあって、特にドゥーラノアは攻撃力に定評のある軍だった。それが潰されたからには、戦力の再編をせねば攻撃をすることすらままならない。防御に信頼のおけるチェルダノムがやられこともギ・グーの懸念だった。
前面を任せるだけの信頼を置ける防御に特化した軍は、チェルダノム以外無いのだ。
ギ・グー・ベルベナの状況判断から、決心までは早かった。
前線で混戦になっている部隊をまとめるためには、一時的に戦闘状態を解除して戦況を整理しなければならかった。だが、単純に後退しただけでは当然ながら追撃を受ける。
アルロデナ総軍がそれを許すはずがない。
だが、このまま乱戦を続けていけば、数で劣るフェルドゥークに不利なのは明らかであった。アルロデナは目に見えるだけではない。なればこそ、速やかな戦力の再編が必要であった。
そこでギ・グーは、自身の直属する軍から2個軍を左右に展開させる。
「右翼に交差する大槍、左翼に三本槍に楯を、前進させよ。奴らの出鼻を砕け!」
紋章旗に描かれる通り、槍を装備した戦士が多い部隊を前線に派遣し、さらなる攻勢に見せかけるフェルドゥーク。その様子を、指揮塔の上から確認したヴィラン・ド・ズールは、ギ・グー・ベルベナの企図を戦線の再構成と読んだ。
「……左右に展開した部隊は、壁か?」
十のうち六は、左右に展開した部隊を押し上げての戦線整理。
二か三は、二個の軍による戦線補てん。
そして一は、我武者羅な再攻勢。
三つの予想を立てたヴィランは、そこで考え込む。いや、考え込まざるを得なかった。
彼の眼下に広がる戦場は、中央の混戦が左右へ波及するように広がっている。先ほどフェルドゥークの一点突破を防いだメルフェルン、妖精族の蛮族エルフ達もその混戦の中に巻き込まれ、組織だった身動きは取れなくなってしまっている。
味方と味方、敵と敵とに挟まれ、目の前の敵を倒すのが精一杯という状況だった。類まれな破壊力を誇ったメルフェルンであっても、こうなってしまうとその破壊力が生かせない。
蛮族エルフなどいうまでもない。
最も蛮族エルフなどと呼ばれる彼らは、折り重なる屍の上で死ぬことをこそ本望と考えるかもしれないが……。
だが、指揮を預かる軍師として、やはり戦線の整理は必須であろう。持ち得る戦力を指折り数え、奇しくもヴィラン・ド・ズールはギ・グー・ベルベナと同じ結論に至った。
「妖精族の諸兄に伝令! 敵と距離をとる。援護を」
角笛の調子を変えて三度。後退の合図を出す。
「後退!? くそっ、下がるぞ! ゲルドット!」
副官の名を呼ぶメルフェルンを率いるグー・ナガ・フェルン。その部隊名が示す通り、長剣と丸楯を装備したゴブリンたる彼は、眼前の敵を蹴り倒しながら、副官に声をかける。
「引くったって、大将!?」
「ちんたらしてる奴はおいていくぞ! 妖精族が雨を降らせるからな!」
そう言ったそばから、グー・ナガは、その長い手を振り回して一路、本隊の方に駆け出す。その途上にあるものは、敵だろうと味方であろうと、構わず丸楯で殴り倒す勢いで、だ。
「雨……っ!? 逓伝しろ! 全員大将に続いて、後方へ転進! 急げ、急げ!」
妖精族の降らせる雨と聞いてゲルドットは、一瞬だけ考え、即座に指示を叫ぶ。悲鳴にも似た声が出たのは、それがエルフの作り出す鉄の雨だからだ。
「ゴブリンどもに、戦場音楽を聞かせてやろう。我らの趣向楽しんでもらわなくてはな!」
狙いを定めた妖精族の矢尻が、指揮官の号令とともに解き放たれる時を今か今かと空を睨む。
「──躍らせろ!」
妖精族の弓は精確無比、ガンラ氏族の弓は大雑把であるとよく比較されることはあるが、この時はその限りではなかった。
数々の大戦を生き延び、戦場を往来する度に磨き上げられアルロデナ弓兵としてまとめられた彼らの実力は、黒衣の宰相プエルが戦場を去ってからも衰えることを知らなかった。個々で磨き上げられた弓術なら妖精族の中に彼らより秀でる者がいたかもしれない。
だが、それでも群れとしてみるなら確実にアルロデナ弓兵が上をいく。
その理由は、物語に語られる彼らの正確無比な弓の腕前だけではなく、無造作に打つ矢の軌道さえ、彼らは必殺の域に到達していたからだ。
放たれた矢は山なりを描いて、上空から地上へ。そしてそれが地上に突き刺さる前に、妖精族は更に三射放つ。放物線を描いた矢の軌道をなぞる様に一射、一射目、二射目よりも小さな放物線を描いた矢の軌道で三射目を放つ。
曲芸じみた弓の射撃術は、確かに正確無比な妖精族の弓に相応しいものであったが、その結果は狙いをつけずに数を射殺す速射ちの弾幕射撃だった。
そして何より恐ろしいことに、その弾幕はほぼ全弓兵が同時に行う。
結果、空を覆う矢の群れは雨雲のごとく空を覆い尽くす。
「くそ、もう来やがった。てめえら、頭上に楯を掲げろ! 突っ走れ!」
妖精族特有のよく見える眼で狙いを定めたその射撃は、最前線を寸分違わず狙い撃った。つまり、彼らメルフェルンの頭上に、あるいはメルフェルンと乱戦を演じるフェルドゥークの頭上に、鉄を貫く一撃必殺の矢の雨が狙った範囲だけそのまま降り注ぐ。
それがアルロデナ弓兵の誇る弾幕射撃。通称“妖精族の鉄の雨”と呼ばれて、味方からすら恐れられる射撃術だった。
「蛮族め! 味方をなんだと思ってやがる!」
グー・ナガの副官ゲルドットが悪態をつきながらも、足を止めずに走る。
「弾幕だっ! 退避、退避! くそったれのエルフどもめ!」
異常な精度と密度で降ってくる鉄の矢の雨に、フェルドゥークの最前線も後退する。逃げ遅れた者たちは、もれなく蜂の巣になった。
特に被害の大きかったのは、フェルドゥーク側の暴徒達だった。あまりに流動的な陣形の変換と、それに伴うフェルドゥークの圧倒的な攻勢。対応するアルロデナの防御陣形は、暴徒達を戦場の只中に取り残すことになった。
逃げることもかなわず、流されるがままに戦場の最前線付近に近づいてしまった暴徒達の末路は、エルフの射撃の的だった。さらに弾幕射撃を奇跡的に生き残ったとしても、そこには矢の雨の中でも狩りを続ける敵味方共通認識として頭のネジが外れた蛮族エルフの剣士達の狩場だった。
弾幕射撃の終わった後には、全身に矢を生やした奇妙なオブジェがいくつも出来上がる。その奇妙なオブジェを挟んで、両軍は距離をとった。
最前線には、いつでも戦える部隊を配置し、その後方で激戦に次ぐ激戦で傷ついた部隊を再編する。
アルロデナ側では、円滑かつ迅速な部隊再編成は軍師の腕の見せ所であったが、対するフェルドゥーク側では、生き残った戦士が自分の判断で近場の部隊に合流し、勝手に部隊再編が出来上がる。
再編は、フェルドゥークの方が当然ながら早かった。
驚異的な速度で再編の進むアルロデナ側ではあったが、やはり軍師ヴィランといえども限界がある。戦力再編と一口に言っても、物資の補給、負傷者の手当て、戦力として数えられる兵員の異動など、数限りない作業をヴィランが指示をしてこなしていくだけで、膨大な作業時間を食われるのだ。
現場の実際の指示は別のものがするとしても、それだけのことをしながら、さらに正面にはいつ仕掛けてくるかわからないフェルドゥークから目が離せないのだ。
小さな斥候同士の小競り合いや、目を付けた強敵に挑む決闘などは、戦場のあちこちで発生している。それらを網羅的に把握するだけでも作業なのに、さらに戦力再編業務を同時にこなすとなれば、過労で倒れていても不思議ではない。
それが彼の立場、役割だとしても、困難なことに変わりはない。
対比するようにフェルドゥークを率いるギ・グー・ベルベナは、そのようなことに意識を割かれることすらない。フェルドゥークの戦士にとって戦力再編などは、行軍や隊列を組むことと同義のことだった。誰に指示されるわけでもなく、自然と生き延びるため行う。
この再編によって、時間的余裕を獲得したフェルドゥークは、後方に斥候を放つのと合わせて、前に出した二個軍にさらに一個軍を増強し、三個軍で戦列を組み直し、再度の攻勢に出る。
「三つの軍を横隊に! 進め!」
長槍を中心とした部隊を、ハリネズミのように密集させ、前進させる基本的な攻撃方法。一方で、後方に多数配置した斥候は、目の良い部隊を複数方向に放っていた。特にその監視網の厚い方向は南西方向といえば、その警戒の中心がなんであったのか火を見るより明らかだった。
中天に差し掛かっていたロドゥの胴体は、やがて西へと落ちていく。
「……くっ!」
戦場を睨みながら、アルロデナの軍師ヴィラン・ド・ズールは歯噛みする。
アルロデナ総軍の戦力再編が間に合わない。あまりにもフェルドゥークの戦力再編までの時間が短すぎる。まるでギ・グー・ベルベナの意思が、何も言わなくてもフェルドゥーク全軍を動かしているかのような流れるような部隊の移動、再集結。
そのあまりに速度に、完全に目算を誤ったとしか言いようがない。
フェルドゥークの再攻勢に備えるアルロデナ総軍の最前面には、いまだ人間中心の長槍部隊を備えているに過ぎない。ゴブリン中心の部隊、さらにその中でも中心的な役割を果たすメルフェルンは、再編の只中であった。
その人間中心の部隊でさえ、朝から続く戦闘で戦力をすり減らされた状態だった。
「……動き出したか」
軍師ヴィランの目の前で、ゆっくりフェルドゥークが前進を開始する。
紋章旗を数えれば3個軍。フェルドゥークの中枢をなすギ・グー・ベルベナ麾下の最精鋭達だ。
「やるしかないか……伝令兵!」
再編作業と並行して、防御を固める指示を出すヴィラン。
足並みを揃えて迫り来るフェルドゥークの圧は、あまりにも大きな巨獣を思わせた。
──大気よ震えよ! 地面よ鳴り響け! 我らの眼前に立ち塞がる者に死を!
雄たけびを上げるフェルドゥークの喚声は、ヴィランの全身を叩く。
──このままでは、負ける。
叩き付けられる地響きのようなフェルドゥークの咆哮に、ヴィランは冷や汗を流した。
しかしその直後、視界に、動き出したはずのフェルドゥークの足が止まるのが見える。
「……なんだ、どうした?」
漏れ出たヴィランの疑問は、すぐに氷解する。軍師ヴィランは目を凝らし、前進の止まったフェルドゥークの企図を見極めようと戦場を隅から隅まで見渡し、そしてフェルドゥークの遥か後方、土煙を挙げて迫り来るそれを見つけて、流れる汗を拭きとって苦笑を浮かべた。
「……遅いじゃないか」
◇◆◇
闇の女神の翼が広がり始めた戦場で、双方が軍を引いていく。フェルドゥークが一気呵成に攻勢を仕掛けようとした直後、背後に現れた虎獣と長の軍の動きは、その攻勢を断念さるのに十分なものだった。
後背に現れた虎獣と槍の軍は、ギ・グー・ベルベナが放った斥候を駆逐しながら、フェルドゥークの背後を急襲。背後を固めていた1個軍の半ばを食い破って、南に展開。
ギ・グー・ベルベナにアランサイン襲撃の報と直後に背後を固めていたはずの直卒軍からの援軍要請が入るという事態は、攻勢に移らんとするギ・グー・ベルベナ麾下の軍をしてアランサインがギ・グー・ベルベナの本陣を強襲することを想像させた。
なお悪いことに、彼らの脳裏には、剣王の一騎駆けが忘れようもなく残っている。出来の悪い夢を見ているようなあの鬼神の如きゴブリンの強さは、否応なく彼らの脳裏に刻み込まれていたのだ。そしてそれと共通する王国最古参のギ・ガー・ラークスという雷鳴は、歴戦のフェルドゥークをして想像してしまったのだ。
──はたしてこのまま攻勢を続けて、アランサインを防ぎえるのか。
その想像こそが、フェルドゥークの足を止めた。
足が止まったフェルドゥークを確認すると、アランサインはその進路を変更。
直後、離脱するアランサインの補足を試みたフェルドゥークに、後方から最悪の報せがもたらされる。
──双頭獣と斧の軍の到来である。
魔獣軍の先触れ、速足の獣がアランサインに引き続いて現れたのだ。中小の小型の魔獣からなる先遣隊の到着は、間もなく本隊が到着するという合図だった。
ここにきて、フェルドゥークは後方に強力な軍が出現したことを知る。
辺境将軍シュメア率いる辺境軍、オークの王ブイ率いるオーク軍、そして何より四将軍ギ・ギー・オルド率いる魔獣軍。
一両日中には、迫り来るであろうその大軍を瞼に描いて、さすがにギ・グー・ベルベナといえどもそのまま攻め続けるという選択肢をとることはできなかった。何より、南に展開したアランサインはそれを許すはずもない。
アルロデナ総軍本隊はフェルドゥークの攻勢を跳ね返すことはできなかった。しかし凌ぎ切ることには成功したのだ。短い休憩の時間を両軍は、死傷者の回収と、戦力の再編、そして戦術の再考へと費やした。
「……なんたることだ!」
そんな中でフェルドゥーク陣営で暴徒達の動揺はことさら激しかった。
彼らの頼みの綱であったユアン・エル・ファーランは行方知れず、今までの優勢が決して維持できないと悟った彼らにとれる選択肢は、決して多くはない。
「ジョシュア・アーシュレイド様……」
途方に暮れる暴徒達の代表が頼ったのは、またもやジョシュアだった。
ユアンが行方不明となった今では、他に暴徒達をまとめられるだけの知名度を持った人物がいなかったのだ。
再び集まった彼らの報告を聞いてジョシュアは、声を潜めて彼らに囁いた。
「……もはや、手遅れだとは思いませんか?」
薄々と感じていたそれを、真正面から突き付けられて、彼らは互いに視線を交わす。その場にいる誰もが一つの結論を思い浮かべ、ひきつったような笑みを浮かべた。
「ですが、いまさら許されますかね?」
「……無論、手ぶらでは、難しいでしょうね」
ジョシュアの言葉で急速に彼らの中で一つの計画が、練りあがっていく。密やかに進められるそれは、あるいは卑劣の誹りを免れぬものだったかもしれない。
しかし当人たちには、至って真面目に考え抜いた末の結論であった。ただ生き残るために。
◇◆◇
「ようやく、だ。ようやくだな!」
疲労困憊の中で翼ある者の長ユーシカは、援軍来るの報告に歓喜していた。前哨戦から含めて、終始フェルドゥークのゴブリン達に押されっぱなしの戦場を任せられている彼女からすれば、その報告は朗報以外の何物でもない。
また、ザイルドゥークの出現以来、あれほど攻勢の激しかったアルロデナ側の左翼の戦場からフェルドゥークの攻勢が消えたことにより、やっと一息つけたというのがユーシカ率いる亜人連合の実情だった。
「フェルドゥークも少しは、参ったみたいだな」
亜人達の間では、苦しい戦場をやっと乗り越え勝ちが見えたという安堵で、士気が上がっていた。
攻勢が弱まったのは、アルロデナ側から見て右翼の戦場でも同じであった。
ユーシカ率いる左翼ほど露骨ではないものの、グー・ビグ・ルゥーエ率いる長槍と大楯の軍も、やはり攻撃の手を緩めていた。
グリムロックの地形を利用し、ガルルゥーエの攻勢を吸引するメラン・ル・クードを始めとする古参兵達は、そのフェルドゥークの沈黙を不気味なものとして受け止めていた。
かつてアルロデナを敵として戦った者たちからすれば、援軍が現れ包囲された程度で、攻勢を弱めるほどゴブリンという魔物は弱くない。少なくとも彼らの記憶の中でゴブリンとは、負ければ奮起し、勝てば勢いに乗って攻めてくる印象しかなかった。
「やつら、何を企んでいる?」
かつての東征を生き延びた兵士達の間では、弱まった攻勢の合間に寄ると触るとその話題で持ち切りだった。彼らの結論としては大規模な攻勢の前触れだという結論に落ち着いたが、古参兵達からすれば、かつての借りを返す好機が到来したとばかりに、不敵な笑みを浮かべる者が多数だった。
左翼とは違う理由で士気が高くなっている右翼。
そしてフェルドゥーク本隊の攻勢を受け止め続けた中央でも、軍師ヴィラン・ド・ズールが、援軍の到来とアランサインの活躍を宣伝し、勝利は近いと味方を鼓舞していた。
しかし、そのヴィランですらも一抹の不安はやはり消えない。
「……本当に、このまま勝てるものか?」
軍の再編作業に追われる中であっても、頭の片隅にその思いが常にある。
フェルドゥークが、あの息を吸うように軍を動かすギ・グー・ベルベナが、包囲された程度で首をすくめた亀のように守りを固めることがあるだろうか。
──否。ありえない。
直接軍と軍をぶつけた経験からヴィランはその考えを否定する。
「だとすれば、どうやってこの不利な体勢を覆す?」
ザイルドゥークの先遣隊が到着しつつあるフェルドゥークの後方は、既に後方拠点としていたグランハウゼとの連絡すらままならないはずだ。であるなら、短期決戦しかないはずだが、それにしては陣形になんの変動も見られない。
あるいはギ・グー・ベルベナの指揮能力であれば、戦の直前に陣形を変えたとして対応可能なのかもしれないが、彼の麾下で動く軍長達にまでその指揮が行き届くだろうか。
ヴィランが可能性をいかに検討し、手に入る情報から要因を比較検討しても、フェルドゥークの勝利が見えて来ない。それでも不安に突き動かされ、その可能性を考えこまざるを得なかった。
仮に総指揮官たるギ・ガー・ラークスが討ち取られたとしても、アルロデナの軍勢は崩壊しない。かつてゴブリンの王を失いながらも東征を成し遂げた軍である。一時的に乱れはしても、総指揮を代行するヴィランがいる限り、持ち直して後方から迫るギ・ギー・オルドの魔獣軍と挟撃できる。
これが討ち取られるのがヴィランだったとしても同じである。
ギ・ガー・ラークスは悲しみはするが、それで指揮が鈍るような男ではない。
とすれば、同時に打ち取られた場合はどうか。
そこまで考えて、ヴィランはため息をついた。可能性は確かにゼロではないが、限りなくゼロに近い。そのような可能性まで検討していては、それこそギ・グー・ベルベナの、フェルドゥークの陰に怯えるようなものだった。
二人を同時に狙い、成し遂げるだけの力があるのなら、最初からしている。もし万が一討ち取られたとしても、後方にいる魔獣軍が全てを飲み込むだろう。
また辺境軍が健在であるならシュメアが場を収めるかもしれない。ブランクが長いとはいえ、ヴィランは彼女の力を侮ってはいない。
フェルドゥークに対する影響力もさることながら、黒衣の宰相プエルからの信頼も厚い彼女であれば、アルロデナ総軍の指揮を一時的にせよ代行し、フェルドゥークを討ち果たすことも可能であろう。
そう考えると、ますますフェルドゥークの勝ち目はない。
とするならば……。
「降伏勧告をするべきだろうか?」
漏れ出た言葉の抵抗の強さに、ヴィラン自身が驚く。
闇夜に遠くかがり火が、敵陣営に見えていた。寄り集まっているのは、南方都市で合流した暴徒達だろうか。それとも戦奴隷として東征からフェルドゥークに従う人間たちだろうか。
わずかに見えるゴブリン達の様子に、ヴィランは目を細めた。
「……思いのほか、僕はフェルドゥークを倒すべきだと思っているのかな」
戦塵に塗れた十代の頃より時に戦場で出会うゴブリン達の様子は、羨望とともに畏怖の象徴だった。ゴブリンの王に代表されるその圧倒的な力。人間の悉くを退けたその圧倒的な力は、味方としてみるヴィランですら恐怖を感じた。
それがあの高潔なゴブリンの王であれば良いのだ。
神々の領域にまで踏み込んだと確かに言える偉業の数々を、確かにヴィランは目撃しているのだから。だが、だとするとフェルドゥークに感じるその思いは、何なのかと考えて彼は一人の人間として答えを出す。
「……強い彼らには、最後まで強くあって欲しいだなんて、随分感情的だ」
軍師たるもの冷徹な計算の上にしか策は成り立たないと身に染みてわかっているヴィランですら、そんな利益と相反した人間的な矛盾した感情を抱く。
それでも彼は計算高い軍師であった。
彼はその夜のうちにアルロデナ総軍の中から歌が得意な使者を選び、フェルドゥークの陣営に向かって走らせた。
──降伏せよ。寛大な処置を約束す。矛を収め、盾を置け、鎧を脱いで、兜を捨てよ。
──諸君の後背には魔獣軍、正面に立つは我がアルロデナ。並び立ちしは、4将軍の2人なり。森を離れてなんとする。生きるに苦しい森だろう。死と隣り合わせの森だろう。
──だが、故郷ではないか。
──かつて王を戴き、我らはともに戦った。
──戦友よ。もう良いではないか。君たちは強い。並び立つ者のいない程に。不満があるなら聞こう。我らに無礼があったなら、糺そう。
戦友よ。我らの声に答える声はあるや?
降伏勧告としては異例の悲しみさえ感じる哀切調の歌に、戦場は静まり返った。
使者に立ったのは、かつて鬼面を被って戦場を駆けた雪鬼の子孫である。その歌のどこか聞き覚えのある様子に、フェルドゥークの古参兵はかつての東征を思い出す。
ゴブリンの王がいた。
魔術師のギ・ザー・ザークエンドがいた。
ガイドガ氏族のラーシュカがいた。サザンオルガのギ・ズー・ルオがいた。
かつての仲間達の影を追い、フェルドゥークの古参兵達は、星々のきらめく空を見上げる。共に勝利を祝って槍を掲げた戦友は、はるか冥府の彼方かあるいは向き合う戦場にいる。
わかっていたことだ。
全て諒解して、彼らは戦場に戻ってきたのではなかったか。
彼らの胸を締め付ける郷愁が、確かにあった。それはギ・グー・ベルベナやグー・ビグ・ルゥーエ、軍長達、さらにはその下の戦士達ですら変わらない。
夜の女神の翼は、夢の残滓を優しく包んでいた。
週一くらいで投稿して完結までもっていきたいと思っています。




