継承者戦争《千年の願い》
血盟自由への飛翔に、組み敷かれた猟犬は、彼女らの誇りをなげうち、持ちうる限りの情報を、エルクスに捧げなければならなかった。
それは戦の始まった最中ですら、変わらない。求められるがままに、情報という名の供物を捧げ続けた彼らの献身は、一つの結論を導き出す。
「あの犬ども、信用できるのか?」
偶然などでは、決してない。必然が生み出したそれは、知れ切った結末だった。
「裏切るでしょうね。まぁ、でも予想の範囲内じゃないかしら」
「それじゃァ、この戦のあとに?」
低く嗤ったヴィネが腰に差した細曲刀の柄をトントンと軽快に叩く様子に、ソフィアは苦笑を返す。
「私を、鬼かレヴェア・スーの死神かなにかと一緒にしないでもらえる?」
「裏切者は、殺せ。だろう?」
「殺したら、それで終わりじゃない。まだまだ搾り取らないと」
強欲商人も裸足で逃げ出す黒い笑みを浮かべたソフィアに、今度はヴィネが呆れた様子でため息をもらす。
ギ・ゴー・アマツキの居場所を正確に掴み取ったエルクスは、その情報を彼の息子に与えた。ギ・グー・ベルベナを斬れなかったギ・ゴー・アマツキを戦場のただなかにおいておけば、その不確定な、しかし巨大すぎる力がどちらを向くかソフィアですら予想がつかなかった。
「別に、必要なら斬れば良いンじゃねえの?」
口元に獰猛な笑みを浮かべたヴィネは、年齢を感じさせない血に飢えた本性を隠しもせずに言い放つが、ソフィアは別の意見を持っていた。
「建国の英雄を、殺すわけにはいかないでしょ」
「そんなありがたるもンかね? 今戦を起こしてるのだって、その英雄様だろう?」
戦場であるアクティウム平原を見渡す都市グラウハウゼの尖塔の上。繰り広げられる大陸の行く末を決めようとする決戦を見つめて、彼女らは立ち上る土煙に目を細めた。
「……そんな、大層なもンじゃねえさ」
繰り返しつぶやくような声は小さく、ヴィネ・アーシュレイ自身がそう信じたいかのようだった。
「そうかもしれない。けれど、私の友達が、それで悲しむからね」
今もきっとただ一人玉座に向かい首を垂れる妖精族の友の事を思い、ソフィアは溜息を吐いた。その吐いたため息に混じるのは、幾度も繰り返し見たあの悪夢。大切な人が殺されていく夢だった。
「あの子達は、うまくやるかしらね?」
無鉄砲で、危なっかしくて、それでいて決して諦めることを知らない子供たち。
「アタシの娘だぞ?」
「あら、私の息子よ?」
以前蹴られた頬を擦って、ヴィネは苦笑し、ソフィアは優しく微笑む。
「まァ、道は整えてやったンだ。あとは運だな」
「貴女と同じで、悪運はありそうだけどねぇ……勝負運はどうだか」
鼻で笑ったヴィネの視線の先では、未だ晴れぬ戦雲が、混沌の色を描いていた。
◇◆◇
怒声轟き、悲鳴の吹きすさぶ戦場で、そうして二人は出会ったのだ。
「……ようやく見つけたわよ。ユーゴ・アマツキ!」
それは、エルクスからもらった情報をもとに、ユーゴが本来の目的を果たそうとする途中、戦場を突っ切る彼の前に現れたのは、いつかの少女だった。
着崩したような東方の衣装、長いスカートにはスリットが入り、そこから覗くのはすらりと伸びた足にある蜂蜜色の肌には、返り血で緋牡丹が咲いていた。振り乱した銀色の髪の間から覗く瞳には、燃える心情そのままの緋眼。
特徴的なのは、腰に差した二対の短剣──否、短剣というにはいささか長い曲刀が収まっている。猛獣もかくやという程に、肩で息をしている彼女の様子を見れば、相当の無茶をして、この場に立っているのはよくわかる。
後ろには、相棒の男が焦った様子で周囲を警戒しているのを確認すれば、推測はほぼ確信へと変わっていた。
「驚いた。追ってきたのか?」
「あったり前でしょうが! なに勝ち逃げしようとしてんのよ!」
「悪いが、時間がない」
先導するはずの猟犬の男は、黙して語らず。しかしその視線は雄弁に、面倒ごとはごめんだと訴えていた。
「すぐ、済む」
「はンっ! 言ってなさい」
互いに構えるのは一瞬。一人は、背に負った長曲刀を引き抜き、一人は小太刀をその両手に握る。
構えた瞬間、ユーゴは、目の前の少女が以前のものと別物になっていると感じた。以前まであったはずの感情の揺らぎというものが、一切感じられない。
まるで大木と対峙しているかのような圧倒的な存在感の身を感じる。自然、背中を伝う汗が冷たいものになっていく。なにより、彼には時間をかけていられないという事情があった。やっと掴んだ手がかり、ギ・ゴー・アマツキの背がもうそこに見えているのだ。
普段であれば見せない焦りが、僅かにユーゴの判断を曇らせる。
対峙とほぼ同時に飛び出したのは、今度はユーゴだった。“幻惑の歩”から、長曲刀を活かした片手突き。ヴィネすらあまりの射程の長さに飛び込むのを躊躇ったその技を繰り出し、勝負を決めに出る。
戦場の空気を切り裂く竜の息吹のような刺突が迫るのを、カーリアンは感じた。
外気に触れた臓物と排泄物から漂う腐敗臭、吹き出す血しぶきの鉄臭さ、それらが混然となり作り出される戦場の匂い。ただただ不愉快でしかない死の匂いを、清廉なものへと塗り替えるアマツキ流の刺突に、彼女は今まで見えていなかったものを見る。
同時に彼女はほぼ反射で動いた。
瞬間火花が散る。
鍛えられた鉄と鉄が荒れ狂う風の神の懐の中のようにぶつかり合って、弾けた。ユーゴの刺突に、カーリアンは、両手の小太刀を交差させて、その刺突を弾いて見せたのだ。
ユーゴの驚愕とともに引き戻される長曲刀を、カーリアンは許さない。引き戻される長曲刀に合わせて踏み込み、一気に間合いを詰める。
野生の獣じみた瞬発力は以前のままに、迫る牙は口を開けた魔獣の如き上下に構えた二連撃。引き際に合わせた踏み込みは、ユーゴの焦りを誘う。技を放った後の引き際は、特に注意せよ、と繰り返し教えられた数少ない弱点だった。
引き戻す動作を既に体が行ってしまっているため、ユーゴのよく見える目が、彼女の踏み込みを視認しても体は長曲刀の引き戻しに硬直しきっている。
アマツキ流はあくまで、身体の動きを斬ることに最適化させているだけであって、もともと人体に不可能な動きをさせるものではない。
だらこそ、ユーゴは焦る。
見えているのだ。しかし、対処できない。対処するには、長曲刀が重すぎた。
だが、時に死地に際して、人は思いもよらぬ力を発揮する。
脳裏を駆け巡る無数の記憶、死に際して見せる走馬燈が、ユーゴに長曲刀を手放させるという結論を導き、瞬時に実行させた。
振り下ろされるカーリアンの小太刀に合わせて、ユーゴが一歩踏み出す。
死中に活を得る踏み出した一歩の驚愕は、二人同時のものだった。
曲刀は引いて斬る。だからこそ、間合いの内側に入られるのは、禁忌そのもの。特に両の手に刃を構えるカーリアンにとって、己の間合いを外されることは、突き立てる牙を失うに等しい。
だからこそ、ユーゴの刺突の引き際を狙った自身の踏み込みに、全神経を集中させていた。獣じみた速度でなされる彼女の動きは、目で確認し、考えて次の動作を行っていたのでは到底なしえない。あらかじめ、踏み込んだ時には、既に次の斬るという動作を体が動き始めているからこそ、できるのだ。
だからこそ、ユーゴが踏み出した一歩に驚愕し、目の前で振り下ろした手が優しささえ感じられる動作でユーゴの手にからめとられ、肩に担がれ、投げ飛ばされた空中にあってなお、理解が追いつかなかった。
一方ユーゴも、驚愕に染まっていたのは一緒だった。
剣を捨てる。
そんな結論を導いた咄嗟の行動は、彼にしても意外に過ぎた。
なぜ、あのような動きができたのか、自分自身でもわかっていない。二度やれと言われて、できるものではなかった。
「っ!?」
互いに漏らした驚愕の声を飲み込み、カーリアンは空中で体勢を立て直して着地。対してユーゴは慌てて捨てた長曲刀を拾った。
再び構えなおす二人は、だが明らかに最初の対峙よりも、不安を増大させていた。互いの強さへの認識が深まったことにより、勝敗が読み切れなくなったのだ。
視界に入る互いを強敵と認識して、だが先に踏み込んだのは、カーリアンだった。
脳裏によぎる敗北の絵姿を、歯を喰いしばって振り払い、力強く前に出る。四肢を地面に突き立てた獣のような姿勢から、獲物に飛び掛かるようにためらいがない。握る双剣を十字に交差させ、若さに任せた体のバネを使ってユーゴの間合いをの内側へ。
一拍遅れて、前に出たユーゴだったが、視界に映ったカーリアンの踏み込みは、まるで地を這う蛇を連想させて、僅かに躊躇が生まれた。
間合いでも気持ちでも、ユーゴは中途半端であった。ユーゴの持つ長曲刀であれば、いったん間合いを外して、それから仕切り直し手も十分に勝機はあったはずであった。
それが、自ら進んでカーリアンのに出たのは、意識的あるいは無意識的にしろカーリアンの気迫に押されていた証拠であろう。
無論、ユーゴがそのことに気付いて居なかったのかといえば、気付いていたとするしかない。だが敢て無視して、ユーゴはその一撃に全霊をかけた。
互いに命を懸けた一刀の間合いの中で、踏み込んだその一歩が迷いの中にあって、どうして命がかけられるだろう。自身の迷いが導いた初動の遅れ、気力での鬩ぎあいに僅かに負けた事実、それらを瞬時、強引に捻じ伏せて、ユーゴは長曲刀の一撃を放った。
カーリアンが十字に交差させた双曲刀の中心へ、必殺の片手突き。
カーリアンが獣性の剣であるなら、ユーゴは合理の剣である。
互いに詰まった間合いの内側、ユーゴの構えは、刺突二段構え。
カーリアンの踏み込みよりも、わずかに遅れたからこそ見えた一筋の勝機。双曲刀を十字に構えたカーリアンの構えは、防御の構え。間合いを潰すことに全力を注ぎ、誘いを入れることもなく、瞬間的に判断したカーリアンの状況判断の迅速さには、舌を巻く思いだった。
しかし、天下に聞こえたアマツキ流の戦歴は、双剣遣いとの闘いの経験もある。一流と言ってよい双剣の使い手にとって、十字交差させるのは防御の一手。相手の初撃を躱し、絡めとり封じるためのもの。
であるならば、最も躱しにくい最速の一撃こそ、正解である。
瞬時にそこまでの組み立てを考えたユーゴは、さらに念を入れた。片手突きの際に、踏み込みを半歩浅くした。その分、身体のためを持たせ、初撃が躱された後の二撃目の備えとして、初撃の速度を追及。アマツキ流の工夫の中で、最高度の工夫を瞬時に組み合わせた。
天を行く猛禽が、空中で獲物を捉えるが如く──二段構えの最速刺突。
「──飛天」
切っ先がカーリアンの双曲刀に触れる直前、カーリアンは極限の集中力を発揮した。時間が何十倍にも引き伸ばされる感覚の中、わずかにつかんだそれは、剣の頂へと至る一筋の光の道。
伝説に謳われる、雷雲を統べる龍すら斬り伏せる変幻の剣。
「紫──電ッ!」
だからこそ、最適解よりも、その先へ、一歩踏み出した。
身体能力にモノを言わせ、長曲刀の切っ先が、十字に交差した双曲刀に触れるその感覚を捉え、湾曲した刃の部分を使ってするりと受け流す。双剣では、こうはいかない。直剣を主体とした双剣では、どんなに上手く受けても、受け流すことはできない。
しかし、双曲刀の反りがそれを可能にした。
滑る長曲刀と双曲刀の刃が火花を立てて散った。
「……」
荒い息をつく二人の間に降りるのは静寂。
「カーリアン行くぞ!」
静寂を終わらせたのは、双曲刀の少女の想い人。
「あたしの、勝ちだ! いいか、覚えとけよ!!」
喉首に当てられた冷たい鉄の味をユーゴは、指筋でなぞった。
半ば逃げ出すように、手を引かれて走り去るカーリアンの姿が、戦塵に見えなくなるまでそうしていたユーゴは、案内人に促されて足を進める。
頭の中は、グルグルと渦を巻いているが、それを言葉にできそうにはなかった。
こんなことで、父を説得できるのだろうか。
随分遠くなってしまった故郷の風景を心に思い出し、足を進める。
病身の母のもとへ、父を連れて帰る。
それだけが、ユーゴの心の中に穴が開いたように、居座っていた。
◇◆◇
たどり着いたのは、戦場から少し離れた丘の上だった。
ユーゴが目にした光景は、いずこかの壮年の戦士の腹腔を、父であるギ・ゴー・アマツキが曲刀により貫いた場面からだった。
「剣王、破れたり──!」
瞬間、大上段に構えた壮年の戦士が、血を吐き出しながら叫ぶと、剣を振り下ろすのは同時。
「父さん!」
思わず叫んだユーゴの声に、一瞬だけギ・ゴーの意識は割かれた。
舞い上がる血しぶきに、ユーゴの目が見開かれる。
左腕を抑えて、後ずさるギ・ゴー。抑えた腕から、とめどなく溢れる鮮血が、ユーゴから思考を奪った。あの、ギ・ゴー・アマツキが手傷を負った。
偉大なる父にして、大陸最強の剣士、天下無双のその人が、膝をついていた。
「……ゴーウェン様、22年と7ヶ月11日かかりました。不甲斐ないことでは、ありますが……仇は討ちました」
そう言うと、壮年の戦士は、崩れ落ちる。その死に顔は、穏やかなものであった。
慌てて駆け寄ったユーゴは、ギ・ゴーの傷口を見て、顔を青ざめる。
左手の手首を深く斬られていた。半ば以上を断ち切られたその腕では、もはや以前と同じように剣を振るうことなど不可能なことが、一目でわかってしまった。
あるいは、聖女の奇跡でもない限り……そう考えて、ユーゴは声を上げる。
「父さん!」
母から手ほどきを受けた応急処置を父であるギ・ゴーに施し、なんとか血を止める。脂汗をかきながら、左腕を抑えていたギ・ゴーは、ユーゴが思っていたよりも小さく見えた。
「ユーゴか……久しぶりだな」
「久しぶりって、何言ってんだよ! こんな時に!」
僅かに口元を歪め笑うギ・ゴーに、ユーゴの方が悲鳴を上げる。
「こんな、こんな! 父さんは大陸最強の剣士なんだろ!? 天下無双なんだろ、なんでだよ!?」
回復魔法は、その場でかけなければ、意味はない。血を止め、古傷となってしまったものを回復させることは、ゼノビアの信徒といえども不可能であった。うわさに聞く聖女の奇跡であっても成しえるかどうか……。
「良い。戦う前から、父は破れていた。この男の執念に」
そう言って壮年の戦士を見下ろすギ・ゴーの視線の先には、既に物言わぬ屍がある。
「天下無双か。なればこそ、できると思ったのだ。争いを収める剣を振るえると……だが、ギ・ゴー・アマツキは敗北した」
その告白を、ユーゴは泣きながら聞いた。
徐々に若い彼の胸に染み込むそれは、剣士としての遺言なのだと、わかったからだ。
「この手で、友を斬ることが、争いを収めることが、どうしても、できなんだ」
憔悴したギ・ゴーの言葉に、またユーゴは泣いた。
ああ、この人は泣き方を知らないのだと、悲しくなった。
泣けぬ父に代わり、ユーゴは泣いた。
天に向かって、地に吠えて。
「父さんが、できなかったのなら、俺がなってやるよ」
溢れる涙を止めるすべを知らず、だが少年は誓いを立てた。
「争いを収める剣士に、俺がなるから、だから、母さんが待ってるんだ。帰ろうよ。父さん」
ギ・ゴーは、戦場を見下ろした。
戦塵に煙るそこは、既に二人の男のものだった。
愛すべき息子を見た。不出来な父のために、涙を流す愛しき息子。
「……そうだな。帰ろうか」
ギ・ゴーにとって支えられて立つのは、初めての経験だった。
「これからは、俺が父さんの代わりになるから、アマツキ流剣術は、誰にも負けなくなるから」
大陸全土に広がるアマツキ流千年の願い。
いつの日か、大陸の騒乱を収める剣術を、この手で創造する。
この日、この時より、親子二代引き継がれた想いは、アマツキ流剣術の悲願となった。
またしばらく時間を頂きます。執筆時間がとれれば完結までそう時間はかからないと思いますので、よろしくお付き合いお願いします。




