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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
継承者戦争
50/61

継承者戦争《剣王》

 振るう剣とともに、奔る銀線が歴戦の戦士達を鏖殺していく。まるで人々の争う戦場にあって、その場所だけは、神代のまま時間が止まったかのような光景が広がっていた。

 ──たった一匹。

 たった一匹のゴブリンが、真正面から軍勢を突破していた。

 決して軍勢が弱いのではない。その軍勢は、精鋭無比にして、大陸最強の一角。

「と、とめろ!」

 ありえない光景に声が震える。百の魔獣を葬り、千の戦いを潜り抜けて来た歴戦の戦士達。大陸最強と言っても過言ではないフェルドゥークの最精鋭を、剣王ギ・ゴー・アマツキは、斬って斬って、斬り殺した。

「剣王、お相手仕る!」

 疾風のごとく止まらぬギ・ゴーの前に立ち塞がるのは、アマツキ流剣術の高弟。フェルドゥークに参加した彼らにとって、ギ・ゴーの参戦は、絶対の死そのものであった。それでも立ち塞がらねば、彼らにとっての戦が崩れ去る。

 自ら定めた剣の頂きへの道を半ばで諦め、参加したフェルドゥークの蜂起は、彼らの人生そのものと言っても過言ではない。

 例え技量が劣ろうとも、否、技量が劣るからこそ、数を揃え、呼吸を合わせ、生涯最高の一撃を、剣王と言う名の死神に叩き込む。

 だが、正確には、叩き込もうとしたが、果たせなかった。

 彼らの放った一撃を、易々とすり抜け、返礼とばかりに繰り出された剣閃が、その命を奪っていく。

 その先に絶えて人無く、前人未到の剣王の剣閃は、未だ半ばにあった彼らの剣の道を断ち切った。

「ギ・グー様を守れ!」

 アマツキ流剣術の剣士達を切り捨て、円陣の中枢へ向かって行けば、未だ年若いゴブリン達もいる。戦の経験も浅く、生き方も、死に方も選べぬような年若いゴブリン達。

 実力差は分かり過ぎるほど、明らかだった。

 手にした槍先は震え、剣王の威圧に、今にも腰を抜かしそうになっている。

 だが、彼らの隣に戦友がいる。後ろには、王と仰ぐギ・グー・ベルベナの本陣。

 退けぬ理由は、それだけで十分であった。

「剣王、覚悟!」

 退けぬのならば、その前に立ち塞がるのは、逃れられぬ圧倒的な死だった。

 届くはずのない槍を振るって、剣王に挑みかかる若い兵士を、ギ・ゴーは一切の情け容赦なく斬り殺す。

 降りかかる血煙さえも、剣王に届かぬ若いゴブリン達の姿を見て、歴戦のゴブリン達は、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

 一体自分達は、何をしているのか、と。怯え、竦んでいる間に、無残に散らされた命。

 彼等に名誉はあったのか。

 そうあれかしと教え、自分達の戦に巻き込んだ戦しか知らない彼等に、誉れはあったのか。

 無いと思うのなら、奮い立たねばならなかった。彼らの奮戦は無駄ではなかった。彼等がいたからこそ、フェルドゥークは、偉大なるギ・グー・ベルベナは、本願を成就出来たのだと、冥府の先にいる王に胸を張って報告するために──。

「おのれっ!」

 若いゴブリン達が無残に殺される様を見て、歴戦のフェルドゥークのゴブリン達に、怒りが沸く。何よりも、何もできない自分自身に対して。

 例え荒ぶる神に等しい剣王を前にしたとしても、怯えるばかりで、無策を晒した結果が、年若いゴブリン達の死だ。何よりも名誉と誇りを胸に生きたはずの、フェルドゥークのゴブリンたるものが、だ。

 憤怒を力に気勢を上げる。

「魔法兵。我らが取り付いたのを合図に、一斉射だ。損耗は考えなくて良い!」

 階級で言えばノーブル級にまで至ったゴブリンの声に、小部隊の指揮官や、腕の自信のあるゴブリン達が彼の周りに集まる。

「良いか。敵は剣王。生き残れるなどと、甘い幻想は捨てろ! 刺し違えてでも、ここで止める! それだけを考えよ!」

 引き絞られる弓の弦。構えられる魔法兵の杖。

 ──せめて、一矢っ! 

 ギ・ゴー・アマツキを前にしたゴブリン達の共通した思いを乗せて、捨て身の戦士が15匹もギ・ゴーの進路を塞ぐように斬りかかる。同時に魔法兵の斉射、弓兵達は、頭上に向けて移動を妨げるための矢を放つ。

「かかれ!」

 走りながら、ギ・ゴーは、すらりと剣を抜く。

 両手に曲刀を抜き放った二刀流。どちらも長さは、長剣ほどもある。

「──シィ!」

 僅かに吐き出した細い息は、短く強い。

 間合いの外側から振り抜いた剣閃。その先にいたゴブリンが体を両断され、その後ろにいたはずのゴブリンすらも、胸から腹までを切り裂かれた。振るった剣閃の数は、都合3度。

 間合いに入る前に6匹もの戦士が脱落する。それでも、まだ9匹の戦士は脱落した仲間に目もくれずギ・ゴーに向かう。

 間合いに入った瞬間、ギ・ゴーの両の腕がまるで別の生き物ののように動き、左右前後から迫るゴブリンを切り伏せる。

 下から斬りあげる一閃で、一匹のゴブリンの身体が宙を舞う。

 直後、そのゴブリンに後続から放たれた矢が針鼠のように突き立ち、その屍が地面に墜落するときには、既にギ・ゴーは魔法兵の放った魔法弾を切り裂きながら、なおも速度を緩めず、決死の9匹のゴブリンの包囲網を突き崩す。

 さらに、後方で魔法を詠唱していたゴブリン達の戦列に斬り込み、あたるを幸いに、縦横無尽に致死の刃を振るう。後に残るのは、屍の山と、流血の河だ。

 まるで天の災いが、一匹の剣士の姿をして通り過ぎて行ったかのような、フェルドゥークにとっての悪夢が広がっていた。

 包囲すらままならず、突破を許すフェルドゥーク。

 考えうる手段も尽き果て、その身をもって時間を稼ぐしかないフェルドゥークの本陣のゴブリン達。

 攻勢に転じたフェルドゥークの後背を突く致死の刺し口は、だが、戦局には大きな影響を及ぼさなかった。ギ・グー・ベルベナの統率は、突破する剣王の被害を最小限の犠牲に留めるため、本陣の勢力だけで受け止める。

 そこには、たった一人に大軍を向けられない事情もあるが、向けても根本的な解決にならないとの判断もあった。

 だが、例え剣王と雖も、体力の限界もあれば、血も流す。血を流すのなら、死ぬこともあるだろう。幾十幾百繰り返す命がけの試行錯誤の果てに、ギ・ゴー・アマツキを止める。

 本陣の警護についたゴブリン達は、その為の壁だ。

 隔絶した実力の果てに、極限まで磨き抜かれた個の力を抑え込むならば、恃むのは大軍たる数と、恐怖に負けぬ心であった。

 まるで宝石のように磨かれてきたゴブリンの剣士達を、未来ある若人を、共に黄金の時代を過ごした部下達を、ギ・グー・ベルベナは表情一つ変えずに、剣王の前に差し出す。

 その血一滴一滴が、剣王の突撃を阻む石垣であり、城であった。

 ギ・グーもまた、己の全てを賭けてこの戦に臨んでいた。


◇◆◇


 突き出される槍の穂先が、風の刃となって辺りを切り刻む。そしてすぐさま槍を引き戻す速さは、先ほど放った空気を切り裂く刺突よりもなお速い。

 フェルドゥークの誇る軍長が一匹、短槍のガルゼンの渾身の一撃は、初めてギ・ゴー・アマツキの前進を止めた。

 屍山血河を築き上げ、ただひたすらに一直線。

 見定めたギ・グー・ベルベナの本陣へひたすら進む剣王の歩みを、初めて止めた。

 ガルゼンの実力が高いのは勿論であったが、その前に叶わぬと知りながら剣王に立ち向かた幾十幾百のゴブリン達の身を盾にした攻撃もまた、剣王の歩みを止める一助となっていたのは間違いない。

 息を整えるように細く、剣王ギ・ゴーは息を吐いた。

 だが、決してギ・グー・ベルベナ本陣への突破を諦めたわけではない。刃のような鈍色の瞳の奥に、鋼の強さを宿して、腰だめに構えをとる。

 柄にかかる手は、茶巾を絞るがごとく柔らかに、重点は小指において、そろり(・・・)と添える。肩幅と同じ広さに開いた足は、いつでも飛び出せるよう前後に開き、足の指先は地面を抉り、弓につがえられた矢のように、いつでも飛び出せる形で、全身に気を張る。

 曲刀を再び腰に差した鞘に納めると、姿勢を徐々に低く、低くしていく。

 体に張り詰めた力を確認し、吐き出していた息を今度は吸う。

 息が戻り切った時が、勝負の時と定めたその動き。

 それに、剣王と相対する短槍のガルゼンが気付かなかったかといえば、嘘になる。

 気が付いていた。短槍のガルゼンも、フェルドゥークの軍長であると同時に一流の武芸者である。剣王ギ・ゴー・アマツキは、止まったように見えて、溜めを作っているに過ぎないことは看破していた。

 だが、動けない。

 動けば、どのような挙動、どのような気迫、どのような術理をもってしても、斬られる己の姿が見えたのだ。

 短槍のガルゼンは思う。死ぬのは、構わない。

 この大戦を巻き起こしたのだ。死を覚悟せぬはずがなかった。だが、何もなせずに、死んでいくのだけは許せなかった。だからこそ、目の前で己の命数が刻々と削られていく現実に、冷や汗が止まらない。

 一瞬が、何時間にも引き伸ばされるような圧力の中、ガルゼンは、何度も何度も繰り返し繰り返し思考する。だが、考えうることごとくを、剣王ギ・ゴー・アマツキの威が上回る。

 自死と同義な自棄になりそうな思考を、鉄の意志で引き戻し、冷静さを保とうと努める。

 歴戦の戦士にして一流の武芸者をして、構えの“威”だけで、自死を選択肢として考えさせる剣王の圧は、相対した者の思考すらも圧し潰す。

 自然、思考は収束していく。

 取る手段は一つしかない。相打ち覚悟での一撃をもって、剣王を止める。

 僅かに残った己の命への煩悶を、最小限に押さえつけると、短槍のガルゼンも構えをとる。左手を前に、槍の軌道を安定させるため、短槍の穂先を指間に収める。

 己の最も得意とする技。最速の刺突によって、剣王を仕留めるのだ。

 勝負は一瞬、と思い定め、短槍のガルゼンは、眦を見開いて、ギ・ゴーの動きを凝視する。

 短槍のガルゼンとて、フェルドゥークの中にいるアマツキ流の剣士と交流を持ったことはある。だからこそ、ギ・ゴー・アマツキの放つ技に、検討がついた。

 鞘に納めた曲刀を抜き払いざまに一撃。鋭い踏み込みと、軌道の読めぬ剣筋と、雷の如き速度を持つその技の名を──。

 だが、技を知るということは、同時に弱点をも知るということだ。

 その技は、技巧に走りすぎる。

 かつてレヴェア・スーの暗黒街で名を馳せた剣鬼、狂刃のヴィネが得意とした抜刀術。変幻自在の軌道が、血の雨を降らせる。一見隙のない刀法だが、達人同士の戦いであれば、収めた曲刀を抜き放つという予備動作自体が、隙であることは明白だった。

 ならばこそ、短槍のガルゼンはそこに勝機を見出した。

 最短距離で正確に射貫くことで、初動の起こりを制する。

 いつの間にか、穏やかだった天候は、銀嶺山脈からの吹き降ろしが、荒れ狂う戦場の熱気に巻き込まれたかのように、流れてきていた。土煙は流れ、埃が宙を舞う。その中にあって短槍のガルゼンは、瞬きすらせず、その瞬間を待っていた。

 剣王の動く、その初動の瞬間を。

 短槍のガルゼンが、剣王の気配が揺らぐのを見た瞬間、一気に地面を蹴る。狙いは、至近。飛び込むは、死地。

 振り絞られた筋肉の発条を瞬発力として、一息に剣王の間合いの内側へ。そこは自身の槍と剣王の刃の届く位置。同時に弓につがえられ、放たれた矢のごとく、繰り出される短槍。

 指間に納めた槍の穂先は、限界まで力を貯めに、貯めた。

 奔り出した槍の穂先に風の刃が宿る。十字に伸びる風の刃は、例え刃先のみを躱したとしても、不可視の刃がその首を刈り取る必殺の二段備え。

 狙った軌道と寸分違わず繰り出した穂先は、最短距離を走り抜け、動き出したギ・ゴーの首筋に狙いを定め──視界の隅に散るは火花か雷光か、ガルゼンの視線の先に数瞬だけ、咲いて散った光。

「もらっ──」

 そこで、眼前にいたはずの剣王の姿が消えていたことに気が付く。

 なぜ、と思う間もなく回転する視界。視界に見える槍を突き出したまま血の尾を引く自身の体。

 そこで、短槍のガルゼンは、気づいてしまった。

 アマツキ流の抜刀術、その極意は、闇夜に霜の降りるが如く……いつ抜いたのか、悟らせぬことが最上、と。

 見れば、剣王ギ・ゴーの曲刀がまた鞘に収まっていく途中であった。

 ガルゼンは、アマツキ流の技の名を呟く。その言葉に、万語に及ぶ礼賛の意味を込めて。

「──っ、雷閃」

 見事、と。そこまで言い切る時間は、ガルゼンには、残されていなかった。

 だが、ギ・ゴーは、驚愕に目を見開く。

 首を刎ねられ、意思なき身体が敗北を拒む。繰り出した突きのそのままに、槍を投げ捨て、納刀したてのギ・ゴー・アマツキに首無き身体が組み付いた。

「っ!?」

「放て!」

 直後、周囲を取り囲むガルゼンの部下から、悲鳴のような号令が発せられた。間髪入れず、剣王に降り注ぐ豪雨の如き、魔法弾と矢、礫。

 強い風が吹き抜ける。

 一介の武芸者として死んだフェルドゥークの軍長の死を覆い隠すように。あるいは、鬼神がごとき剣王の姿を覆い隠さんとするように。一瞬戦場の誰もが、剣王の姿を見失い、気づいた時には、さらに奥深くまで侵入されていた。


◇◆◇


 遠距離攻撃を防ぐための術式が施された陣幕の中。そこは、この継承者戦争の一方の雄であるギ・グー・ベルベナの本陣の心臓部であった。先ほどまでは伝令がひっきりなしに走り回っていたが、今はそれもない。

 広げられた地図は既に仕舞われ、床几に腰掛けるギ・グー・ベルベナは、かつてゴブリンの王から拝領した漆黒の鎧に身を包み、目を瞑って戦場の音に耳を澄ませていた。

 傍らには、自身の戦績と同じだけ戦ってきた長剣と長柄の戦斧。

 戦況は、フェルドゥークの優勢であった。戦場外のことはともかくも、ギ・ガー・ラークスと向き合うその戦場だけに関しては、フェルドゥークの優勢は動かないように思えた。

 遙か上空から見下ろせば十万余の魔物と人間達が、大きく2つの運動をしていた。

 斜傾陣を敷いて衝撃を持ってフェルドゥークの陣を崩そうと試みたアルロデナ総軍は、両軍がぶつかった瞬間、フェルドゥークの円運動に巻き込まれた。

 確かに斜傾陣による衝撃は横陣で対応していれば対処困難なものとなったであろう。しかも、予備兵力を残しながら仕掛けると言う念の入れようは、流石に経験豊富な軍師ヴィラン・ド・ズールの手腕だった。

 おそらく円陣のまま耐えていたとしても、やはり壊乱し、崩されていたであろう。

 だからこその円運動。車輪を回す如くに繰り出される一撃は、相手の斜傾陣の一撃を振り解き、強烈な反撃を繰り出す一石二鳥の妙手であった。

 後はどこまでその一撃を深くアルロデナ総軍に打ち込めるかだ。当然、ギ・ガー・ラークスもこのまま終わるわけはない。

 騎兵の本領へと立ち返った姿も確認されている。好敵手の勇壮な姿を幻視して、ギ・グー・ベルベナは、苦笑した。

「だが、先ずは相手が違うか……」

 陣幕の中に一匹のゴブリンがいた。剣に狂い、剣に魅入られ、やがて剣を己のものとした、不滅の大業を成し遂げつつあるゴブリン。

 たった一匹、あまねく天下に無双を誇る軍勢を突破してきた剣の王。

 見れば服は破れ、露出した肌には幾許かの傷は見受けられるものの、致命傷らしいものはない。己が斬り捨ててきたもの達の返り血、そして自身の負傷によるわずかな流血があるのみ。

 両の手に一振りずつ剣を持ち、蓬髪に伸びた髪の間から、流れた血が顔をぬらす。

 しかし燃え滾る気焰は、鈍色の瞳から些かも失われず、ギ・グー・ベルベナを射るようだ。

 己が鍛え上げてきた部下達を鏖殺してきた目の前のゴブリンを見たギ・グー・ベルベナは、沸き立つ気持ちを抑えられず、獣の如き獰猛な笑みを浮かべる。

 立ち上がるその手に、長剣と長柄の戦斧。

「ギ・ゴー・アマツキ……」

 長年の友を呼ぶ声音に、ギ・グー・ベルベナの殺気が篭もる。

「ギ・グー・ベルベナ……」

 対するギ・ゴーも、また然りだった。

 それ以上の言葉は無く、また必要とも思えなかった。先制の一撃は、ギ・グー・ベルベナ。気合一閃、長剣を間合いの遙か外側から振り抜く。

 ひび割れる大地と、生まれる氷塊。槍のように切っ先の研ぎ澄まされた無数のそれが、生き物のようにギ・ゴーを狙う。

 長柄の戦斧を肩に担ぐように構え、更に追撃の態勢。左右か、上空か。いずれに避けても追撃の構えから繰り出される一撃で、致死を免れない。

 敢えて、ギ・ゴーは、氷塊を受け止め、抜き放つ曲刀の一閃のもとに、破壊する。

 直後、接近するギ・グーの長柄の戦斧が、遠心力を味方に付けてギ・ゴーへ襲いかかる。この世に切れぬモノ無しと謳われる大剣豪は、その場から飛び退くことでそれを回避。

 大地と衝突した長柄の戦斧から放たれた風圧は、刃となって使用者以外を切り刻む。

 衝突した反動を持って再び長柄の戦斧を担ぎ上げたギ・グーは、眼前に迫る剣王の斬撃を目測で回避。更に憤怒と共に長柄の戦斧を振り下ろす。

「どうした!? 剣王、その程度か!」

 再び発現する風の刃に、吹き荒れる残された奇蹟まほう。だが風に刃を立てると、振り抜くだけで、風の刃を打ち消してしまう。ただ、一振りそれを見ただけで、剣王はギ・グーの一手を潰す。

「形は波」

「ぬっ!?」

 見えぬはずの風の刃を視た剣王の言葉。ギ・グーの攻撃を1度で見切った直後に、両の手に握った曲刀を交差し、地面から突き出された氷塊を受け止めるとみせて──。

「ッ!」

 ──力任せに打ち砕く。

 砕けた氷塊が欠片となって宙を舞う。

「脆い」

 剣王の身体が沈み込む。ギ・グーとギ・ゴーの間に風が吹き抜けた。剣王の振り抜いた曲刀の一撃によって圧縮された空気が、逃げ場を求めて、二人を押し流そうとしていた。宙に舞った銀片が、風に流される。

 鳥の翼のように、広げられた両の手に握られた刃に殺意が宿る。蓬髪の間から覗いた刃のようなギ・ゴーの瞳が、叛乱の首魁たるギ・グーを射抜いた。その瞬間、剣王の剣は、ギ・グーの命を確かにその手の内に捉える。

 だが、ひと思いに斬らねばならないはずのギ・ゴーは、そのまま動きを止めた。

 ギ・グーの口許に、間違えようもない僅かな安堵の笑みを見たからだった。

 千軍万馬を越えて辿り着いた、叛乱の首魁の首。ただ、後一振り、何千何万と繰り返してきたそれをすれば、この叛乱は終わる。

 ゴブリンの王を亡くしてから、ずっと考えてきたその敗北を償う方法。自らの剣をして、王の望んだ世界を作り上げると言うギ・ゴーの決意が、揺らいでいた。

 鈍器が地面をたたく鈍い音を立てて、ギ・グーの手から、両の武器が滑り落ちる。

「……どうした。剣王よ、大陸随一の剣の申し子よ」

 動きの止まったギ・ゴーにかけられたのは、低いギ・グーの声だった。追い詰めているのは、ギ・ゴーのはずだった。

 しかし、追い詰めたはずのギ・ゴーの耳に聞こえたその声は、まるで冥府から聞こえた風のように、重くギ・ゴーの身体を縛り付け、地面に縫い付けるようだった。

 すると、あろうことかギ・グーは、そのまま地面にあぐらをかいて座り込んでしまった。

「斬れ。その為に、来たのだろう?」

「……」

 どれだけそうしていただろう。ギ・ゴーは、構えを既に解いていた。両の手に曲刀を握り、力無く、だらりと下げている。

 数多血に濡れたギ・ゴーの両手は既に、曲刀と一体化していた。濡れた血が固まり、剥がすことが困難になっていたのだ。

 戦場の熱狂と喚声が、酷く遠い。ギ・ゴーの耳に聞こえたのは、心臓の鼓動だけだった。

 座り込むギ・グーを見下ろすギ・ゴーは、悄然としてさえ見えた。

「……俺達は、自らの信念に殉じた。何を恐れる。貴様は、そうではなかったのか?」

 叱咤する声は、座り込んだギ・グーからだった。

「あの、戦場から、俺達は……信じた道を、進んできたはずだな。ギ・ゴー・アマツキ!」

 千軍万馬の軍勢に怯まぬ剣王が、ギ・グーの言葉に怯んだ。それは、至誠の言葉だったからだ。

 信念を貫いてきたはずが、その果てには、友を斬る結末が待っていた。それを仕方が無いと諦め切れる男であれば、王の死に責任を感じたりはしない。

 後一歩を踏み出せば、この叛乱は潰える。だが、その一歩は、今まで積み重ねてきた如何なる一歩よりも遠いのだ。

 ギ・グーは、自らの死を厭わぬ激励をギ・ゴーへ送る。

 何のために、ここまで来たのだと。つらくない筈など無いのだ。大陸最強などと持て囃され、常に命を狙われる日々。鋼鉄のワイヤーで出来た精神だとしても、いずれ綻び、摩耗していくものだ。僅かなものだとしても、少しずつ、必ず。

 時の神の呪いは、何ものをも例外を許さない。

 それが、やっと結実を迎えるのだ。

 叛乱の首魁たるギ・グー・ベルベナを討ち果たすそのことで、王の望んだ世界を切り開く剣が、完成するのではないのか。

 それが、例え友と恃んだ戦友を斬ることになろうとも……。

「ギ・ゴー・アマツキ!」

 叱咤の声は、ギ・ゴー・アマツキと言う不世出のゴブリンの生き方を、励ますものだ。孤高に生きるしかない男の孤独を慰め、心を震わせる。

 なぜならギ・グー・ベルベナも、また同じ孤独を生きるしかないゴブリンだからだ。

 滅び行く己の種族を見つめたとき、指導者たるゴブリンの王を失ったギ・グー・ベルベナの前に広がっていたのは、絶望だった。

 そこから、震えそうになる足を叱咤し、立ち上がる。怯える心に、怒りの炎を燃やして、怯懦を塗り潰す。戦友を欺き、部下を戦友を、兄弟達を、戦の業火に焼べる。

 あの戦場から──王を失ったあの敗北から、ギ・グー・ベルベナは、その敗北を覆す方法を、ゴブリンの王国へと求めた。

 孤独に、誰にも理解されないことを承知の上で、この戦を、何年にも渡り練ってきたのだ。

 ギ・グー・ベルベナにとって、ただ一人の王が作り上げた国は──そこに生きるゴブリンとはかくあるべしと信じて、ゴブリンの王が作り上げた国を切り裂いた。

 ただ、己の信じた国のため。

 ゴブリンとは──、かの偉大なるゴブリンの王と共にあったゴブリンとは、かくあるべし──と。

 だが、しかしそれは壮絶な孤独の道だ。見つめた絶望はいぼくから、選び取った道が異なるだけの、茨の道。

 それが解るからこそ、ギ・ゴー・アマツキは、立ち止まってしまった。

 速く己を殺せと背を押す友の声に、剣を振り上げようと、ギ・ゴー・アマツキは、視線をあげた。そこに見たのは、震えるギ・グー・ベルベナの背──。

 あの、ギ・グー・ベルベナが泣いていた。偉大なる英雄よ。大陸最強の軍団を率いる男よ。高潔なりし、戦士よ。我が友よ!

 悔悟か、慚愧か、無念か、あるいは、王にまみえることへの歓喜から、か。

 ──ギ・ゴー・アマツキは、天を仰ぐ。睨み付けたのは、見通せぬ冥府の天蓋。噛み締め過ぎて、ギリギリの鳴る歯の間から、絞り出すように、声を漏らした。

「……俺には、斬れぬ」

 それを斬れば、己は、己を見失う。

 果たして己は、ここまで一途に王を思っていたか。剣を振るうことに理由を見いだすために、我が王を、理由にしていなかったか。ましてや、剣神の誘いに、はっきりと否と答えられたか。

 考えれば、考えるほどに、ギ・ゴー・アマツキは、固まっていく。

 何が、天下無双か! 何が剣の申し子か! 

 確かに、ギ・ゴー・アマツキは、僅かながらも歓喜を感じていたのだ。天下無双の剣を持って、大陸最強の軍勢を打ち破ることに。我が剣こそ、ゴブリンの中にあって、最強なのだと。

 一途に王を思うが故に、悔悟と憤怒に身も心も捧げ、命までを捧げる友を、斬るのか。その剣で。

「……」

 その剣に斬れぬものなしと謳われた剣王は、項垂れる友の背を、どうしても斬ることが出来なかった。


◇◆◇


 逃げるように本陣から姿を消したギ・ゴーに遅れて、幽鬼のようにギ・グー・ベルベナは、立ち上がる。

 動かぬ腕を無理に動かして、長剣を拾うと長柄の戦斧を杖にして、大きく息を吐き出す。走る痛みを無視して今一度、息を吸い込む頃には、その目に力が戻っていた。

「ギ・ゴー・アマツキ、我が友、剣王よ……」

 ざわりと、戦場の空気が戻ってきていた。耳に響く喚声、悲鳴、怒声……。瞳は色彩を取り戻し、吐く息には、気焰が戻る。

 そこに、肩を震わせていた男の姿はない。

「──さらばだ!」

 戦場に主が戻ってきた。


◇◆◇


 戦場から離れた小高い丘の上で、ギ・ゴー・アマツキは、胡座を組んで座っていた。項垂れたその様子から、表情は窺えない。

 両の手に既に曲刀はなく、打ちひしがれたその姿は敗北を認めた者の姿だった。

 砂を噛む音ともに、その背後に人影が現れる。

「剣王ギ・ゴー・アマツキ殿とお見受けする」

 ギ・ゴーは、その声に振り返りもしない。そして背後に現れた人物もまた、返事を求めるようなことをしなかった。

「……名は?」

「ユアン・エル・ファーラン」

 項垂れていた首を上げ、己が敗北を喫した戦場を目を細めて見るギ・ゴー。

「聞いたことのある名だ」

「我が全てを賭け、剣王を討たせて貰う」

 背後で長剣を抜いた音と強い殺意にギ・ゴーは、無意識で反応する。振り返ればそこには、上段に構えるユアン・エル・ファーラン。

 背に負うた曲刀を引き抜くと、半身に構える。両手に構えた曲刀の切っ先を、ユアンに向け、間合いを計る。

 目の前に立つ男をギ・ゴー・アマツキは、覚えていた。聖騎士にしてアレンシアの天冥会戦における将の名前だ。

 あるいは、聞いた話によれば、ガイドガのラーシュカを葬った敵将の名前だ。

 ──過去の清算をしなければならない。

 僅かな逡巡の末、ギ・ゴーは、間合いを詰める。確かに目の前の敵は強い。練り上げられた気、一分の隙も無い構えを見てもそれは、明らかだった。

 だが、それだけで大陸最強の剣士の前に立つには、不十分。ユアンの剣の握り、呼吸の頻度、体重のかけ方から、重心の置き所まで、ギ・ゴーから見ればまだまだ改善の余地があるものばかりだった。

 だからこそ、常人には隙とも見えない僅かな隙間を、剣王ギ・ゴーは突いた。ギ・ゴーの与える圧力に抗しきれなくなったと見えたユアンが、前に出ようとする一瞬──。

 ギ・ゴーは、ユアンの間合いの内側に入り込むと、がら空きの胴体に向けて、曲刀を突き刺した。狙い過たず、ユアンの身体を貫き、背中まで貫通させた刃が大量の血をユアンの身体から奪い去る。

 だが、ユアンは、にやりと口許を歪めた。

「剣王、破れたり──」


これにて書きため分の最後。また投稿には時間を頂きます。

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[一言] 五年ぶりに読んだけどやっぱり面白かったです
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