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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
五風十雨の平穏
5/61

剣姫恋歌(前編)

 剣聖ギ・ゴー・アマツキ率いる剣士隊は、天冥会戦後に解散の運びとなっていた。ギ・ゴー自身が己の無能を深く悔い、それを雪ぐまでは剣士隊は解散をする旨、宣言したからだ。

 では剣士隊に参加した者たちはどうしたのかと言えば、それは千差万別である。

 雪鬼の一族女族長ユースティアのように、絶対にギ・ゴーの元を離れないと主張して止まない者もいたが、それはごくごく少数にとどまった。またユースティアの命令により、その主力をなしていた雪鬼(ユグシバ)たちは、故郷に戻り、ギ・ゴー恩礼の土地を耕して暮らす生活に戻った。

 村に帰れば彼らは紛れもない英雄である。父祖以来の念願である温暖な土地を与えてくれたギ・ゴーに対する責務を果たした勇敢なる者達。またそれに比例して剣の腕も卓越し、郷土の誇りとされていた。

 また妖精族などは、故郷に戻るもの、あるいは冒険者としてギルドに仕事を求める者など様々であった。ギルドは、公共事業への仕事の斡旋など幅広く行う組織に変化していたが、それでも危険を伴う仕事がなくなったわけではない。

 ギ・ゴーの剣士隊出身であると認められれば、すぐさまギルドの腕利き(ハンターリスト)にその名前を連ね、公共事業への参加などとは比べ物にならない報償と引き換えに、危険を伴う仕事が紹介されるのが常であった。

 また一風変わった選択をしたのが、ゴブリンであるレア級ゴブリン、ゴ・ライ。

 彼は西方大森林と西都の中間点、ミドルドに居を構えると、自宅を改造して道場を開いたのだ。

(よろず)、剣術指南致し(そうろう)

 ギ・ドー・ブルガに頼んで書いてもらった看板は、たちまちのうちに評判を呼び、ゴブリンらを中心として連日行列が出来るほどになった。だが、あまりに盛況すぎてゴ・ライ1人ではとても手が回らず、その内僅かながらも金をとるようになる。

 こうすれば、少しは客足も減るだろうと考えた彼の考えは、その翌日から破綻する。

 物の価値というものを、過少に見積もる傾向のあるゴブリン達だったが、ゴ・ライが見誤ったのは、ギ・ゴー・アマツキの剣士隊という名前の大きさだった。

 アルロデナの軍勢で少数ながら最も攻撃力が高いと評されたのは、ガイドガ氏族及びギ・ゴーの剣士隊である。一方のガイドガ氏族が、優れた体格と族長であるラーシュカの雷名によって成り立っていたのに対し、ギ・ゴーの剣士隊は来るもの拒まずであり、ゴブリンや人間、妖精族の区別なく参加していた。

 なにより、ガイドガ氏族はラーシュカと共に、壊滅している。

 ということは現存する中で、アルロデナで最も攻撃力が高いと評価されるのは、ギ・ゴーの剣士隊ということになる。いまだ大戦より1年と少ししか経っていないのだ。生き残りが豊富にいる中、偽証や噂、あるいは誇張の類ではなく、事実として語られるギ・ゴーの剣士隊の強さは口づてに広がっていた。

 その生き残りから、直接指導をしてもらえるというのは、強さを尊ぶゴブリン達にとって、多少の金を払ってでも、手に入れたい機会であったのだ。

 伝のあるゴブリンらを雇い入れ、道場を運営することになったゴ・ライだったが、その内に賓客の到来を迎えることになる。

 アルロデナの歴にして7年初夏。

 ギ・ゴー・アマツキとユースティアがふらりとその道場に立ち寄ったのだ。

 ゴ・ライにしてみれば驚天動地の心持である。玄関で来訪を告げる鐘が鳴り、連日の疲労もあってため息交じりに出てみたら、この世で最も尊敬する人物が立っていたのだ。

「と、とにもかくにも、こちらへ」

 普段は剣士たるものいつも冷静でいなければならないと指導しているはずのゴ・ライであったが、突然訪れた客がギ・ゴーでは、致し方なかったかもしれない。

 普段は使わぬ上座へギ・ゴーとユースティアを座らせると、片膝を突いて最敬礼をする。

「ギ・ゴー殿におかれましては、本日はいかなる御用向きで?」

「……うむ。珍しき商売をしているという噂を耳にしてな」

 剣士隊の面々にとってギ・ゴーがどのような存在かと問われれば、神様と表現するのが最もしっくりくる。自分たちでは逆立ちしたって勝てないような戦場の猛者を難なく切り倒し、剣の腕で言えば、遥かに高みにある存在である。

 まるで触れてはならぬ神の如くに、畏敬の念をもって彼らはギ・ゴーを見上げ、荒ぶる神の差配するままに戦場を駆け抜け、剣を振るってきたのだ。生殺与奪を常に握られていたといっても良い。

 その神様が口を開いて、珍しき商売と言っている。

 ゴ・ライは冷や汗が止まらなかった。しかも、答えるまでの僅かの間が後ろ向きの想像を掻き立てる。

 剣を商売とすることに、不興を買ったなら潔く死ぬしかない。

 今だ戦場の心持で首を垂れたゴ・ライに言葉をかけたのは、ギ・ゴーではなくユースティアだった。

「すまぬが、数日の滞在をさせてもらいたい」

「は、ははっ! どうぞご随意に!」

 潰れた蛙のように這いつくばってしまわなかっただけ、ゴ・ライは自分自身をほめてやりたかった。

「し、しかしながら!」

 裏返りそうな声でどうにか、それだけ言うと頭に重石を載せられたように更に首を低くする。

「あいにくと不調法なため、こちらは道場のみにて、近くの宿に声をかけます故、今しばし! しばしお待ちを!」

「ああ、そこまで気を──」

「なにとぞ! なにとぞ、しばし!!」

 ユースティアの声に耳を傾ける余裕もなく、ずずずいーっと首を垂れた姿勢のままに後ろに下がると、飛燕の如き身軽さで扉を閉めて手下を呼び集める。

「大変だ、神様が宿をとられる!」

「神様モ、寝るンですかイ?」

 ノーマル級の手下の一人の声に、普段は上げない怒声を張り上げる。

「あったり前だ! 誰だって寝るし、食べるし、女だって抱くだろう!」

「随分、身近ナ神様デすね」

「こうしちゃいられねえ! 来い!」

 そう叫ぶと、一目散に駆け出して道場の奥手にある自身の部屋に入り、金庫を力任せに叩き切った。

「ひェ!?」

 慌てて追ってきた手下が悲鳴をあげる。

 鬼気迫る顔で振り向いたゴ・ライは扉の破れた金庫ごと持ち上げて、投げ捨てるように手下にそれを持たせた。

「良いか! ミドルドで一番いい宿の一番いい部屋をとってこい! 宿の奴がゴタゴタ抜かすようなら口に金貨を詰め込んで、首を縦に振らせろ! わかったな!?」

「へ、へイ」

「わかったなら早く行け! 神様を待たせるんじゃねえ!」

 噛り付くような勢いでまくしたてられた手下は、両手に金庫を抱えながら宿へと走った。


○○●


 ゴ・ライの道場を訪ねて半刻もしないうちに、宿から飛ぶような勢いで案内の者が飛んできたのはご愛敬だろう。普段からゴブリン相手に怒鳴ることはあっても、街の者に無暗に怒鳴り散らすようなことはしないゴ・ライが、手に曲刀をぶら下げて鬼のような剣幕で道場の前に待ち構えていたのだから、案内の者の寿命が縮まったことだろう。

「良いか貴様! 少しでもお客人に粗相があったなら、その首だけで済むと思うなよ!」

 慌てて飛んできた案内の者の胸倉を掴んで、前後に揺するゴ・ライの迫力は、まるで戦場に臨む者の気迫だった。むろんそんなものに、普通の人間が耐えられるはずもない。

 魂を口から半分飛び出させながら、ふらふらとギ・ゴー・アマツキとユースティアを案内すると、怪訝なものを見るような彼ら二人の視線の外へ消えていく。

「どうぞ、御ゆるりと!」

 宿の前に道路に片膝を突いて最敬礼で見送るゴ・ライの姿に、近所の住人達が声を潜めて噂話の花を咲かせたのは言うまでもない。

「ああ、助かる」

 視線だけでどういうことだろうと、疑問を交し合う二人だったが、その答えを出す前に、宿の主人自ら出迎え、あれよあれよという間に、最上階へと案内される。

「何か御用がございましたら、どうぞお申し付けください」

 文句のつけようのない完璧なしぐさで礼をして、通された部屋は王侯貴族が逗留するのにも、応えられる高級宿の最高級の一室だった。地上4階建のミドルドで最も高い人口の建築物であり、夜になれば眼下に街の明かりが一望できる窓ガラスがついている。

 ガラス自体が高価であった為に、その贅沢な部屋を興味深く見守っていたギ・ゴーとユースティアだった。二人とも、剣の腕については比類ないが、それ以外のこととなると聊か常識に欠けるきらいがある。

 その二人にしても、この部屋が相当に贅を凝らした部屋なのだということはわかった。

「気を使わせてしまったかな?」

「かもしれません」

 ぐるりと部屋を見渡し、危険がないことを確認したギ・ゴーの言葉に、ユースティアもまた頷くしかなかった。

「ならば、ゆるりと休むとしよう」

「よろしいのですか?」

「せっかくの好意だ」

「……はい」

 そのような言葉が出ること自体に、ユースティアは驚いたが、それが悪い変化ではないと思いなおして頷く。求道者としてはあるいは失格かもしれないが、一人の個人としてみた場合は、少なくともユースティアからすれば魅力的だった。

 一途に求める道を追究することと、心の余裕というものは別であろう。

「ほう、湯船まであるのか」

 一つの部屋を覗き込んだギ・ゴーの言葉に、珍しいという考えが浮かぶ。

 風呂として一般的に認知されているのは、蒸気を利用した蒸し風呂形式が一般的なこの当時において、湯を張った風呂というのは比較的珍しい。

 漏れ出る湯煙に誘われるように、ユースティアはその部屋を覗き込み、透明な水の揺蕩う湯殿を見つめているうちに、自分自身の格好にふと気づく。

 そういえば、まともなふろに入るのはいつぶりだろう。

 さっと、彼女の脳裏に駆け巡るのは匂いとか、体の汚れとか、口に出せない諸々のことだ。思わず一緒に覗き込んでいたギ・ゴーの傍から飛び退き、怪訝な表情でギ・ゴーに見つめられるが、彼女は動揺もあらわに音がしそうなほど首を振る。

「い、いいえ。別に、大したことではありません」

 事実一緒に旅をする中で、感覚の鋭いギ・ゴーがそのことに触れたことはないし、出来る限り自身も気を使っていた。だが、それでもやはり清潔な部屋に風呂まで用意されては、気になるものは気になる。そして一度になってしまえば、それを振り払うのは容易ではない。

「……そうか?」

 再び湯殿を見て、ユースティアを見たギ・ゴーは首を傾げながら彼女に気を遣う。彼女の慌てぶり、雪原を思わせる白い肌に、僅かに上気した頬は、赤く染まっている。

 泳ぐ視線は、ギ・ゴーの背後に吸い寄せられているらしい。

 そこから推測されるのは明らかな動揺、そしてそれは普段は見慣れぬ暖められたお湯と、それから立ち上る湯煙を見た後の事である。

「お湯が嫌いなら──」

「──いいえ、決してそんなことはっ!」

 言いかけたギ・ゴーの言葉を、最速で遮ったユースティアは、首を傾げる彼になんと説明しようかと思い悩む。冬になれば雪に閉ざされる山奥で育った彼女にとっては、温かなお湯というものは、非常なぜいたく品だった。

 それに身を浸す風呂なるものは、むろん彼女の育った山奥では存在せず、彼女の基準で言えば相当な都会である西都に出てきて初めて知ったものだった。

「その……なんといいますか、あの、ですね」

 普段は凛として平然と部隊の指揮すらこなして見せるユースティアは珍しく言いよどみ、もじもじと自身の両手の指を絡ませたり、開いたりして要領を得ない。ますます怪訝なものを見るようなギ・ゴーの視線の先で彼女は、体までふらふらと落ち着くがなくなっていく。

「ええっと、ですね……その」

 羞恥に俯きやっとのことでユースティアは言葉を絞り出す。

「お風呂に、入っても?」

「ん? ああ、構わん」

 僅かに潜めた眉を開きながらギ・ゴーは頷いた。

「少し外も見てみたい。歩いてくる」

「で、では、私も!」

 慌てて同行を申し出る彼女に、ギ・ゴーは首を振る。

「いいや、それには及ばぬ。思えば王の足跡の残る場所を巡るというのは俺の我が儘だ。それにたまにはゆるりと休むがいい」

「あ、でも……」

 不安げに視線をさまよわす彼女に、ギ・ゴーは首を傾げる。

「……お戻りに、なられますよね?」

「ああ、一刻もすれば戻るだろう」

 その答えに心底安心したという風に、彼女は頷く。

 ではな、と言いおいて部屋から出るギ・ゴーが扉を閉めると彼女はいそいそと服を脱ぎ始めた。


●○○


 翌日、どんよりと落ち込みながら歩くユースティアといつもと変わらぬギ・ゴーの姿があった。

 お風呂から上がったユースティアは、用意されていた着替えに袖を通すと、柔らかなベッドの誘惑に勝てず、そのまま横になってしまったのだ。つらつらと、ギ・ゴーと二人きりの夜のことなど考えながら、ベッドの上でゴロゴロしているうちに、彼女は睡魔に敗北を喫する。

 ユースティアにしてみれば一生の不覚である。

 そして気が付いた時には、すでに朝だった。

 ギ・ゴーはソファで眠り、自身はベッドの上で高鼾である。

 従者としてあるまじき失態。そして何より一人の恋する乙女として、取り返しのつかぬ失敗である。床に頭を擦り付けんばかりに謝罪したユースティアを、ギ・ゴーは笑って許したが、彼女は自分自身の失態にひどく落ち込んでいた。

 せっかくの二人きりの空間。

 外敵の心配もほとんどなく、ギ・ゴーとて少しは安心して眠れるはずだったのに。人の目さえなければ彼女は泣きたかった。泣いて叫び、この憤懣やるかたない気持ちを誰かに打ち明けたかった。

 道場への行く途中、そのような沈んだ気持ちで歩いていた途中に、話しかけられたのだから返事がおざなりになるのも仕方ないだろう。

「──?」

 ふと見上げた視線の先に、片膝を突く女の姿。その彼女のあげた顔に見覚えがあり、ユースティアは驚きに目を見開いた。

「シャルナ」

「覚えていてくださいましたか」

 ギ・ゴーの剣士隊というのは、何も男ばかりで構成されていたわけではない。雪鬼達は、ゲルミオン王国との闘いで男手を著しく損耗し、ゴブリンの王の求めに応じて参戦したのは少年少女らだったのだ。

 その中の一人に偶然にも挨拶をされ、ユースティアは驚きに目を見開いた。

「……先に行く。ゆるりと付いて来るがいい」

 気を利かせたギ・ゴーの言葉に、ユースティアは図らずも楽し気に返事を返した。

 それに僅かに口元を緩めたギ・ゴーはゴ・ライの道場へ向かう。

「族長お久しぶりでございます!」

「ああ、そういう固い挨拶はよそう」

「では、失礼して」

 片膝を突いて礼をしていたシャルナは立ち上がると、にっこりとほほ笑んだ。

「お久しぶり、ユースティア」

「ええ、久しぶり」

 ギ・ゴーの来援の為に男手のなかった雪鬼の諸部族をまとめ上げたユースティアだったが、その中には当然ユースティアと血筋的に近いものも交じっている。シャルナは、三代前に分かれた遠い親戚のうちの一人だった。

「こんなところでは、なんだから……」

 そういったシャルナは、ユースティアを食堂へ誘った。食堂と言っても、軽い食事に主軸を置くような店である。最近西都などで流行っている薫茶などを出す店だそうだ。

 お互いの近況などを報告しあうと、自然と会話は身近な者たちの話題へと移る。

 特に話題によく上るのは、ギ・ゴーの剣士隊に参加していたもののことが多い。誰々は結婚しただの、今付き合っているだの、子供は何人出来ただの……。そして巡り巡って、話題はユースティア自身に帰ってくるのだから、こと話の運び方に関してはユースティアはシャルナには遠く及ばない。

「結婚した?」

 驚きに目を見開くユースティアに、シャルナは当然とばかりに頷く。

「私ももう、20を超えましたし」

「誰と、だ?」

「ノディーと」

 さらりと告げられた名前は、彼女の良く知るものだった。愕然と目を見開いているユースティアに、僅かに恥ずかしがりながらも、シャルナは臆することなく踏み込んだ。

「で、ユースティア様はギ・ゴー殿とどこまで?」

「ば、ばばばかな!? 私はギ・ゴー殿とは、そ、そそんな関係ではないぞ」

 慌てて立ち上がろうとするユースティアを素早くシャルナが肩を抑える。

「まぁまぁ……落ち着いて」

「わ、私は落ち着いている。冷静だ!」

「で、実際のところどうなのです?」

「それは、そのだな……」

 自然と泳ぐ視線に、シャルナは感づいた。伊達にギ・ゴーの剣士隊に参加はしていない。敵の洞察を図り間違えば死ぬのは剣士として当然のことだった。

「……ご相談には乗りますよ?」

 悪魔の囁きが、ユースティアの耳に吹き込まれていた。

「手を!?」

「そうです、手を!」

 驚愕に目を見開くユースティア。形の良い眉を思い切り開いて、驚きを現す。それだけ気持ちと思考に余裕がないのだろう。剣を振るっている時なら、いつも超然としている彼女を知るシャルナは、ほほえましい気持ちになって頷く。

「そ、そんな……ダメに決まっているだろう!」

 慌てて首を振るユースティアに、シャルナはその身をずいっと乗り出してユースティアに迫る。

「なぜです?」

「な、なぜも……なにも……その」

 視線は泳ぎ、必死に言い訳を探しているのだろう。小動物がふるふると震えているようなユースティアの態度に、シャルナは内心でむくむくともっとイジメてみたいという欲望が湧き上がってくるのを感じながら、体を近づけた。

「ま、ま町中だからといって、危険が、ないわけではないし……その」

「大丈夫ですっ!」

 しどろもどろの言い訳を、シャルナは切って捨てる。

 今ミドルドの街は沸き立っている。ゴブリン一の剣士。世界最高峰の剣士の到来は、口づてに周辺の村からも腕に覚えのある剣士達が、是非教えを請いたいとミドルドに集まってきているような状態なのだ。

 ギ・ゴーがいるだけで、その状態のミドルドに一体どのような危険があるというのか。ギ・ゴーに危害を加えようと思うものがいたとすれば、その集まっているゴブリン達の良い的になってしまう。

「だから大丈夫!」

「そ、そうかもしれないが……その、やっぱり……は、恥ずかしぃ」

 尻すぼみに小さくなり俯くユースティア。その頬は羞恥に赤く染まり、その手の趣味がないはずのシャルナですらも、おかしな気分になりそうであった。

「よろしいですか。ユースティア様、ギ・ゴー殿は言うまでもなく、世界最高峰の剣士であらせられます」

「もちろんだ!」

 我が事のように目を輝かせて胸を張るユースティアに頷くと、シャルナはそっとささやく。

「そんな御方が、いつまでもお独りでいると思われますか?」

「そ、それは……」 

 雪鬼の常識では、剣の腕が卓越しているものは、美醜に関わりなく結婚する男の条件の一つと考えられた。剣の腕が卓越するということは、狩の腕に秀で、将来的に家を富ませることが確約されているからだ。

 そうでなくとも、戦争の終結したとはいえ、物騒な世の中である。

 剣の腕が立つということならば、働き手はいくらでもある。それも世界最高峰となれば、文字通り引く手あまたであろう。

「ですので、これは好機なのです」

「……う、うん」

 なんだか年頃の娘をもった母親の気分になりかけながら、シャルナは粘り強くユースティアを説得する。

「手を……このように」

 ユースティアの手を両手で包み、自分の胸元へもっていく。同時に身を寄せるように、頬を染めるユースティアの桜色をした唇に、どんどん顔を近づけていく。

 ユースティアとシャルナの互いの心臓の音が聞こえそうなほど近くなる。

 なぜか指導しているはずのシャルナですら、心臓の音が異常にうるさく聞こえた。ほとんど手入れもされていないはずなのに、しっかりと潤んだユースティアの唇は触れてしまえば、極上の味がしそうだ。

「シャ、シャルナ……」

「はい、なんでしょう?」

「ギ・ゴー殿は、このようにすれば喜んでくれるだろうか?」

「もちろんでございます。そのためにもまずは、練習を──」

 宝石の如き翡翠色の瞳がそらされる。そしてそのあと、覚悟を決めたように閉じられる長い睫と、小さく震えるその様子。

 嗚呼、あざとい! だがそれがいい!

 シャルナは内心で悲鳴とも歓声とも言えない叫びをあげて、ことに及ぼうとし──。

「──おや、ユースティア様! シャルナもか!」

 自分の夫の声で我に返って、慌てて二人の距離を離したのだった。



後編もお楽しみに。

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