継承者戦争《一振りの剣》
盾を地面に突き立て長槍を構えるユアン率いる暴徒の一軍と、ギ・ガー・ラークス率いる騎馬兵の一団の放った魔法弾は、アランサインの頭上で衝突し、白煙を生じさせる。それは暴徒側の魔法弾の速度が速かったわけではなく、むしろアランサインの速度の凄まじさを示すものに他ならないものだった。
頭上から降り注ぐ煙を突っ切って、先頭を進むギ・ガー・ラークスの姿が見えると、すぐさま後続の騎馬隊が白煙を蹴散らした。
悪鬼羅刹の如き、その姿は見る者の心胆を震え上がらせる。
その悪鬼に向かって、斉射される矢の群れ。敵を近づけるのを嫌った弓兵達の攻撃は、その大半が疾駆する騎馬兵の槍や盾に払いのけられ、僅かに命中したものも、致命傷とはいかないものばかりだった。
放たれた矢に向かって速度を上げるギ・ガー・ラークスに従って、副官ファル・ラムファド以下の精鋭が矢の雨の中を駆け抜ける。虎獣と槍の旗が導くままに、死すら恐れず、彼らは進んだ。
しかし、尚も不動の山の如くに動かないユアン・エル・ファーラン率いる歩兵達。彼らに与えられた指示は、簡潔にして明瞭だった。
──動かず、そして盾と槍を構えるのみ。
元々のユアンの策からしても、彼ら急造の兵士にそれ以上を求めてはいなかった。精鋭たる所以は、指揮官の命令に対して如何に従順であるか、と考えるユアンにとって、暴徒側達は使いやすい兵であり、最低限の従順さを発揮していた。
歩兵達の脳裏には、ユアンの采配に命を預けねば、この戦場で朽ち果てる未来しか浮かばなかった。
ユアンは、この戦に臨む前、命令違反者を敵前逃亡を図った罪で、部隊の前で斬首している。
「指揮に従わぬ者は、斬る」
直接的な恐怖は、名声と混じり合い歩兵達の中で畏怖へと醸成された。ユアンの統率の手際は、劣悪な環境でこそ、発揮される。
異なる練度、少ない兵力、あるいはそれに類する危機的状況に対して、兵士達を指揮し、生き延びて来たのがユアン・エル・ファーランだった。
だがそれを知らないのは、ギ・ガー・ラークス率いるアランサイン。
数は、圧倒的に不利。しかし恐れも見せず、その場に立ち塞がる軍の存在は、歴戦のギ・ガーをして、警戒させるに充分だった。否──歴戦のギ・ガーだからこそ、その立ち居振る舞いにギ・グー・ベルベナの幻影を見た。
その快足を生かし、敵本陣をかく乱せしめ、後方兵站を窺うアランサインは、実際のところ敵中に孤立しているとも言えるのだ。
それを、機動力を使って利点に変えているのは、戦場の駆け引きに他ならない。一歩間違えば、大戦を繰り広げる片方の大将が敵中で孤立し、最悪の場合、包囲され打ち取られ一気に勝敗が決まる。そして、後世の歴史家などは、ギ・ガーの行動を、無謀の一言で片づけるのだ。
まぁ、そもそも、ギ・グー・ベルベナが勝利した時点で歴史家などと言うものが存在できるかどうかは、疑問ではあったが。
アランサインと急造の歩兵との間の距離が縮まっても、動揺の気配すらない歩兵の姿に、ギ・ガー・ラークスは感嘆とともに、舌打ちした。
「……見事なものだ。迂回する」
それを聞いた副官ファルは、同意しつつも、問いかける。
「兵力差は、確実にあります。このまま突破する手もあるでしょうが」
確かに、精鋭に見える。しかし、ファルが気になるのはその手数の少なさだ。先ほどの魔法弾にしても、最低限の弾幕しか張れていない。まるで、突撃してくださいと言わんばかりの誘い方だった。
しかし一方で、近づいて来るアランサインに対して、歩兵達の動揺の色は一切見えないのだ。
何らかの策があることを匂わせるに充分な、状況証拠。
しかし──と、そこまで考えてファルはギ・グー・ベルベナを最もよく知るゴブリンに視線を向ける。彼女の前を駆けるそのゴブリンは、頼もしい背中を見せながら前方を睨み据えていた。
──いささか、あからさますぎるのではないか?
言葉の外で選択肢を提示するファルに、ギ・ガーは即座にそれを否定はしなかった。
罠を見せかけての、こちらが警戒するのに期待した虚勢の可能性もある。
「ダメだ。確認する間もない」
しかし結論は、変わらない。ギ・ガーもその懸念を、理解してはいるが、それを確認し、殲滅まで考えるのならば、後ろから迫る一千鬼の存在が邪魔だった。
後ろから迫るアレは間違いなく、ギ・グー・ベルベナの本陣を守る精鋭だった。
取り付かれては、アランサインの足が鈍る。十中六は、敵の虚勢と信じるギ・ガー・ラークスであったが、それを確かめる術は、実際に突撃して、敵を攻撃してみるしかないのだ。
「はっ、おっしゃる通りです」
それを嫌うのは、副官のファルとて同じだった。速度こそ、アランサインの最も誇るべき長所であったのだから。
「すり抜ける。伝達を」
「鼻先をですね」
口元にはっきりとした笑みを刻んでギ・ガーは、頷く。
「無論」
「仮に罠として攻撃してくるならば、双方食い破って、後方兵站へ向かいましょう」
ファルの言葉は、決して誇張ではない。損害を考えないのであれば、決して不可能ではない。
決断すれば、即座に実行に移す軽快さが、騎馬兵特有の優秀さだった。アランサインは、警戒しつつも速やかにその陣形を変更する。
まるで濁流に残される孤島のように、ユアン・エル・ファーランの歩兵達は、鼻先を掠めるアランサインの騎馬兵達を見送り、九死に一生を得ることができた。
「亡霊でしたか……」
アランサインの全軍を手を出さずに見送った一軍を振り返って、ファルは僅かに悔しさを滲ませながら、舌打ちした。
「いや……」
砂煙に消えたユアン率いる一軍の紋章旗を振り返って、ギ・ガーは珍しく言い淀んだ。
「あれは……」
その後の言葉は、風の中に消えた。
暴徒達から称賛の言葉を受けるユアンは、興味なさそうにそれを指揮官の功績として、自身の任命した部隊の指揮官に譲ると、部隊の移動を命じる。
「もはやここにいても得るものは、少ない」
淡々と次の指示をするユアンに対して、それに従う歩兵達には畏怖の感情をはっきりと自覚した。
アランサインの通過した後、それを追うギ・グー・ベルベナの本陣を守っていたゴブリン達が到着したが、それに対してもユアンは淡々と対応した。
「なぜ、素通りさせたのだ?」
詰問に近い形での質問に対しても、ユアンは動じない。
「では、我らがアランサインを討ち取ってしまっても良かったと?」
長年の好敵手であるアランサインとフェルドゥークの関係を少しでも考えれば、ユアン達一軍の動きは、フェルドゥークに配慮しつつ、兵站物資の集積所を守ると言う最低限の仕事をして見せた、と見えなくもない。
「アランサインが貴様らなんぞに……っ!」
言いかけて、ユアンを詰問したゴブリンは気が付いた。
決して勝てない相手に挑みかかれと言うのは、勇気ではない。それは無謀であって、フェルドゥークにおいても決して称賛される行動ではないのだ。
「……我が失言であった。許されよ」
「戦場では昂るものだ」
メンツを立ててくれる相手に対して、ユアンを詰問したゴブリンは意外な者を見るように、目を瞬かせた。
「人間にも勇気と無謀をわきまえる者はいるのだな。良ければ、御名を伺いたいが」
「生憎と、大陸の覇者たる貴殿らに名乗る大層な名など、持ち合わせてはいない」
踵を返すユアンを、ゴブリンは戦場で妙な者を見つけたと、首をかしげて見送った。
戦場で功を誇り、名を上げる。それ自体はむしろ称賛されるべきことだ。誇りをこそ、名声をこそ、フェルドゥークのゴブリン達は、命よりも重視する。
そのゴブリン達にとって、ユアンの発言は理解できないものだった。
◇◆◇
剣王ギ・ゴー・アマツキが戦場に到着したのは、アルロデナの軍勢がフェルドゥークの円陣を崩せず、戦況が乱戦に移行していく頃だった。
砂煙舞う戦場に、遠く見える立ち並ぶ紋章旗の群れは、幾千万の戦士と兵士、綺羅星の如くに集った将の存在を誇示していた。
腰に一対二振りの曲刀、背にも一振りの曲刀を背負い、身に着ける武器はそれのみ。鎧も兜も籠手すら身に着けていない。
迷いの中に、ギ・ゴー・アマツキはいた。
だがそれとて、剣を振るえば消え失せるはずのものだ。
剣を以って、アレンシアでのギ・ゴー・アマツキの敗北を覆す。大陸の安寧を、ゴブリンの王を思うが故に、かつての同志達を敵に回す。
迷いは、その中にこそある。
だが、果たしてゴブリンの王の遺志を受け継いでいるのは、本当にギ・ガー・ラークスの方なのか。ギ・グー・ベルベナの意見にも、一理あるのではないか。
そう思ってしまうのは、ギ・ゴーが心情的にはギ・グーの側に寄り添っていたからに他ならない。
いずれ滅びゆくゴブリンと言うものに対して、ギ・ゴーは特段大きな感傷はない。
生まれ出でたのだから、いずれは死にゆくが定めである。
それ自体に不満はない。
ただ、大陸全土を放浪したギ・ゴーが見た大陸の様子は、本当にゴブリンの王が思い描いたものだったのか、疑問が残ったのだ。
打ち破ったはずの人間達が、無限の活力かと疑う情熱をもって、大陸各地で繁栄していく様子。ゴブリン達、オーク達、あるいは亜人達の活動など、微々たるものでしかない。
それに伴って切り開かれる森林や未開拓地域は、元々そこにあった生態系を大きく変えていく。今では、西方大森林の中でさえ、人間達ゴブリン達の活動が活発な東側においては、巨大な魔獣が闊歩することは、少なくなった。
過酷とも言える環境で生み出されていたはずの、ゴブリン達の変化についても、ギ・ゴーは懐疑的だった。誇りと名誉の価値を重視しないゴブリンに対しては、最初に驚き、そして後悔とともに侮蔑の視線さえ向けることがあった。
ゴブリンの王の登場以来、すっかりと忘れてしまっていたが、それ以前のゴブリンと言うものは、自己中心的で醜く、後先を考えない──端的に言って獣に近い生き方しかできない者しかいなかった。
かくいうギ・ゴー自身も、それらを従えて集団を形成していたのだから、論を待たない。
全てはゴブリンの王が、もたらした変化であり、ゴブリンの王が居なくなったために起きた変化だ。
そしてその全ては、天冥会戦において、ゴブリンの王をむざむざと死なせてしまった己が責任、とギ・ゴー・アマツキは臍を噛んで来た。
すらりと、抜き放たれる曲刀の唾鳴りが、戦場に響く。大きくはないはずのその音が、自然と耳目を集めるのは、戦いを望む剣神の加護の賜物か。
戦場を行き交うフェルドゥークのゴブリン達、円陣のもっともの外側で配置についていた暴徒達の視線を自然と奪うその動作。
ざわりと、ギ・ゴー・アマツキを見つけたゴブリン達が騒ぎ出す。
──剣王。
世に隠れ無き大剣豪。二人と居ない不世出のゴブリン。
天下無双、剣の申し子。
砂煙の向こうに、僅かに見えるその威容に、ゴブリンの根源的な部分が警鐘を鳴らす。目の前にいるのは、捕食者であると。
未だ距離があるにも関わらず、背にうっすらと冷たい汗が流れ、知らぬ間に武器と盾を握る手には、震えが走る。かみ合わぬ歯は、ガチガチと音を立てうるさいほどだった。
だが、暴徒達にはその恐怖は伝わらないらしい。
ゴブリン達のざわめきも、ただうるさいだけだと感じるらしく、ギ・ゴー・アマツキの姿もゴブリンが一匹剣を抜いた程度にしか判別できない。
「あれは、敵だよな?」
「だろう? たった一匹でこんなところで何してやがるんだ?」
「あれだろ、ゴブリンどもお得意の“誇りの為”ってやつだ」
鼻で笑う暴徒の一人が、視線を向ければ、ギ・ゴー・アマツキの姿は先ほどよりも、近づいて来ていた。歩数にして約30歩。投槍を投げれば、当たる距離だった。
戯れに、誰かが放った投槍がギ・ゴー・アマツキに向かって飛ぶ。戦場なのだ。そして向かって来るのは敵、叱責は受けるかもしれないが決して大きな判断ミスではないはずのその行為が、結果として迷いの中にいるギ・ゴー・アマツキの心の天秤を動かした。
その動きは、まるで柔らかな羽毛のように、振るった曲刀が投槍に触れる。
同時に、まるで抵抗を感じさせない動きで、向かって来た投槍が、断ち切られた。
穂先から、柄まで一刀両断。音もなくするりと斬られた投槍が、ギ・ゴーの身体を避けるように地面に墜落する。
投槍の墜ちる乾いた音が、戦場のただなかに木霊する。
向けられる刃のような視線に、暴徒達の後方にいたゴブリン達の我慢が膨らんだ風船が割れるように限界を迎えた。
「放て!!!」
悲鳴にも似たその言葉に合わせて、ギ・ゴーを視認できる全てのゴブリンが、遠距離攻撃を仕掛ける。投石、投槍、魔法弾等ありとあらゆる物を、投射する。
一匹のゴブリンを殺すには過剰すぎるその物量は、まるで雨のようだった。降りしきる刃の雨を見上げるともなく見上げて、ギ・ゴーは、血糊を振るい落とし、一度曲刀を鞘に納める。
直後、鞘走る曲刀の銀線が、降り注ぐ刃の雨を薙ぎ払う。
いかなる仕組か、技術か──。
走る銀線の放射線状に迫っていた刃の雨が、剣王の振るった剣風だけで斬られたのだ。
さらに一歩、ギ・ゴーが踏み出す。
返す刀に、さらに一閃。
上空から迫りくる刃の雨に向かって振り抜いた曲刀の切っ先をそのまま下に流し、手首だけを返す。先ほどの流麗な刃の動きとは真逆の、強引な一撃が、ギ・ゴーの踏み出しとともに、連撃として放たれる。
それにより、刃の雨の後に迫っていた魔法弾が、切り払われた。
数十にも及ぶ、ありとあらゆる一撃必殺の魔法が、だ。
ギ・ゴーと相対した者達は、そのあまりのかけ離れた技に、茫然とするしかなかった。
──絶人。
その人の前に絶えて人無く、その人の後に、至る者無し。
その境地に迄たどり着いた大陸最強と言われる一匹の剣の鬼が、そこにいる。
気が付けば、ギ・ゴーは深く腰を落とし、再び曲刀は腰だめに構えた鞘に収まっている。
吐き出す息は、細く長く、そして熱風すら感じさせる。
刃のような視線の先にいる者は、一瞬たりとも目が離せなかった。
だが、気が付けば、ギ・ゴーの刃が、彼らの首を刎ねていた。
彼らがそれを認識したのは、回転する視界と、首から上の無い自らの肉体が、盛大に血飛沫を吹きだしているのを見た時だった。
「ば、か、な……」
直後、ギ・ゴー・アマツキの姿は、未だ戦列を構える他のゴブリンの中に分け入るように進み、直後旋風が--血の色をした旋風が戦列を吹き散らし、無人の野を行くように、本陣目指して速度を上げていく。
歴戦の勇士たるフェルドゥークのゴブリンをして、反応すら許さない絶技。
かつての仲間を屍に変えて、剣王ギ・ゴー・アマツキは、一陣の颶風となった。
書きため分の連続更新です。




