継承者戦争≪岩石丘陵の戦い≫
グー・ビグ・ルゥーエの長槍と大楯の軍は、音に聞こえた猛者の軍である。それは彼らが命がけの戦を幾度となく潜り抜け、そのたびに洗練されてきたからに他ならない。ゴブリンの王が、東征の最終局面たる天冥会戦において戦死してから、否──あるいは、ゴブリンの王が天冥会戦において戦死したからこそ、彼らはその日から、弛まず自身の命を懸けて鎬を削らねばならなかった。
今は西方大森林と呼ばれるようになった、暗黒の森の最奥。ギ・グー・ベルベナの支配するベルベナ領はその広大な面積の中に、昼なお暗い魔獣の跋扈する原初の森が生きていた。
その中では、ゴブリンはいまだ弱者の地位にあり、それを生き延びられた者のみが、栄えあるギ・グー・ベルベナの斧と剣の軍の一員として認められ、生き残れるのだ。
ゴブリン達の聖地である深淵の砦ですら、行われなくなって久しいその成人の儀式を未だに厳粛に行っているのは、ベルベナ領のみであろう。
平和に慣れて久しい、アルロデナの前に立ち塞がったのは、彼らがいつしか置き忘れてきた狂猛さと、暴の臭いを噎せ返るほどに立ち昇らせた過去からの亡霊だった。
防具に統一性はなく、革鎧の者から鉄の鎧の者まで様々。だが、共通しているのは、手にした長槍の長さと大楯だった。
長さは、きっかり3メートルほどで揃えられ、盾の大きさは彼らの体をすっぽりと覆えるほどの物が採用された。ここまではギ・ヂー・ユーブの軍とそん色ないものの、そこから彼らは独自の装備を用意した。
例えば、長ささえ揃っていれば良いとされた槍は、十文字槍であったり、片刃の鎌付きであったり、更には斧槍を持参するものすらいた。
盾は鉄製の物から、木製の物を鉄で補強した物、あるいは魔獣の骨と革を使ったものまで千差万別。
これは、武器は己にあったものを使えば良いと考えるグー・ビグ・ルゥーエの判断によるものであったが、同時に彼の率いる戦士達が、一筋縄ではいかない曲者揃いである証拠でもあった。
通常軍では、装備は統一される。
軍を率いる将軍の指揮通りに動き、一つの生き物のように集団を動かして戦果を挙げるためには、そちらの方が簡単であるからだ。命をやり取りする戦場においては、判断ミスは即ち死である。
だからこそ、命令は簡明に。装備は統一され使い勝手の良い物が選ばれるのだ。
替えの利かぬ兵など必要ないし、そうでなければ集団戦など成り立たたない。
それが戦場の常識である。
その常識を、敢えて踏み外すガルルゥーエは、異端の軍とすら言えた。
彼らは、グー・ビグ・ルゥーエを指揮官として戦う。一度命令が下れば、それこそ命を懸けて、その命令を遵守するが、それ以外では己の命を的にして、名誉という名の褒章を求める戦士であった。
彼らは、例え一兵卒であろうとも即座に三百からなるの大隊の大隊長までなら勤まる力量を有している。むろん、勤まるだけでその力量に差があるのは、当然であるが。
だがそれでも練度という意味では、彼らのガルルゥーエは異常とすらして良い。ゴブリンの王が率いていた当時すら、指揮官が倒れれば、軍が混乱するのは当たり前のことなのだ。
それを計算に組み入れた鍛え方をしているガルルゥーエが異常すぎた。彼らは己の死を前提として動く。それが当たり前の中で彼らは育ち、生きてきたが故に。フェルドゥークを率いるギ・グー・ベルベナの片腕と呼ばれるグー・ビグの率いる軍とは凡そ、そのようなものであった。
それを相手にするのが、平和の中で牙を研いできた旧王国連合である。多くは兵士としての適齢期を過ぎ、熟練兵か、あるいは老兵に混じったわずかばかりの新兵達。
率いるのは、かつて平原の覇者であった戦姫の片腕メラン・ル・クード。
率いる兵数は約五千。
ほぼ同数の兵力で、伝説の軍勢を抑え込めと言われた彼らの困難が伺える。
だが、メラン・ル・クードはむしろそれを、喜んでいた。
彼と彼に率いられた旧王国の兵士達にとって、これはいつ来るともしれなかった復讐戦なのだ。
敗残に身をやつし、待つこと十年……。
あるいは、流れる年月の中で復讐を諦めた者もいただろう。
あるいは、病に冒され、この場所に立つことすら叶わなかった者もいただろう。
艱難辛苦を耐え忍び、彼らが迎えた、そこはまさに晴れ舞台であった。
彼らを率いるメランは、痛いほど彼らの思いを感じていた。名将とは、部下に不敗の信仰を抱かせる者だという。だとすれば彼は名将ではなかった。自身こそ、かつて主を守れなかった不忠の徒であると考えるメランは、敗残兵たる彼らに寄り添い過ぎる。
ゆえに、勝敗など、既に彼らの頭の中にはないのだ。
この場所に──かつて敗れたこの場所に、戻って来ることこそ、彼らの本望。
ギ・ガー・ラークスの本隊から離れ、独立軍として行動してから、メランは、各軍を集めると、改めてその認識を共有した。
「……諸君、長き忍耐の時は、今ようやく報われようとしている」
これから岩石丘陵に入り込もうとしている中、彼は兵士に向かって演説した。
「我らは一度は敗残兵となり、その誇りを失った。多くは語るまい。また、語るべきことでもない。だが、我々は、今一度、この舞台に上がることができた」
叫ぶような激しさはなくとも、語りかけるようなその声は、三足駿馬、四つに連なる鉄の盾、王冠に太陽の区別なく、兵士達の心を震わせる。
「私は指揮官として、君達に敬意を表する。長き時をよく耐えた。よくぞ戻った。ゆえに、私は諸君とともに、その褒章を受け取りたい」
静まり返る兵士達を見渡し、メランは、広がる戦場を見据えて声を張り上げた。
「──勝利を!」
手にした槍を掲げ、太陽の光に煌めいたその穂先を、真っ直ぐに戦場となる岩石丘陵へ向けた。その先にあるべき、かつて見失った誇りを求めて。
◇◆◇
アルロデナの総軍を率いるギ・ガー・ラークスとフェルドゥークを率いるギ・グー・ベルベナは、大軍を率いる者に相応しい威容と戦略眼を持ち合わせていた。かつてゴブリンの王がエルフの森で戦った時のように、少数の戦ならともかく、大軍同士の戦いともなれば、その戦い方には一定の法則が出てくる。
アルロデナの宰相プエル・シンフォルアは、東征の過程において生じたそれらをまとめ、書籍としてアルロデナ総軍の中でも有望なギ・ヂー・ユーブに実践させるなどしているが、それを理解し、実践できるのは極々一部である。
書籍は、一度記した情報を大量に、かつ同時複数の者達に永続して伝達するのに優れたものであるが、文字を覚えることすら初めてのゴブリン達では、その習得に相応の時間がかかって当然だった。
ただし、プエルの記したそれを理解はできなくとも、肌で感じるままにそれを実践して見せる者も僅かながら存在した。その稀有な存在が、ゴブリンの王時代から存命な指揮官達であり、その筆頭がギ・グー・ベルベナとギ・ガー・ラークスだった。
無論彼らとて、最初から直感が備わっていたというわけではない。
幾度にも渡る死闘が、積み重ねた部下の、あるいは同胞の死が、そしてそれより数多くの敵の死が、彼らの直感を鍛え上げ、異能と呼べるまでの戦人の直感を身につけさせた。
長年に渡る戦場の経験は、彼らに戦人の直感を与えると同時に、大局的な観点も与えていた。
ギ・ガー・ラークスは、常にゴブリン以外の副官を傍に置くことによって、自身の直感に加えて、戦理、戦略、戦術というものを理論で補ってきたのに対し、ギ・グーは己の天才的な直感のみに頼って、戦場を生き抜いてきた。
ギ・グー率いるフェルドゥークがその戦果においてギ・ガー率いる虎獣と槍の軍に引けを取らないのは、ギ・グー・ベルベナの異能のなせる業であった。
宰相プエルが、ともすれば赤き太陽と黒月女皇国の軍師ヴィランが、膨大な知識と情報の中から導く最適解を、ギ・グーは、戦人の直感だけで探り当てる。
大陸の未来を決めるアクティエム平原の戦いにおいて、奇しくも、ヴィランとギ・ガー・ラークス、そしてギ・グー・ベルベナが導いた戦理は、同じであった。
即ち主戦力を最大限活用できた方が、勝利を引き寄せるというもの。
導き出した戦理を勝利に結びつけるための手段として、非主力である助攻撃に、どうやって相手の主力を向かわせるかが重要になって来る。
それを戦術段階に落とした時、ギ・グーは己の片腕たるグー・ビグ・ルゥーエ率いるガルルゥーエを送り出し、ギ・ガーとヴィランは、旧王国諸勢力を送り出す結論に至った。
彼らの采配は、未だどちらの勝利も決定づけるものではないが、確実に勝利と栄光の女神を呼び寄せるものであった。
馬上にあるギ・ガーのもとに、副官のファル・ラムファドが声をかける。
時はすでに、右翼へ旧王国諸勢力を送り出した後になる。
「──アランサインの編成終わっております。すぐに出撃可能です」
「うむ、ご苦労。しばし英気を養え」
前方に立ち上る砂煙の向こう側に、フェルドゥークの雄姿を見つめながら、ギ・ガーはファルに命じた。
「はっ! ……具申をよろしいでしょうか?」
僅かに戸惑ったように、言葉を続ける彼女の様子に、ギ・ガーはそこで初めて敵から視線を外し、ファルを見つめる。
「どうかしたか? 何か問題でも?」
いつもなら、直言を躊躇わない彼女をして、言いよどむほどの事態に思いをはせ、ギ・ガーは眉を顰める。だが、そんなことが起きたならば、言いよどむことなどなく、何を置いても真っ先に目の前の信頼に足る副官が、速やかに報せて来るはずだった。
だからこそ、彼女の態度に、ギ・ガーは眉を顰めた。
「右翼軍についてです」
常には、真っ直ぐにギ・ガーの目を見て話すファルには、珍しく僅かに視線をそらす。
「彼らの戦力では、ガルルゥーエを抑え込むのは、やはり困難と思います。少しでも早い、主力の攻撃が肝要ではないかと……」
「ふむ……」
考え込むギ・ガーに、ファルは眉を顰める。
一度出した結論を、再度蒸し返す真似など、常の彼女ならば絶対にしない。それは自身の上官たるギ・ガー・ラークスへの信頼を揺るがせにする行為だからだ。
「……いえ、失言でした。どうかお許しを」
踵を返した彼女と入れ替わりに、ギ・ガーの元にやってきたのは、軍師ヴィランであった。苦痛に歪むファルを気にしながら、ギ・ガーに問いかける。
「いかがなさいました?」
「早期攻撃の可能性はあるか、とな」
敢えて、狼狽している彼女の言動には目をつむり、結論だけを口にするギ・ガー。
「彼女がですか? 理由は……右翼でしょうか?」
一瞬だけ考え込んだヴィランが、すぐさま正当を言い当てたことに、ギ・ガーは眉を顰める。
「なぜ、そこまで右翼を気にするのか、軍師殿はご存じか?」
「理性的に考えれば、やはり旧諸王家の所謂寄せ集めでは、戦力的に不安といったところでしょうか」
「……理性的に考えねば?」
「感情論ですが……彼女にすれば、戦姫の残した最後の軍ですから……やはり思い入れがあるのでは?」
「なるほど……」
重々しく頷いたギ・ガー・ラークスは、それ以上言葉を発することなく、戦場を見つめ続ける。決定を変えることないその姿勢に、ヴィランは内心だけで安堵の吐息を漏らした。
戦場は常に、動いている。
今ギ・グーの右腕を抑え込むために、寄せ集めの彼ら以上に戦力を割くのは、正面戦力を削ることになりかねない。それは悪手だった。
「まもなく、ですね」
「そうだな」
十万人以上が構成する巨獣同士の戦いだ。
大陸をまたにかけ、数多の国々を蹂躙してきた二匹の魔物。
虎獣に乗った片翼の怪鳥と破壊の暴風。
互いに握り合うのは、戦場に集った綺羅星の如き将星と数万の戦士と兵士の命。
ヴィランの感じてきた戦場の風の中でも、この戦場は飛び切りの熱を伴ってるように感じた。
ヴィランの口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
「感謝します」
横目で、言葉の真意を問うギ・ガーにヴィランは続けた。
「軍師冥利に尽きる」
幼き頃から戦場を駆け回り、敗北と勝利を重ねてきたのは、ただこの日のためにあったとさえ言っても過言ではない。それほどの高揚感に包まれ、ヴィランは、ギ・ガーとともに戦場を見つめた。
◇◆◇
岩石丘陵の高地──。
もとは火山噴火でもあったのか、細かくひび割れた無数の岩が大地を覆い、拳大から身の丈を超すだけの大岩が多数存在する。
またところによっては、石柱が立ち並び、隊列を組むのを妨げる。丘陵一帯を見下ろす丘から見下ろせば、眼下に大小の湖が存在した。小さなものでは、半径200メートルほど、大きなものになればそれこそ一キロ四方の湖が七つ。
初夏の頃に相応しく、岩石に覆われた大地の隙間から、曲がりくねった幹を大地に広げた灌木が群生し、桃色の花をつけていた。身の丈を超える樹木は存在せず、灌木程度では防御資材として使うことは困難。
岩石丘陵の地域に足を踏み入れたのは、グ・ビグ・ルゥーエ率いるガルルゥーエとメラン・ル・クード率いる黒き太陽の王国双方が、ほぼ同時。
事前に足の速い斥候と自らの足で偵察をして、地形を知っていたとはいえ、歴戦の二人の将は、最速をもってしても相手よりも速く岩石丘陵に主力を導けなかったことに歯噛みした。
彼らの見るところ、この地形の要点はただ一つ。
岩石丘陵の最も高い丘陵をどちらがとるか、という一点に集約する。
戦略的に、大軍が行動するには不適な場所であっても、通過自体ができないわけではない。主力が戦うアクティエム平原の北側を抑えることは、採用できる戦術の幅が格段に広がり、会戦を有利にすることができた。
ほぼ同数しか存在しない彼我の戦力差を考えれば、両軍にとって無視しえない場所であった。
そしてその地域全体を俯瞰できる場所をとることは、敵の動きを筒抜けにできる。ならば、取らない理由はなく、彼らはまず真っ先にそこの奪取に動いた。
ガルルゥーエからは、三百からなる大隊を先遣として、丘陵に向かわせた。速さを第一に、特にガルルゥーエの中でも足の速い大隊を選んだのは当然の帰結だった。
「ビグ・ラシャ、行け!」
とグー・ビグが命ずれば、大隊を率いる大隊長ビグ・ラシャは、不敵に笑って了承する。
「応!」
細かい指示など何もない。あとは己の権限の範囲内で、最大限の戦果を出すのが、ビグ・ラシャの役割である。もしそれが失敗したならば、己の首でその責任を償うだけのことだ。
相対するメランも同様に足の速い騎馬を向かわせたが、彼が徹底したのは、正面から戦わず、牽制にとどめさせたことだ。
「相手は、あのフェルドゥーク。逸る気持ちはあっても、決して結論を急ぎすぎないように」
命令を受領する騎馬兵達に親しげに声をかけると、隊長に苦笑される。
「ご心配なされるな。委細承知している」
その言葉に、メラン自身が苦笑を漏らし、最後によろしく頼むと締めくくった。
「我らの指揮官殿は、心配性だな」
丘陵を取りに向かった騎馬兵は、戦姫の頃から生き延びた魔導騎兵を中心に構成され、戦姫亡き後も、シュシュヌ教国に忠誠を誓う稀有な者達であった。魔導騎兵のほとんどは、ファルとともに、アルロデナに合流し、アランサインへとその所属を変えていたためだ。
メランから派遣された魔導騎兵を率いるのは、ウェル・ゼー。名無しと綽名された、四十がらみの男である。
東征における戦姫ブランシェ・リリノイエ配下の魔導騎兵にして、シュシュヌ教国敗戦の折に、家名も名も捨てた彼は、メランの心情が分かるが故に、敢えて豪胆に振る舞う。
「まさか、全員が生き残れるわけでもあるまいに」
指揮官の優しさに、くすぐったさを覚えながら、馬を駆けさせる。
野生の獣もかくやという速度で迫るガルルゥーエ先遣隊に対し、僅かに先んじたのは、シュシュヌ教国の魔導騎兵の面目躍如だった。
ほんの一時間程度の差であったが、ガルルゥーエ先遣隊に先んじた彼らは、周辺の偵察を短時間で切り上げると、古参兵らしい周到さで罠を仕掛ける。
「旗を」
丘陵の頂上に立てられた黒き太陽の王国の御旗と、並行して立てられたのは、三足駿馬。魔導騎兵を率いるウェル・ゼーは、丘陵の中腹、アルロデナが進軍してくる東側に150騎からなる兵を伏せると、50騎のみを率いて丘陵の上から、ガルルゥーエの先遣隊を待った。
「本当に、これで奴ら来ますかね?」
シュシュヌ教国の魔導騎兵の中でも世代交代が進み、中には新兵とも言うべき者も交じっている。
「さてな」
蓄えた髭をさすりながら、諸国連合軍の先遣隊を率いる名無しのウェル・ゼーは、笑った。
「余裕ですね、隊長」
「バカ言え、余裕なんかあるわけないだろう。相手はあのフェルドゥークだ」
だが彼の口元に浮かぶ笑みを見て、新兵は首をかしげる。ウェル・ゼーの言葉を、謙遜と受け取ったらしかった。
「戦場に余裕なんて存在しないんだよ。一歩間違えば死ぬ。それだけが真実で、その連続が戦場だ」
「それにしては、笑ってるじゃないですか」
不敵に口の端を吊り上げると、ウェル・ゼーは今度こそ破顔した。
「そりゃ、お前……だからこそ、だろうよ」
不思議なものを見るような新兵の視線が可笑しくて仕方ないらしく、名無しのウェル・ゼーは、しばらく笑い続けた。
◇◆◇
一方で、僅かにアルロデナに出遅れたガルルゥーエの先遣隊は、槍を担いで進軍してくる中で、丘陵にたなびく二流の旗を確認する。
「おお、あれを!」
目の良い一匹のゴブリンが、足を止めて指さす丘を見れば、かつて仰ぎ見るべた偉大なる旗と、まるで貴様らの居場所はないといわんばかりに、その横に忌々しくも堂々と立てられた敗残兵の旗。
「小癪な!」
明らかな挑発に、先遣隊を率いるビグ・ラシャは口の端を釣り上げた。
「駆け下りてきますな! 数は、約五十!」
額に手を当てて、丘陵から降りてくる騎馬兵を数え、嬉しそうに笑う目の良いゴブリンの姿に、周囲も釣られて笑みを浮かべる。
「──散会!」
ラシャの声に歓声すら上げて、恐ろしく迅速に陣形をくみ上げ、逆落としに下ってくる騎馬兵の到来を待ち受ける。ラシャは、一度鼻を鳴らすと、部下たちの気持ちを知りながら釘を刺す。
「良き敵、良き日だ。貴様ら逸るな!」
身の丈程の盾を構えると、敢えて隣との隙間を開けるように布陣する。思わず、その隙間を突けば突破できてしまうのではないかと、誘惑に誘われるほどの絶妙さで敷かれた陣形。
長槍はまだ構えない。
天上に向けたまま、一匹一匹が、息をひそめて騎馬兵の動きを注視する。僅か50騎、されど50騎である。ラシャを中心に、僅かにV字型を形成したその緩い陣形に誘い込み、包囲殲滅する。
当然中央を突破されてしまえば、彼らは悠々と背後に回り込まれ、手痛い反撃を食らうことは誰の脳裏にもある。だがそれを抑え込み、嬉々としてその陣形をとるのは、彼らの総意である。
──良き敵を、より良い戦場を!
恐れを抱くものは、既に死に絶えて久しい。一塊になって駆け下りてくる騎馬兵を、今や遅しと待ち受けるガルルゥーエの先遣隊。
「おぉ!?」
だがその予想を、あるいは当然ながら裏切って、リリノイエの魔導騎兵達は、その矛先を変える。V字型の楔の只中には、突進を試みるどころか、寄り付いてさえ来ない。
鼻先を湖水方面に向けて、待ち受けるガルルゥーエ先遣隊に尻を向け、駆け去っていく。
「ははははっ、振られ申したな!」
笑うゴブリンに苦笑を返し、ラシャは、目の良いゴブリンに尋ねる。
「やつら、馬上槍も持っていなかったな?」
「何よりも速度を優先したとあらば、納得できぬことはございませんがな」
その常識的な答えに、笑う。
「だが、あるいは?」
「それこそ、あるいは……」
彼らの脳裏に浮かぶのは、ゴブリンの王ですら苦汁を嘗めさせらた草原の覇者の姿。外套にすっぽりと身を包み、その装いは不明だが、彼らもまた幾多の戦場を超えてきた古参兵達だった。
「愉しくなってきたな! だれか、あの丘陵に登って奴らの旗をへし折ってくる者はいるか?」
「明らかな罠ですが?」
ふん、と鼻を鳴らしてガルルゥーエのビグ・ラシャは笑う。
「だからこそだろう。奴らの手の内を暴き、その策の腸ごと捩じ切ってやらねば、戦場の礼に悖る」
「くははは、まことに!」
瞬く間に三十匹もの、ゴブリンが名乗りを上げる。
「どれ、それでは、手並みを拝見しようではないか」
猛る獣の笑みでガルルゥーエの先遣隊のラシャは戦場へ向かった。
◇◆◇
短くも激しい攻防が丘陵の中腹部で起きる。
駆け上ろうとするガルルゥーエ先遣隊と、それを妨害する魔導騎兵。
三十匹の魔物の群れは、実によく統率されていた。まるで一個の生き物のように、周囲に目を配り、決して一定以上に近づかない魔導騎兵からの攻撃を、自慢の大盾を構えて防ぎきる。
時折、隠し持った投槍や投石によって、反撃し、足を止めずに丘陵を駆け上っていく。
一方50騎の魔導騎兵の方も、錬磨を重ねて来たのは同じだ。
ウェル・ゼーの指揮下、一糸乱れぬ騎行は、反撃してくるゴブリン達の投石、投槍を容易に避ける。遠距離から狙うのは、弓矢による一撃離脱。
指揮官たるメランの企図を反映して極力被害を減らす戦い方をする彼らに、ガルルゥーエのゴブリン達は追いすがる暇もない。
戦況が動いたのは、ガルルゥーエのゴブリン達が中腹から山頂へ至ろうとした時だった。今まで遠距離からの攻撃に終始していた魔導騎兵達が、突如として遠距離攻撃を止め、曲刀を抜いて切り込んできたのだ。
ちょうど、ビグ・ラシャ率いる先遣隊からは死角になる位置で仕掛けたその攻撃は、今まで丘陵を上ることに力を向けていたゴブリン達の不意を突いた。
遠間からの攻撃に慣れていたゴブリン達が盾の裏に身を隠し、視覚がふさがる瞬間、ウェル・ゼーを先頭に一気にその距離を詰めて切りかかったのだ。
「いかん!」
気づいた時には、遅かった。
既に長槍を構えて、穂先を揃える暇もない。
叫んだゴブリンの首が飛ぶ。
突撃してきたウェル・ゼー率いる魔導騎兵の馬体に跳ね飛ばされる。遠距離からの攻撃を避けるために、各人間隔を開いていたのも、悪かった。
一度の突撃で、一気に陣形を崩される。騎馬突撃の手本ともいうべき、見事な突撃だった。
「下がれ、下がれ!」
誰がとでもなく、ゴブリン達は、陣形を再編するべく集まりつつ、丘陵から撤退しようとするが、それを許さないのが、魔導騎兵の遠距離攻撃だった。
集まったゴブリン達の頭上に降り注ぐ矢の数々は、ゴブリン達の腕と言わず足と言わず、わずかな隙間から彼らに突き刺さり、その機動力を奪う。
ある一定以上には、決して近づかない彼らの執拗さに、ゴブリン側が根負けした。
「本体に合流! 散!」
ゴブリンが叫ぶのと同時に、亀の甲羅のように固く守っていたゴブリン達が一斉に四周に散らばり、丘陵を駆け下りていく。
その声を合図に、単独魔導騎兵に突撃していく猛者もいたが、魔導騎兵達の猛射に、耐え切れず身体に数十本の矢を突き立てられ息絶えた。
そんな彼らの踏ん張りもあり、陣形を崩され撤退したにしては、決して被害は多くないままに、ガルルゥーエの先遣隊に合流した。




