継承者戦争≪魔獣王の進撃≫
ギ・ベー・スレイの一撃は、文字通り急所を抉る必殺の槍そのもの。貫く魔槍は、魔獣軍の足を止め、膠着状態を作り出す。だが、膠着を迎えた西都戦線を再び動かしたのも、双頭獣と斧の軍であった。
致死の傷を負ってさえ、闘争本能のままに戦い抜くからこそ、魔獣と彼らは呼ばれ、それを束ね従えるからこそ、ギ・ギー・オルドは、魔獣王と呼ばれるのだ。
息子の死から二日。
辺境軍とオークの軍勢に任せていた攻撃に、再びザイルドゥークが加わる。
「進め、者ども! 息子が一人死んだ程度で、この俺の歩みが止まろうはずがないことを、見せつけてやれ!」
気を吐くギ・ギー・オルドの言葉に、再び魔獣軍は、攻撃性を取り戻す。
グー・タフ・ドゥエンと破城槌と兜の軍の築いた難攻不落の長城は、辺境軍とオークのみでは、やはり落とすのは困難であった。
グー・タフはザイルドゥークに動きがないのを見て取ると、即座に監視だけを残して、戦力を北側の二つの勢力への対処に充てた。
今まで押されっぱなしであった防衛側は、そこで初めて息を吐く形になる。
対して、苦しくなったのは辺境軍とオークの軍勢だった。
今までですら、攻め上がるのに苦労した長城攻略だったが、そこに魔獣軍の相手をしていた守備兵が加わり、厚みを増した防御側は、いっそのこと攻略が不可能なのではないかと二日で錯覚させられた。
だが、辺境軍とオークの軍勢は、魔獣軍に対し文句の一つも言うことはなかった。
自慢の息子を失ったギ・ギー・オルドの心情を思えば、長年関係悪化が懸念されたオークの王ブイですら、喉元まで出かかった非難の言葉を飲み込まざるを得ない。
そしてそれを、わからぬギ・ギー・オルドではない。
使者として各陣営地にザイルドゥークの動かない理由を説明して回ったギ・ジー・アルシルから、対応に出た辺境将軍シュメアと、オークの王ブイの対応を聞いたギ・ギーは、泣き明かし腫れた目元で、全軍に檄を飛ばす。
獣士として、後を継がせるならラギー・シャロしかいないと見込んだ息子の死は、ギ・ギーを打ちのめしたが、哀惜と悲嘆の果てにギ・ギーの心に宿ったのは、憤怒と呼ぶべき怒りの炎だった。
「──やってくれたな、やってくれたな! ギ・ベー・スレイ!」
口から気炎を吐くが如き、ギ・ギーの憤怒は、すなわち魔獣達の怒りである。
「王の近衛如きが、四将軍に勝てると思っているのなら、死を以って理解させてやるぞ! 小僧が!」
睨み付ける視線の先には、聳え立つ長城。
だがそれは、先日までの難攻不落の城ではない。超えるべき壁、踏破すべき道程に他ならない。
「進め! 我らは魔獣軍! どのような戦場、どのような相手だろうと、魔獣軍に退却の文字はない!」
かつてゴブリンの王と勇者が雌雄を決したアレンシア平原の戦いですら、神代の軍勢と見間違う人間勢力と、一歩も引かぬ戦いを繰り広げた魔獣軍。
ギ・ギーの怒りは、その覚醒を促した。
天に轟く咆哮は、万雷となって地を埋め尽くす。
可愛い魔獣達の被害も、将来のオルド領の経済も、隣接するオークとの戦力比も、何もかも今のギ・ギー・オルドの中にはない。
「進め!」
魔獣王の檄に、配下達は咆哮で応える。言葉すらも通じない魔獣達が、声も届くはずのないギ・ギーの檄に、その全身をもって吠え猛る。それは最初ギ・ギーを中心に、そして徐々に魔獣軍全体を、覆う熱気となって大気を震わせる。
喉も張り裂けよ、とばかりに魔獣軍全軍が吠えた。
大も小も、老いも若きも、雄も雌も、肉食も草食も、その全てが一切の区別をなくし、吼えていた。
その後に来るのは、狂ったような突進だった。
いや、事実彼らは狂っていた。
狂奔せし魔獣王の進撃。かつて、南方一帯に魔獣の大移動を引き起こした彼らの進撃は、地を埋め、森を薙ぎ払い、地に生きる者の生態系すら変える。
それがどうして、立ち塞がる壁程度、越えられずに居ようか。
一気に激化する南の戦線。
城壁の上に登り、直にその殺気を浴びたグー・タフは、だがそれに竦むどころか口元に猛々しい笑みを浮かべる。
「これでこそ、ギ・ギー・オルド! これでこそ、魔獣軍! 我らの敬愛する四将軍よ!」
並みの兵士なら竦み上がるであろう万を超える魔獣達の怒りの声に、自ら槍を振って、魔獣を討ち取りながらも、グー・タフは獰猛に笑う。
「愉しくなってきたぞ! これが戦場、我らが求めた、戦場だ!」
串刺しにした棘犬の返り血を浴びながらも、更にグー・タフは声を張り上げる。
「喜べ、貴様ら! 本気のザイルドゥークと戦える機会は、今この時を置いて無い! もし、この先、生き延びてもこれ一度きりだ! 存分に戦え! 存分に殺せ!! 存分に死んでいけ!! はははっ!」
グー・タフのぎらつく視線の先に、地を踏み鳴らす長牙象の姿。その背に乗った櫓の高さを見て、瞬時に彼はその兵器の意味を見切った。
──長城の壁を乗り越える梯子を装備した攻城櫓。
各所で狂った突進を繰り返す魔獣軍。呼吸を合わせて攻め寄せるオークと辺境軍。
湧き上がる北での喚声に、瞬時に戦況を看破したグー・タフ・ドゥエンが、長牙象の背に乗せた攻城櫓の危険性を弾き出す。
魔獣軍の攻勢が止んだために、移動していた戦力を呼び戻す時間。
そしてそれをさせないためのオークと辺境軍の攻勢の激化。
──動かした戦力を戻す間を与えずに、力攻めの強攻策。激情のままに動いたと見えて、打つ手があまりに合理的な攻め口に、グー・タフ・ドゥエンは震える。
戦況を傾ける重しに違いないそれが、実に二十塔は見て取れる。まるで城壁が動いて迫ってくるような圧迫を感じる攻城櫓の列に、だがグー・タフ・ドゥエンは震えを隠さぬまま歓喜に笑う。
ギ・ギー・オルドの戦場の嗅覚は、未だ健在。
それが震えるほどにグー・タフには嬉しい。
聳え立つ二十の攻城櫓の列が城壁に取り付いたとして、それを防ぎえるか。その答えを瞬時に計算するが、いかなる幸運が重なろうと、否という答えしか出てこない。
「──はははっ! 木製の櫓か。木は燃えるぞ。ギ・ギー・オルド殿」
好戦的な笑みを顔に張り付けたまま、向ける視線は鋭く強い。
土煙を上げて突進してくる長牙象の合間に、百年亀の姿がちらりと見える。
圧倒的な攻城櫓の塔列の先に、百年亀の背に乗ったギ・ギー・オルド。
そして確かに、一瞬視線が交差する。
ビリリと、グー・タフ・ドゥエンの背中に電流が走った。
口を真一文字に引き結び、仁王立ちに腕を組んだ姿は堂々たる雄姿。腰に下げたる戦斧は二対。最愛の息子を失って尚、失われぬ闘志を滾らせ、気炎を己の内に収めた姿は、神々しさすら感じた。
戦う者としてこれ以上の姿はない。美しいとすら感じて、グー・タフ・ドゥエンは声を上げた。
「攻城櫓だ! 取り付かせるなよ! ガシャラの火だ!」
その美しき戦人の姿を、殺してこそ、斧と剣の軍。
それでこそ、戦の申し子たる破城槌と兜の軍。
城壁の上で後続に声をかければ、すぐさま用意されるのは、投石機。ただし通常のものと違い、その仕掛けに乗っているのは、炎が燃え盛る巨大な玉だった。
「放て!」
城壁の上からの合図に従って、投擲される炎弾。
──狙うは、ギ・ギー・オルドの攻め寄せる魔獣軍中央。
放物線を描いて空中に放り投げられたソレは、あろうことか未だ地面に落達しないままに、爆発炎上した。
それは魔獣軍の正面だけではない。魔獣軍の攻勢に引きずられて、攻勢を強めたオーク及び辺境軍の正面でも爆発炎上したのだ。
空中で爆発した炎弾は、その身を小さな破片に変えて攻め寄せる軍勢の頭上に降り注ぐ。
上がる悲鳴と、その損耗の大きさに、思わずオークの王ブイは唸った。
「おのれ、まだこんな隠し玉を!」
「ははははっ! どうだ、我がガシャラの火の威力はっ!」
猛り狂った魔獣達の咆哮さえも、一瞬静まった。
爆炎吹き荒ぶ様子を見て、城壁の上に上ったグー・タフは、会心の笑みを浮かべる。眼前に広がる爆炎は、空を駆ける者達の高さには及ばぬものの、確かに戦場の空を燃やし、彼の視界を埋め尽くす。
それほどまでの一斉投射。
城壁に取り付かれ、休む間もない攻城戦を続けてなお、グー・タフのバードゥエンは、それをやってのける。
◇◆◇
「──グルゥゥオオオアアァ!!」
それゆえに、あがった咆哮はその戦場に轟いた。
燃える空の下を、一切の勢いを弱めることなく、ギ・ギー・オルドの魔獣軍は突き進む。見ればギ・ギー・オルドは、無数の傷を負い肩と言わず胸と言わず足と言わず、満身創痍の傷を負っている。
だがそれでも、ギ・ギーは姿勢を変えることすらせずに、百年亀の甲羅の上に、立っている。
彼の周りの魔獣達は、狂気に身を委ねていた。怪我を負って動けなくなった魔獣、死んだ魔獣を踏み潰して、なお一切の躊躇が見られない。ただ、ギ・ギー・オルドの行く先の邪魔な障害物を踏み潰して行くのみ。
鼓膜が破れ、耳からは血を流し、口からは涎を垂れ流す。
静まった狂声は、一層の激しさを得て、南の戦場を満たした。
「退かぬ……どころか、さらに攻撃を激しくするか!」
燃え上がる攻城櫓がそのままの勢いで、長城の城壁へ衝突する。炎弾による攻撃を受けて、半ばは崩壊したが、それでも十塔を取り付かせることに成功させた。
ただしそれも、炎に巻かれ、濛々たる黒煙を上げ、いつ崩落してもおかしくない状態となりながらではある。
その炎上する攻城櫓を、魔獣達が駆け上る。
足の速い魔獣を一気に、城壁の上へ押し上げることに成功したギ・ギー・オルドは、なおも攻撃の手を緩めない。
攻城櫓の陰に隠れて被害を免れた大型の魔獣──牙大象らに、城壁を叩き壊させるべく、被害を省みずに攻撃をさせる。
炎に巻かれながら牙を向く針狐、黒煙を突っ切って棘狼らの小型の魔獣の猛攻を合わさって、城壁の上の通路では、徐々に魔獣軍の攻勢が有利になって行く。
何せ数が多く、やられてもやられても、次から次へと無限に沸いてくるが如き魔獣の群れは、一切の躊躇なくバードゥエンを追い詰めて行く。
如何に歴戦の勇士といえども、無傷ではいられず、傷を負えば必然的に血を流す。血を流せば当然ながら体力を消耗し、また傷を負う。
手当てをしている暇など、当然ながら与えられない。
一人、また一人と倒れて行くバードゥエンの戦士を横目に、グー・タフ・ドゥエンは、指揮を取り続ける。
──このままでは、負ける。
当然の帰結を脳裏に描きながらも、張り上げる声は戦士を叱咤激励するためのもの。
そのグー・タフ・ドゥエンとしても、これ以上魔獣軍を押しとどめて置けるだけの、戦力は残っていなかった。長大な長城に三つの軍を迎え撃って、はや六日。
戦士の数は日ごとに減り続け、未だ落城すらしていないのは、驚異的とすら言える。
だがそれも、限界。
いかに奮戦しようとも、押し寄せる大波の如き魔獣の大群に、バードゥエンが飲み込まれるのを覚悟した時、城壁の上を駆け抜ける一軍の騎馬兵の姿が目に入った。
魔獣を馬蹄にかけながら、疾駆する騎馬隊の鎧は漆黒に染めあげられたもの。先頭を駆ける騎馬兵の手にした槍は、必殺の蛇咬槍。
寄せ来る魔獣を貫き、城壁の下へ叩き落し、立ち塞がる者を一切の容赦なく叩き潰しながら、波間を割るように、グー・タフ・ドゥエンの元まで駆け寄る。
「無事か?」
足元に棘狼を踏みつけ、腕に噛み付いた針狐をそのままに、向かってきた魔獣を槍で貫きながら、グー・タフは笑った。
「まだまだ、これかよ」
全身は魔獣の返り血と己の出血に濡れ、壮絶な有様となりながら、口角を吊り上げる。
「……と言いたい所だが、さすがに厳しくなってきたな」
ぐるりと辺りを見渡せばすでに、城壁の上で生きて戦っている者の方が少数ではある。津波に襲われて孤島のごとく、残っているに過ぎない状況に、グー・タフは苦笑せざるを得ない。
これが四将軍の、ザイルドゥークを率いるギ・ギー・オルドの本気なのだ。
その怒りは、魔獣の怒り。全てを飲み込み、地形すら変える魔獣王の進撃に他ならない。
「ギ・ベー・スレイ、ここはもう良い」
そう言うグー・タフ・ドゥエンの言葉に、片腕のギ・ベーは無言の内に周囲を睨む。
「貴様の本懐を果たしに行け」
頷くギ・ベーは、押し寄せる魔獣を貫きながら問い返す。
「貴様は、どうする?」
「はっ、愚問だな。本懐を遂げるのよ。フェルドゥークの……いいや、我がバードゥエンのな。時を稼いでやろう。なぁに、ほんのついでだ」
握り締めた槍に力を込め、貫いた魔獣を投げ飛ばすと、ギ・ベーは頷いた。
「一時保たせる。体勢を立て直せ」
「余計なっ──」
振り被った蛇咬槍の槍先が、グー・タフ・ドゥエンの顔の横を寸毫の狂いもなく通り過ぎる。
「──勘違いするな。ついでだ」
その矛先には、迫り来る魔獣が貫かれていた。
「なに?」
疑問符を浮かべるグー・タフ。
「昔からな……俺は、魔獣というものは、狩る為にいるのだと思っている」
酷薄に笑うギ・ベー・スレイ。
「……それにどうも、俺はギ・ギー・オルドという男が、あまり好きではないのだ」
「……くっ、くはははははっ!! そうか、ならば仕方ない。一刻、いや半刻頼むぞ!」
一瞬ギ・ベーの返答に呆然とした後、思わず噴出したグー・タフは、そう言って、破城槌と兜の軍の紋章旗を、手に取ると、城壁から降りて、一度も振り返らず後退していく。
後退だ、と叫びながら下がるグー・タフの姿を認め、城壁の上で孤島のように踏ん張っていた戦士達も、徐々に後退して行く。
それを確認すると、鋭い視線のままギ・ベー・スレイは後続の百二十騎を振り返る。
「蹴散らすぞ」
近衛隊長の言葉に、無言のうちに気炎を上げた王の騎馬兵達は、蛇咬槍の指し示す方向に、騎馬を向ける。
未だ魔獣の洪水の中に孤立するバードゥエンの戦士を縫うように、蛇行を繰り返し、大波に等しい魔獣の軍勢を断ち割る。
「おのれ、大型の魔獣がいれば……」
いち早く城壁に取り付いた獣士が悔しげに呟くが、それを差し引いたとしても、その騎行は凄まじい連度のなせる業だった。
「はやく、城門を──ぬぁ!?」
城壁に上った獣士の眼前に飛び込むのは、炎弾と投石器による援護射撃だった。未だ城壁を崩せないまま、城壁から後退したバードゥエンの援護射撃が、城壁の前に降り注ぐ。
怒りに狂う魔獣は、その怒りのままに城壁を打ち壊そうと愚直に進むが、堅固な城壁はなかなか壊れることがない。その隙に、バードゥエンは、ギ・ベー・スレイの援護のもと、城壁を放棄し、残る陣地へと後退を完了してしまう。
結局、ギ・ベー・スレイの騎馬隊に、アルロデナ側は二刻の時間を稼がれてしまった。
◇◆◇
城壁を完全に制圧し、ギ・ベー・スレイの騎馬隊を完全に追い払うことができたのは、バードゥエンが完全に撤収し、日没を迎えた後になった。
「なかなか……勝ち切れない。しかし……」
オークの王ブイは、占領した城壁から闇に沈むバードゥエンの後方陣地を眺めた。所々大型魔獣の猛威を奮って大穴の開いた長城の城壁は、すでに防御施設としては使い物にならない。
しかし、それでもこの長城を攻略するのに七日も掛かってしまっている。
バードゥエンの命運は、風前の灯といったところだった。数を減じたとはいえ、オークの全軍は負傷者を除外して一万二千ほどになる。
「ここらで、一度降伏勧告でもしておくかい?」
辺境将軍シュメアの言葉に、オークの王ブイは自然と視線を並ぶ魔獣王ギ・ギー・オルドに向けた。
「……」
腕を組んで仁王立ちし、唸り声を上げるギ・ギー・オルド。
「……まぁ、無理か」
肩を竦めるシュメア。ため息を吐いたオークの王ブイ。
「うちは、負傷者を除いて一万五千ほどだよ」
横目で呆れたように言うシュメアは、視線をギ・ギーから暗闇に沈む後方陣地に向けた。
「人死には、少ないほうが良いんだけどねぇ……」
「今更、奴等とて、降伏などせん」
充血した視線の先に、敵陣を見据え、低くギ・ギー・オルドは唸った。
「……だろうね」
「ああ」
シュメア、続いてオークの王ブイは、同意を示す。
「それじゃ、予定通りに?」
「ああ、明日の朝総攻撃だ。抵抗するものは、一切の容赦なく叩き潰す!」
ギ・ギー・オルドの断固たる決意の声とともに、残る二人の将は頷いた。




