継承者戦争≪槍撃一閃≫
西都戦線、長城の戦い。
四日目にして連合軍は、その攻撃箇所を分散した。一か所に攻撃を集中させることが戦理にかなうことは、もちろん知っていたが、敵の兵力分散もまた戦理に叶うことでもあったからだ。
北側からオーク、辺境軍、双頭獣と斧の軍と横並びに布陣した各陣営は、攻めかかるタイミングを合わせて一斉に長城へと攻撃を仕掛けた。
先に行われた激しい戦闘において、長城前の罠の類はそのほとんどが用をなさなくなっていた。経験と実績に裏打ちされた防御施設の様々をなぎ倒し、猛威を振るったのは流石にオークの精鋭達と、東征を成し遂げたザイルドゥークの実力であっただろう。
それでも一兵たりとも長城に侵入を許さないのは、守るグー・タフ・ドゥエンと破城鎚と兜の軍の実力だった。
敵が伝説ならば、こちらもまた同じく伝説の軍勢である。
ゴブリン達が相討つその戦場は、ゴブリンと言う種族から見れば悲劇としか映らなかったが、実際に戦っている彼らからすれば、それはまた別の見解を示していたであろう。
「やっと引いたか……」
二日目の戦を終えて、敵が夕暮れと共に引いていくのを確認したグー・タフ・ドゥエンは、口元に獰猛な笑みを張り付かせながら、去り往く敵軍を見つめていた。
彼が細心の注意と丹精込めて作り上げた長城の防御施設は、ギ・ギー・オルドの魔獣軍と、オークの精鋭によって使い物にならなくなっていた。
「……しかも、随分と手際の良いことだ」
グー・タフ・ドゥエンの視線の先には、使い物にならなくされた防御施設の数々が無残な姿をさらしている。物量によるごり押し、と思われがちなギ・ギー・オルドとオークの攻勢だったが、無論それだけではない。
その攻撃力の高さは、力攻めだけでなくその裏できっちりと明日、明後日の戦を見据える先見性に裏打ちされた計算高いものだった。狂気渦巻く戦場で、熱狂の中に冷徹な計算を忍ばせる手腕は、ギ・ギー・オルドやオークの王ブイが、一線級の指揮官であることの証左であった。
三軍が三軍とも攻める場所を変えた。
そしてその距離は、当然ながら長城の内側で守るグー・タフ・ドゥエンの配下達が、まとまって戦える距離を遥かに超えていた。
戦において少数で多数の攻勢を受け止めることが出来るのは、連携するための距離が、攻める側と守る側において全く違うからだ。特に籠城戦においては、その特性が顕著である。
いわゆる戦闘力の集中にかかる手間が、守る側が圧倒的に少ない。
それを利用して、西都の戦線を4日間維持してきたグー・タフ・ドゥエンと、その配下の鉄鎚と兜の軍。だが、四日目にして、その戦術を連合軍は変えて来た。
──三軍による分進攻撃。
それに、グー・タフの背中に冷や汗が流れる。
そもそも、この長城自体が長すぎるのだ。四千で守れる範囲をはるかに超えている。そして、過大な距離を防御の戦線として与えられたのなら、どこかで無理が来るのもまた当然の帰結だった。
順調に追い返した三日目までと違い、四日目の戦闘は明らかにバードゥエンの将兵に過大な負担をかけていた。蓄積する疲労は、徐々に将兵の足から速さを奪い、反撃に精彩を欠く。
三軍からの波状攻撃は、確実に長城を守るバードゥエンの力を削っていった。
「未だ四日目にして、これか」
方針の転換とは、そもそも難しい。
今まで積み重ねられた犠牲が、その判断を鈍らせるのためだ。
だがそれを軽快とも言える速さでしてのける強さが、連合軍にはある。
グー・タフ・ドゥエンは、自身の率いるバードゥエンの残り命数を密かに数えた。
「耐えて、後三日か」
思わず口に出たその日数の少なさに、口元に獰猛な笑みが刻まれる。
己の命数と麾下の将兵の命を使い切って7日間の足止め。それが妥当な数字だと言う自分自身の考えを、敢えて否定する。
充分とは言えない。
未だ聞こえるアルロデナ正規軍の足音は遠く、フェルドゥークとの開戦にまで時間がある。かといって、フェルドゥーク本体をこの戦線に投入すれば、背後をアルロデナ正規軍に突かれることになる。
なにせ、西都の防壁は、守る辺境軍と相まって非常に堅固だった。
「だが、さてどうやって撃退するか……」
眼下に見下ろす圧倒的な大軍の数の前に、思案に耽るグー・タフ・ドゥエン。
「将軍──!」
その耳に、部下の歓喜の声が聞こえたことは、思考を中断させるに充分だった。
「貴様、なぜここにいる?」
グー・タフが急いで鐘楼から降りたにしては、出迎えた相手に対して、言葉遣いは横柄とすら言えるもの。
「……」
無言でその槍先を長城に向けたゴブリンに、グー・タフは自然に口元が吊り上がった。
「……なるほど、どうやら大兄に心配されたらしいな」
「策は?」
間髪入れずに問いかけるその口数の少なさは、ゴブリンの王死して後のことだ。以前はもっと純朴に良くしゃべる男だったのを思い出し、グー・タフは鼻を鳴らした。
「急くな、だが、ある。確かに貴様にしかできない策がある!」
二股に捻じれた槍先が交差し、傷口を抉り、敵に死をもたらす必殺の蛇咬槍を引っ提げ、西の戦場に、ギ・ベー・スレイ率いる疵物達が参戦した。
◆◇◆
三軍による分進攻撃の成果を、ギ・ギー・オルドはかなりの手応えとともに感じていた。昨日までと比較して魔獣の食い込み方、敵の抵抗の激しさが明らかに違うのだ。
長城は幾重もの城壁からなるが、既に最も強固なはずの第一の城壁を突破し、第三の城壁にまでも、到達していた。有利な戦況、聞こえてくる報告も、味方が有利と言うもの以外は聞こえない。
「だが、しかし……グー・タフ・ドゥエンはこの程度で落ちる男だったか?」
かつて身内にいたからこそフェルドゥークの暴風を支えたグー・タフの強さを、ギ・ギーは認めていた。問題は、圧倒的戦力による順当な攻略、そんなものを許す男だったかということだ。
長城の南からギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍、中間をオーク達、そして最も北側をシュメア率いる辺境軍によって攻め立てる戦術は、明らかに敵の対応能力を超えたものだった。
主力は変わらず、ザイルドゥークとオークであろうとも、一軍を率いて攻撃しかける辺境軍を無視することはできないし、そこに戦力を振り分けねばならないことを突いて、敵の兵力の分散を図った分進攻撃は、一定の成果を収めていた。
「むぅ……」
顎をさすりながら、ギ・ギー・オルドは百年亀の背に揺られ、遠く戦況を見渡す。
「親父殿、親父殿!」
唸るギ・ギーに声をかけたのは、彼の息子たちだった。
最も色濃く獣士の才能を受け継いだ長男オルド・ラギー・シャロ。人間との商売に精を出す次男オルド・ギール。怖いもの知らずな五男オルド・ガング。
成人した子供だけでも一ダースを軽く超えるギ・ギーの息子たちの中にあって、今回特にと戦場に連れて来た息子達が一塊になってギ・ギーに抗議しに来ていた。
「もう少しで攻め切れそうじゃないか、なんで本腰を入れて攻めないんだよ!」
五男のガングの言葉に、ギ・ギーは視線だけを向ける。
「お前らも同じ考えか?」
五男ガングの問いに応えず、長男と次男にそれぞれ問いかける。
「逆襲を警戒してるんでしょう?」
次男のギールは、当然のように言って、更に言葉を続ける。
「後方の警戒を、お任せください」
次男の言葉を受けて、視線を更に長男ラギーに移す。成人した息子達の中で、唯一領地を任されたことから、ラギー・シャロを名乗る長男は、眉を顰めただけでギ・ギーの視線を受け止める。
「ラギー、お前の意見は?」
「今日はこのぐらいで退くべきだと思う」
「臆病風に吹かれたのか!?」
五男ガングの怒声に、怯えた様子も見せず、ラギー・シャロは口を開く。
「上手く行きすぎだ。こういう時は、警戒するに越したことはない」
「……ふむ」
ギ・ギーはそれぞれの意見を聞いて、再び戦場を睨む。
ギ・ギーの中の不安を言い当てたのは、長男のラギー・シャロだ。流石に領地を治めるだけの器量を認めただけのことはあるが、それだけに物足りなさをギ・ギーは覚える。
逆に如才ないのは、次男のギール。
攻めは継続しつつ、危険にも対処するべきとの言葉は、人間との取引をしている次男ならではの意見だった。敵の策諸共食い破るべし、と言うのが怖いもの知らずのガングだ。
それぞれが違う意見を言いつつも、結論としてこのままでは、中途半端だという点は一致している。城壁を超える戦になれば、魔獣達は壁に取り付き、乱戦にならざるを得ない。
中天のロドゥの胴体は未だに高い位置にある。
これから退くのでは、オーク達に臆病と罵られる恐れもある。
攻めは継続せねばならないだろうとギ・ギーは考える。
「ラギー、お前の軍は後方待機。予備軍として備えろ。ギール、側方を警戒だ。配下の奴らを使ってやれ、ガング!」
「お、おう!」
「吐いた唾は飲み込めんぞ! 先陣を任せる。見事城壁を落とし切って見せろ!」
「よっしゃぁ! そう来なくちゃ!」
雄たけびを上げて走り去るガングの背を見送ったギ・ギーは、他の息子達にも声をかける。
「さあ、行け!」
「はっ!」
次男のギールは駆け去るが、長男のラギー・シャロは尚も、懸念を口にする。
「全軍が広がり過ぎる。不意を突いてくれと言ってるようなものだ。親父殿、なぜこんな……」
「ラギー、もしこの戦で俺が不覚を取るようなことがあれば、お前が俺のオルド領を継げ」
驚きに目を見開くラギー・シャロ。
期待をかけられている、とは思っていたが後継者としての話題などギ・ギーから出たことはない。まだまだ現役で、オルド領に君臨するとばかり思っていた父からの突然の話題に、ラギー・シャロは動揺を隠せない。
「時の女神は残酷だ。オークの弱王と侮っていたが、今や強大な指導者となって存在している。だからこそ、我らがオルド領も、発展せねばならん。奴らオークに負けるわけにはいかんからな」
「それなら、人間の取引に向いたギールが適任なのでは?」
「馬鹿め、奴が取引している魔獣を、誰が手懐けているのだ。良いか、結束さえ緩めなければ、我らオルドのゴブリンが、オークなんぞに後れをとるものではない。弟達を使いこなしてやれ。それがお前の役割だ」
「……分かった親父殿。だが、こんなところで親父殿に不覚を取ってもらっては困る。譲り渡すなら、万全なオルド領をもらいたい」
一瞬きょとんとしたギ・ギーは、ラギー・シャロの言葉を理解すると、戦場にもかかわらず爆笑した。
「がははは! 確かに、確かにそのとおりよ。お前も言うようになったな!」
上機嫌に笑うと、そのまま命令を繰り返す。
「ならばこそ、ラギー。お前には後方で不測の事態に備えよ」
「分かった」
そう言って、長男も駆け去る。
愛おし気にその背中を見送って、ギ・ギーは全軍に、ガングを先頭として攻勢を強めるよう声を張り上げた。
「良い息子どもではないか」
「なぁに、まだまだ、ひよっこどもだ」
今まで気配を消していたギ・ジー・アルシルの言葉に、ギ・ギー・オルドは笑う。
「では、俺も警戒に出るか……お前の息子のギールを守ってやろう」
「いや、頼めるなら南方に警戒の目を出してもらいたい。暗黒の森から増援の可能性もあるしな……」
「ギ・グー殿に同調する者はそれほど多くあるまい?」
「万が一、と言うことがある。この戦況は、数の上程楽観できるものではないと思うのだ」
彼らが見る戦場の景色は、決して前だけではない。
西方大森林の中に存在するフェルドゥーク領の存在は、沈黙しているからこそ不気味に彼らの背後を脅かす。フェルドゥークの補給線を断ち切りに、森へと向かったファンズエルの動向が不明なことも、ギ・ギーが攻勢に踏み切れない一因でもあった。
息子のギールを西側の警戒に、単独と言えど熟練の偵察斥候たるギ・ジー・アルシルを南に斥候として目を出し、フェルドゥークは、再攻勢をかけるべく態勢を整えた。
◆◇◆
軽快に進む速度は、緩やかに風を切る。
戦に倒れ、老齢により倒れた己の愛騎を乗り換える事数度、彼らは傷だらけの鎧をつけて、馬上にある。本来細かい作業が苦手なゴブリン達が、祈るように一つ一つ丁寧に補修をした痕は、不格好ですらあるが、それだけに歴戦の風格を備える。
彼らの仕えるべき主が亡き後は、己の技量を高めることだけに注力し、使い続けて来た鎧に槍。彼らの多くは片手しかないが、だからといってそれにより、卑屈になる者などいない。
戦傷により失ったそれを、補って余りある誇りを胸に、彼らは戦場を駆け続けた。
偉大なる背を追って──。
振い続けた槍の重さに鍛えられ、槍を持つ腕は太く盛り上がり、義手として付けた片方の腕に巻き付ける手綱を握らせる。義足として与えられた新たな足を鐙に固定し、痛みを感じるほどに踏みしめられることを確認して、満足を得る。
接合部分はどうしても、失った肉体と義足との差に軋みを上げるが、それすら最早慣れたものだった。
遠くに眺める砂煙の高さに、敵軍の数を知る。
吠える魔獣の声に、偉大なる魔獣王ギ・ギー・オルドの大きさを知る。
王を失ってからの年月が、一瞬のうちに去来し、そして去っていく。
彼らのうち半ばは、霊廟を守るために、遥か東にその居を求めた。そしてもう半数は、未だ忘れ得ぬ黒き炎を追い求め、今再び戦場を踏むのだ。
先頭を駆ける親衛隊長が、大きく槍を掲げる。
駆ける草原に、蠢く影。
騎馬兵達は、視線を親衛隊長の槍先に、そして気配だけで斥候の位置を把握する。
風切り、振られる、親衛隊長の槍先。
最も外側を駆けていた騎馬兵達が、バラバラと離脱し、一騎一殺で斥候を貫き、再び合流してくる。まるで草地を這う蛇の如くに、進路を変える度、無言の内に駆け、沈黙のうちに殺して再び合流する。
そうしてようやく、遠目にも見える大軍勢。
東征を成し遂げた、主力の一つ双頭獣と斧の軍の威容を確認し、親衛隊長が蛇咬槍を掲げると、後ろの一騎が、大紋章旗を掲げる。
その旗を仰ぎ見た時、騎馬兵達の胸にこみ上げたのは、燃えるような鬼気だった。
眦は裂け、食い縛った口元からは、歯軋りの音が風に消えていく。
気炎は身体の内に、技はあくまでも鋭く、速く。
そうして鍛えられた彼らをして、目の前の魔獣はもはや敵ではなく狩りの獲物でしかない。
大地を蹴る馬蹄の轟が徐々に大きく、速度を上げていく。
人馬一体となったその速度に、大紋章旗のはためく音だけが大きく、鳴り響いた。
「狙いは主将の首だ、狩れ!」
親衛隊長ギ・ベー・スレイの声に、王の騎馬兵の生き残り百二十騎は、最高速度を以って、戦場に突撃を開始した。
◆◇◆
「ギ・ギー! 敵襲だっ!!」
悲鳴と共に駆け込んできたギ・ジー・アルシルの言葉に、ギ・ギーは驚き思わず戦況から目を離す。
「なにっ!?」
次いで沸いた疑問に怒声を上げる。
「どっちだ! 西か、南か!?」
「北だ!! 敵は騎馬隊百前後!」
指さすギ・ジー・アルシルの先に、ギ・ギーは唸り声を上げた。
「むぅっ! あれはっ……」
頭を殴られたかのような衝撃と共に、ギ・ギーの視界に飛び込んできたのは、一陣の風となって駆ける騎馬兵達だった。
掲げる紋章旗は、アルロデナを示す黒き太陽の大紋章旗。王の随伴のみに許されたそれを使うことが出来るのは、この大陸では唯一彼らしかいない。
「ギ・ベー・スレイ……あの不忠者めっ!!」
血を吐く様なギ・ギーの怒声が漏れる。
戦況は、佳境に入りつつあった。
恐れ知らずのガングが先頭に立った攻勢により、勢いを取り戻したザイルドゥークは、城壁に取り付き、乱戦状態となっている。このまま数を頼みに押し切りたいザイルドゥークだったが、だからこそほとんどの部隊は、城壁へと向けていた。
その柔らかい横腹を食い破る、刃の一閃の如き王の騎馬隊の突撃は、掲げる紋章旗と相まって、大いにザイルドゥークの動揺を誘った。
ザイルドゥークの主力は魔獣であるために、主たる獣士達の動揺を敏感に感じ取ってしまう。勝っているときは、勢いに乗りやすく、負けて居る時は、敗走に陥りやすいザイルドゥークの欠点が、此処に出てしまっていた。
東征を生き延びた者ならば、誰もが仰ぎ見た王の近衛の旗。
東征以後に生まれた者ならば、誰しもが語り聞かせられた伝説の大紋章旗。
それが敵となり自分自身に向かって来るとなれば、動揺するなと言う方が無理であった。
まるで熱したナイフでバターを割く様に、王の近衛が突入した場所から軍勢が溶けていく。勢いを全く落とさない王の近衛の先駆けは、蛇咬槍を手にした、ギ・ベー・スレイ。
在りし日のままに、背後に大紋章旗を守りながら突撃してくるギ・ベーの姿は、彼らの背後に王の姿を幻視させた。
「っ……あろうはずがないわ!! 動揺を抑えよ。敵は小勢ぞ!」
思わず百年亀の背から立ち上がって、怒声を上げたギ・ギーは、遠目に見えたその勢いに、攻勢の断念を決断する。
小勢での奇襲。
狙いは、当然自身の首だ。
誰しも勝つために戦をしている。この戦場で、これ以上価値のある首はないと、ギ・ギーは自身の首にかかった価値を正確に理解していた。
「っち、流石にそつがない!」
ギ・ギーが前方で聞こえる喚声に眼を向ければ、城壁の上に姿を現すグー・タフ・ドゥエン。そして今まで鳴りを潜めていたバードゥエンの兵士が、一気に城壁の上に姿を現す。
息子のガングも、負けじと競り合うが、踏んできた場数が違いすぎる。瞬く間に、城壁に取り付いた魔獣達を駆逐し、さらに追撃にまで兵を割く念の入れようだった。
──流石に歴戦の指揮官っ!
思わず唸るギ・ギーの称賛は、内心だけに留められた。
「勝負時を分かってやがる。しかも──!」
転じた視線の先に、一直線に魔獣軍を切り裂く王の近衛。
「ギ・ギー!」
「──わかっているとも!」
ギ・ジー・アルシルの声に、瞬時にしてギ・ギーは決断を下す。
「大亀達を左翼に! 防壁を作れ!」
後備に控えていた大型の魔獣を投入し、突き進んで来る騎馬兵に対しての盾とするとともに、次なる指示を下す。
「声の届く範囲のものどもよ! キズモノどもを狙え! 不忠者のギ・ベー・スレイの首を挙げろ!」
今まで正面に向いていた圧力が、一気に方向を変える。巨大な獣が首をもたげるように、その攻撃の方向を徐々に北側に向けたのだ。
しかし、それは同時に二つのことが発生することになる。
正面で攻めている息子のガングへの援護が消えたこと。
もう一つは、急な命令変更に伴う混乱である。
それがわからぬギ・ギーではない。分かっていてやったのだ。
息子のガングへの援護が消えれば、窮地に陥るのは火を見るよりも明らか。何より、歴戦のグー・タフ・ドゥエンとその配下のバードゥエンの戦士達が、それを見逃すはずがない。
そして、ギ・ギーの声の聞こえる範囲とはいえ、急な命令転換に、魔獣達の反応は速い。
だが、反応するのとそれを組織として運用するのは全くの別モノだった。
一致団結して敵に向かうべき魔獣達と獣士達は、誰がどこへ行くのかもわからず、とりあえずと言う形で迎撃の為に陣形を組み直そうとし、大混乱に陥り、動くに動けなくなってしまった。
だが、それを含めギ・ギーは分かっていてやったのだ。
迎撃の態勢が整えられないままに、柔らかい脇腹を食い破られるのか、あるいは混乱を引き起こしてでも迎撃の態勢を整えさせ、それに賭けるか。
「……思ったよりも、動きが悪いな。不甲斐ない!」
ギ・ギーは吐き捨てて、敵を睨む。
全軍を広く展開させたために、その隙間を縫われるようにして、騎馬隊は魔獣軍を易々と抜けて来る。ギ・ギーの予想した速度よりも、さらに早いその足に、ギ・ギーは戦慄を感じた。
「間に合わないな」
鋭い視線で敵を睨むギ・ジー・アルシルは愛用の短剣をその手に忍ばせる。
ギ・ギーは愛用の戦斧を肩に担ぐと、左右の獣士に、命令を下す。
「乱戦になるぞ! 奴らが足を止めた所を狙い撃て!」
魔獣軍本陣の混乱は、はっきりと目に見えた。それは敵味方問わず、だ。
「……逃げても良いのだぞ」
小さく呟いたギ・ギーの弱音に、ギ・ジーは笑った。
「この程度の危機、何度でも生き延びて来たのでな。生憎と親友を見捨てるほどの事態ではない」
「ふん、頼もしいこと事の上ない。だが、実は逃げてもらいたいのだ。もし、俺が倒れたら、何としても生き延びてラギーの奴を支えてやってくれないか」
鋭い視線を、敵からギ・ギーに向けたギ・ジーは、鼻を鳴らして頷いた。
「馬鹿なことを言うなよ。ギ・ギー・オルドがギ・ベー・スレイに負けるつもりだとでも?」
「無論、負けるつもりはないがな」
鷹揚に笑うギ・ギーを見て、本陣の混乱はほんの少しだけ収まった。
だがそれも一部のことだった。まるで小枝を振うように、縦横に振るった槍先に、魔獣と獣士の血を滴らせ、ギ・ベー・スレイは、面覆いの下で、笑った。
敵陣の混乱は、手に取るようにわかる。
乱れた紋章旗の群れが、如実に動揺をしているのを示している。
「衰えたり、魔獣軍のギ・ギー・オルド!」
鬼気を漲らせ振るう槍先には、必殺の業。
本陣までの道筋が、ギ・ベー・スレイには、はっきりと見えた。
「親父殿を救えっ──!!」
だが、その道を潰すように突進してきたのは、ギ・ギーの後継者ラギー・シャロ。
邪魔な魔獣は圧し潰しても構わないとばかりに、強引に割って入ったその判断は、彼が後備で警戒していたからこそのものだった。
舌打ちとともに、先ほどまで見えていた道が消えたことをギ・ベー・スレイは悟った。
それほどまでに強引な横やりは、味方の陣形ごと変えてしまいかねない。
勢いに乗っているとはいえ、王の近衛の生き残りは百二十でしかないのだ。一度の突撃で主将の首にまで届かないならば、再度の突撃は不可能ということだ。
そしてその道は、今消えた。
「我こそは、ギ・ギー・オルドが一子、ラギー・シャロ! 騎馬隊の指揮官よ、撃ち合え!」
一騎打ちを望むその声に、ギ・ベー・スレイは、その目標を変える。
騎馬隊の方向をギ・ギーの本陣から横やりを入れたラギー・シャロの部隊へと向けると、槍先を掲げる。
「狩るぞ! 小僧!」
交差は一瞬。
死神の鎌の如く、鋭く奔った蛇咬槍が、ラギー・シャロの首へ吸い込まれる。
落ちるラギー・シャロの首と、一瞬遅れて噴き出す大量の血潮。
それに一瞥すらせず、ギ・ベー・スレイは、馬首を返す。主たるべきラギーを失い茫然自失する彼の部下の脇を悠々と通り抜け、王の近衛は魔獣軍から抜け出した。
一騎も欠けずにそれを成し遂げたギ・ベー・スレイと王の近衛は、在りし日のゴブリンの王の圧倒的な騎馬突撃を彷彿とさせ、西都戦線に、その武勇を鳴り響かせた。
この日ギ・ギー・オルドは、後継者と恃んだラギー・シャロと、ガングの右腕を失うと言う損害を受けた。




