継承者戦争≪最強への名乗り≫
「私の弟をイジメてくれたケジメは、取ってもらおうかねっ!」
そう公言して憚らないシュメアの指揮は、こと防戦においてフェルドゥークの攻勢を凌ぐものだった。攻城兵器の作製から、防衛設備の修繕、整備、改良、あるいは兵站の構築や兵の編成に至るまで、多種多様な防衛のための準備を驚くほどの速さで成し遂げて西都を、戦える都市へと変貌させた。
彼女の率いる辺境軍にとって、何より強みなのがその構成が人間種族であり、多種多様な技術を内包していたことである。
現に、シュメアが辺境軍を再び組織するまで、兵士達は他の職業に就き、その腕で暮らしを立てていたのだ。大工もいれば、商人もいる。狩人や農民、冒険者。ありとあらゆる職業の者達が、辺境将軍立つの報ではせ参じて来たのだから、彼女の名声が辺境に限れば、ゴブリンの王や宰相プエルよりも余程に高かったのが伺える。
あるいはゴブリンの王亡き後では、軍務に就く四将軍すら凌いで大陸で最も声望のある人物であったかもしれない。その一声で、兵士を死地に送り込める、と言う点では四将軍と対等かあるいは凌いでいた。
無論単純な比較は難しいことではあるが。
西都が戦える都市へと短期間の間に変貌を遂げたのは、彼女の率いた兵士達がいかんなくその技能を発揮させたのと同時に、腰に座らない者達が、西都を逃げ出していたのも大きかった。
彼らが西都を改造する間に、普通なら起きるはずの摩擦が、ほとんど起きていない。その点でも敗戦後のヨーシュの初動は正しかったと言える。
一方変貌する西都を牽制する役目を受けたグー・タフ・ドゥエンが何をしていたかと言えば、ほとんど何もしていなかったというのが現状だった。
「あれを落とすのは至難」
攻めなくてよろしいのですかと、質問されたグー・タフ・ドゥエンが部下に対して返答したのは事実上の西都攻略放棄とも言える答えだった。
そもそも兵力が足りない。
利に聡く、内戦の不幸を骨の髄まで知っているヨーシュであればこそ、万が一の可能性として降伏の可能性がある。そう読んだのはフェルドゥーク側のギ・グー・ベルベナであった。
その為のグー・タフ・ドゥエンの派遣であったが、シュメアが出て来てしまったのなら、話は別だった。
「あれは稀代の女傑だ。易々と降伏などせんし、それに……」
その後をグー・タフは言葉を濁したが、彼は個人的にも彼女とは戦いたくなかった。と言うのも、グー・タフらが加わる前からのゴブリンの王の協力者であり、三国同盟を陥落させた立役者である彼女に、グー・タフは、尊敬と憧憬の思いを抱いていた。
捕らえた人間を戦奴隷として使役するフェルドゥークにあって、辺境将軍シュメアという名前は、ほとんど例外的と言っても良いほどの、尊敬を集める人間の名前だったのだ。
その名前に泥を塗るのを、無意識のうちにでもグー・タフ・ドゥエンは恐れたのだった。
彼女には借りがある。
その思いを心のどこかで感じながら、グー・タフは口の端を歪めた。
「……ふん、そもそも兵が足りぬわ」
彼が代わりに口に出したのは、ひどく味気ない一般的な事実だった。
フェルドゥークが破竹の勢いで勢力を拡大させていた同時期、その勢いに水を差すように、ギ・ガー・ラークスが、グー・ナガ・フェルンの長剣に円楯の軍を伴って南下したとの報に接していたのだ。
南部で一斉蜂起した反アルロデナ勢力をその傘下に組み敷き、兵力を増したフェルドゥークであったが、ギ・グー・ベルベナがその勢力を充てにしていたかと言われれば、ほとんど眼中になかったと言った方が正しい。
精々が戦奴隷程度の認識でまとめ上げた彼らを、それでも戦力として数えねばならないのがフェルドゥークの泣き所であった。
アルロデナ全軍の全権を任されたギ・ガー・ラークスの手腕と名声は華々しいが、その戦略は手堅いものだった。
西方大森林の奪回、オークのアルロデナ側への再服従、ギ・ギー・オルドの懐柔。それぞれこの大きな三つを柱として、ギ・ガーはソフィア率いるエルクスとラ・ギルミ・フィシガらを通じて、戦いの始まる前に達成しようとしていた。
まず、初めに手を付けたのは西方大森林の奪回である。
ギ・ズー・ルオの領地にまで逃げ延びたパラドゥア氏族達を通じて、後方を攪乱するとともにガンラ氏族の本拠地アーノンフォレスト奪還の動きを見せる。
旗幟鮮明ならぬ魔獣王ギ・ギーとオークの大族長ブイに対しては、有無を言わせぬほどの高圧的な文言を並べ立て、領土線の警備を命じるだけにとどめた。
そしてギ・ガーの策は、その使者のやり取りを隠そうとせず、敢えてフェルドゥークの勢力下を突っ切らせた豪胆にこそある。
フェルドゥーク側からみれば、今まで不気味な沈黙を守っていたギ・ギーとブイが、急に領地の警備を固め出したのだから、そこに何らかの意図を読み取ってしまっても不思議ではない。
当然ながら、ギ・ギーとブイに対して備える必要が出てくる。
そしてその役目は戦力的に信用ならない反アルロデナ勢力では、任せられない。
結局は、フェルドゥークの幾許かの戦力を振り向けねばならなくなっていた。
つまり、ギ・ガーは使者のやり取りだけで、フェルドゥーク側の正面兵力を減らすことに成功したのだった。
「……この書簡を届ければ良いのか?」
「ああ、その通り」
ギ・ガーの目の前にいるのは額に一本の角を生やした少年、ユーゴ・アマツキであった。
首を傾げる青年は眉間に皺を刻んで、受け渡された書簡に目を落とす。
虎獣と長槍を模した印により封印された書簡は、確かにギ・ガー・ラークスの書簡の証明。
「まぁ、良いけど。約束忘れるなよ?」
「約束は守ろう。我が名に賭けて」
「では、こちらに。馬を用意しています」
副官であるファルは、そう言ってギ・ゴーの息子と名乗った少年を案内する。
ユーゴがここに案内されたのは、ソフィアの導きによる。単純な剣の腕ならば、エルクスの誰もが及ばない程の遣い手である。腕の立つ使者の候補を選任するよう頼まれたソフィアは、ユーゴを推薦したのだが、彼女もまさか敵の勢力圏を突っ切らせるとは思いも寄らなかったはずである。
知っていれば、ギ・ゴー・アマツキとの摩擦が表面化しそうな彼をギ・ガーに推薦などしない。
ギ・ガーの方と言えば、この程度の試練ならばギ・ゴーの息子であれば当然乗り越えられるはずと、やや過大な期待を抱いていた。
ユーゴが馬を駆って単騎出発したのを見届けてから、ファルはギ・ガーの元に戻り、戸惑いながら口を開く。
「今さら確認するまでもありませんが、本当によろしかったので?」
「欲しいものがあるのなら、自らの手で掴み取らねばならん。あの若者はそれを知っているのだろう」
「失敗した場合、失うものが大きすぎませんか?」
ユーゴは命を、そしてギ・ガーはギ・ゴー・アマツキと言う大陸最強の剣士との友誼を失うことになりはしないかと、ファルは問いかけた。
「かもしれん、だが……ギ・ゴー・アマツキの息子を名乗らねばならんあの若者が、こんなところで死ぬような者にはどうしても思えんのでな」
「貴方の目が確かなのを、アルロデナの未来の為に祈るとしましょう」
アランサインを率いたギ・ガー・ラークスは南進の途上にあったが、その速度はひどくゆっくりとしたものだった。戦場においては疾風怒濤の速度を発揮するアランサインだったが、わざと速度を緩めて行軍を行っていた。
まるで大陸中が、彼ら二巨頭の戦いに耳目を集中させざるを得ないように、ゆっくりと進軍する様子は不穏分子を威圧し、身動きを取らせないようにするかのように、重厚であった。
「パラドゥア氏族、ガンラ氏族ともに活動を開始したようです」
「ギ・ギーとブイには悪いことをしたな」
「そうでしょうか? この期に及んで動かない彼らの心根こそ責められるべきでは? 我が軍であれば、愚鈍の誹りを免れません」
辛辣なファルの言葉に、ギ・ガーは苦笑する。
なかなかどうして、彼の副官は彼以外のゴブリンに対しては、非常に評価が辛辣であった。
◆◇◆
馬を走らせアランサインの陣営地から西方大森林へと向かう途上で、ユーゴはベレッサという街に立ち寄る。ギ・ガーから書簡を受け取ったのが、レヴェア・スーから南へ向かった駐屯地だったことを考えれば、西方大森林までの距離は、三昼夜ほどになるだろう。
無理を通して一昼夜駆け通しでも、到着しない距離である。
町で宿を取り休息を挟みながらでなくては、彼より先に彼の馬が潰れてしまう。西都の凋落と西域のフェルドゥークの支配は、駅伝制度を有名無実化した。
いまや、国の使者と雖も馬を自分で用意せねばならない。
一方でアランサインと言っても無制限に馬を持っているわけではない。俊敏で持久力があり、人に慣れているとなれば、訓練された馬でなければならない。これから決戦となるのに、徒に戦力を減らすのも憚られるとなれば、使者の馬に割り当てられるのは、やはり制限される。
宝石街道の宿場町として栄えるベレッサは、煉瓦造りの家々が立ち並び、三日に一度は市が開かれた都市であった。
「ん?」
思いの外寂れている、と言うのがユーゴの感想だったが、彼の比較対象は大陸一の都市レヴェア・スーと他に故郷から出て来た際に通りかかったいくつかの街だけなのだから、その感想は的外れであった。
少なくとも、彼の故郷よりは確実に発展している。
だが、活気と言う点ではやはり陰りが見えるようだ。なんとなくだが、不景気なツラをした人が多い。
「これも、戦争の影響か」
ギ・ゴー・アマツキを病気の母の下に連れ戻す、という目的がある以上、絶対条件としてギ・ゴーの居場所を突き止めねばならなかった。
田舎から出て来て早々、ソフィアに目をつけられ、協力しないかと持ち掛けられたのがつい10日前。そして今はなぜか国の命運を背負って使者などやっているのは、ソフィアがギ・ゴーの居場所を掴んでいるためだった。
「確か……」
アルロデナは冒険者を統括するミルフェット・ヘルエン・ミーアと一つの協定を結んでいる。土の中に張り巡らされた植物の根のように、アルロデナ中に冒険者組合の支所を出している冒険者組合の宿を、公の使者である者が最優先で使えるという協定である。
もし、その宿を襲撃した場合冒険者組合とアルロデナの双方を同時に敵に回すと言うリスクを、襲撃者に背負わせることになり、抑止力として期待できる。
身元不確かな者は、大体が冒険者と言う職業に就くため、アルロデナ側すればそれらに冒険者組合として自浄作用を持たせようとした結果かもしれない。
冒険者組合からしても、宿を提供するのは悪い事ではない。
維持管理費用として国から少なくない費用を出してもらえるし、使者として動く者は将来が半ば約束されており、繋がりも出来る。
「あれか」
文盲の者でもわかりやすいように、剣と盾と酒を意匠した冒険者組合の看板を確認して、ユーゴはそこの扉をくぐる。
「だから、どうして紹介してくれないよ!?」
「満席なんだよ! 満席!」
入って早々騒がしい店内に注意を向ければ、そこにいるのは少女と言っても良い年齢の女と、その保護者と言った風の男が、カウンターに向かって叫んでいるところだった。
いや、むしろ叫んでいるのは少女の方で、保護者と見えた年かさの男はため息交じりに諦観すら見える。
「すまない」
彼らが怒鳴っていたカウンターとは別の所に呼びかけて受付をすませる。宿の紹介と簡単な注意事項あとは、朝食の有無などを済ませるとユーゴは踵を返そうとし、目の前に先ほど怒鳴っていた少女が仁王立ちしているのに直面した。
「ちょっと、アタシ達が先に宿を取っていたんだから譲りなさいよ」
自信満々に傲岸不遜なことを言う少女に、後ろの青年は既に諦めて天を仰いでいる。
「……やだ」
見れば美少女と言って良い。
着崩したような東方の衣装、長いスカートにはスリットが入り、そこから覗くのはすらりと伸びた蜂蜜色の肌。銀色の髪に隠れてい入るが、長い耳は妖精族の血が入っているのだろう。
何より特徴的なのは、腰に差した二対の短剣──否、短剣というにはいささか長い曲刀が収まっている。しかも、鞘を背中につけるように、工夫された持ち方はユーゴの記憶の中にもちょっといない。
「や、やだとは何よ!」
つん、と横を向いてそれ以上の交渉を拒否するユーゴ。つかつかと近寄って来て、悔しいと全身で叫んでいるような彼女が次の言葉を言う前に、さらにユーゴは拒否の言葉を重ねる。
「い、や、だ!」
「ん~~っッ! こんの、がきぃぃ!」
勝気な目元が吊り上がる。
「あー、はいはい。失礼しました」
流石にこれ以上は、まずいと思ったのか保護者然とした男が彼女を後ろから羽交い絞めにして引き離す。
「ちょ、ヴェリンなにすんのよ! 今からこいつに思い知らせないと!」
「頭が弱いのは仕方ないとしても、人さまの迷惑はちょっとなぁー」
「だ、だぁれが頭弱いのよっ!」
足をばたつかせ、尚も暴れる少女をヴェリンは何でもないことのように引き摺り、爽やかな笑顔でユーゴに別れの挨拶をする。
「じゃ、お邪魔したね。良い旅を」
「ああ、じゃあね」
手を挙げて挨拶をするユーゴの手には、宿の半券。
「あ、あぁぁ、ヴェリン、ヴェリン! あれあれ!」
「あーはいはい、後でね」
「もぉ、バカバカ!」
「はいはい、バカは君ですよー」
声が遠くに行くまでどこか茫然とした嵐のような少女と青年を見送ると、ユーゴは指定された部屋へと向かっていった。
◆◇◆
焼かれた鳥肉に、フォークを突き立てる。あまりの勢いに下にある木製の皿とテーブルがひどい音をたてるが、本人は全く意に介せず哀れな鶏肉が彼女の口へと運ばれる。
「良く噛んで食えよ」
「子供扱いすんな!」
千切ったパンを口に運びながら、ヴェリンは、ため息を吐く。
「交渉は任せろ、っと様子を見てみればあのざまじゃあなぁ……」
「何よ、もう少しだったじゃない」
「衛士に突き出されるのがか?」
「そうじゃなくてぇー!」
「はいはい、分かったから……だがまぁどうするかね」
若干ばかりではなく呆れ顔のヴェリンは、ため息を吐く。
「何がよ」
口の中に食べ物を詰め込めるだけ詰め込んだ目の前の栗鼠は、ヴェリンの憂鬱を晴らす役には立ちそうにない。腕は大層立つ、少なからず情も湧いている。
しかし、馬鹿であるのはいただけない。
「……今日の宿どうしたもんかね」
「あのね……アタシが折角おぜん立てしてあげたんだから、些事はアンタが片付けてよね」
「まぁ、その些事を失敗してくれた誰かさんのおかげで、この街の宿に総スカン喰らってる最中だしな」
ジト目で睨むカーリアンを横目に、何かいい考えが浮かばないかと周りの客を見渡す。
確かに、あの男──ジョシュア・アーシュレイドから離れられたのは僥倖だった。
ギ・グー・ベルベナ率いる反乱軍に合流し、その中枢に食い込もうとしているジョシュアは、ギ・グーからアルロデナと未だ去就を明らかにしていないギ・ギー及びブイとの使者の捕縛を任されている。
そこで派遣されたのが、カーリアンとヴェリンだった。
ソフィア率いるエルクスに所属するヴェリンにとって、今の状況は情報収集をする絶好の機会であるとともに、堪らなく危険な環境であった。なにせ、諜報員と言うものは人前で身分を明かしたりできない。当然のことながら、このままいけば戦に巻き込まれて満足に働けず死亡と言う結論が待っていただろう。
ヴェリンはその点、俺だけは生き残れると傲慢になれない。
戦になれば巻き込まれて死ぬ確率は、生き延びる率よりもだいぶ高い。死ぬこと自体は問題ではないのだが、持っている情報を受け渡すことが出来ないのが問題だった。
このままでは無駄死にである。
目の前の少女カーリアンに、自分の正体を語ったことはないが、気が付いている節もある。ヴェリンが反アルロデナ勢力から離れたがっているのを察すると、今回の使者捕縛の任務に立候補したのは、彼女の方が言い出したことなのだから。
「ふん……」
ヴェリンの目に留まったのは、尾行の男。
「こりゃ野宿かな?」
「いやよ!」
ジョシュアは、用心深い男のようである。立候補した彼らを捕縛に動かすとともに、それにすら尾行をつける有様だった。ジョッキの中身を飲み干すと、テーブルに叩きつけ、
「いやだからねっ!」
「……分かったよ」
ため息交じりに返事をするヴェリンに満足したのか、カーリアンはにっこりと笑うと更に葡萄酒を頼んだ。
「それに、昼間のアレ相当やるよ?」
悪戯な猫のように、微笑む彼女に釣られる形でヴェリンも笑った。
「気になるでしょ?」
「……いや、全然」
「そーいうときはっ! 嘘でも気になるっていうの!」
ヴェリンの目には、変わった少年ぐらいにしかみえない昼間のアルロデナの使者の姿を思い出し、首を傾げる。
「さて、それじゃ飲むもの呑んだし、食べるもの食べたら行きましょ」
「どこに?」
今度は若干呆れた顔をするのはカーリアンの方だった。
「なにってそりゃ──」
だが彼女はその一瞬だけ、人斬りの顔になって笑った。
「斬り合いよ」
◆◇◆
ジョシュア・アーシュレイドの下から放たれた刺客は、カーリアン達だけに留まらず、その数は十名にも及んだ。尾行、監視を任務とする者を除外して、実働部隊だけでその数となると、冒険者ギルドを除き大陸で最も多くの暗殺部隊を抱えていたことになる。
エルクスは防諜の方面に多くを割き、暗殺部隊の保持はしていない。ヴェリンのように、一応戦う力はあり、やればできるというものは多数抱えていたが、専門にそれを扱うものは存在しない。
その十人もの刺客が、一度に宿を囲んでいた。
冒険者の宿、西部の争乱により満室状態のそこを見張っていたのだ。
「……」
無言のままに宿の入り口を見張っていると、ちょうどよくユーゴが姿を見せる。なんの気負いもないかのように、そのまま部屋を出てふらふらと散歩でもするかのように、歩き始めたのだから、彼ら暗殺者にとっては千載一遇の機会でもあった。
最悪宿に放火して、その隙にという方針であったために死体を一つ作るだけなら、割のいい仕事と言って良い。内心ほくそえみながら、人気のない方に歩いていくユーゴの後ろ姿を追いかけ、裏道へとたどり着いた瞬間、待ち切れないと言うように一人が仕掛けた。
音もなく背後から忍び寄ると、独の塗られた短剣で加速のままにユーゴの背に突っ込む。突き出したその刃の切っ先に、確実にユーゴの背を捉えようとして振り向いたユーゴと目が合った。
驚愕したのは、暗殺者の方だった。
ユーゴは驚愕に目を見開くでもなく、酷くつまらなそうに突き出された短剣を半身になって避ける。勢い突っ込んだ暗殺者は首を差し出す形になり、その決定的な隙を背に負っていた長大な曲刀を目にもとまらぬ速度で抜き放つと、鞘走る音が鳴りやまぬ内に、暗殺者の首を落とした。
どさりと崩れ落ちる暗殺者の遺骸を目にしても、冷たく見下ろすのみ。
「おいでよ、その為に出て来たんだから」
感情をほとんど伺わせない平坦な声。
暗闇の中で、暗殺者達の位置をほぼ完璧に捉えていた。その証に、わずかに動こうとした暗殺者の一人の動きに、視線を向けた。
闇の中でうっすらと光るその瞳は、氷を思わせる青。白い肌と相まって、まるで雪原の寒さを幻視させるような寒々しい色をしたその瞳には、絶対零度の殺意が漂う。
刺すような、その視線に射抜かれると、暗殺者の足も止まってしまう。
「来ないなら……」
ユーゴが踏み出す一歩についに我慢が出来なくなった暗殺者が、悲鳴交じりに一斉に動いた。前後左右さらに上空からも、寸分たがわず襲い掛かって来る暗殺者は、唯一点ユーゴの立っている場所に向かって攻撃を仕掛けてくる。
まるで殺意に操られているかのように、自分自身の被害すら気にも留めず、我武者羅に突っ込んで来る。戦場の死兵すら彼らの勢いには、一歩譲らざるを得ない。
それをユーゴは歩いて切り抜けた。
可能にしたのは雪鬼の独特な歩行術。アマツキ流剣術として大成されつつある【幻惑の歩】である。包囲から抜け出すと同時に、即座に返す刀で大の大人を一刀両断に切り捨てて見せる。
鎖帷子まで着込んだ暗殺者を、さして力も込めないようにまるで熱したナイフでバターを斬るように、するりと切り落とすのだ。
まるで舞踊のように、一刀振えば次の瞬間には、別の場所で長曲刀を振って暗殺者の首を飛ばしている。ゆるりと見える動作一つ一つが、確実に相手の息の根を止める必殺の業。
暗殺者側もただ殺されたばかりではない。飛び道具、音を出さない吹き矢、鉤爪などの暗器など考え付く限りの方法を用いて、一撃ユーゴに与えようとしたが、そのどれもが空を切る。
果ては仲間を盾にした特攻を仕掛けたにもかからわず、それすら躱され、一刀のもとに切り伏せられてしまう。
盾にした暗殺者ごと、二人同時に切り伏せるその尋常ならざる切れ味の鋭さは、魔性すら感じさせた。
一人残らず暗殺者を殺しつくしたユーゴは返り血すら浴びず、手にした長曲刀の血糊を払う。
「あと二人……か?」
淡く光る視線の先に、少女と青年の姿。
「ん~……助けてあげようかと思ったけど、いらないお節介だったみたいね」
頬を膨らませて積み上げられた屍を見下ろすカーリアン。
「……」
少女の後ろでヴェリンは顔を青くしていた。
目の前の少年に、見覚えはある。
「おい、下がるぞ」
「ん~?」
「あれは、雪鬼の御子だ」
尚も、眉根を寄せるカーリアンに、噛んで言い含めるように言い募る。
「あれは、ギ・ゴー・アマツキの息子だ。あれを敵に回すってことはアマツキ流を敵に回すってことなんだよ!」
それは、ヴェリンにしては珍しくはっきりとした失策だった。
「大陸最強の剣士の息子、ね」
その言葉を聞いた瞬間、ぞわりとヴェリンの背に悪寒が奔り抜ける。
振り向いたカーリアンの目は見開かれ、瞳孔は細まり、緋色の視線がヴェリンからそらされ、すぐにユーゴを捉える。
「助けに来たのを恩に売って、一宿一飯奢ってもらうつもりだったけど、やめね」
釣り上がる口の端は、獲物を見つけた肉食獣そのもの。
「一応聞くけど、やるの?」
幽鬼のように気配すらおぼろげな、ユーゴが問いかける。
「もちろん、やる。こんな機会をそう逃す手はないわ」
腰に逆さに差した二本の曲刀へ手を伸ばすカーリオンが、哄笑を上げる。
「ちょっと聞きたいんだけど、アンタ、ギ・ゴー・アマツキとどのくらい差があるの?」
「知らない。だが、雪鬼の里で、俺に勝てるのは、いない」
「へぇ~、そうなんだ。それじゃ前哨戦としてちょうどいいかな?」
ゆっくりと体を沈み込ませるカーリアン。
「アンタを倒して、最強への挑戦状にさせてもらうよ」
「無理だな。お前じゃ俺には勝てない」
「ハン、言ってなよ」
猛獣の如き笑みを浮かべたカーリアンが、目を細める。
「カーリアン・アルセン・アーシュレイ、亡き父母と恩師の為、最強の名を、アマツキ流から奪わせてもらうわ!」
その名乗りを聞いて、細く息を吐き出した。
「ユーゴ・アマツキ参るっ!」
広がる戦乱の只中で、最強を巡る剣士の戦いが始まった。




