生ける災厄(後編)
元廃墟の宿場町からガンラ氏族の本拠地アーノンフォレストへと至る経路は、次第に西方大森林が、かつて暗黒の森と呼ばれていた頃の色合いが濃くなっていく。木々はその密度を増し、馬車が走れるほどの広さを確保した道路を除いては、その外側は大森林である。
むろん魔獣除けの柵なども作ってあるが、逆にいけばそれだけである。己の実力なくば、死あるのみ。過酷なまでに強さを信奉し、それゆえに世界を征服するに至ったゴブリンの思考の一端が垣間見えるような作りだった。
とはいえミール・ドラは冒険者である。半妖半人の身ではあるが、その実力は大戦以前からの折り紙付き。かつてのギルドの制度で言えばS級と言われる政府ご用達レベルの冒険者。道などなくとも大森林に出入りし、過酷な自然に挑むことを生業としていたその身からすれば、これでも十分に保護されていると感じてしまう。
無論道を往復する商人達も、腕に覚えが在るものを除き、その多くは護衛を雇うなどして自分と商品を守ることも忘れない。いかに平穏が訪れたとはいっても、ここは、道路を一歩外れれば魔獣跋扈する大森林の中なのだ。
宿場宿が設けられる以外の地域は、未だに手つかずの大森林。悪戯に開発を進めれば、魔獣そのものがいなくなってしまう危険すらある。未だに東方にはほとんど大型の魔獣がいないのは、人間の開発の為と言われている。
少なくともゴブリンはそれを望まない。
魔獣とは倒すべき敵であると同時に、彼らに恵みをもたらす糧でもあるのだ。なくなってしまえば、困るのは彼らである。ギ・ギー・オルドを中心に、妖精族の支持を受けるその考えは、プエル率いるアルロデナ首脳部にも一定の譲歩を引き出す結果となった。
ちなみに南部のゴブリンの姿をよく見かけるが、それは彼らにとっての常識だった。南部の支配者ギ・グー・ベルベナはとかく配下のゴブリンを鍛えるのが好きだった。ゴブリン至上主義を謳うギ・グーは困難こそが彼らを強くし、苦難こそがゴブリンの繁栄を導くと部下に説く。その彼に倣って、ベルベナ領からは、多くのゴブリン達が警邏と称して、軍用道路の巡回を買って出ているのだ。
軍隊が堂々と往来する道で、盗賊などが出ないのと同様、軍用道路は世界一安全な商業路として商人達に認識されていた。
ミールもアーノンフォレストに向かう途中、物々しい武装をしたベルベナ領の兵士達が3匹一組となって巡察しているのに行き会う。
「そこの冒険者殿、お待ちあれ!」
3匹の中の年長と思われるゴブリンが、そういうとミールの方に駆け寄ってくる。
「なんでしょう?」
別に不審な行動もとっていないミールとすれば、挙動不審になる理由もなく返す。
「うむ、実は折り入ってお頼みしたき儀これあり。そも御手前は相当な実力者とお見受けする。是非我らと一戦──」
「──残念ですが、ギルドの仕事の途中であり、お受けすることは出来ません。お許しを」
「残念無念……」
しょぼんと肩を落とすゴブリン達だったが、ミールにしてれば仕事受けてから二度目である。そんなこんなはあったが、特に困難もなくアーノンフォレストにたどり着くと、彼女は情報提供者を探した。
「確か……」
牙の亜人の大族長ミド。
狼の牙と犬のような体毛を持つ亜人であり、八旗と称した亜人の代表格である。アランサインに所属し、東征においてはその足の速さを存分に発揮してギ・ガー・ラークスを助けた有力者である。
情報提供者の意外な大物名前に、ヨーシュが動かざるを得なかったのか。ミールはその辺りに予想をつけていたが、事実関係はまだわからない。
アーノンフォレストは、地を這うようにして枝を伸ばす巨木の枝の上に、ガンラの氏族が住処を作ったのが最初と言われる。
以来400年。つい近年までその生活形態は変わらなかったのだが、ゴブリンの王と英雄ラ・ギルミ・フィシガ、ラ・ナーサの登場により、彼らの生活形態は大きく変わった。
前三者のいずれがいなかったとしても、アーノンフォレストの発展はなかっただろうというのが、ミールの友人たるギ・ドー・ブルガの言葉であり、彼女はそれを思い出しながらその集落を観察していた。
木の上に住居を構える昔ながらの様式はそのままに、今では地上にもその住居を増築している。集落の周りをぐるりと柵で囲い、屈強なガンラの戦士達が見回りをする様子は、他のゴブリンの集落と変わらない。
さらに足を進めると、中央の広場には祭壇があり、それをぐるりと囲むように露店が軒を連ねていた。ゴブリン相手に商売するもの達が大半であり、ガンラの氏族の者達も露店を広げている。物々交換と貨幣経済の過渡期であり、ギの集落出身のゴブリン達はここで旅立ちの儀式の後、最初に必要なものを揃える。
ベルベナ領からやってきた屈強な戦士は魔獣の肉と武器を交換し、ミドルドからやってきた商人は、革の鎧と薬草を交換していく。珍しい処では、魔石と貨幣を交換したり、人間の森へ入るのを嫌う妖精族の集落から流れて来た希少金属などもある。
アーノンフォレストは西方大森林と平原世界を繋ぐ拠点であり、人と物の交流拠点であった。もちろんこれは意図的なものである。英雄ラ・ギルミ・フィシガは未だ健在であり、その影響力は諸種族に及ぶ。彼の率いる弓と矢の軍は、治安の維持を主任務として広く大陸に活動を広げ、今やその規模は2軍編成を取るまでになっていた。
また、もともとの族長であるナーサ姫はゴブリンの王が覇権を確立してからも、軍に対する防具の供与で他のゴブリンから信頼を得るに至っている。人間の作る防具よりも、最初はまず同族の防具を扱いたいと思うのは、けだし人情だろう。軍人である彼らからの圧倒的な支持は、そのままアルロデナからの防具の注文に影響を及ぼす。
つまり、東征からその戦後にかけて、アーノンフォレストは、ゴブリンの集落の中で一、二を争うほど金が落ちているし、それは継続中だった。
金があれば、そこに物を売りたい商人が赴くのは、むしろ当然の理であった。
そうやって、アーノンフォレストはゴブリン達の常識からすれば信じられないほどの繁栄を遂げる。かつての集落の実に3倍以上の面積を集落として占領し、戦士を配置できるなど、ゴブリンの王の存命当時ですら誰も想像できなかっただろう。
今ではアーノンフォレストは、人間、妖精、魔物、亜人の4種族が共生する雑多な都となっていた。人口は爆発的に増え、それを種としてさらに人が集まるという循環が生まれていたのだ。
巨木の根元に、どこか悄然とたたずむミドの姿を見てミールは足を止めた。
戦役の英雄と呼んでも良いはずのミドは、その獰猛な戦果とは裏腹に、ぼんやりと遠くを見ながらさみし気な背を向けていた。
「……なんだろう。このどんよりとした雰囲気は」
天気は晴れているというのに、彼の周りだけ雨が降っているかのような落差を感じてミールは足を止める。厄介な依頼だというのは、ヨーシュ・ファガルミアが乗り出してきた時点で察していたが、その厄介さが、危険という方向だとばかり思っていたミールはここにきて違う厄介さが出て来たのを敏感に感じていた。
面倒な、ただひたすら面倒な案件かもしれない。
ミドの姿を見ただけでここまで推測できるのは、さすがに冒険者ギルドが認める腕利きだった。ただ、惜しむらくは、それが分かったからと言って引き返す道は既にないということだったが……。
「牙の一族のミド殿ですか?」
「ん、ああ……そうだが……ああ、ヨーシュの使いか」
ミールが声をかけ、振り返ったミドの表情に彼女は無表情の中に眉をひそめた。自分自身の推測が当たってしまったようで、少しもうれしくない。遠くからではわからないが、近づいてみればミドのやつれ具合は相当なものだった。
牙の亜人たる彼らの誇る毛並みは乱れ、目は挙動不審にきょろきょろと周囲を伺う。
とても戦役の英雄とは思えぬその姿にミールは内心ため息をついた。
「ヨーシュ殿の依頼を受けて来たミールです。お話を聞かせてください」
「ああ、あいつは突然やってきて──」
ミドの話すのは、突然の襲来者の話だった。
灰色狼を友として、狩猟生活を送る牙の一族の中でも生活は多様化している。ミドはその中で古い生き方を守る者達の筆頭だった。灰色狼とともに平原を駆け抜け、魔獣を狩ってその生活の糧とする。その範囲は広く、平原の中に散在する平原地帯のみならず、妖精族の領地や魔獣達の楽園たるオルド領、ルオ領にまでその領域を広げていた。
それというのも、灰色狼の族長が代替わりしたからである。
賢狼王シンシア。あるいは麗しき銀嶺の女王。
灰色狼の一族の生んだ最高の群れの主と言われる彼女は、ミドと同じくアランサインにも参加した高い戦闘力と、人間の言語すらも話す高い知性を持っていた。彼女が率いる灰色狼の群れは、かつてのゴブリンの王が率いたゴブリンの群れを彷彿とさせる統率を見せ、かつてない隆盛を迎えていたのだ。
その恩恵にあずかる形で牙の一族も狩猟地域を拡大させることに成功する。
彼らの前に踏破出来ない平原はなく、それは魔獣の宝庫たる西方大森林をしても例外ではない。森林の中ですら、彼らの行動を妨げる要素はほとんどなく、縦横無尽に駆け回る彼らに狩れない魔獣はなかった。
群れはかつてないほど拡大し、灰色狼に従う各種狼たちですら、その恩恵を以て数を増していた。
そんな中現れたのが、襲撃者だった。
各種魔法を操り、コボルト達を先導して灰色狼に対抗する襲撃者は、女王として縄張りを守るシンシアに匹敵する力を持っていた。
「つまり、それを何とかしろと?」
「そうだ。一族の問題を他の種族に頼るのは気が引ける。だが、お嬢……いや、シンシアを失うのは、かつてない損失だと俺が判断した」
「で、相手はわかっているのですか?」
「いや、見たこともない姿形だった。俺たちに似てはいる。だが、あんな奴は牙の一族にはいない。どちらかと言えば、あれは……」
人狼。
その呼称が正しいのかどうかはわからない。あるいはおとぎ話に聞いたその姿から、その名前を当てたにすぎたない。倒した魔獣の骨を頭に被り、手にするのは魔獣の骨。二足歩行をしているが、四足歩行すらも可能とするその脅威の身体能力は、各種魔法を扱うに及びミド達の理解の範疇を越えた。
銀色と青色の長い体毛に覆われたその体には、傷跡すら見えず、圧倒的な強者として森の中を徘徊していたことを思わせる。そそり立つ尻尾は優雅さすら持って、ぴんと立ち、鋭い牙は相手の肉を容赦なく噛み切るであろう。
赤褐色から茶色の毛並みを持つ牙の一族にはない特徴的な毛並み。西方大森林に存在する如何なる狼とも違うその容姿は、まるで突然変異した化け物だ。
「ふむ……」
思っていたよりもまともな依頼で、ミールは安心した。つまりは外敵の駆除だ。
「わかった。場所は?」
「やってくれるか! 案内する。ついてきてくれ!」
喜色満面に浮かべ、ミールはミドの後に続いた。
●●○
灰色から銀色に輝く毛並みは、ゴブリン達の振るう剣すら弾き、魔法すら寄せ付けない強靭な防御力を秘めている。長い草の間を風切って走る彼女の後尾には、彼女の率いる眷属の姿。
だが、普段の狩りならまだしも、今回の戦いに至っては眷属は邪魔である。威嚇の咆哮を放って、彼らを追い払うと宿敵ともいえる相手のにおいを嗅ぎつける。
並の獲物ならすぐさま追いつける速度で、だが、彼女は速度をなおも上げていた。あるいはこれほど全力で走るのは、ゴブリンの王が率いた戦以来だろう。確かに知性の宿る瞳は、熱を持つ体とは別に、冷静に彼我の戦力を分析していた。
敵は、一匹のみだ。
普段集団での狩りを得意とする灰色狼では例外的に、彼女は単独での戦いを望んだ。それは、悔しいことに敵が集団戦をやり慣れていることが原因だった。自分より力の強い者と戦いなれている敵は、灰色狼の連携を以てしても、追い詰めるのが困難であり、逆に被害の拡大をもたらしてしまう。
それではせっかく勢力を拡大し、頼りにならない牙の一族のミドとともに縄張りを拡大させてきた意味がない。森の王者たる灰色狼は、各種狼種族を統合し、その王たる地位についている。
口元から流れる吐息が風と共に後方に流れ行く。
金色に輝く両目に映るのは、あたりの景色ばかりではなく嗅覚から来る情報も視覚に反映されている。匂いを色として認識できるのは、嗅覚の発達した狼種族特有のものの捉え方だった。
鼻先が捉える敵の匂いから距離と、敵の動きを察知する。
小型の魔獣の匂い、花の薫りと、木々の発する薫りの交じり合う中に、確かに異物としていいものがいる。未だ目にとらえる距離ではないが、彼女の視覚には明確にその姿を捉えていた。
またその視界の中では、既に放たれ彼女に向かってくる無数の水弾までもを捉える。
「ガルウゥゥアアァア」
威嚇の声をあげて、彼女はその散弾じみた水弾の射線から身をかわす。
前足に力を込めて一気に跳躍。背の高い草を折り、大地を踏みしめる足裏で着地と同時に再び地面を蹴りつけ、勢いを殺さぬまま横っ飛びに射線を避ける。
この程度で森の王者たる灰色狼の突進を止められると思ってもらっては困る。日に50里を駆け抜け、獲物を追い詰める身体能力は、並のゴブリンなど及びもつかないものだ。それに何より、普段集団戦を好むとはいっても、それがすなわち個としての戦いが苦手ということではない。
特に神獣すらも敵に回して堂々たる戦いを繰り広げられる実力をつけたシンシアにしてみれば、ともすれば全力の彼女について来れる灰色狼はなく、足手まといにしかならないのだ。咆哮一閃、彼女は再び降り注ぐ水弾氷弾の雨から、その身を躱す。
出会ったそばから気に食わない存在ではあったが、まさかここまで強くなっていようとは思いもしなかった。それがシンシアの素直な感想である。
鼻先で感じる空気に、微妙な変化。
視線を上にわずかに上げれば、水弾の群れが天空から曲線を描いて降り注ぐ。同時に、正面から氷弾。左右から迫るのは、岩弾。
同時に三種類の魔法攻撃を繰り出すだけでも二本足の者達には、類稀な才能が必要になるはずなのに、敵は、難なくそれを成し遂げている。しかも、直線ではなく曲線の難しい軌道を描いて繰り出される連続した魔法弾の嵐は、敵に稀有な魔法の才能があったためだろう。
忌々しいと舌打ちしたい気分になって彼女は再び跳躍。
魔法の才能ということならば、シンシアとて、決してないわけではない。自然を相手に暮らす彼女たちにとって、それは必要だから備わった才能である。空中に跳躍する彼女はまるで無防備に見えて、そこを狙い澄ましたかのように切り札として放たれた風の槍。
敵の放った風の槍。
草茂る大地では、その軌道が読まれると判断してのまさしく切り札。
だがそれでも、地力はシンシアが勝る。目の前の敵が、どこでどう戦って今の強さを手に入れたかのかは知らない。だが、彼女は大陸を制覇したアルロデナの最速軍アランサインの一角に名前を連ねる歴戦の魔獣である。
神威吹き荒れた戦場で、ゴブリンの王とともに駆け抜けた記憶は、彼女に類稀な力を与えていた。
空中から飛来する水弾は、曲線を描くがゆえに自身に到達するのに時間がかかると読んだ彼女の感は、まさしく野生と知性との融合したもの。それを正確に読み切ったその判断力は、歴戦の戦士にすら勝るもの。その判断に基づき、一片の迷いもなく空中に身を投げ出した彼女に向かって放たれる風の槍は、敵が放てる最大規模の攻撃だろう。
地面から離れた彼女では、抵抗する術もないと読んでの見事な連携波状攻撃。
だが、シンシアは一声吠えると、敵の思考を逆手にとって、空中で足場を作り出す。
風の魔法の一種。足の裏に、風を吹き付ける繊細な操作をしてのけた彼女は空中で態勢を立て直すと、その場から、一気に跳躍して飛来する魔法弾の急襲から距離を取る。同時に、空中すら駆けて見せる彼女に障害物と呼べるようなものは既にない。
地面に着地すると同時、地面を蹴りつけて敵に迫る。
今から魔法を放とうとしてもそこは既に彼女の間合い、彼女の牙が届く方が早い。
勝利を確信して、シンシアは声を荒げて敵の名を呼ぶ。
「ハァァァスゥゥウ!!」
「シンシアァアアアア!」
頭にかぶったのは大鬼の頭蓋骨だろうか。手にした骨は、火斑大熊の腕か。
二本足で立つハスが、手にした火斑大熊の骨を振り上げて、シンシアに向かって振り下ろす。咄嗟に避けたシンシアは、その背後に回り込むべく空中を蹴る。
地面に追突した骨の先から、地面が隆起し即座に凍っていく。
驚愕の魔法工程。詠唱すら必要とせず、即座にそれだけの魔法をくみ上げられるのは、ゴブリンですらいないだろう。だが、シンシアには退けぬ理由がある。積もり積もった恨みを、今この場で晴らさねば、気が収まらないのだ。
「私の子狐の燻製取っただろう!!」
「お前こそ、私の赤果実とったな!!」
跳躍したシンシアに向かって、即座に反転したハスの骨が振り切られる。その先から放たれるのは、岩弾の連続照射。まるで唸りを上げる投石器のような音を立てて、小型の岩弾が周囲の木々を削り、太い木々の幹を削り取って、倒していく。
倒れる木々の間を縫ってさらにシンシアが迫るが、寄せ付けまいとハスが連続した魔法弾を放ち続ける。
「……ねえ、私帰っても良い?」
ひっそりと大規模な森林破壊の光景を見ていたミールは、彼女らの会話を聞いて傍らのミドに問いかける。
「な、なんでだ。大変なことだろう!?」
「……いや、なんか馬鹿らしくなったというか」
外敵の駆除という久々に冒険者らしい仕事かと思えば、ただのじゃれ合いである。規模が馬鹿でかいだけで、別に人間に迷惑をかけるわけでもない。ミールとしては秘境で一生遊んででくれればいいとすら思えた。
ため息交じりに、心底やる気を失ったミールを見てミドが焦った声を出す。
「そ、そこを何とか頼む! 俺たちがお嬢はいうことを聞いてくれねえし、あのハスって化け物も、俺たちじゃ話が通じねえんだ」
「おやつでも用意すれば解決するんじゃないの?」
「そ、そんな無茶な!」
泣きそうになるミドを横目にミールはため息交じりに、考えをまとめる。
だが、真面目にまとめるほどの考えもなく、彼女はすくっとその場に立ち上がると、争う化け物2匹に向かって大声で呼びかけた。
「レシア様に言いつけるぞ! 喧嘩をやめろ馬鹿ども!!」
ぴたりと止まるハスと、シンシア。
森を破壊し、アレほど猛威を振るっていた2匹は対峙したまま視線だけをミールに向ける。やがて視線だけで2匹の化け物は会話をしたかと思うと、そろってミールの前にやってくる。
くんくんと、ミールの2倍はあろうかという体格のシンシアが彼女の鼻を突き付け匂いを嗅ぐと、訥々とした言葉で話しかけてきた。
「ははうえの匂いがする。ははうえ、来るの?」
「ああ、そうだ。でもお前たちが喧嘩してるなら私は違う経路をお勧めすることになるだろうな!」
「だめ! シンシア、ははうえと会う!」
まるでじゃれつく子供のように鼻先をミールのわきの下に潜り込ませるシンシア。
「じゃあ、喧嘩をやめろ」
「だってハスが……」
恨みがましく視線を向けるその先では、二足歩行の人狼ハスが、そっぽを向いて口笛を吹いていた。音はならなかったが、その妙に人間らしい仕草に、さらにミールの嘆息は深くなる。
「ハスとか言ったか、お前も人間の美味しい食べ物が食べたかったら我慢するんだな」
「細いのお土産持ってくるかな?」
「ああ、今は西都で子供たち相手に教鞭をとっておられる。それが終わったらお土産をもって、こちらに来るだろう」
「……じゃ、我慢する」
「ああ、そうしてくれ。仲直りをしておけよ。レシア様が来られた時に、喧嘩をしていたら私のように簡単ではないからな!」
「……仕方ない」
「うん、しかたない」
互いに顔をそむけながら前足と棍棒を握っていた手を突き出してちょこんと突き合わせるシンシアとハス。その光景を見て、ミールはさらに深い、沈みこむようなため息をつくことになった。
後年、強大な魔物2匹の争いは、生ける災厄として亜人ゴブリンの別なく恐れられた。ただ、不思議なことに聖女レシアが森へ訪れるとその争いはぴたりと止み、彼女の聖女信仰にいっそうの輝きをもたらすことになったのだった。




