継承者戦争≪西の陥落≫
前回の更新から約五か月、忙しさにかまけてついつい長引いてしまいましたが、やっと更新です。なんとか完結までは持って行きたい……。
それは奇妙な風切り音とともに、特大の衝撃となってアルロデナの軍勢を襲った。
「なんだ、どうした!?」
地面を揺らす振動と、まるで玩具か何かのように吹き飛ぶ兵士を見て、指揮官グラム・ベラニーは眼を見開いた。そして動揺する味方と、嬉々として迫ってくる敵軍の姿を見たとき、悪寒とともに最悪の予想が脳裏をよぎる。
──負けるっ!!
悲鳴にも似たそれを、口に出すことなく彼が声を張り上げたのは全く別の言葉。
「戦列を埋めろ! 来るぞ!」
ミドルド郊外で行われたフェルドゥークと西都からの援軍からなるアルロデナの戦いは、一方的な展開になった。鶴翼を閉じようとしたアルロデナに、投石機からなるフェルドゥークの遠距離攻撃が襲い掛かったためだ。
当時、そこまで精度を求める兵器ではなかった投石機を攻城兵器から平地で使用する兵器へと進化させたのは、天才ゆえの発想の転換と言って良い。
無論、問題点として大陸で最も熟達した遣い手たる破城槌と兜の軍の高い練度が必要であり、観測手の腕次第でどこへ飛ぶかわからないという不安は付きまとうが、それでも相手の手の出せない場所から一方的に投石できるというのは、かなりの強みであった。
投石機による予想外の被害を出したアルロデナ側は、混乱の中にあり投石機の援護射撃の中を突撃してくる長槍と大楯の軍に一方的にやられることになる。
魚鱗に固めた陣形は、バードゥエンの攻撃で被害を出さないためであった。いつ頭上から巨大な岩が降って来るかと戦々恐々としているアルロデナ側に、ガルルゥーエは一気に食らいついて、そして食い破ったのだ。
アルロデナの指揮官グラム・ベラニーは、声を嗄らして必死に軍を保とうとし、下士官達も先頭に立って兵士達を鼓舞したが、それら全ての努力を上回るガルルゥーエの突進が、彼らの全てをなぎ倒して行った。
整然と並べられた盾と槍の列は浮足立って隙間が多く、その隙を見逃すほどガルルゥーエは甘くはなかった。突撃でぶつかった両軍は、すぐさまその形を変える。
魚鱗で一塊になったガルルゥーエが、最も厚く陣容を整えたはずアルロデナの中央にぶつかり、一撃のもとに葬り去ったのだ。両翼を閉じるのが間に合わず、中央は敵の突進の圧力を一手に引き受けることになる。真正面からのぶつかり合いなら、そこまで差が出ないと指揮官グラムは計算していたが、彼の予想を裏切って浮足立った軍は脆かった。
ぐにゃりと、飴細工のようにぶつかった傍から陣形が歪む。
上空から俯瞰すれば、その様子は一目瞭然だった。陣形の中央にいたアルロデナ軍の兵士たちにとっては、もっと劇的に状況は変化した。
周りから一気に仲間がなぎ倒され、そして怒涛の勢いを維持したままフェルドゥークのゴブリン達が、狂ったように走り抜けていくのだ。
「グルウゥゥオオアァァ!」
熱狂のままに、走り抜けるフェルドゥークの一人一人は熟達した戦士のそれだった。荒げる声は勇ましく、手にした槍の鋭さは決して緩まない。
突き刺し、薙ぎ払い、止めを刺すのすら惜しいと足蹴にして前に、さらに前に。
四半刻もせずに、アルロデナの陣形は中央を食い破られ、背後を取られた形のアルロデナに、ガルルゥーエのグー・ビグ・ルゥーエは最後まで手を抜かなかった。
「反転ッッ!!」
魚鱗の陣の中央で長槍と大楯の旗が左右に大きく振られる。
いつしかバードゥエンからの投擲は鳴りを潜めていた。肩で息をしていた、ガルルゥーエの先頭集団は、それを見ると一気に左右に分かれた。
下級指揮官達が熟練の動きで、自分の部隊が向かう先を示し、声を張り上げて行く先を示したのだ。
「三番隊左だ、左に反転!!」
「十番隊右へ反転! 隣に負けるなよ!」
グー・ビグ・ルゥーエの号令一つで、まるで生き物のように部隊を動かすガルルゥーエに、明らかにアルロデナ側は出遅れた。
中央を食い破られたことで、指揮系統が麻痺したこととが一つ。そして何より、彼らは一度剣を交えただけで思い知ってしまったのだ。
「なんだ、奴らは、なんだあれは!?」
敗北の予兆を。
指揮官グラム・ベラニーは先の一撃で死亡が確認され、次席の指揮官たる男が出したのは、指示ではなく混乱した自身の戸惑い。
悲鳴を多分に含んだそれは、恐怖と言う病となって兵士に伝播する。
勝負は一撃で決まった。
「フェルドゥーク反転してきます!」
伝令のその言葉だけで、あれほど開戦前には勇ましく指揮官の檄に応えた兵士達が崩れた。
悲鳴と共に、逃げ出す彼らは武器も盾も、鎧さえも捨てて逃げ出した。
救うはずの味方も、背に庇うべき家族も、誇りすらも彼らの頭には既にない。あるのはただ、圧倒的な恐怖のみ。
背を見せ始めたアルロデナに、ガルルゥーエは為すべきことを効率的に、実行した。
「殺せぇ!」
威嚇を多分に含んだ咆哮が、反転したガルルゥーエから上がる。
叩きつけられる殺意と熱狂は、士気の折れたアルロデナ側には荷が重かった。本来ならそこを立て直すべき指揮官は、既に亡い。背を向けるアルロデナの軍勢に対して、羊を追い散らかす狼のように、彼らは刃を振い、容赦なく殲滅していった。
辺りが血の海になった頃、ようやく彼らは勝鬨を上げる。
──自分達は、此処にいる。勝利の栄光と、敵の血に濡れて、ここに生きて居るっ!
狂おしいまでの熱情を以って彼らは勝鬨を叫んだ。
かつては唯一人の王に向けられていたそれを、まるで遠いどこかに届かせるように、彼らは碧空に向けて勝利と栄光の歌を謳ったのだ。
◆◇◆
西都から出征した救援軍の敗北は、西域支配の天秤が大きく傾いたことを意味した。勝負において、出し惜しみはしないヨーシュ・ファガルミアは、もてる兵力のほとんど全てをその一戦につぎ込んだのだ。
残るは西都を防衛するだけの兵力を残すのみとなった彼は、救援軍敗北の知らせに、僅かに俯いてすぐに指示を飛ばす。
こうなった以上、植民都市ミドルドは諦めるしかない。
王の座す都からの救援しか、フェルドゥークの反乱を抑える手段がなくなった彼には、もはや悲しむ余裕すら与えられなかった。
「敗北した事実を公表し、住民で退去を希望する者は、退去をさせる」
驚き目を見張る文官と武官達。恐る恐ると言った形で、その中の一人が口を開いて彼の真意を問い質す。
「相応の混乱が予想されますので、それは……」
返されたのは、震えが走るだけの鋭い視線だった。
「秘匿したところでどうせ無駄だ。ならば、持ち得る情報はすべて開示し、協力を仰いだ方が良い。それに内部に動揺した民を抱えての攻城戦など、僕はごめん被る。さあ、分かったならば草案の起案を!」
机を叩き、部下を走らせると、ヨーシュは別の一人にも声をかける。
「兵士達の家族に事情を説明させに、兵を走らせろ! 動揺を鎮めるのだ。補填は何年かかっても私が責任を持つ!」
「は、ははっ!」
秘書であり、愛人でもあるメリシアに指示を出す。
「それと敗残兵の受け入れだ。もし生き残って辿り着けるものがいるなら、なるだけ助けたい」
「ですが、派遣できるだけの将が……」
「……いや、いる。リィリィ・オルレーア殿に頼む。護民官の役職の権限を拡張する」
「それは……危険では?」
個人としてなら、リィリィに万全の信頼を置けるが、官職として護民官と言う職にそれほどの権限を与えてしまって良いのかと言う疑問に、ヨーシュは頷く。
「……後手に回ってしまった以上、対処できるところは対処しなければ明日がないよ」
「わかりました。確かにそうです」
普段なら先々を見通して慎重に政策を打ち出すのがヨーシュであったが、事態の切迫はそれを彼に許さない。即座の判断を迫られるのは、総督と言うよりも戦場の指揮官の仕事の部類に入ると、ヨーシュ自身は思いながらも、やるしかないのが現状だった。
怠れば、今まで営々と築き上げて来た西都の繁栄は一夜にして紅蓮の炎の海に沈むだろう。
「レヴェア・スーへの救援依頼は当然として、セレナ頼まれてくれないか?」
「はい、何でしょう?」
「植民都市ミドルドの降伏を、西都は裏切りとは思わない。そう書簡に認めてフェイ殿に飛ばしてくれ」
「はい」
救援のメドが立たない以上、植民都市ミドルドがフェルドゥークへ陥落するのを許容するしかない。再度の救援は不可能なのだ。ゆえに、ミドルドの降伏を認め、フェイの手腕とフェルドゥークの対応に期待をするしかない。
フェルドゥークがこれから先、西都もしくはガルム・スー、あるいはその他の都市でも良い。そしてやがてはレヴェア・スーへと進路を取るのなら、ミドルドに惨い仕打ちをすることはない、とヨーシュは読む。
植民都市ミドルドは、西域を統括する上で、必要不可欠な都市なのだ。西都が政治と経済の中心とするのなら、ミドルドはその立地をもって西域を抑える扇の要。
未だ西都が落ちない現状で、下手に残酷な仕打ちをすれば、西都進軍に遅れが生じるばかりか、後方に不安定な地域をわざわざ作り出すことになる。
だからこそ、ヨーシュは西都を守り切らねばならなかった。
「市内に募兵の布告を出せ。集まった兵は後方へと回す」
「西都防衛の指揮は?」
尋ねる武官も恐る恐ると言った形だったが、ここははっきりとさせておかねばならないところだった。
「……それは、しばらく時間をもらいたい。明日には結論を出す。候補者を階級順に提出を頼む」
「はっ! 夕刻までには」
「よろしい。では」
そう言って様々な指示を出し終えると、ヨーシュは深いため息を吐いた。今回の戦の被害は計り知れない痛手となって、西都を襲うだろう。それがわかるからこそ、孤独な戦いを彼は強いられる。
「ヨーシュ様」
「ん、何かな?」
一人残ったメリシアは、そんな彼に声をかけた。
「なぜ、お頼りにならないのですか?」
「いやだな。誰に?」
「……」
無言のままにヨーシュを見つめるメリシアの視線に耐えかねて、ヨーシュは視線を逸らした。
「……彼女はもう辺境将軍ではない」
「非常のときです」
「……分かっている」
「でしたら」
「だからこそ、彼女を呼ぶ気はない!」
机を叩く荒々しい音と、ヨーシュから向けられる鋭い視線にメリシアは、再び無言で彼を見つめる。
「……話が以上なら、下がってくれ」
「……はい。失礼いたします」
彼女が執務室を出て行った後、ヨーシュは再び深くため息を吐いた。
「呼べるわけがない。姉さんを、やっと戦から遠のいてくれたのに……」
弱弱しく呟かれた本音は、誰にも聞かれることなく執務室の中に消えた。
◆◇◆
動揺を隠しきれない西都からの離脱者は翌日から長い列を作って城門の外へと続く。彼らが行く先は様々だが、南だけはなかった。本来なら宝石街道として名高い南からの街道は静まり返り、その命脈を絶たれたかのように誰一人として通るものとてなかった。
西都から北周りで自由都市群、あるいは東に向かって臨東へと至る。終わらない出血のように続く彼らの長い列は、アルロデナの深手を嫌でも強調せざるを得なかった。
そして救援失敗の報告から十日後、植民都市ミドルド陥落の報告が大陸全土に流れた。
勢い付いたのは、熱砂の大砂漠で反アルロデナの旗を掲げた者達だった。旧エルレーン王国地域こそ暴徒を鎮圧したが、それ以外では未だに混沌とした状況が続いていたのだ。
特に熱砂の砂漠の最南部、迷宮都市トートウキ周辺は反アルロデナ勢力の手に墜ちていた。
ギ・グー・ベルベナの勢力は、植民都市ミドルドを陥落させるとそのまま北を伺う構えを見せる。グー・タフ・ドゥエン率いる一軍を派遣して、西都に睨みを利かせると同時に植民都市から別個に一軍を出して旧エルレーン王国地域を掠めるように南下。
反アルロデナ勢力の諸都市を併合させた。
その時、フェルドゥークの騎馬兵を率いたのは、ギ・ベー・スレイである。王の近衛筆頭であった彼は僅か千騎に満たぬ騎馬兵のみを率いて、フェルドゥークの旗を掲げ、反アルロデナの旗を掲げる各都市の城門前に立った。
片腕に掲げる暴風の戦旗を風になびかせながら、彼は脅しも露に大声で城門を守る反乱勢力に怒鳴った。
「我らに協力して戦場に立つか、それとも無残な死か!? 即座に返答せよ!」
ギ・ベー・スレイの顔を見し知らなくとも、彼らがゴブリンの王の近衛であることは、反アルロデナ勢の目から見て一目瞭然だった。
今や伝説に語られる彼らの姿は、王の近衛だった頃から変わらぬ黒鎧。
“傷物達”と呼ばれた負傷兵達で構成された死に損ねの片腕や片足の無いゴブリン達。二百もの騎馬兵を先頭に押し立てているのは、大陸全土を探しても王の近衛しかいなかった。
フェルドゥークの騎馬兵と比べても、明らかに異質。
まるで冥府から迷い出て来たかのように不気味な彼らは、深く兜を被って表情を窺わせない。
彼らを見た反アルロデナ勢力は驚愕し、そして呆気ないほど容易に城門を開いた。
反アルロデナ勢力の中には、遠目にしても彼らの姿を目撃している生き証人もおり、ゴブリンの王の恐怖と共に、彼らの姿を思い出した者達もいたのだ。
そして、そんな恐怖の象徴たる彼らがいまや暴風のフェルドゥークの旗を掲げ、味方に付けと言っているのだ。彼らに頷かぬ理由はなかった。またその他にも、“糸を引く者”ジョシュアの誘導により、彼らはフェルドゥークの旗の下に終結を見せた。
瞬く間に十七の都市を傘下に収めたギ・ベー・スレイは、さしてそれを誇るでもなく傘下に入れた全軍を北上させた。
占領した都市をむざむざと明け渡すことに、反アルロデナ勢力は僅かに抵抗を見せたが、反論したうちの一人を即座に串刺しにして見せたギ・ベーの苛烈さに、彼らは不満の言葉を飲み込まざるを得なかった。
「戦いたいのだろう? アルロデナと」
「も、もちろんだ」
反論封じのために即座に串刺しを敢行したギ・ベーは、有無を言わせぬ口調で十七の都市の代表者達に言い放つ。
「ならば、舞台は大陸全土。相手は四将軍筆頭ギ・ガー・ラークスでなければならん。一都市を落とした程度で、ましてやそれを失った程度で何を騒ぐのだ」
だからお前達は負けるのだ、と言外に匂わせた挑発に、代表者達は一様に押し黙って下を向いた。彼ら自身の並べ立てた言葉と、自分達の小ささに思い至ってしまったのだ。
「お話は以上で?」
成功を収めた反乱の主導者達から距離を置いて、ギ・ベー・スレイに声をかけるのは、ジョシュア・アーシュレイド。ギ・ベーの威圧にも、全く動じることなく軽薄な笑みすら浮かべる様子は、十七都市の代表者達をすら唖然とさせた。
「ああ」
鋭い視線だけを向け、それ以上言うことはないと言葉を切ったギ・ベー。
「では、前進しましょう。ただでさえ大軍は金を食う」
「……そうしようか」
毒気を抜かれた十七都市の代表者達は頷くと、それぞれ率いて来た全軍で北上した。
「……ふふ、さて舞台は整ってきたが」
楽し気に馬上の人となったジョシュアの傍らでユアンは、長く続く行軍を横目で眺めた。
沈む西日の赤が、どうしようもなく彼らの陰影を砂の大地に刻んでいた。
そしてアルロデナ歴21年初夏の頃、満を持してギ・グー・ベルベナ率いるフェルドゥーク主力が、西方大森林から植民都市ミドルドに到着。
合流した反アルロデナ勢力と合わせ、その勢力は七万を号した。




