継承者戦争≪アディリアド≫
──シュナリア・フォルニ負傷。
プエルの宰領するアルロデナの中枢、宰相府。その中で最もプエルの信任篤い風の妖精族の才媛が負傷したという知らせは、内乱終結へ向けた彼女の道標を大きく狂わせることになった。
暗殺者はその場で倒され、それ以上の被害拡大はなかったものの、その影響は周囲が思っていたよりもはるかに大きなものだった。
一つは感情の問題。もう一つは実務の問題である。
シュナリア姫は、ゴブリンの王の生まれる前から風の妖精族フォルニの貴種である。英明のシューレの一人娘として風の妖精族に対しては、王家とも呼べるほどの尊敬を集める存在であった。
先の内戦で勝者の椅子に座ることが出来たのも、シューレとシュナリアの献身あったればこそ、そう考える風の妖精族において、フォルニの家は自身の誇りと同一の存在だった。
その妖精族に対して、叛徒は暗殺と言う凶行に及んだ。
しかも、妖精族の尊敬を一身に集めるシュナリア姫に対してである。妖精族の叛徒を見る目の、冷たさは氷塊を思わせるほどに冷え切っていた。
各地で行われた苛烈な処置は、武官たるゴブリンや人間達の主導というよりは、彼ら妖精族の文官の方がむしろ積極的に加担することになった。
それは融和を掲げるプエルの政策に僅かながらも罅を入れるものであった。
そして二つ目は実務の問題である。
魔都の主ガノン・ラトッシュと二人で東部の統括をしていたシュナリアの退場は、そのまま海の英雄ロズレイリーの跳梁跋扈に結びつく。
無論、貴重ではあるものの回復魔法の遣い手が存在するため大事には至らなかったが、レシア・フェル・ジールでもなければ重傷を瞬時に癒すことなど不可能に近い。
神々の存在が遠くなり、何より先の大戦で優秀な回復魔法の遣い手がほとんどいなくなってしまった現状では、シュナリア姫の下へ回復魔法の遣い手を派遣せねばならなかった。
そしてその時間はそのまま、東部におけるアルロデナの影響力の低下に繋がらざるを得なかった。軍部は変わらずギ・ヂーが指揮を執り、暴徒勢に対して優勢を保つものの、補給が滞ることが頻発する。
ガノン・ラトッシュなどは陸の暴徒よりも海からの海賊対処に追われ、満足にギ・ヂーらの行動を支援するだけの余裕がない。そこへきて、シュナリアの負傷に、彼女の抱えていた業務までもがガノンの下へ運ばれて来ると、ガノンは悲鳴交じりの罵声を挙げた。
「味方は、俺を殺したいのか!」
活発に活動するギ・ヂーからしてみれば。
「目の前に暴徒がいる。それをどうして放置しておけようか」
にこりともせず、正論を叩きつける彼に、ガノンは頭を掻きむしりながらも、彼らの要求を呑むしかなかった。補給が滞れば、どこからか持ってくるしかない。
その皺寄せは、海岸沿いの監視の目に現れていた。滞る補給は、人と物の両方を含む。
「どこまで勝てるんだ?」
勝利は既に前提だった。ここ数日風呂にも入っていないガノンは、唸りながらギ・ヂーを睨む。
「あと十日あれば、今の暴徒は殲滅できるだろう。無論──」
言いかけたギ・ヂーの言葉をガノンが引き継ぐ。
「──補給が万全であれば、か」
睨み合った二人だが、先に根を挙げたのはガノン。
「ええい! ちくしょう! 持って行け、だが必ずだぞ!」
部下の官吏を呼びつけると、ガノンは怒鳴りながら海岸沿いの都市に海賊被害の補償をする旨の書類を発行させる。寝不足の為に充血し、感情の振れ幅も大きくなったガノンの怒声と視線に、ギ・ヂーは当然とばかりに頷く。
「無論、我が王の名に賭けて」
「ああ、まったく! おい、ユーデナ海岸地域の警備網を再構築するぞ!」
引き攣った顔の部下を怒鳴り飛ばし、ガノンは再び書類と向き合う。
薄くなった監視網の隙間を縫うように、ロズレイリーの襲撃はその頻度を増していた。警備船の撃破、商船の拿捕から港の襲撃なども含めてその活動は幅広い。
足の速い小型の船を中心として襲撃を繰り返すロズレイリーの海賊船だが、主力は戦船たる大型の船だった。陸上の監視網を構築するガノンと海上に監視網を構築したロズレイリーでは、やはりロズレイリーの方に軍配が上がる。
主導権は襲撃者側に握られてしまうのは、仕方なかった。
海を自由に動けるのは、ロズレイリーであり、迎え撃つ態勢を取らざるを得ないのが、ガノンであったためだ。
手をこまねいていては、今まで築き上げて来たガノンの全てが食い潰される。
それが分かるからこそ、ガノンはギ・ヂーの要求を了承したし、ギ・ヂーは最短での暴徒鎮圧を約束した。シュナリア姫の戦線離脱は、二人に過重な責務と仕事を押し付けたが、それをこなし得なければ東部は暴徒と海賊の天国となり果てる。
だが、そう長くは続かない。
それは誰の目にも明らかだった。
◆◇◆
ギ・ガー・ラークスとラ・ギルミ・フィシガの向かった戦場は彼らの舞台としては些か小さすぎた。シュシュヌ教国とシーラド王国の国境では、互いの軍が睨み合いを続けていたが、彼らの下にほぼ同時に到着したのは、アルロデナからの使者だ。
しかも使者が掲げる旗は、弓と矢の軍と虎獣と槍の軍の二流の軍旗。
「なんだと、そんな馬鹿な!」
どちらも軍も動揺を隠せずにいたが、中でもシーラド王国側は、その動揺が激しかった。ジョシュアの工作により、アルロデナが主力で戦場に現れることはない、と判断していたためだ。
突き付けられたのは、アルロデナとの開戦か、それとも再度の服従か。
使者の口上は簡潔であるがゆえに、明瞭にその事実を物語る。
アルロデナの停戦交渉に応じるべきか、それとも否か。戦って勝てる、とは両軍とも思っていなかったが、さりとてここで退けば、真綿で首を絞められるかのような滅亡への道があるばかり。
そうして屈服の使者を出したのは、シュシュヌ側のみだった。
シーラド王国側は、交戦を選択。
──座して死を待つよりも、死中に活を見出すべし。
喧々囂々たる議論の末の勇気ある決断と褒めるべきか、それとも無謀の極みか。
返答を聞いたギ・ガー・ラークスとラ・ギルミ・フィシガは互いの出方を伺うように、一度視線を交し合った。
「譲りましょう」
すぐに視線を戻したギルミは、国境に展開する自身の部隊とギ・ガー・ラークスの部隊を見比べる。視線の先にあるのは、懐かしきアランサイン。
ファンズエルが治安の維持という長く終わりの見えない戦線を張っている間、その姿を観なかった戦場の英雄達。敵を殲滅し、馬蹄に掛けるべく疾駆する草原の覇者。
そのアランサインが整然と居並ぶ様は、静かな威圧感を以って、その場にいる全てを圧していた。
「……ああ」
無言の内に感謝と僅かな怒りを滲ませたギ・ガーは、ギルミの申し出に頷く。直後、燃えるような視線で戦場を見渡す。
気を使ってくれた感謝と、アランサインの実力を確かめるような、見え隠れする本音に怒りを滲ませて、ギ・ガー・ラークスは槍を握り締めた。
こと戦場において、後れを取ったことなどないギ・ガー・ラークスをして、ギルミの態度は自身の誇りを傷つけるものだった。
だがそれはギルミに向けるものではないとも、同時に分かっていた。
長い間翼を休めていたのは、自分自身の咎であろう、と。飛翔を危ぶまれるのは、自身の不徳の致すところでしかないのだ、と。
「何か?」
黒虎に跨ったギ・ガーの傍に、ファルが近寄り問いかける。
内省の思考とは別に、誇り高きギ・ガーはその感情の持って行き先を、目の前に見つけ出していた。変わることのない自分自身にも、そして向けられる不安と疑念を抱いた視線をよこす戦友にも、証明せねば気が済まなかった。
「ファンズエルは、我らに戦場を譲ってくれるそうだぞ?」
ギ・ガーの背中から立ち上る気炎の正体に気づいたファルは、一瞬我を忘れてギルミを睨んだ。
「……なるほど」
吐き出す息と共に、ファルの口元には獰猛な笑み。
「誰が戦場の主役であるのか、彼らには思い出させてあげる必要があるようですね」
「その通り。まったくもって、その通りだ」
ギ・ガーのしごいた槍が風を切る。
「ファンズエル如きが、我らアランサインに戦場を譲ってくれるなどと、嬉しくて涙がでる。明け渡してこそ、当然だと見せつけねばならん」
「仰る通り」
抜いた長剣の鍔鳴りが、直後に静寂を連れてくる。
アランサインの耳目は全て、副官ファルの背に集まった。緋色の外套が小柄なその体を隠すが、たとえようもないほど、頼もしく見える。
「貴様ら、良く聞け! 敵は、以前我らの馬蹄に戦わずして屈した弱兵であるっ!」
新兵をしごき倒す教官の声音で、ファルが声を上げる。
「我らは何者であるのか!?」
ファルの声に応えて、古今無双の騎馬隊が声を上げる。
「アランサイン! アランサイン!」
「貴様らは、弱卒に負ける腰抜けか!?」
「否! 否! 否!」
「では、なんだ!? 大陸をその馬蹄に掛け、蹂躙し駆け抜けたアランサインではないのか!?」
「応! 応! 応!」
「我らこそが、大陸最強の騎馬部隊! 我らこそがアランサイン! ギ・ガー・ラークス率いるアランサインであるっ! その我らに、蹂躙できぬものがあるか!?」
「否! 否! 否!」
叫ぶ声は風に乗り、ファンズエルにも敵にも聞こえた。
「蹂躙するぞ! 徹底的にな!」
それはもはや爆発だった。新兵も古参兵もアランサインという一つの生き物となって、臓腑の底から声を上げる。背中に感じる熱量を受けて、ギ・ガー・ラークスが駒を進める。
最初はゆっくりと、だが確実に、そして徐々に早くなっていく姿を追いかけるように、アランサインが動き出す。
一つしか残っていない腕の先、神代級大斧槍をぐるりと回す。
「──グルウゥォオオアアア!!」
咆哮一つ、一気に最高速度へと到達したギ・ガーの後ろには、既に副官ファルとアランサインの古参兵。
「蹂躙せよっ!」
苛烈な声とともに命じるギ・ガーに従って、アランサインは横一線に縦隊を取る。土塊を蹴散らし、土煙を挙げて疾駆するアランサインの前には、動揺に旗を揺らす敵軍の姿。
獲物を見つけた怪鳥が、両の翼を広げる。ギ・ガー・ラークスは失った片腕の代わりに、部隊を一匹の生き物として動かす、最良の副官がいる。
「来るぞ! 槍壁!」
──アランサイン来たる!
悲鳴の如き伝令の声に、シーラド王国の将軍達は、即座に命令を下す。
彼らにとってここが、亡国の瀬戸際。追い込まれた危機感は、彼らをしてこれまでの鬱積した思いの爆発を経て、予想外の反応を示した。
命令する声に最速で応えるシーラド王国重装歩兵。手にした槍は磨き上げられ、大楯を隙間なく並べるその姿は一枚の壁を思わせる。貧困の中で戦にしか希望を見出せなかった彼らは、持ち得る練度を最大限にまで練磨していた。
勝機は少ない。だからこそ、最善と思われる対策を幾重にも練って来た。そしてそれを実現する方法も繰り返し積み上げて来た。
数少ない魔法兵達が、防壁を張る。
「風よ!」
騎射を始めとしたアランサインの遠距離攻撃を無効化すべく、大気の風を乱す。
対アランサインの作戦に、シーラド王国側が勝機を見出すのは、最初の一撃。
それを凌いで、乱戦に持ち込めば機動力を発揮できないアランサインは他の部隊に比して弱い。
「初撃を受け流す! 亀甲陣!」
流れるような動きで一枚の壁と思われた部隊が、その壁面に丸みを帯びる。
アランサインが広げる両の翼の中心に、戦場を飛翔する片翼の怪鳥ギ・ガー・ラークスの姿。
「一斉射撃用意!」
挙げる号令は、アランサインの弱点を狙う。
彼らが狙うのは、ギ・ガー・ラークスの首ただ一つ。
ギ・ガー・ラークスは確かにアランサインの中心である。彼を中心に部隊はまとまり、彼を中心として成り立っているのがアランサインである。
だからこそ、そこに狙い目が生じる。
ギ・ガー・ラークス亡き後、アランサインがまともに機能するか否か。元々賭けの要素が強いが、そもそも戦力比からして、勝機は限りなく薄いのだ。シーラド王国としてはそこに賭けるしかなかった。
背の丈ほどもある大弓を、毎日射ることによって体型すら変わった彼らが狙うのは、騎射の射程の外側からである。
「撃てぇぇえ!」
大音声の号令とともに射かけられた矢の雨が、ギ・ガー・ラークスに殺到する。
「駆けよっ!」
自らに向かって殺到する矢の雨を知覚し、ギ・ガーは腹の底から熱量が噴き出すのを思い出した。戦場の熱が内側から衝動となって口から怒声を響かせる。
怯むどころか、己に殺到する矢の雨に向かって加速すらした。
「ギ・ガー殿を殺させるなっ!」
ギ・ガーの無謀とも思える突出に、即座に反応してファルが声を上げる。
「魔導騎兵!」
多くの言葉は必要ない。かつて草原の王国の守り手として、大陸中央に覇を唱えた末裔達は、呼ばれる名前だけで、彼らの役目を果たす。
風の魔法の遣い手達が、ギ・ガーの前に障壁を作り出す。
──風よ! 守り給え!
一点集中で指揮官を狙ったシーラドの矢の軌道は、だからこそ容易に看破された。吹き荒れる乱気流に軌道を乱され、失速しギ・ガーまで到達できる矢自体が極々稀だった。
その辿り着いた矢ですらも、ギ・ガーの振るう大斧槍によって払い落とされる。
だが、それでもシーラド側は射撃を止めない。
距離が近づくほどその威力は高くなっていくのは当然で、乱気流をものともせずにギ・ガーに致命の一撃を与えるほどの威力を持った矢が防壁を突破してくるまでになった。
「ギ・ガー殿!」
怒鳴るファルの声に、だがギ・ガーは速度を緩めない。
「ええいっ! 悪癖だ! 突撃!」
速度を落とさぬまま、更なる命令。
ギ・ガーに敵の矢が届く距離。それはすなわち、騎射の距離であった。
一体誰の真似なのか、己の身を盾として突き進むギ・ガーに合わせてファルが再び命令を下す。シーラド弓兵に向かって騎射をかけつつ、魔導騎兵に対して援護射撃を要求。
曲線の軌道を描いた火球がシーラド重装歩兵達に向かって放たれる。
「来る、来るぞ!」
重装歩兵達の部隊長が、興奮気味に叫ぶ。
「耐えねば、負ける。負ければ、国は亡ぶ! 故郷を思え!」
悲壮なる決意で歩兵達は悲鳴を押し殺して、足を踏ん張った。
「腹の底から声を振り絞れ! シーラド王国に栄光──がぁ!」
降り注いだ矢が部隊長の肩を射抜く。だがそれでも、倒れず声を張り上げた。
「耐えろ、耐えろぉぉお!!」
直後降り注いだ火球が、重装歩兵の大盾を直撃する。落下した火球が盾の上で爆発し、炎を巻き上げる。酸素を奪う火炎の群れが瞬く間に歩兵を蹂躙していく。
だがそれを、歩兵達は耐えに耐えた。
焼けただれた歩兵が悲鳴を上げて転げるのを、後方の歩兵が隊列から引っ張り出し、即座にそれを埋める。崩れることのない重装歩兵の隊列は、矢と炎の雨に頑強なる抵抗を示した。
ギ・ガー率いるアランサインの前に立ち塞がるのは、一国の誇りを賭した兵士達である。
彼らの後に退却の文字はなく、最後に一兵になるまでその場に踏みとどまると意地を示した兵士達。それを見て、シュシュヌ王国の兵士達は息を呑んだ。
犬猿の仲である隣国の兵士達ですら、シーラド王国の重装歩兵の奮闘には息を呑まざるを得なかった。
降り注いだ炎の雨が上がっていく。
ギ・ガーに率いられた騎馬兵達は、その先の光景に目を見張った。
「槍、構えぇぇ!」
血を吐く様な部隊長の声に応えて、炎を体に纏わりつかせながらも、槍を構える歩兵の戦列。
騎馬兵の突撃にまったく恐れもせず、立ち向かって来る死兵の群れ。
それに向かって突き進むのは、まさに自殺行為に他ならない。それを理解できるからこそ、騎馬兵達に僅かに迷いが生まれる。
ギ・ガーも、目を見張ったのは同じであった。だが、その理由は騎馬兵達とは異なる。
彼の目に映ったのは、懐かしき戦場の光景だ。
死を恐れぬ敵兵達。
一国の誇りを背負い、退けぬ理由を抱えて、一命を賭して向かって来る戦士達の姿。
その姿に、握りしめた槍の柄に更なる力が無意識のうちに入る。
──帰って来た。嗚呼、帰って来たのだ!
待ち望んだ戦場に。彼らの王と共に駆け抜けたあの日々が、ギ・ガーを吠えさせた。
「グルウゥウォオオアァオオァアア!」
他を圧する咆哮が、ギ・ガーと言うゴブリンの姿を借りて、戦場に響く。
ファルは舌打ちと共に、ギ・ガーの速度に遅れる味方を鼓舞。
「旗をっ!!」
ファルの後ろを駆ける古参の兵が、その号令に応えて高々と虎獣と槍の旗を掲げる。
「恐れる者は死ね! 怯える者も死ね! 足を鈍らせて死んで行け! ただ、あの背を追える者だけ、速度を上げよ!」
長剣の切っ先をギ・ガーの背に向けて、ファルは馬体を蹴って速度を上げた。
そしてその鼓舞に、応えぬ騎馬兵達ではない。
もはや、距離は魔法や矢を放つような距離ではない。後は、切り込んでの肉弾戦。
「オォオォオォォオオオォォォオ!!」
雄叫びをあげ、勇気を奮い起こし、アランサインは敵前で更なる速度を上げた。
ギ・ガーの一騎駆けのような態勢から、横隊にまで持ち直させたのは、間違いなくファルの功績であった。
衝突は、激烈に過ぎた。
振り上げた大斧槍が、ギ・ガーの咆哮と共に敵兵の盾を叩き潰す。盾ごと槍で貫かれた歩兵が、それでも槍を手放さず、騎馬兵を突き殺す。
放たれた炎弾に焼かれながら、悲鳴を殺して騎馬兵を止めようと食らいつく。馬蹄に踏み潰された歩兵が、内臓を潰され血を吐きながらも、持っていた槍で馬を突き刺す。
一瞬にして生み出される地獄絵図を、その大斧槍で斬り払うように、ギ・ガーは縦横無尽に槍を振い続けた。鎧の隙間を突き刺し、敵の槍を薙ぎ払い、振り上げた大斧槍で盾ごと敵兵の頭を叩き潰す。
彼の大斧槍が振るわれる度、降りかかる返り血を浴びて、黒虎も唸りを上げて眼前の敵を噛み殺した。
ぶつかった二つの軍の勢いの差は歴然であった。
食い込むアランサインとそれを抑えかねるシーラド王国。
当初受け流すはずだったアランサインの突撃を、まともに受けてしまったのはギ・ガーを集中攻撃したにも関わらず、負傷をさせるどころか、逆に速度を上げて突撃を許してしまった。
そして戦列で受け流すはずが、まともに食い込まれてしまったのだ。
食い破られた戦列は、修復する暇もなく次々に騎馬兵がその穴を広げられ、押し込まれていく。その様子は固い亀の甲羅を、猛獣が牙で噛み砕くのに似ていた。
そしてその牙は、今なお勢いを弱めずに猛然と突き進んで来るのである。
──突撃したのなら、決して止まってはならない。
まるでそう言っているのかと見紛うばかりに、ギ・ガーの突撃は苛烈でそして容赦がなかった。
その勢いを弱めぬまま、重装歩兵の群れを遂に突き抜け、更に軽装歩兵を蹂躙して、さらに突破する。
シーラド王国側も、必死であった。
分断されたままの隊列では、騎馬兵を止めるための長い槍は、陣形構築の妨げにしかない。前からの攻撃には強いものの、それ以外からの攻撃に対しては弱いのが長槍兵という兵種だった。
長槍兵は同じ兵種でまとまって、大楯で防御を固め、長い槍で相手を近付かせないようにして圧倒するというのが戦法である。
重装歩兵達は例外なくその長槍兵である。
「槍を捨てよ! 抜剣!」
重装歩兵達の弱点を、シーラド王国側は長剣を装備させる二段構えで対応した。
この先の戦場は彼我入り乱れての乱戦になるとの判断からだ。だがそれは、半ばシーラド王国側の敗北が決定した瞬間でもあった。
大楯に身を隠し、槍を捨て長剣で武装した兵士へと変貌を遂げたシーラド王国側の兵士達。果敢に向かって来る彼らは、乱戦に対応して、ある時は突破しきれなかった騎馬兵を襲い、ある時は突撃の衝撃を躱す為に、少数で固まった。
個々での対応もシーラド王国は決してアルロデナ側に見劣りするものではなかった。指揮官自ら剣を振るい、アランサインの騎馬兵に対応する様子は、兵士達の士気を十分に高めたし、個人での武勇もいくらかは発揮された。
しかし、個々での対応に終始してしまったシーラド王国側は、全体の統率者たるべき者が不在となってしまう。
すなわち、突撃から敵陣を食い破り、更に大きく迂回して再び突撃態勢を整えたギ・ガー率いるアランサインは、未だ敵陣を突破出来ずに居る味方を救出すべく、再び陣形を整えた。
鏃の先に陣形を見立てた鋒矢陣に態勢を整えると、アランサインは勢いをつけて再び突撃を開始する。その先頭に立つのは、再び羽ばたき始めた戦場の怪鳥。
片翼となったその先に、鋭い鉤爪である大斧槍を持ち、縦横無尽にそれを振って敵陣を引き裂いていく。まるで猛禽類の襲撃のように、再び敵陣を切り裂くと、流石にシーラド王国側の抵抗が弱まった。
二度目の突撃の際に、将軍達の大多数が討ち取られ、指揮系統が寸断されてしまったのだ。
二度目の突撃を受けた時点で、再度アランサインの突撃を受けた場合、全滅を覚悟せねばならないところまでシーラド側は追い詰められた。
それでもなお、彼らの戦意は衰えなかった。
魔法兵・弓兵のほとんどすべてを失い、指揮官たる将軍達をも失ってシーラド王国の兵士達は、その場に踏み留まった。
「退くな! 退くなよ!」
誰からともなく声が上がる。
退けば、後はない。
故郷は蹂躙され、女子供は奴隷に売られる。国庫に余裕などないのは、将軍達を通じて一般の兵士にまで知れ渡っていた。その中で重装歩兵の装備を整えたのは、まさに塗炭の苦しみをなめた民の血で賄った代物である。
だからこそ、彼らは戦場に踏みとどまる。
重装歩兵を外円として、内側に軽装歩兵。僅かに残った魔法兵と弓兵は、その中央へ。
シーラド兵士の崩れぬ覚悟を見て、ギ・ガーは称賛の思いを抱くと同時に、湧き上がる戦意を黒虎を駆けさせながら叫んだ。
「良き敵! 良き戦場だ!」
返り血で化粧を施されたギ・ガーの相貌は、獰猛たる笑みに彩られていた。
「だからこそ、倒す価値がある!」
円形を描く敵陣の周囲を、アランサインが駆け巡る。
「敵は死兵である。命を捨て、この戦場に全てを賭けて来た! 覚悟、練度、士気は申し分ない! そして──」
大斧槍を天高く突き上げ、ギ・ガーは叫ぶ。
「──その全てを、蹂躙するからこその、アランサインである!」
その声は不思議と風に乗って、アランサインの全てに届いた。
大斧槍をぐるりと、頭上で振り回す。
円陣を構えた敵の、僅かな綻びを猛禽の如きギ・ガーの視線が、戦場を経験した歴戦の戦士の嗅覚が、その時確かに捉えたのだ。
「吶喊!!」
ぐるりと振り回した大斧槍の先、円陣を組んだ敵の陣形に、鋭く切り込んだアランサインの突撃は、一気にその半ばまでを蹂躙し、中央を引き裂いた。
中央まで切り込んだアランサインは、その勢いのままに更に円陣深く切り込み、反対側へ抜けていく。
まるでバターを熱したナイフで斬るように、割れる陣形と蹂躙されていくシーラド王国の兵士達。敵に背を向けない勇敢さは、全滅と言う形での決着を導かざるを得なかった。
小国の渾身を振り絞ったその戦場は、シーラドの墓標の戦場と呼ばれることになる。
王暦21年初旬、シーラド王国は、地図上からその姿を消した。
長らく投稿せずに申訳ありません。私生活が全く時間が取れませんでした。




