継承者戦争≪魔獣王の瞳≫
魔獣に囲まれて、ギ・ギー・オルドとギ・ジー・アルシルは将棋盤を囲んでいた。
その二人に報告するような形で、ギ・ブー・ラクタは盤面を覗き込む。
場所は、魔獣達の楽園オルド領──その中央に位置するギ・ギー・オルドの集落である。周囲の木々よりも高く作り上げられた櫓の上で、小型の魔獣は寝そべり、欠伸を噛み殺すか、既に気持ちよさげに眠っている。
常緑の木々を抱える西方大森林に吹く風は、冬だというのに温かみを含んでいた。
その中でギ・ギー・オルドはギ・ジー・アルシルと将棋を打つことを、密かな楽しみとしている。そんな中、密かに訪ねて来たのはギ・ブー・ラクタだったのである。
ギ・ギー・オルドは、各地から届く情報を律儀に報告する年来の副官に目を細める。副官であるギ・ブー・ラクタは、百万の命を握る男ヨーシュ・ファガルミアと組んで、アルロデナ全土に魔獣の店を展開していたが、そこに供給するための魔獣は、ギ・ブーの営む牧場から全て送り届けられるのだ。
そのため彼の営む牧場は全土に存在し、そこから上がってくる情報をギ・ブーは自由への飛翔とは別の諜報網として整備していた。ギ・ギーほど天才的な魔獣を扱う術を持たないギ・ブーであったが彼の才能は、魔獣を扱う以外では確実に上司を凌駕し、その他全ての面でギ・ギーを補佐していた。
ゴブリンの王存命時代から、独自の一軍を任されるという職責にも、易々と応えて見せた異端の巨才は、優秀な副官を得て、その影響力をさらに増していた。
今や彼の領地は、魔獣の楽園として繁栄しているだけではなく、魔獣の店とつながりを持つ商人らが魔獣に襲われる危険を冒してでも、足しげく通う土地として繁栄している。
牧畜、娯楽、情報、経済と分野を拡大して影響力を増し続ける双頭獣と斧の軍は、アルロデナ歴で21年、ギ・グー・ベルベナの反乱を静かに見守っていた。
またアルロデナの諜報組織自由への飛翔とは別の諜報網を持つことにより、以前からその兆候を危惧していたギ・ギーであったが、ギ・グーの反乱を予見しえたわけではない。
あるかもしれない、程度の危惧で軽々と軍を動かせるほど、魔獣軍の存在は軽くはなかったのだ。
ゴブリンの王没後15年の歳月は、ギ・ギー・オルドに以前はなかった慎重さを加え、待つという選択肢を取るまでになっていた。
彼の下には、以前の交誼があった者達の情報も存在し、それがために予想のつかない戦に賽を振れないという事情も存在した。
狂えるギ・ズー・ルオは、大戦のあと完全に隠遁している。己の領地に戻り、元の部下達で希望する者達とともにその領地の奥に引きこもり、アルロデナの国政に一切の関与をしていない。
不気味に沈黙を守るのは、オークの大族長ブイである。
領地の隣接するオーク種族の発展は、わずかばかりの摩擦を引き起こしていた。
もともとが魔獣を食料とするゴブリン、オーク達である。その食料とする魔獣が楽園を築いているのがオルド領である。狩る者と狩られる者の逆転劇はよくあるものの、自然に任せるという形で一応の取り決めをして以後、その取り決めが破られることはなかった。しかしオーク領の著しい発展は、徐々に魔獣を狩られる側に押しやってきている。
それをこのまま放置して、大挙してオークが押し寄せて来た場合、オルド領の魔獣達は狩りつくされてしまうのではないか、という潜在的な不安をギ・ギーは拭い去ることが出来なかった。
北へ北へと拡張を繰り返すオークの衛星都市がまた、彼の疑念に油を注ぐ。このままぐるりと包囲されるように拡張を続けるようならば、あるいはオルド領から攻め込んだ方がまだマシではないのかと。
オークの縄張りを示す衛星都市は、ギ・ギーの目には自分達を包囲する網のように見えた。実際には、東西と南をそれぞれの勢力に囲まれているオークの族長ブイとしては、北に伸長するしかなかったわけだが、ギ・ギーからすれば、オークの事情など斟酌する必要もなかった。
ゴブリンが勝者でオークは敗者である。
その事実が、ギ・ギーの中で揺るがず存在しているのだ。偉大なりしゴブリンの王がオークの大族長ブイを追い詰め、降伏させてから20余年の月日が流れていた。しかし、それでもギ・ギーは、あの時のブイの姿を覚えているし、勝者は自分達であるという意識も捨てきれなかった。
「使者が来るな」
ぽつり、ともらしたギ・ギーの言葉に、ギ・ブーは頷いた。
久しぶりにあった彼ら二人は、お互いの下に来る両勢力からの誘いの文言を並べあって、今後ザイルドゥークとしてどうするのかを話し合わねばならなかった。普段遠く離れている彼らのやり取りは、魔獣を介してでしかすることがなく、直接話し合う機会と言うのは貴重であったのだ。
特に副官ギ・ブーとしては、上官の今後の考えを知っておかねば、行動がとれないことが多すぎる。一歩間違えば、反逆罪で魔獣軍諸共消し飛ばすほどの危険をはらんでいる。ギ・グー・ベルベナの反乱とは、それほどのものであった。
もっぱら、ギ・ブーが話し側でギ・ギーが聞き役だったが、それは副官と上官の役割というものであった。
「どうしましょう?」
にやりと、笑った上官はすぐさま目を瞑り唸るようにして言葉を吐く。
「んん? フェルドゥークにでも付くか? そうすれば、目の前の邪魔なオークを蹂躙できそうなものだが」
「……では──」
「だが、あの宰相殿が負けるとは思えんな」
「……で──」
「しかしなぁ~、オークは目障りだし」
「……」
「んん? どうしたギ・ブー。そんな仏頂面をして」
「いえ、なんでもありません」
黙り込む副官を見てニヤニヤと笑い、明らかに楽しんでいるギ・ギーの様子に憮然とした表情でギ・ブーは聞きなおす。
「で、結論は?」
「フェルドゥークは勢いがある。流石に暴風のフェルドゥークよな。それに守勢は彼らの本領よ。攻めて良く、守って粘り強く、穴は見当たらぬな」
うんうんと頷くギ・ギーは、横に並んだギ・ジー・アルシルに視線を向ける。
「だが、それでもギ・グーはアルロデナには勝てないだろう」
ギ・ジーは、ゴブリンの王存命中斥候兵を率いて、戦場の情報を集める役割を担っていた。誰よりも早く戦場に入り、誰よりも忍び、誰よりも耐えることが要求されるその任務に、ギ・ジーは良く応えた。
一度としてゴブリンの王の期待を裏切らず、よく働いたギ・ジーであったが、ゴブリンの王亡き後は、その斥候兵を解散させている。
王の居ない世で、俺が戦う理由もないだろう、と慙愧の念とともに彼は部隊を率いていなかった。もっぱら各地を放浪したり、親友であるギ・ギーと共に過ごしたりして、日々を送っていた彼にとって、ギ・グーの反乱はどこか遠い世界の出来事のように思えた。
「熱狂のままに戦い続けるには、我らは長く生き過ぎたな」
皺枯れた老人のような言葉を口にするギ・ジーに、ギ・ギーは眉を跳ね上げたまま無言を貫いた。肯定とも否定ともつかないその返事に、ギ・ジーは視線を東に向けた。
「では、アルロデナの使者に返事を」
「ああ、それは少し待て」
ギ・ギーの言葉に、ギ・ブーは上げかけた腰を下ろす。
「精々、吹っ掛けねば割に合わんだろう」
プエルに対して、戦友であるという意識は確かにある。彼女が亡き王を思い、国と言う曖昧なものを守ろうとしているのも、ギ・ギーには分かる。
だが、それはギ・グーに対しても言えることだったのだ。
彼が反乱を起こした経緯を、ギ・ギーは知らない。だが、起こしたからにはどちらかが死なねば収まらないのは、分かるのだ。
「おい」
親友であるギ・ジーの叱責にも、ギ・ギーは表情を変えることなく視線だけで応じた。
「身一つなら、それも良かろう。だが、俺は一つの軍の領袖となってしまっているしな」
付き従う部下達に、良い思いをさせてやりたい。
そう考えるのは、さながら人情であった。
アルロデナはこれから、どんどんゴブリンの色が薄れていく。誰から教えられるわけでもなく、嗅覚でもってそれを見通すギ・ギーにとって、それは不満の種であった。
ギ・グーの反乱以後は、なお一層その傾向に拍車がかかるだろう。
──我らの作った国が、我らを駆逐する。
ゴブリンの王の示した融和と共存の道は、滅びゆく種族を救ったかもしれないが、違う滅びの道を示したに過ぎないのかもしれない。
ギ・ギーはそう考えるに至って、ギ・グーの反乱も止む無しと考えるようになっていた。
ギ・ギーの考える純粋なゴブリンと言える存在は、どんどん少なくなっていっている。価値観の変動や混血により、徐々にゴブリンと言う種族は滅びに向かっているのだとギ・ギーは考えた。
ならば、その滅びの道を精々派手に彩ってくれるのがギ・グー・ベルベナの反乱であろうとも。
「俺は、ギ・グーに……負ける戦はせんよ。だが、戦友を手に賭けるのは忍びなくてな」
本心と建前を多分に含んだギ・ギーの言葉に、ギ・ブー・ラクタは、眉を顰める。
「ですが、それは……」
徒に事態を悪化させ、被害を増やすだけなのではないか。
そう言いたそうなギ・ブーの言葉は、ギ・ジーによって遮られた。
「まぁ、良かろう。四将軍のギ・ガー・ラークス殿が動かれるなら……大した違いはない」
「俺もその四将軍なのだがね?」
苦笑しながら問い返すギ・ギーに、ギ・ジーは笑いを含んで問い返す。
「ほう、今から筆頭の地位に挑んでみるか? あるいは俺とお前の二人なら可能かもしれんが」
「二人じゃ、筆頭じゃないだろうよ」
手を振って眉を顰めたギ・ギーに、ギ・ジーもまた苦笑を張り付ける。
「ま、そうよな」
それが結論だとばかりに、話を終わらせ視線を将棋盤に向ける。なおも納得しないギ・ブーに、笑いながらギ・ギーは口を開く。
「ギ・ブーお前、芝居を見ることはあるか? 俺は、旅先で見たが、なかなか面白いものだったな」
「はぁ、なかなか暇がありませんので……」
「そうかそうか。あれにはな、主役と脇役が揃ってこそ、良い芝居が出来るらしいのだ」
「……つまり、我らは脇役と?」
「おお、素晴らしきかな、その理解の速さ。それでこそ我が右腕よ。ま、そういうことだ。主役は王の偉功を最も助けた二人。舞台は我らの築いたこの世界全土。なんともまぁ、羨ましいことではあるが、その主役に名乗りを上げるほど、我らは無粋ではないのだ」
ゴブリンの王の覇業は、あるいは自分がいなくても為し得たかもしれないが、あの二人が居なければ為し得なかったかもしれない。
そうギ・ギーに思わせるだけのことを、ギ・ガー・ラークスとギ・グー・ベルベナは持ち得ていた。
「ゆるりと、動けばいいのだ。部下どもには警戒を強めろ、兵糧の蓄積を進めろとだけ、指示を出せば良い」
盤上を見ながら楽し気に、手の中の駒を弄ぶギ・ギー。
「だが、この盤上に不穏な動きをする者がいれば、それは排除せねばな」
にやりと笑って、駒を置いたギ・ギーに、眉を顰めたギ・ジーが呻く。
「オークは、動かん」
「なら、良いのだが」
以前からオークの大族長ブイと友誼を結んでいるギ・ジーとしてみれば、親友と友人が戦う姿は望ましくない。
「何も、オークだけとは限らぬし」
「……海の向こうは、あの口の悪い男に任せれば良い」
「あるいはそれだけでは、すまないかもしれませんが?」
ギ・ジー苦戦の局面に、口を挟むのはギ・ブーである。視線だけを向ける両雄に、ギ・ブーは苦い表情を保ったまま告げる。
「ギ・グー殿の反乱に同調するように各地で反乱が起きています」
「……確かに、らしからぬことではある」
自分達が変わったように、ギ・グーもまた変わってしまったのか、という疑問を脳裏に抱きながら、ギ・ジーとギ・ギーは瞼の裏にギ・グー・ベルベナの姿を思い描いた。
謀略とは無縁の、戦場で傷つきながらも必死に王に追いつこうとする姿を幻視して、彼らはため息を吐いた。
「哀れな奴……」
「……いや、あれこそ真のゴブリンよ」
ギ・ジーの言葉に、首を振ったギ・ギーが応える。欲望に正直で、純朴で、嘘を知らない武人の姿。同時に対比されるのは、もう一人の英雄。ギ・ガー・ラークスの姿である。
「ギ・ガー殿は」
「あれも、確かにゴブリンの姿ではある」
ギ・ジーの言いかけた言葉を引き取って、ギ・ギーはそう言い切る。一途で、忠義者で、闘争を忘れられない戦士の姿。
結局のところ、彼らはゴブリンの王の覇道に従った真のゴブリンなのだ。ギ・ギーと、ギ・ジーが考える今はもう少なくなってしまったゴブリンの戦士。その頂点を戴く二人だった。
「……」
「頂点に立つのは、ただ一人。だが……なぜかな、今さらながら良く思う。なぜ我らを置いて我らの王は冥府に旅立ってしまったのか……」
言葉を噛み締めるように、ギ・ギーはそう呟いてため息を吐いた。
全ては仕方のないことなのだ。
ゴブリンの王が冥府に旅立った時から、こうなることは決まっていた。そうでも思わねば、争う彼らの姿を眩しくて見ていられない。
彼らは、好むと好まざるに関わらず、その存在を賭けて戦うだろう。そしてその勝敗は、ゴブリンと言う種族と偉大なる王の築きしアルロデナの向かう先を決めてしまう。
ゴブリンとは、何なのか──?
あの、争覇戦争は何だったのか。彼らにとって、あまりにも偉大なゴブリンの王の示した覇道の先を、どう決めるのか。
この一戦には、それだけの意味がある。
ならば、彼ら二人には止められるはずもなかった。
これまでの、これからの行く先を決めるのは、王の覇道に最も貢献した者でなければならないのだから。
彼らが見つめる東の地で、だが事態は大きく動こうとしていた。
◆◇◆
アルロデナの歴で21年、年も改まって最も早く動いたのはアルロデナではなくミラ・ヴィ・バーネンの治めるブラディニア女皇国。アルロデナの治安維持を司るファンズエルからの要請が到着するよりも早く、近隣の暴動鎮圧のために軍を動かす。
ミラは、暴動鎮圧に最高の手札を切った。自らの夫であり、ブラディニアの柱石ヴィラン・ド・バーネンを将軍として、総数五千。
彼は出陣する際催される出陣式で、衆人環視の中ミラに膝を突いて勝利を誓う。
鷹揚として受ける彼女に、ついでのようにヴィランは許可を願った。
「叛徒には、苛烈な処置をいたします。お許し願えますか?」
クシャイン教を国教として掲げるブラディニアは、常備兵の数は決して多くない。その中でヴィランは独自に私兵を持つことを許された稀有な例だった。
「神の御名において、許します。貴方の為したことは、クシャインの許したもうたこと。そしてアシュナサンもまた、共存を拒む者を許しはしないでしょう」
「御意」
外套を翻し、馬上の人となったヴィランはすぐさま西進し暴徒の占領した街に到着する。クシャイン教徒の治める街の中でジェルロードの恩恵を受けて発展したラジャスタと言う街だった。
「ラジャスタの叛徒より使者です」
整然とした陣を整え攻城戦の構えを見せたヴィランに、街を占領した暴徒側から使者が出される。暴徒もただ暴れるだけでは、すぐに鎮圧されることが分かっていた。その為、発生した中である程度中心となる組織が存在し、それを中心に急造でもまとまり、交渉を持ちかけて来たのだ。
それが成功する場所もあれば、失敗する場所もある。
裏で糸を引くジョシュア・シューレイドにはあずかり知らぬことであるし、もし詰め寄られたとしても、ここまでお膳立てして成功せぬ無能に一体何の利用価値があるのかと、逆に切り返したかもしれない。
「到着した使者の首を刎ね、槍の先にかざすように」
遠目にその使者の様子を見たヴィランは、即座に指示を下すと続いて部下に命じて攻城兵器の準備をさせる。地形を見渡したヴィランはそれを一言で斬って捨てた。
「恐れるべきほどのものではない」
準備が整うとすぐさま城門に押し寄せたブラディニアに、叛徒は成す術もなかった。冷徹なるヴィランの目は、すでに発生した暴徒の弱点を見抜いていたのだ。
ラジャスタは、四方を城壁に囲まれた一般的な都市であり、ジュエルロードの恩恵もあってその壁は四方皆人の背丈の四倍ほどの高さもある。
しかも西側に細くとも深い川が存在し、東側には大軍の運用を不可能にする森がある。ゴブリンや妖精族ならともかく、人間が森で集団で動くとなれば、それなり以上の練度が要求されるものだった。
だが、城壁に翻る叛徒の旗を見てヴィランはすぐさま攻撃を決意する。
「森から木を伐り出して攻城兵器の準備を、同時並行で兵站部隊の運んできた資材を組み立てなさい」
数は多いものの、まとまりにかける。それは、核となるべき将軍がいないからであり、命を懸けて戦う際に、致命的な弱点となり得るものだ。
誰しも危険な場所には、行きたくない。それを命令させ行かせるのが、司令官であり将軍であるのに、急造の暴徒側ではそれを用意できるはずもなかった。
なにせ、反アルロデナの狼煙を上げた反乱勢力の内、名の知れた将軍と言えばユアン・エル・ファーランぐらいしかいないのだ。
通常攻城兵器を破壊する防御施設も、そのもの自体の使い方は知っていても、統一された運用は知らなかった。危機に墜ちった城門に適切に兵力を差し向けることもできなかった。
「神の御名のもとに!」
ひと声で味方の士気を引き上げると、指揮杖を振り下ろして攻撃を開始させた。
正攻法を以って攻め寄せるヴィランの用兵は堅実であり、華がないと言われる。だがそれは失敗が少ないということだ。ヴィランの勝利を手繰り寄せる貪欲さは、冷徹な計算の上に築かれる。
「投石器を南門に一斉集中、火矢の合図とともに門を破壊します」
口元を隠し、ぶつぶつと計算を呟いた彼は勝利を確信し、総攻撃の命令を下す。
打ち破られる城門と、味方の挙げる喚声に包まれながら、ヴィランは次の計算を弾いていた。床几に腰かけ、頬杖を突きながら、彼は不機嫌そうに眉を寄せて口元を隠したまま、呟いた。
「神の名のもとに……そう唱えれば心が軽くなるかと思ったけれど、神の御名はそこまで万能ではないか」
喚声溢れる本陣の中、沈鬱な気分になりながら、それでもヴィランの頭は計算を止めない。
「後尾の雲雀の軍を以って街中の掃討を」
「はいっ!」
返される歓喜と憧憬の含まれた返事に、頷きながらさらに指示は続く。
「包囲は続けなさい。ただし東側の森は空けて」
「森を開ければ、叛徒共が逃げ出す可能性もありますが……」
大軍を運用するのに向かない森の中では、包囲に綻びが出る。それを指摘した若い副官に眼を向けると、ヴィランはため息を吐いた。純朴な若者はどうして勝利の間近なこの時になってヴィランが憂鬱そうなのか測りかねて、普段なら聞き返しもしないことを聞いてしまったのだ。
「そうですね。時に、君は名将とはどんな人を差すと思いますか?」
「は、はぁ? ヴィラン様のような人のことですか?」
「その答えは、僕の副官としては良くても、軍人としては失格です。特に、ブラディニアでは」
クシャイン教という特異な宗教を国教としているブラディニアでは、そのおかげが人間族以外はほとんど寄り付かない。商人などを除けば、人間の英雄を神と崇める宗教では、理解できないし、されても同意は得られないのだ。
それゆえに、その国の軍も構成されるのは人間ばかりとなる。妖精族に比して弓の扱いが下手で、亜人に比べて身体能力で劣り、魔物に比して忠誠心で劣る。そんな人間の軍隊を率いねばならない将軍ならば、その指揮で劣勢を覆さねばならないのだ。
そしてその時に必要になるのが明確な指示である。ヴィランは若い副官の言葉に、明確さが足りないと指摘し、人を育てることの難しさを感じざるを得なかった。
「政治の要求と言うのは、時に軍に不合理を齎します。名将と言うのはそれを上手く調整し、戦場で勝てる人のことを言います」
「……つまり?」
「……神は、時に不合理をも甘受せよ、と仰っているのです。後に来る大いなる収穫の時に向けて」
「なるほど! わかりました。そしてやっぱりヴィラン様が名将であることも」
「……」
僅かばかり寄せた眉を開いて、ヴィランは副官の言葉を考えた。
なるほど、この年若い副官は、自分とは違う人間なのだと改めて認識し、沈鬱な気分が少しだけ晴れたのだった。
浮ついているようだが、人の話を聞く耳を持っている。それを得難い資質と考えて、ヴィランは次なる命令を口にした。
「命令の変更はありません。速やかに行うよう伝達を頼みます」
「はいっ!」
完全にラジャスタを占領した後、ヴィランは降伏した者、捕えられたものを一人残らず処刑した。
「神はそれを望んでおられます」
慈悲を叫ぶ暴徒に、冷酷に告げるとヴィランは外套を翻す。一片の慈悲さえ見せず、淡々と処刑を実行させた彼は、処刑した暴徒の首を城外に晒すことを命じた。
さらされた叛徒の首は、五百にも上り、近隣にヴィランの名前とブラディニア女皇国の名を響かせた。
情け容赦のないそのやり方は、確かに効果的ではあった。
騒がしかった近隣の街の不穏な空気は、その一報が届くや冷水を浴びせ掛けられたように静まった。
さらに、逃れた暴徒を追跡しているという続報は、その執拗さを喧伝した。
「誰の為の反乱か知りませんが……先鞭はつけましたよ」
目を細め、血塗れた祖国の名を思いながらヴィランは再び叛徒追撃の為に馬上の人となる。東には睨み合う小国が二つある。そしてそれを監視するためのファンズエル。
急遽東に反転したブラディニア軍の行方に、アルロデナは注意を払わねばならなかった。




