継承者戦争≪轟く蛮勇≫
フェルビーとリシャンとの間には、半妖精族の息子と娘が一人ずついる。アルロデナの歴で言うところの21年、息子リノンは8歳、娘ノエルは3歳であった。
文化の花開く旧エルレーン王国地域では、平和な時代ならではの武術の道場が大流行りしている。不思議なもので、戦乱の真っただ中には大して流行りもしなかった剣術、格闘術、棒術、槍術など多種多様な戦い方を教える道場が、エルレーン王国一帯を中心に雨後の筍のように並び立っていた。
その中には勿論大陸最強と名高いギ・ゴー・アマツキのアマツキ流剣術や、東方由来の槍術なども軒を連ねていた。
そんな道場の中の一つ、雪鬼出身者が経営するアマツキ流剣術道場の一角で、甲高い声を上げて激しく木刀で戦っている少年がいた。見れば、年恰好は未だ幼く、成人とされる十五にまでまだ随分とある。
「──まだ、まだっ!」
手にした少年用の短めの木刀をがむしゃらに振り回し、相手に向かっていく気迫はどうも空回りしているようだった。相手を倒そうという気持ちが強すぎて余計な力が入り、振り上げる速度も振り下ろす速度も決して速くはない。
全身から冬だというのに滝の汗を流し、踊りかかっていく様子は猪のようですらある。
「リノン、てめえ、いい加減にっ!」
撃ち合う相手も決して強くも上手くもなかったが、それでも体格の優位を生かす術は知っている。リノンの初太刀を受け止めると、そのまま鍔迫り合いに持って行き、体格を生かして上から圧し掛かるようにして力で押す。
ぎりぎりと奥歯を噛み締め、力で対抗しようとするも、年の差三つは如何ともしがたく、体勢を崩された所で、足払いに対応できずリノンはつんのめるようにして転ぶ。
「くらえ!」
地面に転んだリノン目掛け打ち下ろされる木刀。
咄嗟に転がって、それを避けるリノン。対戦者が外したと分かった瞬間、すぐに追撃の一撃が振り被られるのと、道場に響き渡る静止を告げる声は同時だった。
「それまで!」
地面から起き上がろうとしていたリノン。木刀を振りかぶったまま動きを止める対戦者。そのどちらもが荒い息を吐いて、相手を睨み付けていた。
「開始線に戻って」
数秒そうしていた二人だが、不承不承ながらも審判に促され、開始線に戻る。
「勝者サーキス、判定勝ち」
告げられる勝敗に、二人は形式的に礼をして後ろへ下がっていく。
悔しさに顔を歪ませ、リノンは顔を俯かせたまま強く奥歯を噛み締めていた。
視線すら上げず、リノンは下がるとそのまま道場を走り去る。呼び止める声も聴くことが出来なかった。胸の中で悔しさが渦を巻いていた。ぐるぐると渦を巻いた悔しさは、出口を求めて彼の目から涙となって零れ落ちる寸前。
だがそれもまた、リノンには口惜しさを加速させるものでしかない。
思い起こすのは、対戦相手のサーキスが試合前に言った暴言。
「お前のボンクラオヤジの教えているのは、役に立たない剣術だ!」
許せなかった。何より、自分自身がそれを認めそうになっているのが、何よりもリノンには許せなかったのだ。父であるフェルビーは、普段何をしているのかもわからない。
だから、サーキスと戦ったのは半ば八つ当たりだ。
道場を開いてはいるが、閑古鳥が鳴いているのが常だった。門弟と呼んでいいのか、友人と呼んでいいのか、そんな曖昧な人達がふらりとやって来ては多少稽古をして去っていくという、なんとも不思議な道場だった。それでいて生活には決して困ってなどいない。
だから街の者達からは、不思議がられているし、影では陰口が色々と叩かれているのをリノンは知っている。リノンの大好きな母リシャンに、面と向かって問い質してみても、全く聞く耳を持たないのが常だった。
「お父さんは、先の戦の英雄なのよ」
いい年をしてデレデレと、父のことを語る母親は、リノンの苛立ちを加速させるものでしかない。父はと言えば、ふらふらと街の中を歩き回り、喧嘩と見れば交じって騒ぎ、博徒に交じっては賭け事に興じるというリノンから見れば、全く見習うべき所のない父親だった。
祖父であるエルバータは、国の頂点に立つ官僚であり、なぜ父もそんな風になれないのかとリノンは幼いながらも考え、答えの出ない疑問を口に出したこともある。
「俺には、これがあるからな」
腰に差した剣を叩く父は、そう言って相手にもしてくれない。
「大事なものを守れるだけの力があれば、充分だろう」
「まぁ、あなたったら!」
いい年をしてそんなやり取りをする両親を、リノンは罵倒して逃げ出したことを思い出す。
「街の人たちはみんな、お父さんはろくでなしだって! 仕事もしないで、遊んでるって!」
「仕事はしているだろう?」
「そうよ、道場をしているじゃない?」
そういう両親の言葉に、リノンは嘘を吐かれたと感じ、気持ちが昂る。
「嘘だ! だって道場で生活をしている人は、もっとたくさん門弟さんがいるもん!」
リノンのいつになく真剣な声に、フェルビーとリシャンは困ったように顔を見合わせた。それからのことは、良く覚えていない。あらん限りの罵声を浴びせて逃げ出したことと、父であるフェルビーと母リシャンの困ったような顔だけを覚えている。
「なんだって……」
僕はあの二人の子供に生まれたんだろうと、寸前まで出かかった言葉を彼は飲み込んだ。口に出してしまえば、本当に嫌いになってしまいそうだったからだ。
そんな自分自身が情けなくて、リノンは必死に足を前に動かす。
「おっと……」
その声に、顔を上げれば見知らぬ大人が怪訝そうにリノンを見下ろしていた。
「あっ……」
「どうかしたの? ヴェリン」
声をかけたのは、リノンにぶつかりとうになった男よりも、目を引く少女だった。特に目を引くのは、腰に差したる二対の曲刀。長の同じ、それらを逆さに括りつけたそれは、常道に反する。それを知らずにしているとしたら彼女は、ただの馬鹿であるし、知ってていてしているのであれば、挑発的ですらあった。
スリットの入った踝までを覆うスカートから覗く蜂蜜色の素肌に、すらりと伸びた足先には、カリガと呼ばれるサンダルを履き、長く伸ばした髪は鮮やかすぎる銀色。
何よりも、その耳は長く彼女が妖精族の血を色濃く引いていることを示していた。
リノンは思わぬ同族の出現に面食らい、しばし茫然と彼女を見上げた。
「ん? 少年、泣くのは家に帰ってからにしなさいよ?」
瞳の色は赤く、勝ちに釣り上がった彼女の視線からは、絶対的な自負をうかがわせる。傲慢なその物言いさえなければ、リノンは憧れてさえいただろう。
だが、最初の一言が致命的だった。
「カーリアン、お前、以前から気になっていたが……」
「ん?」
不思議そうに首を傾げるカーリアン。
「遠慮ないよな?」
「なんで、世界最強の剣士になる予定の私が、遠慮なんてするのよ」
「いや、世界最強の剣士かどうかはともかく、遠慮があるなしは、全く関係ないからな?」
「私の恋人さんは、変なことに気を遣うのね?」
「いや、恋人になった覚えはない」
愕然とする表情のカーリアンをよそに、ヴェリンは、しゃがんでリノンの視線の高さに合わせると、真っ直ぐに彼の目を見て、肩を叩く。
「あれの言うことはともかく、家には帰った方が良いぞ。最近は何かと物騒だ。家では、家族が待っているんだろう?」
そのあまりに真剣な質問に、ついリノンは頷く。
「なら、家に帰って家族と一緒にいなさい」
そう言って立ち上がるヴェリンは、すぐ後ろを振り返っていた。
「困りますよ。遊んでいてもらっては」
少しも困った風ではない嘲りを含んだ声をかけられ、ヴェリンは眉をしかめた。
「はいはい。分かってますよー」
先ほどまでヴェリンにじゃれていたカーリアンも、その男の姿を認めるとそっぽを向いて鼻を鳴らす。
「僕の護衛の仕事はきっちりとこなしてもらわないと。ねえ?」
傍らに声をかける青年の三歩ほど後ろに、壮年の男。傷だらけの顔と、口ひげは歴戦の戦士を思わせる。そしてなにより、冷たすぎる目はリノンの背筋を凍らすのに充分なものだった。
「ちょっと、何子供を睨んでるのさ」
ちょうどリノンを庇う形で前に出るのは、先ほどまでそっぽを向いていたカーリアン。
「無駄な接触は避けるべきだ。余計なことに心捉われれば、足元を掬われる」
「御忠告どうも! けど、アタシそんなに弱くないですから!」
火花を散らす二人に割ってい入ったのは、ヴェリンである。後ろ手に、リノンに立ち去れと合図を送ると同時に、二人をなだめる。
「ユアンさんも、カーリアンも大人げないですよ。ヨルムド殿も」
ヴェリンの指示に従って、リノンは足早に立ち去る。いつの間にか、走っていたのはユアンと呼ばれた男の冷たすぎる視線のためか、それとも三人が護衛をしていると言ったあの男の、残酷さを隠しもしない視線の為だろうか。
思い出すだけで、背筋の冷たくなるのを感じながら自然と足は駆け出していた。
そのうち、見慣れた街並みを通過してやっと家が見えてくる。
「にーや!」
その声に眼を向ければ、笑いながら妹が泥だらけの格好で手を振っていた。どこかで遊んできたのだろうか、そう考えてやっとリノンは落ち着くことが出来た。恐る恐る後ろを振り返り、追ってなど来るはずのないあの四人組がいないのを確認して、大きく息を吐く。
「にぃーや!」
舌足らずな声で元気良く叫ぶ妹が、走り寄って来ようとしたところで、つまずいて転ぶ。わんわんと大泣きしたところでリノンは慌てて駆け寄った。
「ノエル、大丈夫か?」
泥が付くのも構わず、リノンが妹のノエルを抱え上げると、先ほどまでわんわんと泣いていたノエルは、しゃくりあげながらそれでも頷く。見れば膝を擦りむいたようだった。
「歩けるか?」
「うぅ……」
未だ泣き止まないノエルを背負って、リノンは家に向かった。
◆◇◆
深夜フェルビーが家に帰ると、二人の子供は寄り添うように眠りについていた。
「おかえりなさい」
くすり、と笑う妻リシャンを抱擁すると、二人の子供の寝顔を覗き込む。
「また少し大きくなったな」
愛おし気にリシャンの腹をさするフェルビーがそう言うと、彼女は頷き、すぐに心配そうに街の様子を尋ねる。
「街の様子はどう?」
「良くはないな。だが御父上は流石に、良く分かっていらっしゃる」
「そう」
小声で話す二人は、子供たちを起こさないように町の現状について確認しあっていた。旧エルレーン王国地域の他の街で、つい先日暴動が発生し、その為にフェルビーも駆り出されていたのだ。
ゴブリンの王存命時から、後方の警備を任されていたフェルビーは、エルバータの後押しを受けて情報収集の分野でもエルレーン地方に深く根を張り巡らせていた。
道場を構える傍ら、旅の武芸者に扮した者達から情報を集め、それを定期的にエルバータや自由への飛翔へ渡している。いわばソフィアとラ・ギルミ・フィシガの二人から信任を受けてエルレーン地域を任されているわけだが、当然ながら元蛮族たる風の妖精族の彼が、すんなりとその仕事が出来るわけもなかった。
十五年という月日を費やして、やっと一人前と宰相プエルが認める程度になったのは、彼の努力の賜物だった。ゴブリンの王に七度の敗北を喫したフェルビーは、その敗北を乗り越えたからこそ、今の自分があると考えていた。
「リノンは、あれからどうだ?」
「そうね。よく街で喧嘩をしているみたい」
「元気が合って良い事だな」
口笛を吹きながら、本心からそう思っているフェルビーに、リシャンは頬を膨らませる。
「大概は貴方の事みたいよ?」
「む、うむ?」
「あなたの悪口を言われたから、喧嘩になるんですって、お父さん?」
チーズを肴にワインを飲みながら二人の話題は子供らのことに変わっていく。一方のリシャンはワインとはいかず、果実の搾り汁であったが。
「それは、うーむ……参ったな」
頭を掻くフェルビーは面映ゆいらしく、しきりに手に持ったグラスを揺らしている。
「羨ましいわー。あまり私のことでは、喧嘩になるなんてこと、無いみたいだし」
「それは、御父上の手前もあろうし……それに良妻賢母なのだろう?」
「当然ね。ふふっ」
首を竦めるフェルビー。そして笑い合うリシャンと共に、夜は更けていった。
◆◇◆
「情勢はひっ迫している。今すぐに、決起を行うべきだ」
薄暗い部屋に、彼らは集まっていた。貸し切られたホールの中心で議論を繰り広げていたのは、エルレーン地域の各町の代表者達である。と言っても、本当の代表ではない。
彼らは、反アルロデナ組織の各町の代表だった。
各地に謀略の糸を張り巡らせたジョシュアの指先の一つである。エルレーン地域のほとんどの街に反アルロデナ地域の組織があることは、プエルの政策の綻びの一つ。
経済競争による格差の拡大と、それによる失業者の増加は、彼らの追い風となっていた。
いかに宰相プエルが有能で、その部下が優秀であろうとも大陸全土の全国民を幸せになど出来るはずがない。その数を少なくすることはできたとしても、どこかで綻びはでるものだ。
それが発展著しい経済の面においては、魔物とされていたゴブリンやオークなどが職業に就くことにより、明確化していった。護衛や肉体労働などの分野においては、やはり彼らに一日の長があったためにその職業に就いていた者達が、仕事を追われるという事態がかなりの頻度で発生したのだ。
「やろう!」
「そうだ、魔物どもを追い散らし、人間の世界を取り戻すのだ!」
白熱する議論を、ジョシュアはうす笑みを浮かべてみていた。今の彼は偽名を使いヨルムドと名乗って議論を傍観するだけの部外者だ。
「……」
次第に過激になっていくその議論を、ユアンは醒めた目で見つめ、カーリアンは馬鹿らしいと部屋の外へ出て行ったきり戻ってこない。
結果として、ヴェリンはユアンとヨルムドことジョシュアとともに、部屋に居残ることにならざるを得なかった。
噴火寸の火山か、あるいは暴発寸前の溶解炉を前にした時の熱狂を間近に見て、ヴェリンは内心血の気が引いていた。
もともと彼がジョシュアに近づいたのは偶然の産物だったが、それが一緒にいればいるほど、アルロデナを騒がせている謀略の中心にいることに、彼自身は焦りを感じていたのだ。
──なんとかしなければならない。
その思いは、日々強くなるばかりだが、決定的な手が打てないのだ。僅かに視線を向ける先には、ユアン・エル・ファーラン。先の大戦の大罪人にして、反アルロデナ随一の将帥。
剣の腕もかなり立つ。少なくてもヴェリンよりは確実に上であり、カーリアンと拮抗するほどには強い。ジョシュアに付かず離れず、一緒にいるこの男の存在によって、ヴェリンが行動を起こすのが難しくなっている。
「なんだ?」
しかも、おバカなカーリアンと違って、ユアン・エル・ファーランと言うこの壮年の男は、刃のように勘が鋭い。少しでも挙動が不審であれば有無を言わせず斬られる可能性がある。
今も少しユアンに視線を移した途端、鋭い視線と低い声が飛んできた。
「いえ、ユアンさんは、こういう会議にはよく?」
「……いや」
「どうも、こういうのは苦手で……」
小声で話すヴェリンは、本心からそう言った。ヴェリンからすれば、彼らは何をそこまで熱狂しているのかわからずにいる。働き口がないのは、自分が仕事を選んでいるからだ。ゴブリンやオークが彼らより強いのは、種族固有のものだし、そんなものを恨んでも仕方がない。
その仕事に対する誇りなどと言う言葉は、さっさと捨てて、他の仕事に就けばいい。また、人間の世界と言うのもいまいちピンと来ないのだ。
人間以外、例えばゴブリンやオーク、あるいは妖精族などがいるのが当たり前の世界に育った彼にとって、人間だけの世界と言うのものは容易に想像がつかない。
そして、それが今より良いものだとは、信じられないのだった。
そう考えてしまうヴェリンにとって、目の前で繰り広げられている議論は不毛以外のなにものでもなかった。それに熱中してしまう彼らを、ヴェリンは何か異質なものとして眺めてしまっている。
「……そうだな」
ヴェリンの内心の葛藤を見て取ったユアンは、僅かに考える時間を取ると小声で諭した。
「現在は、過去の上に築かれる。良くも悪くも起きたことは変えられないのだ。だが、それを受け入れるには、人間は少し感情的すぎるのだろう」
視線の険をほんの少し緩めて、ユアンは年若いヴェリンに告げる。
「……つまり、納得できないってことですか?」
「そうだな。納得できないのだ。自らの努力が不足していたことも、己の下した決断も、あるいは理不尽と思える種族間にある優劣も」
一つ一つ確かめる様に呟いて、ユアンは言葉を吐き出す。
まるでそれは、彼自身の意志を確かめる様な苦渋に満ちた声と表情であった。自らを焼く熱に炙られたようなそれは自傷の炎。悔悟という名の冷たい炎が、彼を内側から焼いているのだった。
そこまでは察しようもなかったが、ヴェリンは頷いた。
「お前は、まだ若い。これから学ぶこともあるだろう」
「そうですかね……?」
ヴェリンからすれば少年と言われる年齢はとっくの昔に卒業している。その為、自分が若造だと言われても、あまりピンと来ない。
「楽しそうな話をしていますね」
考え込むヴェリンの思考を中断させたのは、ジョシュアの声。相変わらず口元に人をあざける様な笑みを浮かべ、彼らの会話に割り込んで来る。
「確かに、過去は変えようがない。しかし、未来は違う。そうじゃないですか?」
それを自分から溝に捨てようとしている熱狂の中にいる彼らを見て、ジョシュアは嘲笑う。
「熱狂すら持てない者は哀れだがな」
ユアンはそれきり、口を噤み会議の行方を見守ることに終始した。上機嫌で会議を見守るジョシュアにヴェリンは、戸惑いながらも返事を返しかなかった。
「種は、芽吹きの時を迎えている。これは誰にも止められない」
くつくつと笑うジョシュアは、ユアンとともに意気上がる会議場を後にした。
翌々日、旧エルレーン王国地域で一斉に暴徒が発生。衛士らを襲撃し、露天商を襲撃しながら旧エルレーン王国時代からある公官庁を襲撃して回る。瞬く間にその数は、衛士の抑え込める範疇を越え、五千にも達した。
◆◇◆
旧エルレーン王国地域の統治は、アルロデナによって自治が保証されている。それは宰相エルバータの功績であり、暴動が起きた当時のアルロデナ歴21年も同様であった。
自治のありようも様々であったが、旧エルレーン王国地域は、衛士以外の武力をアルロデナに委託するという形を取っていた。法律、裁判は彼らが独自に実施するため、意外と穏健にアルロデナの支配下にいられたというのも大きい。
一斉蜂起と言う名の暴動は、その旧王都から始まった。
「馬鹿な! 市街地からだと?」
警備を担当していた衛士を責めるのは酷というものだったろう。彼らは、与えられた権限の中で最も監視すべき地域を貧民街だと定めていたからだ。経済競争で負けた敗者が集い、レッドムーンの進出もないそこは、まさに無法地帯に近い。
当然ながら軽微と監視の目は厳しくなり、五人一組での衛士の巡察も不穏な情勢の中では頻度を増していた。そんな中での市街地からの暴動の発生は彼らの虚をつくと同時に、致命的な初動の遅れを生み出していた。
「四番から七番までの市街地で暴動により大規模な火災発生!」
悲鳴に近い報告に、衛士達は目の前の人災に対処せざるを得ない。
「ええい! 宰相府に連絡を入れろ! 火消しどもの手綱を取れ! 衛士四番から十四番隊は出動準備をしろ!」
場当たり的な対処になってしまったのは仕方がない。火災の発生は、都市機能の壊滅を引き起こす。暴徒が発生するにしてもまさか大規模な火災まで引き起こすとは、彼らの見積もりが甘かったとしか言いようがない。
エルレーン王国地域の法律では、火災を起こしたものは良くて終身刑、悪くて死罪である。
そこまでの重犯罪を犯すとは、衛士の立場からでは想像もできなかった。現状に不満がある程度で、そこまで踏み切れるとは、誰しもが考えていなかったのだ。
「4番隊から14番隊、出動しますっ!」
「よし、行け!」
衛士の詰め所ではまるで戦場のような有様で、治安を回復するために躍起になっていた。
しかし、出動した4番隊から14番隊の前に広がる光景は、治安を回復するという使命に燃える彼らの背中に氷塊を突っ込むような光景であった。
「進め! 魔物どもを追い散らせ! 俺たちの世界を取り戻せ!」
掛け声に呼応して叫ばれるシュプレヒコールは、まるで世迷言にしか聞こえない。威勢のいい言葉で何一つ解決策を示さないそれは、ただの絶叫である。
ただ、問題は彼らが暴徒と化して手に手に武器を持っていることだった。
「どこから、あんな武器を!?」
歯噛みする衛士の呟きの先にあるのは、暴徒の装備する短槍、円楯、全身鎧まで着込んだものがいる始末に、衛士は悲鳴を上げた。
「これは、まるで戦じゃねえか!」
衛士の標準的な装備は、酔っ払いや犯罪者を取り締まるのに十分なものではある。長剣の使用に許可がいるように、彼らは基本人を捕まえることを主任務するが、殺すことに関しては任務ではない。
今回は暴徒がいるため、重装備の長楯と呼ばれる全身を覆える装備を持ってきているが、それとて暴徒の持っている装備と見比べれば、見劣りする。
引き上げて援軍を請うしかないと、衛士の誰もが弱きにとらわれた時、暴徒の一人の目が衛士を捉えた。
「衛士だ! ぶっ殺せ!」
「やっちまえ! いけ! 殺せ!」
熱気に充てられたように、思い思いに武装した集団の殺気が衛士に叩きつけられる。そこで崩れてしまわなかったのは、流石に訓練された衛士達である。
「隊列を組め! 長楯を前に! 本部に伝令だ! 援軍を請うと!」
悲鳴を上げつつも衛士の隊長が指示を出すと、自然と彼らは固まって防御の陣形を取る。幸いに彼らが対峙したのは周囲を石の建築物に囲まれた大通り。
隊列の翼を建物に依託する形にして、横一列の長楯を並べると、腹の底から声を絞り出した。
「良いか! 退けば、蹂躙される! 耐え凌ぐしかないぞ!」
「おおお!」
狭い大通りの一角で暴徒と衛士の一隊が衝突する。
幸いにも、衛士が蹴散らされることはなかったが、さりとて暴徒を蹴散らすことも出来ず膠着状態に陥ってしまう。分が悪いのは衛士だった。彼らには火災を消火しなければならないという使命がある以上、ここで手をこまねいているわけにはいかなかったのだ。
悪いことに、援軍を送るべき衛士の詰め所でさえも、上から下までの大混乱に陥っていた。
同時多発的に起きた暴動は、彼らの持ち得る戦力を全て吐き出しても、到底抑えきれる数を超えていたのだ。暴徒の内の一部が、衛士の詰め所を狙ったのだ。
流石に撃退したものの、負傷者の治療や逮捕者の拘束などやることは多岐にわたり、援軍を出す余裕すら失っていた。
「くそ! 援軍はまだか!」
大通りでの衛士と暴徒との戦いは、じりじりと衛士側が押し込まれつつあった。
暴徒側の技量はなくても圧倒的な勢いは、徐々に衛士側を圧倒しつつあったのだ。彼らの士気を支えているのは、僅かばかりの矜持でしかない。
彼らが退けば、今まで守ってきたものが壊れてしまう。
平和と言う名の時間が、彼らが一歩退くごとに乱世へと戻っていく。
「踏ん張れ!」
だからこそ当時を知る古参の衛士は声を嗄らして叱咤する。
「あと一押しで奴らは崩壊するぞ! 押せ! 押せ!」
だからこそ暴徒に交じる兵士達は熱狂のままに攻め寄せる。
そして、その時は訪れる。
もうだめかと、衛士達が崩れ去ろうとした瞬間、天を駆ける無数の矢と共に、妖精族特有の鏑矢を響かせて彼らは駆けつけた。
「構え! 放て!」
衛士と暴徒の両方を見下ろせる建物の屋上に陣取った彼らは、息を荒げて駆けつけたファンズエルの先遣隊。各地に駐屯しているその一部であった。
肩で息をしていた彼らが狙うのは、暴徒の最前列。
「構え! 放て!」
繰り返される号令に、降り注ぐ矢の雨。群盗の討伐を経て、今や最も実戦経験豊富なアルロデナの正規軍が、旧エルレーン王国地域に展開し始めていた。
その先遣を務めるのは、各地に駐屯としている守備部隊。≪砦≫の管理を任されている少数の部隊を引き連れているのは、フェルビーその人だった。
暴徒の足並みが乱れたのを見計らって、フェルビーはにやりと笑う。
「抜刀!」
小ぶりな弓を背中に背負い直すと、腰に差したる二本の長剣を抜き放つ。彼に倣って、僅か五十ほどの砦守備隊は、全員が剣に得物を持ち直す。
「切り込め!」
言うや、建物の屋上から暴徒目掛けて飛び降りるフェルビー。飛び降りた先は、先ほど弓矢で掃討した衛士と暴徒の中間地点。まるで音もなくふわりと飛び降りたフェルビーは、衛士を背に庇う形で暴徒達に向き直ると、肉食獣の笑みを浮かべて剣をその鼻先に向けた。
「久しぶりの獲物だ。存分に奮え!」
部下に向かって檄を飛ばすと、すぐさま一人の戦士となって戦場の只中に身を置いた。
突き来る槍を跳ね上げ、相手の喉を掻き切る。斬られて倒れそうな敵を更に足蹴にして、向かって来る別の敵の態勢を崩させると、すぐさま追撃に剣を振るう。
およそ正統派剣術とは言えないような、実戦の中の剣。
吹き出る血潮に笑みを浮かべ、眉目秀麗な蛮族エルフが哄笑する。
「待っていたぞ、人間め。久しぶりの戦場だ。せいぜい楽しませてもらおうか!」
嫁を取ってすっかり角の取れたと思われていたフェルビーの本質である蛮勇が、血の臭いに一気に昔を呼び戻す。
当たるを幸いに敵を切り倒し、長剣が折れたのなら相手の武器を奪って奮戦するフェルビーの戦い方は、長らく実戦を離れていたとは思えない冴えを見せた。
味方の衛士すら、近づくのが憚れるような戦い方をしているのだから、敵から見れば悪鬼羅刹の類である。元々勢いに任せて衛士を押し切ろうとしていた暴徒達だったので、一旦その狂騒から覚めてしまえば、彼らを支える物はない。
たちまちの内に悲鳴を上げ、算を乱して逃げ出していく。
だが、フェルビーはそれを許さない。追撃しようと声を上げて、さらに彼らに恐怖を刻み込む。
「逃げるぞ、追え!」
口角を吊り上げ血に濡れた狂戦士は、逃げる暴徒の背を追う。追い付いて斬り付ける。逃げる暴徒達の中で前を走っている者は後ろから響く悲鳴と、悪鬼のような怒声に追われる恐怖を掻き立てられる。後ろを走っていた者はもっと切実で、迫り来る剣から逃げねばならなかった。
散々に暴徒達を追い払ってから、やっとフェルビー達は追撃を止めて衛士と合流する。
「まずは、感謝を」
そう言って事の成り行きを見守っていた衛士側の長は、フェルビー達に礼を述べた。あのまま彼らが乱入してこなければ、全滅していたのは衛士側であったのだ。
「なに、大したことではない。エルバータ殿からも依頼があったし、ファンズエルとしても介入すべき事態と判断したまで。些か、手続きを省いたことは否めないが」
にやりと笑うフェルビーは戦場における頼もしさを体現したかのような、太い笑みを浮かべた。まるで巨木が襲い来る嵐に負けぬように、どっしりとした芯を感じさせる頼もしさだ。
「急報!」
衛士の代表と、フェルビーが振り向くのは同時だった。駆け戻って来た伝令の言葉は、悲鳴に近い。
「三番街にて暴徒発生! 至急援軍を請う、と!」
「三番だと!?」
その声に思わず衛士の長はフェルビーを振り向いた。先ほどまであれほど余裕を持ち、頼もし気だったフェルビーの表情は一変し、悪鬼すら裸足で逃げ出すほどに鬼気迫るものがあった。
「ジュンクー指揮を任せる!」
「はい!」
「すまんが、俺はこれで失礼する」
「ああ、それは構わんが……我らも何か助けになれるか?」
「いや……これは、家族の問題だ」
呆気にとられる衛士側の隊長に一瞥もくれず、フェルビーは風のように走り去っていった。
◆◇◆
フェルビーの息子リノンは、父親が嫌いだった。
いつでもふらふらと、家にいない彼が大嫌いだった。ボンクラ親父と言われても、反論の思いつかないそんな父親が大嫌いだった。
何よりも、大好きな母リシャンを放っておく父フェルビーが大嫌いだった。
そしてそれは、暴徒が家に押し寄せてきている今、一層彼の心を締め付けていた。
「はははは!」
暴徒の酔っぱらったような赤ら顔が見える。
ぎり、と奥歯を噛み締めてリノンは震えを押し殺した。彼の後ろには、妹のノエルと大好きな母リシャンがいる。
「売国奴のエルバータの娘がいるはずだ! 捕まえて人質にしろ!」
罵声と怒声がまじりあった声が、リノンの緊張をさらに引き上げた。
きつく握りしめた剣を構えて、敵を向き合う。
敵──母を捕まえ、妹にひどいことをしようとしている敵だ。
リノンは父親のことが大嫌いだったが、彼の脳裏に去来するのは、そんな父の言葉だった。
自分の手元には、家族を守るための剣がある。
だが、それのなんと頼りないことか……見れば暴徒の中には剣術道場で見かけた高位の有段者すら見えた。それだけで絶望的な気分になる。
だが、やるのだ。
やるしかない。
そう思い決めて、両足を踏ん張る。
家に入る扉の前でリノンは敵と向き合った。相手は子供だと思って油断しているのか、構えすら取らずにニヤニヤと笑みを浮かべるだけ。
「死ね!」
振り上げた相手の剣の軌道は、リノンにはよく見えた。それだけに、自分の身体が動かないのが不思議でしょうがなかった。思わず振り下ろされる刃に合わせて振り上げた剣に、相手の長剣がぶつかる。
手がしびれる。
弾かれた剣同士に火花が散って、リノンの目をくらませた。
「ぅ、ぁ……」
悲鳴にもならない苦悶の声が、リノンの口から出る。
「ほう、だがいつまでもつかな?」
敵は自分の攻撃が弾かれたのが意外だったのか、感心した風を装っていたが、さして気にするわけでもなく次々にリノンに向かって剣を繰り出す。
振りかぶって振り下ろす。それだけの斬撃がなぜここまで防ぎにくいのか──否、どうして自分の身体はここまで動かないのか。
サーキス相手なら、もっと自由に動けていたはずなのに、と考えて直後襲って来る衝撃に、意識を狩り取られそうになる。剣にばかり意識を集中させていた処に、鳩尾に蹴りをもらったのだ。
まるで毬のように簡単に吹き飛び、扉に激突するリノンは力の入らない腕でそれでも立ち上がろうとした。
──守らなくては。
父親はどうせ帰って来ないのだ。
だとしたら、母と妹を守れるのは自分しかいない。
だが、そんなリノンの決意を暴徒が待ってくれるはずもない。崩れ落ちたリノンを足蹴にすると、扉を蹴破る。
弾き飛ばされた剣を探そうにも、そんな暇はなかった。ただ必死でリノンは敵の足に組み付いたのだ。
「邪魔だ!」
何度も蹴られながら、それでも足を離さないリノンに、敵はとうとう我慢ならなくなったのか剣を振り上げる。
死んでも放すもんかと、さらに一層の力を籠めるリノンの背に長剣が振り下ろされるのと、続く金属音とともに悲鳴が上がるのはほぼ同時だった。
リノンが何が起こったのかと、腫れ上がった瞼を上げて見上げた先に、力なく崩れ落ちる敵の首から上は、既に亡かった。
代わりに彼の目に入ったのは、背を向ける父の姿。
「良く、頑張ったな」
喚声にかき消されぬ父の声に、リノンはわけもわからず涙があふれ出て来ていた。
──なんで、もっと早く来なかったのか、今まで何をしていたのか、お母さんも、ノエルも寂しい思いをしていたんだぞ……。
湧き上がる文句が言葉にならず、しゃくりあげるだけのリノンを肩越しにフェルビーは一瞬だけ振り返った。そして頷くと、猛禽のような鋭い視線を迫り来る暴徒に向けた。
「掛かって来い雑魚ども。今日の俺は、生涯最強だぞ」
一人飛び出したフェルビーに、一斉に振り下ろされる刃の群れ。だがそれを難なく躱し、むしろその中に身を躍らせるようにして、フェルビーは二刀を振るう。
しかも斬るような流麗な動作ではない。力のままに叩きつけ、用をなさなくなった武器は投げつけて、新しい武器を奪い取るというまさに蛮族の戦い方である。
泥臭く、何より実戦の中で培われたその戦い方は、道場で教える剣筋とは正反対のものだった。
だが、強い。
瞬く間に、暴徒の最前線を食い破ると、長剣を投げ捨て短槍を拾いあげ、突き、払い、打ち、敵を制圧してしまう。
まるでいかなる武器を扱っても達人のようなその扱いに、道場で磨かれた剣で立ち向かおうとした者達は叶うはずもなかった。
数十人を死傷させられ、フェルビーの周囲から逃げる様に距離を取った暴徒達に向けて、彼は睨みを利かせる。
「お前ら、何か勘違いをしているんじゃないのか?」
底冷えするような恐ろしい声。
だというのに思わず聞き入ってしまうその鋭さに、暴徒達は身動きを忘れた。
「ゴブリンどもに勝てないからって、エルフになら勝てるって?」
口の端を歪めたフェルビーの挑発は、次に来る爆発の前兆のようだった。
「ゴブリンの王と撃ち合ったこの俺に勝てるって? 道場で剣を学んだだけの、お前らが?」
面白い冗談だと、言わんばかりに笑うフェルビーが、次の瞬間には怒声を上げて暴徒に斬りかかっていった。
一度フェルビーの話術に嵌ってしまった彼らには、もはや逃げるしかなかった。
彼らは思いだしたのだ。
そこにいるのは、平和になれた衛士などではない。
蛮族として生まれ、暗黒の森でゴブリンと鎬を削った勇猛なるエルフの一枝なのだということを。
衛士を含めた援軍が来るまで、結局フェルビーはその場で奮戦し、百に近い敵を制圧し暴徒の被害を抑え込んだ。
結局、旧エルレーン王国地域の首都における暴徒はこれ以後、積極的な動きをすることがなく、駆けつけたファンズエルの本隊によって制圧されることになる。
旧エルレーン王国地域は、比較的容易に暴徒が収まり、西都との連携をなんとか保ったままギ・グー・ベルベナの侵攻を迎えることになったのだった。




