継承者戦争≪黎明の空に≫
アーノンフォレストの攻防は、始まってすぐに攻撃側が攻めあぐねるという形になっていた。元々高い樹木を足場として、矢を放ってくるガンラの氏族に対して亀のように固まって身を守りつつ迫って来るだけのガルルゥーエでは、勝負にならないのだ。
射かけられる矢をその盾で防ぐのに精いっぱいとなって膠着する戦況に、防衛指揮官のラ・シャールオは僅かに安堵のため息を漏らす。
何か策があると思われたのは杞憂であって、フェルドゥーク側は無謀なだけであった、と。だが異様なことに、彼らの士気は全く挫ける様子も見せない。
何度はねつけられても、全く怯まず城門に向かって来るのだ。
「……奴ら、何を考えているのだ」
無論、本格的な戦などこれが初めてのラ・シャールオは安堵したそばから、不安がまた蘇り始める。損害など全く意に介せぬガルルゥーエの戦い方は、シャールオの予想を超えるものであった。
すぐ近くで落石に潰される味方が出ても、射かけられる矢に貫かれる味方がいようとも、彼らは声を張り上げてただ進む。
亀のように盾で身を固め、攻城槌を守るように一歩一歩進み城門に取り付くと喚声とともに攻城槌を叩きつけたのだ。
がつん、がつんと音を立ててぶつかる攻城槌の音が鳴り響く度に、シャールオは迷う。
音に聞こえたフェルドゥークの戦術とは、こんなにも愚直なものだったのか。それが心底恐ろしいと、初めてシャールオは感じた。
「シャールオ殿南寄り攻城櫓!」
だからこそ、その報告にシャールオは眼を剥いた。
「本命はそれか!」
西の門から攻めるガルルゥーエは陽動であり、本命は南から迫って来る攻城櫓。音に聞こえた戦奴隷の人間達を使役し、繰り広げられる攻城戦のその兆候を発見しシャールオは、本命を南だと考えた。
「南に重点を移せ。奴らの狙いは攻城櫓からの攻撃だ!」
武骨な武具に身を固め、攻城槌一つを頼みに城門を破ろうとするガルルゥーエ。それは陽動としては破格のものだ。長らく戦場の英雄であった彼らにしてみれば、平原でこそ真価が問われるはずである。
そう思うからこそ、シャールオは僅かに眼下でなおも攻め寄せる長槍と大楯の軍に僅かなりとも憐憫を抱いた。
「北より同じく攻城櫓!」
悲鳴に近い報告を、シャールオは脳裏で計算しつつ対処した。
「まだ悲鳴を上げるには早いぞ! 東から敵は来ない。おそらく西に戦力を集中させた敵は、北と南から攻め寄せるのが本命の攻めだ。増援を回せ!」
頼もしい指揮官の声に、守備兵は東と西の兵を連れて増援へ向かう。
「落とさせはしないぞ。フェルドゥーク!」
握りしめる矢に力を込めて、更に攻め寄せて来る歩兵に向けて矢を射るシャールオ。だがそれでも西側の攻勢は止むことを知らない。一向に衰えぬ士気とともに、城門を叩く音はなおも続く。
「援軍が到着したとのこと! 南北共に有利!」
攻城櫓がに取り付かれれば、接近戦での有利はあちらのものだ。いかにガンラの守備兵が精強ではあっても、フェルドゥークと接近戦をして勝てるとは思えない。
鳴り響く城門を叩く音が、彼の思考をわずかに乱す。
「南の攻城櫓撃退! 北の攻城櫓も後退していきます!」
ようやく城門音も聞きなれたころ、その報せが届いて、一瞬だけシャールオは笑みをこぼす。
「よしっ! 持ちこたえられるぞ!」
嬉しい悲鳴を噛み殺し、その報告を聞いた直後。破滅の音は、彼らの足元から聞こえて来た。
「──な、に?」
今までぶつかって来た攻城槌の音とは全く別種の致命的な音。
「まさか……」
さらに叫ぶ声は一際大きくなる。
揺れる城門、強固な木と鉄で作り上げられた難攻不落のはずの鉄扉が悲鳴をげていた。一切の攻勢に無駄はなく、最初から全てはこの城門を潜り抜けることこそが、彼らの目的だったのだ。
最も堅牢なところをこそ、突き破る。そこにこそ、油断があると老練な彼らは知っていたのだ。
「まさか、奴ら……本命は最初から」
崩れる足元を感じながら、シャールオは悲鳴を上げた。
「ぐははは! アーノンフォレスト陥落の時だっ!」
グー・ビグ・ルゥーエの声を呼び水にして、城門が倒れる。その衝撃で城壁の上にいたガンラの守備兵が地面に叩き落とされるが、それに構っている暇はなかった。
「進め、城壁はもはや砕けたぞ!」
響く声は戦火に乗って、周囲を圧する。集落から聞こえる悲鳴がラ・シャールオを急き立てる。
力押しで城壁を破ったガルルゥーエの一軍が、雪崩れ込んで来ていた。
「進め、進め! 我らこそがフェルドゥーク! 我らこそが真のゴブリンよ! 戦を忘れた奴らに、戦火の色を思い出させろ! 惰弱に溺れた奴らに、我らガルルゥーエの旗を刻んでやれ! はっはっは!」
大きな体を揺らして、グー・ビグ・ルゥーエが笑う。
「……抜かせっ!」
その姿を城壁の上から見つけたシャールオは、即座に矢をつがえると放った。後背を狙う一射は、咄嗟に防御に回るルゥーエの親衛隊の盾に防ぎ留められた。
「ほう、威勢が良いな! 良いぞ! そうでなくてはな!」
命を狙われたビグ・ルゥーエは猛獣のように口の端を吊り上げた。
「火を放て、住民を追い立てろ! 負けるということがどういうことなのか、平和と言う惰弱に溺れた奴らに、泥濘と屈辱の中で思い出させろ!」
上がる悲鳴を彩りに、ビグ・ルゥーエは笑う。
「くっ! 住民を逃がさねば……」
それ以上の狙撃を諦め、シャールオは東の城門へ向かう。つながる木々を足場に、城壁を走ると東の城門を開け放ち、アーノンフォレストの住民を東へ逃がしたのだった。
黒煙の漂う暗闇の空に、燃えるような朝焼けが、もうすぐそこまで迫っていた。
◆◇◆
アーノンフォレスト陥落の報は、亜人達の住み暮らす西域を通じて一気に広まった。快進撃を続けるフェルドゥークだが、未だギ・グー・ベルベナ率いる本隊の影すら見せずその前衛部隊たるグー・ビグ・ルゥーエの長槍と大楯の軍、戦奴隷と攻城兵器を主に運用するグー・タフ・ドゥエンの破城槌と兜の軍の二者の姿しかない。
圧倒的な戦果を引っ提げて、西方大森林の中央部を制覇したフェルドゥークは、その牙をさらに四方へと伸ばそうとしていた。
だがそんな中残る一匹、グー・ナガ・フェルンの長剣に円楯の軍は、王都にいた。
「馬鹿な! 何かの間違いだろう!?」
グー・ナガ・フェルンは、ギ・グー・ベルベナ反乱の報を聞くや、怒鳴り散らして使者の首を絞めた。牙を剥いて怒るグー・ナガは今にも使者を食い殺してしまいそうだった。それを周りの者が引きはがすように止めて、なんとか使者から話を聞く。
「馬鹿な! 大兄……ビグ、タフ……」
茫然と西の空を見上げて、グー・ナガは立ち尽くした。
四将軍の持つ兵力は、地方にそのまま置くにしてはあまりに巨大であった。また、その大規模な兵力を遊ばせておくのも、国庫に対する負担である。その為、四将軍から一軍を引き抜き、中央に止め置く処置を行っていたのだ。
任期は3年で交代とするその制度に従い、四将軍はそれぞれに手元の一軍をプエルの宰相府に預けている形になっている。
「……っ」
しばらく立ち尽くしていたグー・ナガであったが、立ち直るとすぐさま顔を歪ませた。
自分自身の立場のまずさに思い至ったのだ。
「宰相府へ出仕するぞ!」
グー・ナガの言葉に、ぎょっとしたのは彼の側近たちだった。
メルフェルン総勢三千。紋章旗にも記された長剣と円楯を主要装備とした剣兵達は、三人の千人将とその下にそれぞれ十人の百人将からなる。側近たる彼らからすれば、自らの立場のまずさは理解しつつも、グー・ナガの行動は迂闊に過ぎると思われた。
下手をすれば反逆罪を着せられて、三千皆諸共処刑台に上らねばならないのだ。
「しかし、お一人では……」
「ギ・ガー・ラークス殿に、ご同行を願っては」
その言葉を言った側近をグー・ナガは敵でも睨むかのように睨んだ。自身の潔白を証明するのに、他人に頼るなど自らの勇気を疑われるようなものだったからだ。
怒鳴りつける寸前までいったグー・ナガは、それでもなんとかそれを堪え、低い怒りを秘めた声で問い返した。
「なぜ、己の潔白を証明するのに、他人の力を借りねばならん。メルフェルンを預かるこの俺は、そんなに意気地がないか?」
「いいえ、そんなことは。失言でした」
顔を青くして俯く側近に、鼻を鳴らしてグー・ナガはその背を叩く。
「しっかりしろ! 立場は分かるがな!」
「はっ!」
背筋を正す側近に、グー・ナガは笑って見せた。
「だが、そうだな。戦にしても何にしても己を有利にするのに躊躇をすべきではない。それは確かだ」
だが、果たして今のギ・ガー・ラークス殿があてになるかのなと、頭の中だけで呟いてグー・ナガは使者の任を先ほどグー・ナガの神経を逆なでした側近に命じる。
「これから先、いかがなりましょう?」
「わからん」
不安げな側近の言葉に、グー・ナガは眉を顰めて肩を竦めた。
「わからんが、わからんゆえに出来ることをする。これァ、戦だろう?」
茫然と西の空を見上げたのとは、全く別人のように笑って、グー・ナガは猛獣のような笑みを浮かべた。わからないことは、からりと忘れる。その切り替えの早さがグー・ナガ・フェルンが戦場で生き残ってこれた所以だった。
「まさに、戦です」
グー・ナガの答えに考え込んでいた側近達は、それを自分たちなりにかみ砕くと、そう言って頷いた。
「なら、俺達が負けることはない。俺達ァ……フェルドゥーク。誰の下にいても、我らこそがフェルドゥークのメルフェルン! 暴風の魁、メルフェルンなのだからな!」
豪快に笑うグー・ナガに励まされ、側近達も活動を開始する。
二人の兄弟の思惑も、大兄ギ・グー・ベルベナの考えもわからない。だが、戦うべき時はおのずからやってくるものだ。それが敵としてか、味方としてかはわからないが、グー・ナガはそう思い割り切った。
朝焼けの空のように、グー・ナガの心は晴れやかだった。
◆◇◆
四将軍筆頭たるギ・ガー・ラークスは、王の崩御以来引退を決め込んでいた。まるで己の心の中から何か大事なものが抜け落ち、臓腑の一部がなくなってしまったのではないかという錯覚に陥っていたのだ。
以来、アランサインの実務面は副長であるファル・ラムファドが取り仕切るようになっていた。戦争血盟であった戦乙女の短剣の盟主と兼務しながらのアランサインの実務を取り仕切るようになって以降、ヴァルキュリアはパラドゥア氏族と共にアランサインの中核をなす。
アランサインのもう一つの柱であるザウローシュは盟主の補佐に専念すると言って、アランサインから一線を引き、戦争血盟レオンハートの副盟主へと戻っていた。
亜人達は集落に戻り自由を謳歌し、灰色狼などもそれに追従する。
東征以降、大規模な紛争もなく十五年。
かつて東征に参加した熟練の兵士達は、後身に道を譲り今やほとんど残っていない。かつて新兵だった者達が今や東征に参加した大ベテランとして残っているに過ぎない。
未踏地域への遠征なども、ギルドの仕事として冒険者に割り振られている現状では、彼らの実力を遺憾なく発揮する場面と言うのは訪れなかったし、海をまたいで隣国アルガシャールへと攻め入るには、国力の回復を待たねばならなかった。
「このまま引退するおつもりですか?」
天冥会戦での飛翔艦の砲撃を掻い潜る指揮を見せて以降、ファルはギ・ガーに対して尊敬の念を抱くようになっていた。戦姫ブランシェの後に従って大陸中央に覇を唱えた騎馬兵をして、あの時のギ・ガー・ラークスの指揮は心底震えが来るものだった。
まさに、戦姫にも並ぶ神懸かった采配。
戦が無くなり、ギ・ガー・ラークスが全てにやる気をなくして引退を決め込んでも、彼女は一切咎めることをせずに、その代行を買って出たのも、あの時の指揮に心底ほれ込んだからだ。
「それも、良いかもしれん」
ぼんやりと与えられた屋敷で庭の木々を眺めながら椅子に座る上官を、彼女は無言で見つめた。ギ・ガー・ラークスの視線の先には、東方より持ち込まれた桃色の花弁をつける木々がその花を散らしている春の終わりの頃だった。
「……もはや、戦はない。四将軍筆頭は俺などよりギ・グー殿の方が相応しかろう」
「私の上官たるに相応しいのは、貴方だけです」
「生きている中ではな」
「まさにそれが大事だと思いますが」
「そうかもしれん……」
2人の視線の先で、花弁が舞い落ちる。
視線の先に追っているのは、舞い散る花弁ではなく、かつて追いかけた遥かな背中だった。
「わかりました。しばらく貴方のアランサインはお預かりします」
「もらってしまっても構わんが」
「二度同じことを聞きたいのですか?」
黙り込むギ・ガーをそう言って黙らせると、ファルはそれ以降アランサインを取り仕切る立場となったのだった。そのギ・ガーの姿を批難し、いっそのこと本当にファルに将軍職への就任を望む若い者達に、彼女は、断固として言い聞かせて来た。
「アランサインは、ギ・ガー・ラークス殿のものだ」
その姿勢があるからこそ、パラドゥア氏族も彼女に従ったし、宰相プエルは自身が王に仕えるという立場を取っている以上、その形を咎めることはできなかったし、するつもりもなかった。
その点で、ファルがアランサインの指揮を執っても、問題は全くなかったのだ。
その日、その報が届けられるまでは。
ギ・グー・ベルベナ反乱す。
王都レヴェア・スーのギ・ガー・ラークスの屋敷に、荒々しく入って来たファルが、その一方を届けた時、ギ・ガーはのんびりと茶を飲んでいたが、その茶碗を取り落とし、愕然とした表情で一言呟いたのだった。
「……馬鹿な」
それきり絶句した彼の胸倉を掴みあげ、鬼気迫る表情で怒声を響かせたのは、ファル自身だった。
「今すぐアランサインの指揮を御執りなさい! 今すぐです!」
ファルに揺すられ、宙を彷徨っていたギ・ガーの視線が、みるみる鋭くなる。
「何かの間違いだ! そうに違いない、なぜギ・グー殿が反乱を起こすのだ!? 一体誰がそんなことを!?」
喚き散らすギ・ガーに、ファルもまた怒鳴り返す。
「第一報に続き、パラドゥア氏族の集落が襲撃されたと連絡がありました。彼らは動揺しています! ことの真偽はともかく、パラドゥア氏族ほどの大集落を一体どうやって、誰が落とすというのですか!」
「そんなわけがあるか、ギ・グー殿は俺達とともに王の背中を追っていた仲間だぞ! あの戦だとて自身深手を負いながらも──」
今もギ・ガーの脳裏に焼き付くギ・グーの姿は、当時の姿のままだった。重症の傷を負いながら、それでも指揮を執り続け、最も困難な戦場を最も長く支えるまさに忠臣の姿。
「──目を逸らすな、ギ・ガー・ラークス!」
「っ!」
新兵を叱る声そのままに、ファルは怒声を上げた。
「いかな不愉快な真実であろうとも、目を逸らせばそこに待っているのは死だ! それを教えたのは、貴方ではなかったのか!」
「……」
僅かに視線を落とし、ギ・ガーは言葉をなくす。それは自身が新兵に言い聞かせた言葉だった。天冥会戦に参加する新兵達に、繰り返し言い聞かせた言葉だ。
「事情は知らん! 彼なりの理屈もあるのかもしれん! だが、反乱は反乱で起きてしまったのだ! 誰かが対処せねば、この国は崩壊する。幾多の尊い犠牲の上に成り立った、この国がだ!」
わかるだろうと、鋭い視線を向けるファルに、ギ・ガーは呑まれていた。ファルの言葉の中に、己の過去を見たのだ。
脳裏に浮かぶのは、偉大な背中だった。誰よりも戦塵に塗れ、何よりも最前線で彼らを導く偉大なりし、ゴブリンの王。
ギ・ガーが追いかけ、ギ・グーが仰ぎ見、そして全てのゴブリン達が追いかけた偉大なる背中。
「そして今一つ。ギ・グー殿が立ったなら、対抗できるのは貴方だけだ!」
「……槍を」
ギ・ガーの胸の中で、嵐が吹いていた。
今も、あの叫びを覚えている。
幾多の戦いを、幾多の戦場を、多くの強敵たちを。
「では?」
「……勘違いするな、俺はまだギ・グー殿が反乱を起こしたなどと信じられぬ。だが事の真偽は確かめねばならんし、もし仮に本当だとしても、説得できぬことはないと思っている」
それを甘い、とファルは思ったが些末な事だと言い聞かせた。
至近距離で覗くギ・ガー・ラークスの瞳の中に、渦巻く炎を見取ってファルもまた震えた。これを待っていたのだ。誰にも言えぬ心の内で、ファルは確かに歓喜を覚えていた。
草原の覇者、戦姫の後継たる騎馬兵達。その命脈を繋ぐ彼女からすれば、草原を駆けるあの燃え立つような激情を、今一度思い出させてくれるのなら、ギ・グー・ベルベナの反乱も悪い事ばかりではないとすら思う。
「畏まりました」
「俺の軍は?」
「もちろん。もう、揃っています」
「いつもながら、手回しが良い」
ぶっきらぼうなその賛辞に、ファルは口元を歪めてにやりと笑った。若き日、歩兵殺しの異名を取った怜悧な表情を彷彿とさせる自信に満ちた笑みだった。
「練兵場にて、兵達が待っています」
屋敷から出たギ・ガー・ラークスは、宰相プエル・シンフォルアの判断も仰がず、すぐさまアランサインの集結している練兵場へと向かった。
練兵場には、最前列に新兵、熟練兵が並びその後ろに古参兵が並ぶという配置でざわめきが広がっていた。東征以降平和な時代に慣れた彼らからすれば、引退したギ・ガーよりもファルの姿を探し求めていた。
彼らを新兵の時から熟練兵になるまでしごき、鍛え上げて来たのはファルだったからである。古参兵以外の東征以降にアランサインに入った彼らは、ギ・ガーは時々ふらりとやって来て訓練を視察する老ゴブリンでしかない。
愚痴を言っても苦笑とともに頷くだけの、ファルよりもよほどに気安い人物であった。彼らにしてみれば、その老ゴブリンに彼らの上官たるファルが付き従うのも面白くなかった。
だがその日、二代目の騎獣であるニオウに乗ってやって来た彼は、彼はまさに人が違っていた。手にした槍は、神代級大斧槍。かつて王から賜った漆黒の鎧を纏ったその姿は、鬼神も避けて通る威風に満ちていた。
居並ぶ兵を睥睨する視線の鋭さは、まるで刃のようであり、見下ろす視線は好々爺の時のものとは、まったくの別モノ。鋭い視線は、幾千幾万の屍を踏み越えてきたものだけに共通する重力をもったかのような威圧が宿っている。
それだけでざわめきは、既に消えていた。
「ファル」
「はっ!」
彼の後ろに付き従うファルの姿に、いつもなら不満を述べる若手も黙って納得せざるを得ない。一言で言ってしまえば貫禄が違うのだ。
ファルは確かに、平時の指揮官として有能極まりない。だが、戦場での指揮官としてみた場合、何かが一枚落ちるのだ。それを肌で感じて、兵達は黙り込んだ。
一目でそれと分かる威風、それが兵達に命を預けるに足ると認めさせたのだ。
ギ・ガー・ラークスが槍を掲げる。同時にファルが腰に差した剣を抜き放ち、天に掲げて怒声を響かせる。
「気勢を上げろ! 我らは何者か!?」
咄嗟に声を上げたのは、やはり古参兵だった。
『我ら王の槍!』
普段から華美に飾ることもなく武骨な鎧や槍を専ら磨いて装備としている古参兵達が、狂ったように吼える。続く声は、もはや絶叫に近かった。
『将軍! 将軍! 虎獣と槍の軍! アランサインっ!!』
ファルと同じく、古参兵達もまた待っていたのだ。
騎獣を乗り換え、古くなった槍を磨き、鎧を補修し、彼らは待っていたのだ。彼らの指揮官の戻ってくるのを。東征以来十五年。気の長くなるような時間を彼らは、指揮官不在のまま生きてきた。それがやっと終わるのだ。
その日、長き低迷の中からかつての英雄が目を覚ました。
その名を、ギ・ガー・ラークス。四将軍筆頭にして、古今無双の騎兵指揮官。戦場を飛翔する片翼の怪鳥は、暴風の斧の鳴り響かせた嵐の声に、目を覚ましたのだ。




