生ける災厄(前編)
アルロデナが大陸を制覇してより、十数年。
かつて暗黒の森と呼ばれたそこは、いつしか西方大森林と名前を変えていた。大陸各地は黒の宰相プエル・シンフォルアの手腕の元、綺羅星の如き文官達の活躍もあり復興の真っただ中である。
大陸全土に高速道路たる軍用道を走らせ、戦禍に焼かれた街々を復興するとして始まったその経済振興政策は、瞬く間に大陸全土に好景気を呼び込んだ。
大陸全土に張り巡らせた全ギルドの長ヘルエン・ミーア、臨東の領主を兼ねる彼女の経済的辣腕は、旧アーティガンド全域に根を張るガノン・ラトッシュの影響力と伍する。
“失言多き天才”ガノンと異名をとった彼は、東征に関わる補給全般を担う過程で開花し、そのまま旧アーティガンド地方の復興という名目で東方諸国を巻き込んだ経済の再建に手腕を振るっている。もっとも、人口からして激減した旧アーティガンド地方の再建には、時間がかかるのが仕方ないことではあったが。
“麗しき沈黙”ヘルエン・ミーアの名は、ガルム・スー近隣から、王の座す都にまでおよび、その威名は、彼女の影響力の及ぶ経済圏の強さを示していた。
そして経済圏を取り上げるなら、西都を中心とした地域がある。
三つの経済拠点が互いに鎬を削るその状態を、作り出した男が支配する地域だ。
ヨーシュ・ファガルミア──慈悲深きの尊称付きで呼ばれるその男は、全ギルドの長たるミルフェット・ミーアの師にして、マーティガス・ガノンの師。若くして、その地位を築き、以来盤石ともいえるほどに強固な結束を以てその西方総督の地位を務めるヨーシュ。
その手腕は40代という脂の乗り切った近年に至っては、魔王かそれとも英雄かと見紛うほどであった。彼の指す一手で、商家は破産し、繁栄していく。そして都市一つをしても、それは変わらない。
百万の命を握る男。
それが彼につけられた綽名である。
「……でだ」
豪奢な執務室。ただし、忌々しいことに、手入れするものの趣味趣向を反映して、そこまで成金趣味というわけではないらしい。全体的に相手を圧倒するという目的で作られたためか、見るものが見れば金額の桁が一つか二つ違う品物が転がっているという程度だ。
その部屋の主は、常に変わらぬ笑顔を浮かべ、口元をいつものように隠していた。机の上に肘をつき、組んだ手に隠された口元からどんな悪辣な言葉が出るのかと、冒険者ミール・ドラは鋭すぎる視線で流し目を送る。
「用件を言え。私だって暇じゃない。レシア様の護衛だってあるのだ」
「そうですね」
少しも急がない口調でそういうと、ミリオンディーラーはゆっくりを依頼の内容を口にした。
「西方大森林の調査」
一言でいうなら、それである。
「最近森の奥地でゴブリン達ですら近寄れない怪異が発生しているそうです。そこで、ハンターリストの中でも最も優秀な部類の貴方は、これをどう思われます?」
「……」
ミールは口をへの字に曲げた。
この、どう思われますと聞くのがまた嫌らしい。
依頼を受けてこの場所に来た時点で受けるのは前提。ハンターリストの最優秀な、あなたなら放っておけない事態だと思いますが、依頼はこちらで出してあげますよ、と言っている。しかもどこから入手したのか、この先のレシアの旅する予定経路まで調べたらしく、ミールとレシアが次に西方大森林方面に向かうことを知っている。ギルドから報酬を受けている仕事の面、護衛の任務、どちらからも逃げられないように先手を打たれている。
「……ああ、まったくもって調査が必要だな」
「ええ、そうでしょう。そうでしょう。依頼のお金は前金で振り込んでおきます」
しかも……しかもである。
ヨーシュという男、どこまで知悉しているのか、ミールが今まさに金が必要だと分かっているらしい。彼女はレシアを護衛する傍ら、各地の孤児院を経営もしている。そこの一つで物入りになったのだ。
「期限は20日ほど、報告まで含めての日数です。よろしくお願いします」
「具体的な情報はないのか」
「アーノンフォレストにて、目撃者と会えるようにしておきます」
「ふん……わかった」
どこまでの手回しのいいことだと舌打ちして、ミールは背を向ける。
「では、ご健闘を」
「言われるまでもない」
扉を出ると、露出の多い服装をしたメイド服を着た女が金貨の詰まった袋を渡してくる。
「主様から当面の資金にと」
「……」
無言のうちに受け取ると、ミールは足を速めた。レシアに、どうやって納得してもらうか、あるいはその護衛はどうするかを考えながら。
結果として、彼女の考えは無駄になる。
ミールがレシアの元へ戻った時には、レシアには学校における臨時講師の仕事が回され、護衛には旅行で西都に来ていたフェルビー夫妻が一緒にいるという。まったくもって腹立たしいこと、この上ない。
ヨーシュの掌の上で踊るのが歯ぎしりする程悔しいが、それはそれとしてそそくさとミールは支度を整えると単身西方大森林へと向かった。
●●○
亜人達の築いた楽園ミドルド。
妖精族の才媛シュナリア・フォルニの統治するその都市を通り抜けようとして、知己にミールは挨拶をすることにしていた。戦後の復興で最も利益を得たのが、傷の少なかった中央の商人達だが、彼らが復興の為に必要な資材をどこから調達してきたのかと言えば、西方の豊かな大地からだった。
妖精族の計画的な植林による森林地域の拡大、程よく育った大木の取引は西方の経済を潤した。蜘蛛脚人の作り出す糸は、高級素材として東方に紹介され、牛人などが石工職人として人間達とともに岩山から石を削りだす。軍用道は平時には、商人の通行も許可されその流通は西方から東方までを貫く経済の大動脈となって復興の景気を支えた。
天下泰平の世になって以降、亜人達はその生活様式を少しずつだが変化させていった。自然のままに狩猟を営む古くからの生き方と、それでは満足できず、人間とともに貨幣経済の中に混ざっていく双方の生活が尊重された。
その中心たるミドルドは、風の妖精族のシュナリア姫の元、学芸と商業都市の2つの側面をもって西方に存在する。商人が軒を連ねる商店街を抜けて、裏道をしばらく歩くと閑静な石造りの住宅街が見えてくる。
「む……」
「どうも」
「ミール殿か、よく来た」
広い机の上に大きな本を広げてギ・ドー・ブルガは組んだ腕を解いた。
彼らの接点ができたのは戦後である。各地を回るレシアについて回ったミールが、孤児院出身者の教育に悩みを抱える中で、教育という分野に影響力を持つ人物として紹介されたのが、ギ・ドーである。よく言って師匠と弟子程度の関係ではあったが、彼らの親交は今も変わらず続いている。
「何を書いておられたので?」
それ以来その純朴な人柄のギ・ドーとミールの付き合いは続いている。友人として持つなら、真摯な助言をくれるギ・ドーは得難い人物だった。そして何より彼の持つコネは、世界各地にある。
「ああ、うむ……少し本を書いてみようと思ってな。王の業績を後世に残すのも、残ったものの役割だろうと……だが、まぁなんというか書き出しがな」
苦笑するギ・ドーに、ミールは手元をのぞき込む。
「題名は、なんというんですか?」
「歴史、だ」
「そのままですね」
「我が王は虚飾を好まれなかったからな」
「少し見せてもらっても?」
「ああ、ぜひ感想を聞かせてくれ」
“王が生まれ、我らの生き方は変わった。
生きとし生ける我らは森の中の蛮族から、秩序ある生活へとその様式を変えたのだ。
素晴らしきかな、我が王!”
“王が一度剣を振るえば、敵は瞬く間に殲滅された。
そして王は寛容を以て彼らを許したのだ。
素晴らしきかな、我が王!”
……。
「これはさすがにちょっと」
「……やっぱりそうだろうか」
3行に一度は素晴らしきかな、我が王と入れてしまっているのは如何なものだろう。
「タイトルがタイトルですしね」
「ううむ。どうも私情が入りすぎてしまってな……」
「まぁ、あなた方が王を大好きなのはわかるんですが……」
わかっているが、筆が乗ってしまうということはある。それが個人の著作で収まればいいのだが、書くのは今や教育界に巨大な影響力を持つギ・ドー・ブルガである。それを発表されると、彼の権威が揺らぐ。個人的な幸せと友人の未来への評価の為に、そこは避けた方がいいとミールは判断する。
「ふむ、茶も出さないで済まないな……」
「ああ、いえ。すぐにお暇します。明日にはアーノンフォレストまで足を延ばすつもりですから」
「ほう?」
「実は西都総督から西方大森林の怪異を調べてほしいと依頼を受けまして」
「怪異、とは?」
「具体的には、なんとも……その目撃者とアーノンフォレスト出会うつもりなので。ギ・ドー殿のところには特に聞こえてきていないですか?」
「残念ながら、まったく」
「……意外に大したことないのか?」
小声で呟いたミールの言葉に、ギ・ドーとして腕を組む。
「とりあえず、行ってみることだ。西方大森林はフェルドゥークの領域、滅多なことでは怪異など起きはせぬさ」
「はい」
挨拶を済ませると、ミールはギ・ドーの家を後にする。
ヨーシュが依頼をするぐらいだから、大きな事件だと推測していたが、ミドルドの平穏に影響を及ぼしてはいないらしい。首をかしげながら、ミールは早くに宿を取り、翌日の朝早くミドルドを後にした。
○●●
ミドルドと西方大森林の間は、軍用道路がつながっている。だが、道路網とまではいかず、深淵の砦までの一本道に近い。途中オークの部族領へ行く経路、ベルベナ領へ行く経路と別れるが、基本的にアーノンフォレストまでは一本道である。
ルオ領や、オルド領まで行く道もあることはあるが、軍用道路までは開通しておらずオーク部族領を経由して行くのが最も早い。もちろんこれは旅人基準の話で、地元で育った歴戦のゴブリンや、オークなどからすれば、軍用道路など通らなくても魔獣を狩りながらそのまま北上した方が早いということもある。
軍用道路が通っているということはそれだけそこに人口が密集し、経済基盤になると期待されていると言っても過言ではない。消費と生産の一大拠点と国に認識されていることを意味する。
無論軍用道路沿いには、様々な商売が並び立つ。人とは逞しい者で、そこが商売になると分かったならば、多少の危険は顧みずに商売を始めたりするものなのだ。
「……しばらく訪れていない間に、ずいぶんにぎやかになったなぁ」
ミールが目を丸くして見渡すのは、アーノンフォレストではない。かつてゴブリンの王が廃墟の村を根拠としたその村である。軍用道路の開通に伴って、ある一定の間隔で“宿駅”が設けられることが決定された。その場所である。
「へい、らっしゃい、らっしゃ~い!」
「そこの旅人さん、この先5里にわたって宿はないよ!」
呼び声逞しく旅人に宿を提供するのは、無論ゴブリンなどではない。人間の一家が最初に始めたと言われるその宿の数は、既に今では10数件にまで増加。宿の数だけでそれなのだから、当然それに付随する飯屋、風呂屋、あるいは道具屋、鍛冶屋なども軒を連ねる。
どう見ても宿場町が出来上がっていた。
さて、ゴブリン達はこの成立を黙ってみていたのかと言えば、むしろ歓迎していたというのが本音だろう。戦争の終わりは彼らの活躍の場の減少である。王の死去以来、出生率の著しい低下に悩むゴブリン達だったが、それでも彼らの数は増え続けている。
となれば、当然魔獣を狩るだけでは生きていけない。
雑食とされる彼らだから、当然人間と同じものを食うことになる。となれば発生するのは、当然ながら金がかかるのだ。
その食い扶持を増やす為に、人間の商業活動に巻き込まれるのも已む無し。そう決断を下したのは、4将軍筆頭格のギ・ガー・ラークス。黒衣の宰相プエルの説得があったとはいえ、全ゴブリンに向けたその話について行けたのは、どの程度だったのか。
とはいえ、彼らは彼らなりに理解した。
今までは王がいたから、誇りを満たすだけで食い物が喰えた。だが、これからは自分たちも金を稼がねば食い物がなくなるらしい、と。今でも彼らの最も人気の職業は、軍人である。それは変わらない。軍の中枢は彼らゴブリンで固められ、戦士階級と呼ばれる上位のゴブリン達がなお健在である。
だが、それ以外の職業に就く者達も現れだした。それが、用心棒であったり護衛であったり、およそ武闘派の仕事に彼らの職業は解放されだしていた。
理由はいくつかあるものの、やはり彼らの性質による処が大きい。
純朴にして、恐れを知らず、そして腕は立つ。
3拍子揃った人間を雇うよりは、余程安上がりだったのだ。貨幣経済というものがよくわかっていなかったゴブリン達にとって、この頃はまだ自分たちの価値というものが相対的わかっていなかった。暮らし向きは貧しくとも、戦いこそ誉れ。そのようなゴブリンがゴロゴロいたのだから、あとは推して知るべしだろう。
腕が立つというのは、当然だ。なにせ、ギの集落出身者はギ・ガー・ラークスの定めた掟の通りに、旅立ちの儀式がまだ現役である。弱い者には、戦士として集落の外にすら出れない非情の掟。
世に出るゴブリン、特にギの集落出身のゴブリンが精強でないはずがなく、一度ギ・ガーの号令があれば、全国各地からそれらのゴブリンが集まるという徹底ぶりであった。
そんなわけで各地に建てられた宿場町では、宿に3~4人のゴブリンが用心棒兼護衛として雇われているのが常だったのだ。
ミールもそんな世界の情勢は知らずとも、宿場宿の暖簾をくぐると、そこには鋭い視線を客に向ける不愛想なゴブリンが、曲刀を腰にさしていたるするのは日常の風景となっていた。
「一泊。部屋は個室を」
「へぇ~い、お嬢さん御一人~」
宿のカウンターで受付を済ませると、案内の人間が出てきて部屋に案内してくれる。その途中──。
「もし、そこの方」
「はい?」
「相当なる武人とお見受けいたします。可能ならば是非立ち合いを……」
用心棒のゴブリンに試合を申し込まれる所までは旅先でのミールの日常であった。
「残念ながらギルドの仕事中よ」
「ううむ、残念」
ギルドの影響力は偉大である。
そんなこんなで、かつては廃墟だった宿場町で一夜を過ごし、再びミールは西に向かったのだった。
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