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ゴブリンの王国外伝  作者: 春野隠者
継承者戦争
19/61

継承者戦争≪次世代の台頭≫

 魔都シャルディの一角で、追走劇が始まっている。

「いたぞ。あの娘だ!」

「うわっちゃー、逃げるわよヴェリン!」

「おい、なんで俺を巻き込む!?」

 追いかけるのは、揃いの服に背に三日月のレッドムーンの構成員。逃げるのはカーリアンとヴェリンの二人だった。

「だってだって、貴方、私の保護者でしょ?」

 妖精族の血の入った長耳を揺らしながら、一つに束ねた銀髪を揺らして走りながら喋るカーリアン。

「いつからだ!?」

 まるで飛燕のように軽やかに人混みを抜け、路地裏を疾駆する彼女に合わせ、必死で足後動かすのがヴェリン。ひょんなことから彼女に助けられ、護衛に雇ってからなぜかレッドムーンに追いかけられる日々を送っている。

 楽し気に走るカーリアンはまだまだ余裕があるようで、微笑む様子は気品すらある。

「え、いつからって……えっといつからだろう?」

「──っておい!?」

 だが、致命的に頭が弱いらしい。というのはヴェリンの見方で、放っておけないのも少女の魅力と言えば、魅力だった。

「そもそもなんで逃げるんだ? お前何をした?」

「何もしちゃいないわよ! たぶん?」

 怒鳴り返した直後に、そうして考え込むカーリアンを、ヴェリンは荒くなってきた息の合間から横目で胡乱気に睨んだ。

「レッドムーンに追いかけられる謂れは、俺はないぞ!?」

「う~ん……多分、あれだと思うけど」

「なんだ、言え!」

「教えたら解決してくれるの?」

 既に走っているのは裏路地だった。大通りは、危険構造が単純なだけ危険と考え、裏路地に逃げ込んだは良いものの、魔都シャルディの裏路地はさながら迷路だった。

「わからん!」

「じゃ、だめ!」

 こんな時に可愛子ぶりやがってっと内心だけで罵倒し、ヴェリンは尚も必死で走り続ける。半ば公的に認められているとはいっても、それでも裏社会を仕切るレッドムーンである。

 捕まったらどんな拷問をされるかわかったものではない。そうでなくとも、彼らは敵対したものに容赦はないと有名だった。

「はぁはぁ……だが、どうしたものか」

 やっと追っ手を撒いて一息ついたヴェリンは、乱れた息もそこそこに頭を抱えた。これでは、本来の目的であるハマ商会の捜査など夢のまた夢である。レッドムーンと表立って対立するような度胸のある組織は、それこそアルロデナ政府ぐらいしかないのではないか。

「まぁまぁ、なんとかなるって」

「おまけに追われる理由もわからないでは、解決する手段も取れないしな?」

「ん~?」

 横目でカーリアンを眺めるヴェリンに、人を疑うことを知らなそうなカーリアンが首を傾げる。あるいはこれが擬態なのだとしたら、劇団で主役を張れる、とヴェリンは考えた。あるいは詐欺師かもしれないが……。

 こうしたとき、とれる手段は決まっている。ため息とともに、何とかこの娘の問題を平和理に解決させてやり、自分はハマ商会の調査をしなければならない。

「仕方がない、か」

 一人溜息を吐きながら使える者は何でも使わねばならないと思いなおして、ヴェリンは歩き出す。

「ちょっと待ってよ、ヴェリンってば!」

 ヴェリンが頼ったのは、所謂情報屋。ソフィアのコネではなく、彼自身が独自に構築したものを使うことだった。東方を主な活動の拠点としているヴェリンは、主要都市に情報提供者を複数持っている。自分自身の冒険者としての稼ぎもさることながら、ソフィアから与えられる給与もつぎ込んでいるのだから、相当な出費には違いなかったが、生死を分ける場合には使わざるを得なかった。

 路地裏を抜け、森の国フェニスの出身者が固まった一角や、シュシュヌ教国、あるいはクシャイン教徒の集まった一角。

 それらを通り抜けて行きつくのは、胡散臭い薬草や、動物の干物などが並べられた店だった。

「爺さん、いるかい? そろそろ仕入れの時期だと思うんだが」

「小僧が、いっちょ前に……女連れか?」

 多種多様な人種、そして様々な国の人々が入り混じる魔都シャルディにあって妖精族の姿は決して珍しい者ではないらしい。その美貌に僅かに驚いたようだったが、情報屋は、おおよその事情を察して、眉を顰めた。

「そう言うことだ。で、事情を知りたい」

「金貨が必要だな」

 じゃらりと、置かれる金貨の数は3枚。

 だがそれを見下ろして、手を出さない情報屋にヴェリンはため息を吐きつつ更に2枚を増額させる。

「耳を貸せ」

「その娘、レッドムーンの盟主、“狂刃”ヴィネ・アーシュレイの娘だ」

 驚いて動こうとするヴェリンの耳を、尚も強く引っ張った情報屋。

「気を付けろ。ありゃぁ、怖いぞ」

 ひひひ、と笑って解放されたヴェリンは不機嫌そうに情報屋を睨むと、すぐさま踵を返す。

「まいど」

 笑う情報屋に背を向けて、彼は再び考え込まねばならなかった。歩く先は、裏路地の一角にある宿屋。いくつか確保している値段が安いだけが取り柄のそこに入ると、珍し気にきょろきょろと周囲を見回すカーリアンの姿が目に入る。

「で、家出の理由を聞こうか」

 ため息交じりに藁敷きの寝台に座ると、ヴェリンはカーリアンに問いかけた。

「あはは、ばれちゃってたか……で、どうする?」

「どうする、とは?」

「私を見捨てて逃げたくなった?」

「……事情を聴いてからだな」

 数日後、彼らがレッドムーンの追撃を振り切って、姿を見せたのはシーラド王国の出身者が数多く暮らす一角だった。


◆◇◆


 雪鬼(ユグシバ)の一族は、ゲルミオン州区に彼らの自治区を持つ有力な一族である。音に聞こえた剣の一族にして、先の東征においてはギ・ゴー・アマツキの斬り込み隊として活躍した。

 平和と安定の時代においても、彼らは剣の腕を磨くことを怠りはしなかった。雪鬼の族長ユースティア・アマツキの創設したアマツキ流剣術宗家は、全土に広がるアマツキ流剣術の頂点に立っていた。

 雪鬼達の培った独特の歩行とギ・ゴー・アマツキの戦場の剣を組み合わせて、作り上げられたのは実にゴブリン向きの実戦に特化した剣術だった。

 ユグシバの地は、彼ら剣士にとって一種の聖地であり、アマツキ流剣術を修めた者は必ず立ち寄る場所である。そのユグシバの地から一人の若者が旅立とうとしていた。

 その若者が珍しかったのは、一つに背負った長剣である。アマツキ流剣術は、その始祖ギ・ゴー・アマツキからして長剣に特化したものだった。その長さも平均的なものを用いるのが普通だったが、彼が背負っているのは、身の丈ほどもある長い剣。

「ユーゴ……本当に、行くの?」

 ユーゴと呼ばれた少年に声をかけるのは、これまた幼い少女。

「当たり前だ。おふくろが病気だってのに……あのバカ親父を連れ戻すまで帰らねえからな」

 静かに、だが猛禽類を連想させる鋭い視線で東の果てを睨むユーゴ。

「うん……」

 不安げに俯く少女に対してユーゴは、ため息を吐くと彼女の頭を撫でる。

「大丈夫だ。親類縁者含めたって俺が一番強いんだからな!」

「でも、ユースティア様には全然じゃ──」

 最後まで言わせることなく、彼女の頭を撫でてた手が彼女の頬を掴んで左右に引っ張る。

「ひたひ」

「おふくろは良いんだよ! おふくろは別!」

 かぶせる様にそう言うと、少女の頬を掴んでいた手を放す。

「じゃ、そう言うわけだからみんなによろしくな」

「お父さん、見つかるといいね」

「絶対に見つけてやるさ。駄々をこねるなら力づくでも連れ戻す」

 気の強さを伺わせる声で頷くと、その度の一歩を踏み出した。

 その青年は珍しかった。一つには、その背に負った長大な剣。

 そしてその容貌。

 母親ゆずりの秀麗として良い筈の容貌に、人との違いを上げれば額から延びる一本の角。白い肌はゴブリンであるはずがなく、その身長も人の身にして長身痩躯と言って良い。

 鬼人(ハーフ)と呼ばれる新しい時代を象徴するような少年は、ただ母親の病に父親を連れ戻す為に旅に出る。世界のどこかを放浪しているはずの父親──大陸最強の剣士ギ・ゴー・アマツキを追って、その息子ユーゴ・アマツキはユグシバの地を旅立った。

 争乱の渦中に必ず父親はいる。

 その確信を胸に抱いて、彼は旅立った。


◆◇◆


 ヨーシュ・ファガルミアは西都の防備に追われていた。彼をしても、ギ・グー・ベルベナの反乱は最悪の予想をはるかに上回る出来事。なによりも、彼の支配する西都は西方大森林に近すぎる。

「とにかく情報を」

 書類の束を持った文官に指示を飛ばすと、西都の防衛に使えそうな人材に片っ端から書状を送る。またそれと同時に各地からもたらされる情報を集めると、集められた情報による防衛網の構築を同時にしていた。

 無論、独りで全てを賄うことが出来ない以上、組織を使って構築していったのは言うまでもない。

 秘書兼愛人であるメリシアは、情報の統制と資金繰りに奔走し。

 冒険者兼愛人のセレナは、アルロデナ政府との折衝をこなし。

 愛人ではないものの、西都のヨーシュに多大な恩義があるリィリィ・オルレーアを使って北部自由都市、そして姉であるシュメアの伝手を使って辺境軍から兵力を募った。またそればかりではなく、ギルドの総支配人ヘルエン・ミーアを脅し、宥め透かしながら兵力を供給させることまでした。

 他にはオークの大族長ブイ、隣接するユグシバの土地への援軍要請を繰り返し行うとともに、アルロデナに対して増援の要請を繰り返した。また内側に対しては、亜人を積極的に警備に回し、内側からの崩壊を防ぐよう手を打つ。

 ここまでしても、ヨーシュは勝てるとは全く思っていなかった。

 所詮は寄せ集め、時間を稼ぐのが精々であり、甘い希望は捨てるべきとの冷徹な判断のもとに、彼は最悪の筋書きを塗り替えようと、足掻く。

「最悪ですか?」

 ヨーシュを支える愛人兼優秀な秘書官メリシアの声に、ヨーシュは地図を見下ろしながら頷いた。周辺地域を精密に網羅した大地図は、西都総督府のヨーシュの執務室にのみ存在する。

 西域全体を俯瞰するかのような床一面に広げられた地図を見下ろして、ヨーシュは眉間に皺を寄せた。

「そう……この戦、最悪はどこにあると思う?」

 上がってきた情報を紙面から読み取り、模型とともに、各地においていく。それはヨーシュが考えをまとめる時によく使う手法だった。だが、もっぱらそれは経済政策を行うときに使われるものであり、戦の際に使われるのは、誰しもが初めて見る。

「西都が陥落する……ですか?」

「……いいや、アルロデナが崩壊することだね」

 地図から視線を上げないヨーシュの表情を、メリシアは伺うことはできなかったが、その声音は心底本気の時の声だった。長年愛人として傍に仕えていれば、その程度のことは読み取れるようになる。

「それほどまでですか?」

「ああ、それほどまでだよ。この反乱は……」

 見下ろす視線の先には、かつて暗黒の森と呼ばれた地方。西方大森林と呼ばれ、昼なお暗き森の中に、幾多の亜人を住まわせる巨大な生存権の存在。

「国を割るということが、どれほどの傷を残すのか、本当に分かっているか……?」

 困惑気味に呟く、ヨーシュの視線は虚ろに揺れていた。

 西方からの大規模な反乱と、中央での小火、さらには東の果ての埋み火。それらが、偶然の一致なのだとは彼にはどうしても思えなかった。

 誰かが糸を引いている。プエル率いるアルロデナの裏をかき、エルクスの情報網をかいくぐり、この一連の騒動を巻き起こした黒幕が、居るはずなのだ。

 ギ・グー・ベルベナがそうなのか、あるいは他の誰かがいるのか、それは分からない。だが、誰にも気付かれず、そのような謀議が為し得るものなのか。

 ヨーシュは飽かず、地図を眺める続けた。


◆◇◆


 西方大森林には珍しく、風雨吹き荒れた日、それは唐突にやって来た。草原地帯と、森林地帯の入り組むパラドゥア氏族の領土に、ここ十数年響き渡ったことの無い警鐘が鳴り響く。

「南?」

 パラドゥア騎獣兵の一匹が不審そうに耳を傾ける。東西南北に張り巡らされた警鐘は、動乱の時代に張り巡らされたそのままに、機能を発揮した。

「敵襲!」

 第一報の早さはさすがにアランサインの中核たるパラドゥア氏族だったが、第二報に接して集落全体の混乱を避けられなかった。

「旗は、斧に長剣! フェルドゥーク!」

 半ば悲鳴じみた報告は、直ちに大族長ハールーに知らされ、豪胆で知られる彼の顔色を変えさせた。

「その報せ、疑う余地は!?」

「複数の斥より、同じ報告があり……」

「ならば、是非は問うまい! 出るぞ!」

 斥候から戻った氏族の者からの報告を最後まで聞かず、ハールーは出撃を命じた。

「なぜ、フェルドゥークが……」

 拭いきれぬ困惑を口に出すと、それ以上の疑問に蓋をして騎獣に跨がる。そしてそれ以上は不要だった。

 パラドゥア氏族三千騎の長たる者は、至宝たる紫電の槍を手にして、南を睨み付ける。何が来ようと、やることは決まっているのだ。敵ならば倒すまで。

「静まれぃ!」

 空気を震わせるハールーの声は、歴戦を感じさせる重さを持っていた。直後、東征に参加していた古参の騎獣兵達が、声を上げる。

「我らの脚は、何よりも速く! 故に我らは、鉄脚を名乗る!」

 唱和される声に、今まで突然の軽傷に戸惑っていた若手の騎獣兵達が思わず振り返る。

「我らは何者か!」

 地鳴りのような喚声が、パラドゥア騎獣兵から挙がる。問われたならば、応えねばならない。それはゴブリンの王登場以前から繰り返された氏族の誇り。

 その血は、しっかりと若きパラドゥア氏族達にも引き継がれている。

「我らは何者か!」

 再びの問いかけに、混乱していたはずの若者が猛然と声を上げる。

「我らはパラドゥア騎獣兵!」

 続いて掲げられた槍先に、次々と声が重なる。

「我らこそ、パラドゥア騎獣兵!」

 突然の襲撃に戸惑っていたパラドゥア騎獣兵達は、落ち着きを取り戻と、大族長ハールーの指示に従って迎撃の準備にかかる。

「女と子供らは?」

「北へ」

「良し!」

 パラドゥア氏族の集落は本格的な防御機能を持たない。騎獣である黒虎を友とする彼等の生活は、アルロデナ成立以後も変わりなかった。

 ガンラの集落アーノンフォレストの急成長を横目に、狩猟を尊び質実剛健を旨とする彼らは、アランサインの中核たる戦力を供給し続けて来たのだ。

 故に彼等の戦い方も変わらない。

 集落に危機が迫れば、氏族全てを移動させながら戦うのだ。今はその規模を拡充したパラドゥア氏族は、ハールーに率いられて戦士全てを南からの襲撃に対処した。

「敵、集落に侵入!」

 パラドゥア氏族の強みは、その機動性である。

 三千騎を養う為の集落は、アルロデナ成立以後も拡大を続け、その規模はかつての四倍近くにもなっている。戸数は増え、養える黒虎の数は増したが、密集した集落を彼らは好まなかった。一戸の敷地を依然と変わらぬほどにした結果、集落は巨大にならざるを得なかったのだ。

 外円までの間に草原を一つまるまる囲い込むほどになったパラドゥア氏族の集落は、西方大森林に根を張る巨大なゴブリンの集落だった。

 集落に侵入されたとはいえ、その機動性を発揮するのに不自由をしないのは、論を待たない。

「敵は……本当に、フェルドゥークでしょうか?」

 東征を生き延びた古参のゴブリンが、ハールーに問いかける。

 鋭い視線を口の軽い同輩に向けたハールーは、叱りつける様に言い切った。

「一戦すればわかること」

 一時の動揺は収まったが、それでも氏族の中の恐怖を見て取ったハールーは、自ら先頭に立つことを決める。手にした紫電の槍が彼の気迫に応じて稲妻を中空に走らせ、青白い光が風雨を蹴散らした。

 族長たる者、率いる者の機微を読み従えることが必要である。

 それを長年戦いの中に身を置いたハールーには分かっていた。

 吹き付ける雨粒を振り払うように、槍を一閃し、堂々とハールーは声を上げる。

「迎撃だ! 我らの集落を襲いし何者であろうと、生きて返す必要はない!」

 ハールーの檄と共に、一塊のパラドゥア騎獣兵が動き出す。古参の兵に率いられた若き戦士達が、闘争の場へその身を投げ出していく。

「伝令兵!」

 ふと、思い立ってハールーは若き戦士を呼ぶ。

「ははっ!」

 若武者ぶりも見事なパラドゥア氏族の若者に、ハールーは戦場も忘れてしばし見入った。思えば、偉大なる王と出会ったのも、自身がちょうどこのぐらいのときだったと、柄にもなく思いに耽る。

「ガンラ、ガイドガ、ゴルドバに伝令! パラドゥアに襲撃あり、敵はフェルドゥーク! 用心されたし!」

「敵は、フェルドゥーク! 用心されたし!」

 復唱する伝令兵に頷くと、ハールーはその背を押した。

「往けィ!」

 深々と頭を下げて走り出す伝令兵。その背中を見送って、ハールーは眼を細めた。


◆◇◆


「三騎!」

 暗き森の中を駆けるパラドゥア騎獣兵。曲がりくねった木の枝を足場にし、草を弾いて疾駆するさまは、まさしく森の狩人の名に相応しい。だが、それを猛追するのは、いくつかの小集団だった。

 三匹が一塊になって二十ほどもいる。

 旗はなく、その身に纏うのは、在りし日の王の近衛を連想させるような黒一色に染め上げた鎧。得物は短槍に、盾。森の中で戦うことを前提に考えられた、装備の数々はその部隊が兵力を展開しづらい森での戦いを主眼においたからこそ。

「魔法弾!」

 指揮官の号令に従い放たれるのは、風と土の魔法弾。

 後ろから迫るそれを躱す伝令兵の身のこなしに、嬉し気に口元を歪め、彼らは伝令兵を包囲するように駆けた。

 黒犬(ジェルフ)部隊と呼ばれた彼らは、ギ・グー・ベルベナの支配する南方地域の中でもひときわ変わったゴブリン達で編成されていた。

 南方ゴブリンの特徴である長腕に加えて、足の指が驚くほどに長い。木の幹を掴むことが出来るほどに長い足の指は、鋭い爪と相まってまるで鳥の足のようだった。

 それに加えて彼らに交じるのは、南方ゴブリンで編成された祭祀(ドルイド)達。ギ・ザー・ザークエンド率いるドルイド部隊は、既に壊滅して久しいが、それとは別に編成された南方ゴブリン達だけによる魔法兵だった。

 無論、その為数は少なく貴重な戦力である。

「外れました。止まりません」

 ギョロ目をしばたかせ、抜け出た伝令兵の姿を確認する部下の声に、ジェルフの指揮官は笑う。彼の名はビグ・ラロス・ジェルフ。

 ギ・グー・ベルベナ直系の三兄弟グー・ビグ・ルゥーエの家系に連なるゴブリンだった。黒犬ラロスは、その獰猛さと執拗さにおいてルゥーエ家の中でも突出しており、生まれ育った境遇と相まって、一度放たれれば、敵を倒すまで戻って来ない、と言われるほどだった。

「伝令! 本隊は、パラドゥアと交戦の模様」

「親父殿は、なんと?」

「獲物は逃がすな、とのこと」

 その返答を聞いて、黒犬ラロスの顔に浮かんだのは狂人の笑みだった。戦に狂った人の残虐な笑みがラロスの顔をより凶悪なものに見せる。

「承知した! 黒犬の本分お見せしようではないかっ!」

 鋭さを増したその視線の先に、捉えるのはパラドゥア氏族の誇る伝令兵。

「追い立てろ!」

 獰猛なラロスの声に従って、部下達が獰猛な咆哮を上げる。指揮官の性質を反映して、配下の彼らもその性残虐な者が集まっていた。歓声とともに、その号令を聞くと我先にと飛び出して行く。

 まるで黒虎を凌駕するように、枝を足場に次の枝に飛び移るのは当然として、地を駆ける速さは、黒虎とそん色ないほどであった。

 だが逃げるパラドゥアの伝令兵も必死、早々に掴まるつもりは毛頭なく、後ろに目が付いているのではないかというほどに卓越した手綱捌きを見せて黒犬(ジェルフ)部隊から放たれる魔法弾を避ける。

 しかも三騎がそれぞれに互いを庇い合う形をとって、容易に付け入る隙を与えない。

 だが、ラロスにとって魔法弾は所詮足止めの魔法に過ぎない。当たらないのであれば、相応の使い方があるというものだった。

「枝だ!」

 ラロスの声に従って放たれた魔法弾は、今までと変わらない。ただその軌道は、微妙に修正されていた。

 直線状に放たれた土塊の魔法弾が、パラドゥアの伝令兵に迫る。それを難なく躱したパラドゥア伝令兵の目の前で、避けた魔法弾が太い木の枝を直撃し、自身の進路上に覆いかぶさって来るのが目に入る。

 思わず避けた伝令兵の足が鈍り、その分だけ猛追する黒犬部隊が距離を詰める。

 三騎で駆けていた内の一匹が陥った危急に、残りの二匹も僅かに振り返ったのを見て、黒犬ラロスは笑った。

「さぁ、どう選択する?」

 助けに戻るか、見捨てて逃げるか。戦いは決断の連続であり、ラロスは幼少の頃より誰よりも身に染みてそれを知っている。

 だからこそ、他の者の選択が見てみたいのだ。

 足の鈍った伝令兵が、再びの疾走に入る。まだ逃げ切れると思っているらしいと感じたラロスは、再びドルイドに命じた。

「岩!」

 ラロスの指さす方向に再び指示を出す。風弾が勢いよくパラドゥアの伝令兵に向かい、それを避けた目の前で、巨大な岩の壁面に命中する。

 砕けた破片は、散弾のようになって伝令兵に襲い掛かり、さしもの伝令兵も躱し切れずまともにその岩の雨を受けてしまう。黒虎までも負傷し明らかに速度の落ちた伝令兵の内の一騎に、黒犬部隊が追いつこうとしていた。

 その時前方を走っていたはずの一騎が引き返し、負傷した最後尾の一騎に寄り添う。

 垂れ下がった耳に聞こえる先頭を走る伝令の兵の悲鳴じみた声が、ラロスの口元を笑みの形に歪ませた。

「兄弟か」

 先頭を走る兄を逃がす為、弟達が死を覚悟して犠牲になろうということだった。

 その選択に、ラロスは舌なめずりせんばかりに笑みをこぼす。

「クハ、ハッハッハ!」

 思わず口から洩れる哄笑の声。

 そうでなくてはならない、情に溺れ、理性の声を無視し、感情のままに戦わねばならない。

「奴らは、勇士だ! 嬲り殺せ!」

 口の端に上るのは賛辞である。自らを省みず、他の者を救おうとする、まさに勇士の選択だった。

 ならばこそ、その勇士を殲滅する。

 黒犬ラロスの歓喜の声が、指揮下の黒犬達に伝播し、口々に喚声を上げて二匹の伝令兵に殺到した。指示を下すとラロスは先頭を走る一騎の背に向かって、鋭い視線を向け、再び声を上げた。

「岩!」

 足元に着弾する風弾が岩を砕き、砕かれた岩は散弾となって最後の伝令兵を襲う。

 木の上に跳躍することでそれを避けると、一瞬の躊躇もなく次の木へ飛び移る伝令兵の手腕に、ラロスは感嘆しつつも、さらに続けて魔法弾を放つ。狙いは足場、木の上にいるなら枝を落とせばいいのだ。動く標的よりもよほどに狙いやすい。

 手傷が増え、徐々に速度が落ちていく伝令兵をさらに黒犬(ジェルフ)部隊が追い詰める。必死に手綱を操り、繰り返される攻撃を避け続けるパラドゥアの伝令兵は体力もついに枯れ果て、その命運も尽きるかと思われた。

「……ちっ」

 舌打ちしたのは、黒犬ラロス。黒犬の熱狂をよそに、指揮官としての彼はどこまでも冷静だった。パラドゥアの集落から上がる狼煙。

 それが森の中からでも見えたのだ。遅かれ早かれ、事態が露見することはフェルドゥークの共通認識だったが、思いのほかパラドゥア氏族攻略に手間取ったらしい。

 既にパラドゥア氏族の縄張りは踏み越え、ガンラの氏族の勢力範囲にまで入り込んでいる。いつ、なんどきガンラの狩人に見つかるかわからない状況で、徒に伝令兵を追い回していいのか──。

 伝令兵を抑えれば、露見が遅れるという可能性は既にかなり低くなってしまった。その為に、ラロスは再び決断をせねばならなかった。

「撤退だ!」

 怒鳴り声とともに口笛を鳴らす。それに応じてあれほど熱狂的に伝令兵を追い回していた黒犬部隊は、急速反転し撤収する。

「運が、良かったな」

 去り往く伝令兵の背中を見送って、黒犬ラロスが苦々しく呟いた。

 

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